【創作小説×レシピ】バーチャル居酒屋『酒肴録』第30話: サムギョプサルとマッコリ
内容紹介
今日の一皿は、豚バラとキムチでガツンとスタミナをつける「サムギョプサル」。
バーチャル居酒屋で繰り広げられる、マッコリと心ほぐれる物語、そしてレシピや材料紹介をお楽しみください。
本編
のれんをくぐると、ちいさなせかいにつつまれる。
ことばは酒にほどけ、肴にかたらう。
こんやは、なにが録されようか。
竹下修斗は、額の汗をぬぐいながら路地を歩いていた。梅雨明けしたばかりの東京は、ただでさえ体力を削るのに、部活終わりの身体には酷だった。吹奏楽部とサッカー部の兼任顧問という二足の草鞋は、年功序列で高齢化した教師社会では若手と呼ばれる彼にとっても、体力の衰えを感じさせる日々だった。
─本当に、このあたりで合ってるのか?
目の前に現れたのは、文字の無い白いのれん。淡い行燈の灯りがゆらゆらと揺れている。先週、体育館で行われたキャリア教育の特別授業で知り合った芳賀紘が、「こっそり教えます」と笑って紙に走り書きしてくれた地図には、この場所が記されていた。
「じゃあ、入りますか」
そう独り言をつぶやくと、修斗はのれんを押し上げた。
「いらっしゃいませ」
カウンターだけの狭い店内に、低く穏やかな声が響いた。紺の作務衣に白い前掛け。厨房の奥に立つ真城一献が、修斗に一礼する。
「ひとりです」
聞かれてもいないのに、口がそう動いていた。
「お好きな席へどうぞ」
水が注がれたグラスが、カウンターの木目に静かに置かれた。修斗はタオルで首筋を拭きながら、ふぅと息をついた。
「お腹の加減はいかがですか?」
「─ちょっと疲れてて、でも何かしっかり食べたい気分です」
真城は静かに頷くと、背を向けた。
メラメラと熱せられた鉄板に、長く切られた豚バラ肉を乗せる様子がカウンターからも見て取れた。鉄板に触れた瞬間、肉が一気に強張る音が響く。それを追うように、鼻腔を突き抜ける脂の香りが漂ってきた。続いてキムチ、スライスされたにんにく。甘く焦げるような、しかしどこか青い香りが立ち上がる。思わず唾を飲み込んだ。
「サムギョプサルです」
鍋敷の上にそのまま置かれた鉄板の上には、こんがりと焼かれハサミで一口サイズに切られた豚バラ肉。隣には赤く染まったキムチ、黄金色のにんにく。別の皿の上には、鮮やかな緑のサンチュ。そして艶めくコチュジャンだれ。
「これは。─豪勢ですね。いただきます」
修斗はサンチュを手に取り、豚肉とキムチとにんにくを重ねて包む。仕上げにコチュジャンを箸の先で少し持ち上げて、サンチュの船の仲間に加える。大きく口を開けて頬張った。
バランス。まさにそうだった。脂の旨みが広がると同時に、キムチの酸味とコチュジャンの甘辛さがそれを追いかけ、にんにくの香ばしさが全体を牽引する。サンチュがその全てを包み込んでいた。
「うまい!」
声に出すと、少し恥ずかしくなって、グラスの水を口に含んだ。
「よろしければ、一杯いかがですか」
「あ、はい、お願いします」
やがて出されたのは、陶器のグラスに注がれた乳白色の液体。静かに発泡している。
「ジピョンの生マッコリです」
修斗は口をつけた。米の濃厚な甘みと、わずかな酸味の混ざったやわらかな味。炭酸の軽やかさが、豚の脂を洗い流してくれる。もう一口、サムギョプサルを頬張る。そしてまたマッコリ。気づけば口が、手が、どんどん次を欲していた。
「キャリア教育の授業で、今日ここを知ったんです。来てくださった起業家の方が、帰り際に小さな紙切れをくれて」
「─そうでしたか」
「サムギョプサルとマッコリ。教員の飲み方じゃないですよね、これ」
「いえ。先生にこそ、必要な組み合わせかもしれません」
修斗はふっと笑った。あの教室の中で、自分が一番年下のように感じたことを思い出した。生徒たちのほうが、むしろ世界を持っているようだった。
「生徒の一人が、韓国からの留学生なんです。先週、彼女が見せてくれたお弁当にサムジャンが入っていて、驚いたんですよ。お隣の国でも、お弁当ってだいたい同じなのかなと思ってたけど、要所要所に個性が出るんだなと」
そう語りながら、もう一枚、サンチュを手に取った。音を立てて頬張る。しっかりと噛み締め、マッコリを流し込む。
─あのときの彼女の、誇らしげな表情。
料理って、文化って、そういうものなのかもしれない。ひとを包む。ひとを語る。ひとを録す。
「この店、名前は……?」
「『酒肴録』と申します。酒に肴で、酒肴録」
「なるほど、これもまた教育の一部かもしれませんね」
修斗は、汗の引いた額に風が通るのを感じた。サンチュの葉が残り一枚になっていた。
「明日、部活のあと、生徒に今日思ったことを話してみようと思います。─たぶん、誰もピンとこないでしょうけどね。でも、何かのきっかけになればいいなと」
修斗は再びのれんをくぐった。二回目は、発酵と香辛のやさしい風を纏わせて。
真城一献は、修斗の背中を見送ると、再び厨房へ戻った。今夜もまた、ひとつの酒肴が録された。
第1話へ戻る
第29話へ戻る
第31話へ続く…
マガジン: バーチャル居酒屋『酒肴録』
おまけレシピ

豚バラ肉にあらかじめ薄く塩胡椒をして、10分以上放置して余計な水分を抜く。
鉄板やフライパンにごま油を少量垂らし、十分に熱してから豚肉を乗せる。
豚から脂が出てきたら、キムチとにんにくを入れて脂に絡めるように火を通す。
