【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第10話: 佐賀牛のヒレステーキと赤ワイン
内容紹介
今日の一皿は、和牛の美味しさを最大限引き上げた「佐賀牛のヒレステーキ」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、赤ワインと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
根岸哲生は、文化財修復を専門とする、一級建築士である。長年、文化財の保存建築に携わり、最近は福井の古民家再生プロジェクトにも携わった。東京の本郷に小さな個人事務所を構え、現在は弟子の育成にも力を入れている。
哲生は、時間ができると町を散策し、建物を観察するのが趣味だった。特に、路地の入り組んだ地形に建ち並ぶ古い家々を見るのが、何よりも楽しみである。
ある日、東京を散策していると、まだ入ったことのない路地を発見した。一人の人間には遠く及ばないほど、町と建物は奥が深い。哲生はそんなことを考えながら、その路地へ一歩足を踏み入れた。
その路地は、かなり入り組んでいた。空間把握能力は他人より自信のある哲生にとっても、今どこにいるのか、どの方角へ向かっているのか見失いそうになる程だった。
自分の好奇心を思う存分満たしてくれる空間に浸っていると、小さな古めかしい家屋に出会した。白いのれんには何も書かれておらず、日が沈んだばかりの薄暗い空気の中に、淡い行燈が佇んでいた。
よく観察すると、全体的に寂れた印象のこの門構えの中で、その行燈に張られた和紙だけが、この建物の伝統を引き継ぎながらも、新しい光を放っていた。哲生はこの店らしき家屋に抗えない興味を覚え、気づいたらのれんをくぐっていた。
「いらっしゃいませ」
中に入るとまず、壁に掛けられた日本画が目を奪った。この絵はきっと、この店を表しているに違いないと、哲生は直感した。
仕事の癖で、店の中を順々に観察していった。物が少なく殺風景であったが、それがこの空間を最適化しているように思われた。
哲生はようやく、カウンターの向こうに立っている、紺の作務衣と白の前掛けを結んだ、真城一献に気がついた。哲生は軽く会釈をすると、そのままカウンター席に腰を下ろした。
「じろじろと見てしまってすみません。仕事の癖で、つい」
「もしかして、建築関係の方ですか?」
「ええ、そうなんです。外の行燈の和紙は、新しく張り替えられたものですか?」
「さすが、プロは違いますね。よくお気づきで。あれは、和紙職人の新庄麗さんの作品です」
「新庄さん?福井の?」
「ええ、若手の職人さんで」
「そうでしたか。ちょうど先日福井で、あるプロジェクトでご一緒しましたよ。お若いのに、芯があって立派な方でした」
「それはまた不思議なご縁ですね。それでは、しばらくお待ちください」
注文も取らずに背を向けて作業を始めた真城に、哲生は驚いた。先出しが来るのだろうか。
しかし、真城はフライパンを取ると、強火にかけた。そしてアルミホイルの包みの中から、小さな肉の塊を取り出すと、熱くなって煙が立ち上るフライパンの上にそれを慎重に乗せた。その瞬間、ジューッという音が勢いよく鳴り響いた。香ばしい匂いがカウンターまで流れてくる。哲生は思わず唾を飲み込んだ。これはきっと牛肉の脂の匂いだ。
真城は牛肉の表面を次々と焼き入れていくと、すぐに取り出して、皿の上に慎重に乗せた。そして、残されたフライパンの中に、赤ワイン、醤油、はちみつと、そしてもう一つ薄い赤ワインのようなものを少し入れて、煮立たせた。液体はすぐに沸々と音を立てて、とろみがついていく。真城はそれをスプーンでかき集めると、牛肉の上に少量垂らした。
「佐賀牛のヒレステーキです」
その見た目の美しさに、哲生はもう一度唾を飲み込んだ。牛肉は表面がこんがりと焼けており、断面の中はほんのりと赤みがかっている。その上を、凝縮されたワインの赤が流れ落ち、小さな滝のようになっている。立体的に構築された一皿だった。
哲生は我慢の限界を迎え、急いでナイフとフォークを持ち上げ、ナイフを牛肉に入れた。ナイフを伝って柔らかい手応えが返ってくる。一口サイズになった牛肉を口に含んだ。噛み締めた瞬間、上品な脂がじゅわっと口の中に広がっていく。それを、甘みのあるソースが、わずかな酸を伴って抱き止める。そうか、最後に入れたあれは、ワインビネガーだ。
「これは、お酒を飲まない方が罪になるかもしれません」
「そうですよね。今すぐに」
真城は少し勝ち誇ったような笑顔を見せると、厨房から、脚が長くふくらみの大きなワイングラスと、ワインボトルを取り出した。手早くコルクを抜いて、ボトルをグラスへ傾けた。
「ナパ・ハイライズ、カベルネ・ソーヴィニヨンです」
グラスを、とても濃い赤が満たしていた。持ち上げて鼻を近づけると、まるで樽に囲まれているような香りがする。これは楽しみだ。口をつけて、グラスを傾ける。果実みがありながら、タンニンが力強く主張してくる。それに、ココアのような濃厚さまである。これは肉に負けないどころか、肉と共闘さえするだろう。哲生はもう一度ナイフで肉を切り、ソースを絡めて、口へ運んだ。やはり、間違いなかった。もう一度ワインを流し込む。哲生の左脳と右脳が同時に刺激された。もう、誰も彼を止めることはできなかった。
「この建物は、今のところ、手を加える必要はなさそうだ」
「もしその必要が出てきた時は、お力添えください」
「もちろんだよ。このお店の名前は?」
「『酒肴録』です。酒に肴で、酒肴録です」
「次の100年が、楽しみだね」
哲生は再びのれんをくぐった。二回目は、牛の脂と濃い赤の香りを纏わせて。
真城一献は、哲生の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
おまけレシピ

ヒレ肉の塊に塩胡椒をして、薄力粉をまぶす。
フライパンを強火で熱し、オリーブオイルを入れる。
フライパンが十分高温になったら、肉の表面に焼き色をつける。
取り出し、アルミホイルで包んで、オーブンなどで65度で3時間程度、低温調理する
再びフライパンを熱し、もう一度肉の表面に焼き色をつける。
肉を取り出した後のフライパンに、赤ワイン、醤油、はちみつ、赤ワインビネガーを加え、沸々ととろみがつくまで火を入れてソースを作る。
材料紹介
佐賀牛ヒレ肉 : ふるさと納税で美味しいお肉を。
割れない皿 : 高級感があるのに、1,000回落としても割れない?!最強か。
オリーブオイル : 味と値段のバランス最強。普段使いに。
ナパ・ハイライズ : 肉料理にはこれ。
RIEDELワイングラス : ワインはグラス一つで味も香りも変わります。
