見出し画像

参政党を「右」、共産党を「左」とピン留めする政界用語(の提案)

このあいだ、共産党を「リベラル」だと書いている記事を読んで、思わず鼻からコーヒーを吹きました。

さすがに、それはない、と。


右だの左だの、保守だのリベラルだのの言葉の乱れに、つね日頃から心を痛めていましたが、混乱が極まったな、と。

共産党を「リベラル」と言っちゃうと、日本語の意味空間が崩壊します。


共産党は「左翼」ですよ。日本の政党の中で、いちばん色分けがはっきりしている。

なんたって赤旗なんだから。赤の、レフトの、左翼の伝統を代表している。それは共産党自身だって、異論ないでしょう。

前に書いたように、政府も、共産党を「左翼」と規定した上で、それより左なのを「極左」と呼びました。共産党=左翼が基準なんですね。


ただ、言葉の混乱のもとは、「左」よりも、「右」という気がしています。

日本の主要政党に、明確な右翼がいなかったことが、よくなかったのでは。

なんとなく、そう感じていました。


自民党には、右翼もいるけど、リベラルもいた。

だから、左の基準は鮮明でも、右の方向がぼやけちゃってた。

それで、明快な意味空間が築けていなかった、と。


それが、今回、参政党という、明確な右翼政党が躍進したから、都合がいい、と思ったんですね。


参政党を「右翼」、共産党を「左翼」とピン留め定義して、他の政党を色分けしていけばいい。

その両者の中間にある、どっちつかずの奴らを、保守とかリベラルとか中道とか呼んで。

で、参政党より右を「極右」、共産党より左を「極左」と呼ぶ、と。


これは、かなり明快な意味の基準になる。

日本のジャーナリズムも、これからは、そういう基準で記事を書いてほしいんです。


ちなみに、海外メディアは参政党を「極右」と呼んでる、と、日本の左翼メディアが大喜びで報じてたけど、ああいう海外記事も、よく読むと日本の現地スタッフ(日本人)が書いてたり、そのスタッフの記事をもとに本社記者が書いてたりしますからね。

日本の左翼メディアのバイアスが入っているから、あんまり客観性がない。


組むか、組まないか


これから、自民党や立憲民主党のような「大政党」は崩壊に向かい、参政党の神谷氏が言うように、小党連立時代に入るかもしれません。

そして、神谷氏は、「共産党とは組まない」と明言しています。


はい。政策ごとの話し合いや協力はしますが、共産党さんと組むことは地方でも国政でもありません。 参政党は反共産主義の政党です。
(神谷宗幣 2025/7/17)


共産党も、上等だ、オメーらとは組まないと言っています。

参政党の代表より、名指しで会派を組むことはないと言及していただきました。望むところです。
私たちも参政党と組む気は全くありませんので
(日本共産党 2025/7/17)


ここに、日本の政党で、決して重ならない2極、磁石でいえばS極とN極が定まった。

参政党の登場により、日本の政党は、はっきり二つの陣営に分かれたのです。


(A)共産党と組まない奴ら

(B)参政党と組まない奴ら


(A)には、「ミスター”共産党とは組まない”」の前原誠司氏がいた(いる)政党、国民民主党や維新、そして日本保守党が入るでしょう。

(B)には、立憲民主党や、社会民主党、あと「れいわ」とかも入るのかな(れいわのことはよく知らない)。公明党も入るかもしれない。

自民党は、いちおう(A)だろうけど、反発する奴もいそうだから、分裂すべきですね。過去には社会(社民)党とも連立した。曖昧な政党は私の用語法では邪魔です。


マスコミは、「A」を右派、「B」を左派と呼べばいい。

それで、保守とかリベラルとか、中道とかの曖昧な言葉を極力使わないーーそれを指針とすべきです。

保守やリベラルは、思想用語としてだけ使うべき。政治に適用すると混乱します。

(まあ、リベラルなんて言葉は、辻元清美なんかが極左的出自をごまかすために使ってる言葉だ、と個人的には認識している)


反グロとは


万事、この用語法でうまく行くのでは、と思われるのですが、困ったことに、参政党が自分たちを「右翼」と呼ばない。

「反グローバリズム」政党だと言ってるんですね。


この問題は前にも論じましたが、カンベンしてほしいんですね。

この歳になって、「反グロ」なんて新しい言葉を、世界観に入れたくない。

冷戦時代からの思想のまま、死なせてほしい。

それに、グローバリズムというものの定義が、腑に落ちたことがないんです。


参政党が「右翼」と呼ばれたくないのは、やっぱり街宣右翼とかの悪いイメージがあるからでしょうね。

街宣右翼なんて、久しく見ないから、その存在自体を私は忘れていました。

まあ、ナショナリストという意味で使っているので、別に悪い意味ではないはずですが。


私自身の、ぼーっとした世界観を言えば、冷戦時代は、右翼・左翼というより、

反共主義 VS  共産主義

の時代でした。

前者はCIAとか勝共連合とかの、後者はコミンテルンの後継のようなところからの支援を受けていましたから、全体として国際主義、「グローバリズム」でした。

まあ、当時は「インターナショナリズム」と言ってましたが。


それが、冷戦が終わって、基本的にはナショナリズムの時代になっているはずです。

だから、グローバリズムというのは、よくわからない。


もっとも、資本主義は、国境を崩していく、という議論は、昔からありました。

そういう意味では、社会主義圏が崩壊して、資本主義が全般化すれば、グローバリズムは必然です。


でも、参政党は、別に資本主義に反対しているわけではないんでしょう?

いや、自然農法とか言ってるから、そういう思想も入っているのか。


よくわからない。資本主義に反対なら、左翼になっちゃう。じゃあ、参政党は実は左翼なのか、と。

グローバリズムという言葉に寄っちゃうと、どうも頭が混乱する。言葉も乱れちゃう。


反グローバリズム VS グローバリズム


は、よく分からないけど、


ナショナリズム VS 反ナショナリズム

は、分かる。


思想的には、ナショナリズムの時代になっているはずだけど、ナショナリズムに抵抗のある人たちはまだいる。

でも、それは、昔の左翼の生き残りのような人たちだと思う。

だから、「ナショナリズムVS反ナショナリズム」は、かつての「反共主義VS共産主義」の残像のようなものだと思う。

遠い将来、ナショナリズム、主権国家の体制が、崩壊することがあるとしても、現時点では想像しにくいですね。


私自身は、「左」もいていい、という立場です。

でも結局、右=ナショナリズムが伸びていき、左=反ナショナリズムが消えていく。

それで、かつての「右左(保革)」対立図式から、「右右(保保)」の政権交代図式に変わっていくだろう、と。


「わが国」派と「この国」派


ところで、

ナショナリズム VS 反ナショナリズム

に近いのに、

「わが国」派 VS 「この国」派

というのがあります。


自国のことを、「わが国」と言う人と、「この国」と言う人がいる。

後者は、「日本」と言えばいいところでも、わざわざ「この国」と言う。

これは最近も、堀茂樹氏が、参政党擁護の話の中で、「れいわの人は、日本人を『この国に住んでいる人』と突き放している」みたいな文脈で指摘していました。


たぶん「この国」という言い方は、司馬遼太郎の「この国のかたち」(文藝春秋)に由来するんだろうと思うけど。

日本を突き放して客観的に見るような「この国」という言い方は、朝日や毎日のような左翼メディアで好まれてきました。


今でも、経験的に、「この国」と言う人は、左に多い。「わが国」と言う人は右に多い。

あと、左の人は、「国益」という言葉を使いたがらない。

(「国益」という言葉は、そもそも冷戦期には新聞などであまり使われなかったと記憶する。冷戦後に使われ始めた時、朝日新聞が、「国益という言葉はどこか不快だ」と書いていた。北朝鮮ではなく「朝鮮民主主義人民共和国」と書いていた時代)


そういうふうに、左の人は、言葉の上でも、ナショナリズムに反抗しているわけですね。

司馬遼太郎の「この国のかたち」が書かれたのは、冷戦期の終わりでした。

冷戦が終わって、左翼的インターナショナリズムが崩壊した後の左翼の人たちに、この用語がぴたりとハマったのでしょう。


政治家の「この国」と「わが国」の発言頻度を調べて、私が上に示した政治グループ「A」「B」分類と合致するか、社会言語学者は調べてほしい。



<参考>


いいなと思ったら応援しよう!