フィリップ・グラス「三島」はなぜ日本で演奏されないのか
(ヘッダー画像はグラス「三島」ピアノ版の初演者、Maki Namekawa=滑川真希=のHPから)
いや、これはまだ調査中なんですけどね。
フィリップ・グラスの弦楽四重奏曲第3番「三島」は、フツーに名曲だと思う。
とくに、終楽章(第6楽章)の「Closing」は、単独でよく演奏される。人気がある。
フィリップ・グラスは、現存の作曲家の中で、3本の指に入る人気作曲家ですからね。
YouTubeで探しても、この曲の動画はたくさん出てくる。
たとえば、2021年のノーベル賞コンサートでも、この曲は演奏されました。三島はノーベル賞の候補だったとみんな知ってるから。
Mishima (Closing) / Philip Glass / Oslo Philharmonic / Nobel Peace Prize Concert
でも、日本人による演奏や、日本での演奏が少ない気がする。
その定量的なデータが、まだないんだけど。
でも、YouTubeなんかで見当たらないし、コンサートのチラシなんかを見たことがない。
検索しても、そもそも、この曲について語っている日本語の文章が、あまり引っかかってこない。
有名作曲家が作曲した「三島」なのに。
しかも、今年は三島由紀夫生誕100年ですよ。
今年はピエール・ブーレーズの生誕100年でもあるから、同い年だったんですね。
ブーレーズなんて、私の人生の中では、つい最近まで活躍していた人です(ほんの十年前まで元気で2016年に90歳で亡くなった)。
三島も、生きていれば、ブーレーズのように活躍しただろうに、とか思う。
それはともかく。
三島についての「言論統制」
前に、日本での「三島由紀夫」は、奇妙な言論統制下にある、と書いたことがあります。
おそらく著作権継承者の遺族の意向が効いていて、ある方向にしか「三島」を公に扱えないようになっている、と。
ひとことで言えば、三島の最後の行動と、「右翼的」言説は、正面から扱われない。
著作権者は、映画や芝居の許諾権も持っているから、三島の作品は、ある方向でしか再現できないようになっている。
グラスの曲のような二次創作や三次創作も、日本では生まれにくい。
三島由紀夫の権利の「窓口」は、新潮社です。三島由紀夫賞の勧進元でもある。
その文芸誌「新潮」の4月号はこんな感じです。

三島由紀夫生誕100年で、横尾忠則と平野啓一郎が対談する、という。
左翼じゃないですか。
ずっとこんな感じです。
山中湖の三島由紀夫文学館の展示やイベントも、そう。
「右翼」色を消すために、あえて左翼を持ってくる。それでいつも出てくるのが平野啓一郎です。
三島由紀夫のファンが、横尾忠則と平野啓一郎の対談なんかに、食指が動くとは思えないけどね。
でも、この路線です。
この「統制」が効きすぎて、三島を正面から語る人が減っている。
というか、日本人の三島への関心が薄れているんじゃないか、というのが私の危惧しているところです。
自由に語れる雰囲気がないから、どうしてもそうなる。
YouTubeで探すと、三島由紀夫を熱く語っている欧米人は、まだ結構います。
下の動画なんか、けっこうバズっていた。
Yukio Mishima on How Nerds Destroyed Literature(Write Conscious 2024/8/22)
でも、同じ熱量で熱く三島を語っている日本人YouTuberは見たことないですね。(いるかもしれんけど。)
こういう海外の熱い三島ファンが、山中湖の三島文学館を訪れたら、がっかりするんじゃないでしょうか。
映画「ミシマ」について
フィリップ・グラスの「三島」に話を戻せば、これは1985年のポール・シュレイダー監督「ミシマ」に付けた映画音楽でした。
映画「ミシマ」について書き始めると、また長くなるし、私はそれほど詳しいわけでもない。
なにしろ、この映画については、たくさんの資料や証言があり、その全部に当たっている時間がない。
フランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカスがプロデュースした日米合作映画で、緒形拳、佐藤浩一、沢田研二らが出演し、第38回カンヌ国際映画祭最優秀芸術貢献賞を受賞した作品にもかかわらず、日本では三島の遺族と右翼の反対で、劇場公開されませんでした。
思えば、ここから「統制」が始まってるんですね。

私自身が指摘するとすれば、この映画公開の1985年というのは、三島が自決した1970年から、まだそれほど時間がたっていません。
その頃は、まだ三島の生首の写真とかが、普通に週刊誌に載っていたと思います。
当時の三島の遺族(平岡家)は、やはり大変な思いをしただろうと思うから、三島についての露出を制限したかったのは、わからないではありません。
でも、そろそろそういう「統制」をやめないと、三島自体が日本人から忘れられてしまいますよ、と言いたい。
それに、やはり三島の最後の行動を抜きに、三島の文学を語ることはできない。
もし、その「右翼」部分を抜きに「文学」だけ楽しめ、というなら、三島が最後に命を賭けた甲斐がない。それでいいのでしょうか。
もともと不自由な日本の文化状況
それに、その「統制」の悪影響が、三島文学から派生した、このフィリップ・グラスの曲なんかにも波及しているのではないか、というのが、ここで言いたいことだったんですが。
ただ、グラスの「三島」が日本であまり演奏されないことについては、べつの解釈もありえます。
もともと、日本の音楽市場は、非常に保守的で、現代音楽をあまり演奏しないんです。
それは、「バックトラック」誌がまとめた、以下の統計でも明らかです。日本は欧米にくらべ、現代音楽を演奏していない。

それについては以前、ジョン・アダムズの「中国のニクソン」がいまだに日本初演されていないことを含めて、問題にしたことがあります。
日本の文化は、思想的にも、芸術的にも、保守的で、自由じゃないんです。
私の三島観なんかは、これまでも書いてきたので、ここでは繰り返しませんが、三島生誕100年が終わる前に、もう少し自由な文化状況になってほしいと思います。
あと、日本の音楽家の方は、グラスの「三島」をもっと演奏してね。
<参考 YouTubeで鑑賞できるフィリップ・グラス「三島」の名演集>
Philip Glass - String Quartet No. 3 "Mishima" , VI(TheCatalystQuartet)
Philip Glass - Mishima Closing | Multiphonic Saxophone Quartet
Philip Glass - Mishima MVT VI - - Dublin Guitar Quartet - Performance Film 2011
Maki Namekawa plays Closing from MISHIMA
(滑川真希は主にヨーロッパで活躍するピアニストで、アメリカ人指揮者デニス・ラッセル・デイヴィスの妻。国立音大講師)
Mishimia Closing by Philip Glass
Philip Glass STRING QUARTET NO. 3 “MISHIMA”(string orchestra version)/Kyiv Chamber Orchestra/live(Vadym Borysov)
Maki Namekawa - Live / Philip Glass: Mishima - Suite for Solo Piano
Philip Glass - Kyoko's House, Mishima OST [piano]
<参考>
