「80年談話」を「左翼の遺言」として聞こう 立てこもる石破茂と三島由紀夫
安倍さんのように・・
石破茂を左翼リベラルが守り、それに右翼保守がムキーッとなってる状態は、いろいろな意味で面白いね。
ああ、いま「右」の人が石破を見るように、かつて「左」の人は安倍晋三を見てたんだろうなあ、と感じる。
今、右翼保守が、石破が憎くてタマラナイように、かつて、左翼リベラルは安倍が憎くてタマラなかった。
それで、ようやく、「左」の人たちの安倍さんに対する憎しみが、理解できたりして。
いちばん面白かったのは、日本保守党の北村晴男が石破を「醜く奇妙な生き物」と形容したのを、赤旗が非難していることでした。
私達は石破首相を厳しく批判しています。でも、こんな言い方はしません。事実を持って論争し、批判します。 北村議員の投稿は、誹謗中傷であり、人権侵害です。 国会議員としての資質を疑います。
(三浦誠・赤旗社会部長 2025/7/28 19:26)
私達は石破首相を厳しく批判しています。でも、こんな言い方はしません。事実を持って論争し、批判します。
— 三浦誠・赤旗社会部長🍉編集センター (@redbear2014) July 28, 2025
北村議員の投稿は、誹謗中傷であり、人権侵害です。
国会議員としての資質を疑います。 https://t.co/XNi3WefotY
いやいや、あんたら、安倍さんに対しては、もっとひどい言い方してたやん、というね。みんなそう思うよね。
俺にはこれを貼る義務がある https://t.co/BuMsdvQMvU pic.twitter.com/Y3n8iVUw3S
— 珪素生物 (@deadcatbouncepn) July 28, 2025
今、もし石破氏が道で蹴つまずいて転んだりしたら、右翼保守は「彼は転んで当然だった」と言うかもしれない。
でも安倍氏は、蹴つまずくどころではないひどい目に遭ったけど、彼らは「当然だった」というようなことを言ってたよ。
一般的な意味で言っても、石破は日本の最高権力者だぜ。
最高権力者は、まあ何を言われても仕方ない存在だ。論敵が「醜く奇妙な生き物」と呼ぶくらいは、生ぬるいくらいだ(私は石破を以前から「ブヨブヨ」と呼んでいる)。トランプだって、ボロクソ言われている。
普段の赤旗だったらそういう感覚だと思うけど、石破については、あたかも路上で震える子犬でも見るように、大事に庇護してあげないといけないか弱い存在であるかのように、その目に映っているらしい。
それは、かつてマスコミの総攻撃にあっていた頃の安倍さんを見る、右側の人と同じような視線かもしれない。というか、私は別に右側ではなかったが、私から見ても、安倍さんは可哀想だった。
「談話」をめぐる攻防
このように、かつての安倍さんと、今の石破さんに、左右逆にした相似があるとしても、重要な違いがある。
安倍さんは、未来の世代に影響力を残した。
石破さんは、過去の世代の、最後の人だ。
石破さんは、中国や韓国が泣いて喜ぶような「戦後80年談話」を出す、とみんな思っている。
それを、左の人は死ぬほど出してほしいし、右の人は死ぬほど出してほしくない。
80年談話を出させたら、自民党は終わりだ、と言う保守派議員もいる。
まあ、自民党の保守派はそう思って当然だと思うけど、私は別に自民党を心配する義理はない。
前にも書いたように、どうせ自民党は衰退していく。
自民党だけでなく、立憲民主党も、共産党も、社会民主党も、つまりかつての冷戦期、「保革」時代の政党は、すべて衰退の兆しを見せている。
右ー左で言えば、左が衰退し、右が伸びている。
私は、まあ今でこそ神谷宗幣さんと同じ髪型をして(その件は別の記事に書く)、すっかりネトウヨ爺さんになりましたが。
でも、世代的には石破に近いから、石破の気持ちもちょっと分かったりする。
彼は、「冷戦期」日本の遺言を、最後に届けようとしているのではないか、と。
35年前に滅びるべきだった「左翼」
今の若い人も「左翼」という言葉を使うけど、たぶん我々の世代とは、意味あいがちがう。
仮に意味内容が同じでも、言葉に対する実感度がちがう。
冷戦期には、左翼が「リアル」でした。
ソ連があり、毛沢東の中国があり、アルバニア労働党があり、ポルポト革命があり、ペルーの「輝ける道」があり、各大学にはマルクス主義経済学講座があり、朝日ジャーナルがあり、日教組の先生がいたるところにいて、どこの書店にもたいがい青木書店の資本論が置いてあり・・といった現実があったわけです。
日本の場合、冷戦期はずっと昭和天皇が生きていたから、「戦争責任」も問えた。
冷戦期の左翼は、ソ連、ないし毛沢東派を後ろ盾に、世界に誇るマルクス経済学者を擁して、天皇の戦争責任を追及する、頼もしい存在だったんです。リアルだったんです。
でも、1989年(ベルリンの壁崩壊)から1991年(ソ連崩壊)にあいだに、その現実が変わった。
昭和天皇も同時に亡くなった。
その時の衝撃が忘れられなくて、私は「小説 平成の亡霊」というのを書いています。
衝撃というのは、冷戦が終わったこと、そのものというよりーー
私は、冷戦が終わった時、朝日新聞とか、岩波書店とか、東大経済学部とかが、
「今まで騙してきて、すいませんでしたー。私たちが間違ってましたー」
と、国民に土下座して謝るのかと思った。
でも、何事もなく、過ぎていった。
朝日も岩波も、土下座しなかった。
ただひっそりと、朝日ジャーナルが廃刊したり、大学からマルクス経済学講座が消えたり、書店から資本論が取り去られたりした。
なんなら、土井たか子ブームで、ちょっと社会党が伸びたりした(その頃に辻元清美は土井にスカウトされた)。
私は、その無責任さに精神的ショックを受け、寝込んだくらいだ(詳しくは「小説 平成の亡霊」参照)。
日本の知識人への信頼はその時に大方なくなりましたが、唯一共感して憶えているのは、関曠野さんの『左翼の滅び方について』(1992 窓社)でした。

関氏はここで、
「左翼は見苦しく生き延びるな。それでは、左翼が批判してきた天皇制と同じになる。見事に滅びて日本に手本を示せ」
と主張したんですね。
私は二つの意味で、左翼に、「見事に滅びよ」と呼びかける。第一に左翼は、自らをラディカルに反省し批判し責任をとり、死すべき有限な歴史的な存在として見事に滅びることによって、天皇制に象徴される日本の風土ではかつて何者もなしえなかったことを成就し、この風土を変革することができる。(中略)第二に、もし左翼がこの決断を拒否しなりふり構わず生きのびることを選ぶのであれば、彼らもまた近代の日本の天皇制風土の副産物にすぎなかったことになる。
(「左翼の滅び方について」p31)
関の議論の検討は別のところでするとして、1991年に朝日とか岩波とかが、見事に滅びるーーまあ、セップクでもして日本国民に詫びていれば、確かにかっこよかった。
でも、そうならなかった。
この時点で関が予言したように、ほとんど「業界事情」によって、「なりふり構わず」左翼は生き延びることになります。
冷戦の本当の終わり
ただ、それだけでもなかった。
やっぱり、歴史にはある種の「遅延効果」があって、ある思想が滅びたからといって、ただちにその思想を持った人たちがいなくなるわけではない。
1990年までに人格形成した人の心の中には、冷戦期の思考、「保革」時代の政治観、世界観が生き続けた。
それは、自分のことを考えても、そう思います。
石破さんもそうだと思う。
そして、冷戦終了から35年たって、ようやく、冷戦後に生まれた人たちが社会の主役になりつつある。
冷戦期の記憶がある人たちが死に絶えつつある。
それが、「冷戦期型」の政党が支持を落とし、新しい政党に入れ替わり始めた背景ですね。
冷戦期の自民党は、いわば社会党と一体となり、「1・5」党として日本を運営していたと言えます。
いわゆるコンセンサス型の政治でした。
いつも自民党政権だから、国民からは選挙の意味が乏しかったけれど、ある種の安心感もあった。
「真面目に、真摯にやってます」と言うばかりの石破氏の姿は、そういう時代の自民党の信用を、まだ取り戻せると思っているかのように見えます。
しかし、それはもう終わったんです。
1990年には滅びなかったけど、生物学的な寿命により、いま滅びつつあります。
虫の息の「冷戦期型」左翼たちの期待を、一身に集める「80年談話」は、たぶん左翼の遺言のようになるのでしょう。
それはそれで、聞く価値はあると思うんです。
「おまえら、聞け。静かにせい」
関も指摘していたように、日本人は、左翼思想の輸入を通じて、「国家権力」とか「普遍的正義」のような概念を学びました。
石破はキリスト教徒でもある。日本の近代では、キリスト教徒と左翼は仲間でした。(今も思想的には密接です)
石破は、靖国には行かないけど、参院選投票日にも、千代田区・富士見町教会の主日礼拝に参加しました。
そこで、神の前で、心に期すものがあったのでしょう。
「80年談話」は、その普遍的正義観によって、過去の日本の戦争を裁くような話になるのではないでしょうか。
実際に国家の最高権力を握った者が、そういう価値観を披露するのであれば、それなりに価値がある。
そしてそれは、日本近代の左翼思想の一つの総括ーー私がいう「遺言」のような意味を持つかもしれません。
いく世代もの思想が折り重なっているかもしれません。
若い世代は、石破を、この世から去り行くおじいちゃん世代の代表と思って、その「遺言」を聞いた上で、新しいナショナリズムを築いていけばいいと思います。
「遺言」を真面目に聞いてあげるだけでも、古い世代は成仏できるのではないでしょうか。
自分でも変な連想だと思いますが、石破の姿が、今年生誕100年の三島由紀夫と重なります。
三島は市ヶ谷の自衛隊総監室に立てこもり、石破は永田町の自民党総裁室に立てこもり、古い世代の「遺言」を届ける。
三島が届けたかったのは「英霊の声」ーーそれは、三島の立てこもり(1970年)の34年前に当たる1936年、226事件で決起した青年将校たちの声でした。
石破が届けたいのは、今から34年前、冷戦が終了した年に実質的に滅びた、「戦後精神」の声なのかもしれません。
「おまえら、聞け。静かにせい。静かにせい。話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか」と。
三島がバルコニーから訴えた時のような言葉は、石破氏は使わないだろうけど。
でも、聞いてあげてもいいと思う。
多分その後、政治的にセップクするつもりだと思うんですね。
34年前に見ることができなかった、「見事に滅びる」姿が、見られるかもしれません。
もしかしたら、自民党を道連れに、見事に滅びようとしているのかも。
<参考>
