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三島由紀夫とキリストと天皇

今年は生誕100年ということで、三島由紀夫について語っている人はたくさんいるけど、やっぱりみんな「核心」を避けている感じがするんだな。

核心ーー三島由紀夫と昭和天皇の関係ですね。

三島は、昭和天皇に反逆したんですよ。


最後の演説も、間接的に天皇に語りかけ、天皇を批判していたわけでーー「諫言」ですよね。

そういう不敬なことをしたから、三島は腹を切った。

ああいう右翼の人が、天皇に叛逆したんだから、責任の取り方としては切腹しかないわけですよ。


いまだに、三島の切腹を「理解できない」「奇矯なおこない」のように言う人がいるのが、納得できないんだよね。

三島の切腹の意味、外国人にはわからないかもしれないけど、日本人はわかってあげないといけないだろう。


ということは、以前、成田ナントカが、「高齢者の集団切腹が必要」とか、生意気なことを言ったときに、書いたことがあります。


最近、またそれを思い出したのは、意外な人が、私と同じように感じていたことを知ったからです。

高原剛一郎という、キリスト教の伝道師です。

いま日本でいちばん人気がある伝道師で、クリスチャン・シオニストである彼については、noteで何度か書いてきました。

5月3日に出た彼の新刊『世界は聖書でできている』は、Amazonでベストセラーになっています。


その彼が最近、Youtube番組で、こんな発言をしていたんですね。


若い時からね、僕はね、とにかく日本が好きで好きでたまんないんですよ。

もう、むちゃくちゃ好きだったんですよ。

だから、三島由紀夫が好きやったんです、ずっと。

普通、中学では読まないじゃないですか、でも僕は中学の時の愛読書、三島由紀夫ですからね。

「葉隠」とかね。僕は小学生から極真空手やってて、武士道とかね、そういう日本的なものに、むちゃくちゃ(惹かれる)。(中略)


三島由紀夫って、最後、割腹自殺するじゃないですか。

なんで割腹自殺したのかということを、いろんな人が言ってるんですけど、私がいちばん腑に落ちた解説は、大木英夫という神学者の書いてる論文だったんですよ。

(三島は)市ヶ谷にある自衛隊のバルコニーに立って、檄文っていってね、諸君、立ち上がれ言うてね、自衛官に向かって演説ぶつんですけど、まあ、下からヤジしか飛んでこなかったんですね。

諸君が聞いてくれないんだったら、と言って、中に入って、森田必勝という自分の側近の前で、切腹して首を落とされるんです。(中略)


なんでそんなことをしたのか。結局ね、市ヶ谷のバルコニーの先に何があるかといったら、皇居なんです。

つまりね、自衛官に向かって言ったんじゃないんです。天皇に向かって言ったんです。

天皇に向かって、なんで彼が訴えたかといったらね、彼の短編小説の中に「英霊の声」というのがあるんですが、その中に、彼のいちばん言いたいことが全部入っている。

(日本兵は)天皇が神だと信じたので、死ぬことができたわけですよね。ところが、天皇は神で、その神の国のための殉教死という名誉ある死を遂げたのに、戦争が終わった後に、神じゃないんです、と、人間宣言した。

それなら、神だと信じて死んだ人たちの死は、犬死にになるんですか、と。いい加減にしてください。神に戻ってください、ということで(腹を)切った。(中略)


つまりね、日本人は、やはり絶対的なものを求めているんですけど、絶対的なものの「本物」を見失ってるので、絶対的でないものを絶対者にしてしまったために、絶対者じゃなかったんです、と白状された時に、もう立つ瀬がない、というね。

それで、自分は日本が一番だと思って、ずっと三島由紀夫を追求したけど、日本というのは、その中に入って行けば行くほど、正体が見えないんですよ。

その大木英夫という神学者の視点でね(初めてわかる)。日本人は絶対者をめちゃくちゃ求めている民族なのに、絶対者ではない、仮定された絶対者、まあ天皇制ですよね、これにすがったんだけど、そのすがっていった気持ちの中にね、すごく純粋なものを見出して、僕は日本人がね、偶像崇拝者め(と怒るの)ではなくて、不憫に見えました。

この人たちが、本物の創造主と向き合って出会ったら、どんなにすごいことが起きるか、そんな気持ち(から伝道者になった)。

(以下の動画の3:00あたりから)

【世界情勢#38-2】今の自分には関係ないと思っていた私が聖書にハマった理由(ゆうき牧師のバイブルライフコーチング 2025/4/17)



これを聞いて、私は高原氏が言及している「大木英夫」という神学者に興味を覚え、きのう図書館から著書を借りてきました。

図書館にあったのは『終末論』という本。1972年という、三島の死の直後に出版された本で、私が手にしたのは、1994年の復刊本(紀伊国屋書店)です。


高原氏が読んだ論文と同じではないかもしれませんが、この本の「まえがき」に、確かにこう書いてありました。


三島由紀夫は、筆者よりいくつか年上ではあるが、彼の作で一番共感をおぼえたのは『英霊の声』であった。これを右翼人士がかつぐのは筆者には解せないことである。というのは、わたしはこれは恐るべき激烈な天皇批判だと思うからである。そこにみられるような精神的葛藤を経て、わたしは終末論的になっていった。(中略)

 村松剛氏は、三島由紀夫を、世界を虚妄と見る故に、かえってそこに大輪のバラをえがくのだと見る。筆者はそこに同じ世代の心境を見る思いがする。しかし筆者は、ニヒリズムから救い出されることを望んだ。それはあまりに苦痛だからである。

(p11)


大木英夫氏は1928年生まれ。文中にあるとおり、三島(1925年生まれ)より少し年下ですが、ほぼ同世代と言っていいでしょう。陸軍幼年学校の最上級生として敗戦を迎えた、と書いています。(大木氏は、東京神学大学長、同名誉教授、聖学院理事長を経て、2022年に没)

こういう神学者の人が、同世代人として三島の意図を理解し、共感を寄せていたことは、初めて知りました。


いっぽう、それでも、三島とはちがう、「ニヒリズムから救い出される」道を選ぶ、というところが、「真の絶対者を待ち望む」高原氏と同様の、いわゆる右翼ではないキリスト者の特性でしょう。

しかし、日本の右翼とキリスト教徒は、一見対照的に見えて、同じような心情、同じような「絶対」を求める心があるのに気づかされました。


そして、高原氏(1960年生まれ)は、私とほぼ同世代です。

中学の頃から三島由紀夫に夢中だったところも似ているので(私はそれほど愛国的ではなかったけれど)、子供の頃に「三島体験」が持った意味が理解できる気がします。

やっぱり、いろんな人が「三島」をきっかけに、生き方や日本への見方を捉え直したわけで。生き方が変わったんです。そういう部分が、意外に語られてない。


上述のとおり、核心を避けた曖昧な議論を好み、なんとなく、三島は「文学」に閉じ込めておいた方が安全だ、という風潮がある。

しかも、むしろ右翼や保守に、その風潮を感じたりする。

それはやはり、昭和天皇の問題があるからではないでしょうか。


生誕100年の憂国忌(11月25日)まで、まだ半年あるから、もう少し三島をめぐる論議が深まることを期待したいです。



<参考>


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