【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第52話: オクラと豚肉のアラビアータとビール
内容紹介
今日の一皿は、オクラのとろみと豚の旨みをピリッといただく「オクラと豚肉のアラビアータ」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、ビールと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
沢井詩織は、駅から一駅分歩く裏道を選んだ。昼間は製薬会社で品質管理の仕事をしている。タンパク質の変性率、pHの変動、測定値の誤差をマイクログラム単位で読み取る世界。だが、夜になると、白衣を脱ぎ、台所に立って香辛料と戯れる。
今夜のテーマは、アラビアータ。完熟トマトの酸味、にんにくと唐辛子の辛味。それぞれの個性がひと皿のなかで調和するはずだった。だが、完成した料理は、どこかぎこちなかった。酸味と辛味がぶつかり、まとまらない。再調整をしても、何かが足りなかった。
冷蔵庫を閉めたとき、ふと思い出したのは弟の話だった。
「現場の高柳翔真さん、すげーんだよ。毎日違う弁当作ってんのに、全部、高柳さんの味って感じすんの」
弟が働く建設現場で、一目置かれる先輩がいる。黙々と仕事をこなし、弁当箱の中にその人となりを詰め込むような人。
詩織の胸に、なぜか小さな焦りが灯った。
「誰かに届く味って、どうやって作るんだろう」
その問いの答えを探すように、彼女は電車を一駅前で降り、夜風に揺れる路地を歩いていた。
何度めかの角を曲がると、白いのれんが静かに揺れていた。明かりも看板もない。それでも、迷わずのれんをくぐった。
「いらっしゃいませ」
店内は静かで、木の香りと、油の弾ける音が空気を満たしている。
カウンター席に腰を下ろすと、厨房に立つ真城一献が一瞥をくれた。
真城はさっと背を向け、フライパンにオリーブオイルを垂らした。そこから、にんにくのアリシンと唐辛子のカプサイシンが鼻腔まで届く。そのあとは、肉の脂の香り。豚肉だろうか。
やがて目の前に差し出された皿には、赤く艶やかなソースに絡めたパスタと豚肉、それに刻まれたオクラがあしらわれていた。
一口目、唐辛子の刺激が先に来る。すぐに酸味が追いかけ、旨みが弾け、そして最後にオクラのとろみがすべてを包み込む。
「優しい辛さ、ですね」
ぽつりと漏らすと、真城が静かに口を開いた。
「疲れてる人に合わせました」
言われて、詩織はようやく自分の疲れに気づいた。
「COEDOの、白です」
次に置かれたのは、白く濁ったビールの瓶。
香り高く、口当たりは柔らかい。ビールをひと口含むと、料理の余韻がふわりとほどけた。酸味が優しく引いていき、辛味は余韻として残る。飲み込んだあとに広がる、白ぶどうのような清涼感に、詩織は思わず目を細めた。
口の中が一度リセットされる。その状態で再び、ひと口パスタを食べる。さっきまで感じていた尖りが、なぜかまろやかになっていることに気づく。味が変わったわけじゃない。自分の受け取り方が、少しだけ変わったのだ。
詩織はゆっくりと、最後のひと口を噛み締めた。ソースの中にわずかに残るオクラの粘りが、今度は不思議な安心感を与えてくれる。
「弟が、現場の先輩の弁当の話をしてて」
そう言いながら、詩織は自分のなかに残っていた引っかかりを吐き出すように語り始めた。
「私は、数値ばっかり見てた気がします。レシピも、火加減も、全部理屈で決めようとしてた。誰かのために作るってこと、してなかったな」
その言葉を口にしたとき、初めて、自分がひとりで料理していた理由に気づいた気がした。
真城は、何も言わなかった。ただ黙って、グラスの水滴を布で拭いていた。その沈黙が、詩織にとっては何よりも救いだった。
ビールを飲み干し、深く呼吸をすると、身体の奥のこわばりが少しずつほどけていくのを感じた。今日の料理も、今日の自分も、たしかにここに存在していた。完璧ではないけれど、誰かに差し出すことはできる。そんな気持ちが、静かに胸に湧いていた。
詩織は再びのれんをくぐった。二回目は、自分のために届いた味を纏わせて。
真城一献は、詩織の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
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第53話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』
おまけレシピ

オクラは板摺りして産毛を取っておく。
フライパンにオリーブオイルを熱し、にんにくと鷹の爪のみじん切りを加える。
にんにくがほんのり色づいたら、短冊切りした豚肉を加える。
豚肉にしっかり火が通ったら、輪切りしたオクラを加えてさっと炒める。
トマトソースを加え、酸味を飛ばしたら、少量の水を加えて煮詰める。
表示通りパスタを茹でる。
材料紹介
オリーブオイル : 味と値段のバランス最強。普段使いに。
豚バラブロック : 塩漬けにすると保ちます。いつでも少しずつ料理に使えて便利。
パスタ : パスタならこれがおすすめ。ブロンズダイスでソースとよく絡む。
ホールトマト缶 : 備えあれば憂いなしとはまさにこのこと。
COEDO 白-Shiro- : オクラと豚肉のアラビアータと。
