「保守」への違和感
最近、田中英道さんとか、三島由紀夫とか、右翼や保守の人のことばかり書いている気がする。
こういう人たちは、私が好きな右翼や保守の人たちですね。
でも、私自身は、保守でも右翼でもない。
今日は、保守や右翼への、私の違和感を書いておこう。
まあ、こういう人たちは、やっぱり「日本の真ん中」で生きていた気がするんですね。
東京に土地と家を持ち、天皇家との距離が近い。
親戚や一族に、官僚や、中央の政治家や、大学教授や、会社役員とかが、普通に何人もいるような家系。
私は、そういう世界と対極にあるような、地方でひっそり生きている貧しい一族から東京に出てきて、初めてそういう世界があることを知ったわけです。
まあ、別にいいんだけどね。それは、そういう人たちの罪ではないし。
しかし、それは、日本人の典型ではない。
首都圏に土地を持つことも、配当や家賃収入が月々入ってくることも、年収が数千万以上であることも、日本人にとって当たり前ではない。
でも、そういう環境に育つと、やっぱりそれが「当たり前」の感覚になって、それで「日本」を語ってしまうところがある。
田中英道さんにも、やっぱりそういうところがあって、たとえば以下のようなことを言ってしまう。
日本がなぜしっかりしているかというと、すべての人が、まがりなりにも土地を持っている、ということなんですね。
そういうことによって、はじめて物質的な安定が、心の安定にもなっていく、と。
田中英道「天皇陛下の歴史の御講演を拝読す」 日本国史学会、連続講演会、令和元年6月8日 (発言は動画37:00あたり)
この後すぐ、「まあ、もってない人もいるかもしれませんが」とフォローはしているけれど。
でも、やっぱりこれは、マルクス主義的に言えばブルジョア階級の言葉ですね。
田中さんとしては、「土地を持てない」社会主義の中国をdisりたかったのかもしれないけど。
庶民にとって「土地を持つ」ことが、どれだけ大変か。田中さんは知らなかったのかもしれない。
とくに仕事がある都会の近くに土地を持つなんて、多くの人にとって夢の話です。
私は、退職金をはたいて、やっと中古マンションの「区分所有」の土地を持てたわけだけど。
それでもラッキーな方で、一生借家とか、ローン破綻とか、最近では老人が部屋を借りれなくて困ってるとか、そういうことの方が多いわけで。
いっぽう、生まれた時から、都会の持ち家で育つ人たちがいる。
最初から「一生分」以上の差がついていて、逆転不能ですね。
それはけしからんから平等社会にしよう、と言うと、左翼になっちゃう。
私は左翼のようなことは言わない。運不運、幸不幸、成功と失敗は世の習いだから。
べつに貧しいから、劣等感と嫉妬で生きる必要はない。楽しく生きられるわけで。
多くの人はそうだと思いますよ。普通に楽しく日々を生きている。
でも、たとえば、
日本人が幸せに生きられているのは、万世一系の天皇家のおかげ
とか言われても、そんなに共感はできない。
それはやっぱり、そんなにお世話になった記憶がない。
保守や右翼は、天皇家は1500年だか2600年だか続いて世界最古だからエライみたいなこと言うけど。
それを聞くたびに、1500年だか2600年だかずっと貧しい我が家系のことはどうなる、と思う。
栄えてたのは、あんたらと取り巻きだけだろう、と。
そういう感覚は、私にあるだけでなく、私の育った地方には一般にあったと思います。
表立っては言わないけれど。
要するに、天皇家とか、日本の支配者層との心理的距離が、非常に遠いわけですよ。
だから、天皇が日本の象徴と言われても、本当はピンときていない。
天皇家が最前線に立って、外敵を打ち負かした、みたいなことが、日本史にもっとあったら、印象は違うだろうけど。
でも、このあいだの戦争は負けたし。
でも、逆らわない。まあ、ずっと頭を下げて、自分たちが平和に暮らせればそれでいい、と思って暮らしているわけね。
そういうのが、私の知る限り、日本人の多数派ではないかと思うけどね。そんなことないですか。少なくとも、私の実感に近い。
私にとって、「保守」の代表は、麻生太郎さんですね。
あの人がよく言う、「国民が政治のことを忘れるような政治」が理想の政治だという。ああいうのが、私が考える本来の「保守」。
地域でいちばんの土地持ちが、庄屋とか、町内会の会長になるようなもんで。
「おかげ様で金持ちなんで、面倒なことはみなさんの代わりに私が引き受けます」
と言うなら、じゃあお任せします、と。ご苦労さんです、と。
庶民と支配者の間に、そういう関係が成り立つのが、理想の保守政治という気がする。
たしかに麻生さんが言うとおり、政治とか経済のこととか、考えないで暮らせるのが、庶民にはいちばんですよ。自分と家族のことだけやってればいい、というのがいちばん。
でも、「民主主義」というのは、庶民にも一票あるから、難しい政治や経済のことを全員に考えさせようとする。
だから、事実上、麻生さんが考えるような「保守政治」は不可能になる。というのが、麻生さんにとって不幸なことですね。
でも、麻生太郎のような姿勢が、本来の保守だと思います。
それと、ある意味対照的なのが、たとえば百田尚樹の「日本保守党」のような保守ですね。
日本を豊かに、強くーーもっと豊かに、もっと強く、「もっと、もっと」というのは、保守主義者というより、資本主義者のモットーですね。
保守というのは、「今のままが永遠に続けばいい」というのが基本だから。現在に自足している。だから「保守」なんだから。
日本保守党は、現在に不満で、「もっと欲しい、もっと欲しい」とガツガツしている。そういうのは、もう左翼の姿勢ですよ。
麻生太郎さんは、そんなこと言わないでしょ。ガツガツしていない。
だから、保守層でも日本保守党に違和感を持つのは、当然のような気がする。
でも、現代では、百田さんや有本さんのような、資本主義バンザイという意味での反共主義者も、「保守」に分類される。
これは、「保守」概念の混乱ですね。
話がそれたけど、私はだから、天皇主義者になれない。だから保守にも右翼にもなれない。
日本を守る、という時、「国体」や天皇家を守るというのではなく、天皇家を含めた「日本文化」を守る、というなら、もっと納得しやすいけどね。
三島の「文化防衛論」みたいになるけど。
私が三島由紀夫や田中英道さんが好きなのも、彼らが日本の恵まれた環境に生まれ育ったので、日本文化の精華みたいなものをたくさん知ってて、紹介してくれるからです。
日本語と、日本文化を「保守」するーーという線で、保守の方々はアピールしてくれると助かる。
私自身は、保守も右翼も、リベラルも左翼も、うまく共存できるような国がいい、という意味での「リベラル」です。
その中で、広い意味での「保守」が多数派になるのは、私には自然なことに思えます。
でも、少数者や弱者を守るために、リベラルと左翼も必要でしょう。
でも、少数者があまり社会で「でかい顔」をしてはいけない。それは不自然だ。
保守の中には、天皇という「鏡」は、少数者や弱者も包含して守るーーつまり天皇という国体は、支配者だけど最大限に寛容だ、みたいな思想があるけど、私はそういうのはあんまり期待しない。
天皇ったって、人間なんだから、それは人によるだろう、と思うし。私は上皇陛下は好きだけど、その前の方はそうでもなかった。
まあ、要するに、大した考えはない。
政治のことも、カネのことも考えないで、ボーッと生きていたいのが本音です。
でも、保守の人が、ときどき違和感のあることを言うから、そのたびに何か考えてしまうのです。
<参考>
