見出し画像

参政党は「極右」か「右翼」か「保守」か、それ以外のナニカか

毎日新聞が、一連の反参政党キャンペーンの最後っ屁のように、外国メディアは参政党を「極右」と呼んでいる、という記事を出している。



外国メディアを引き合いに出さず、毎日新聞が参政党を極右と呼べばいい。その勇気がないのが情けない、という意見を見かけた。


考えてみると、毎日新聞ふくめた左翼メディアの偏向報道は、

「参政党を、極右と呼びたいけど、呼べない」

というフラストレーションから生まれたのかもしれない。

「なんとか、これらの偏向記事で、彼らが極右であることに気づいて!」

という悲痛な訴えだったのだろうか。


極右と思うなら、極右と呼べばいいのに。なぜ遠慮するのだろうか。

私にはわからない。

わからないが、言葉づかいに関して、臆病者や卑怯者が多いのは確かだ。


「ポピュリズム」という言葉は、民主主義を批判できない臆病者の言葉だ、という意見もあった。

民主主義が気に食わないのだが、そうはっきり言えないから、「ポピュリズム」という。

なぜはっきり「民主主義が嫌いだ」と言えないのだろうか。

参政党を「右派ポピュリズム」ともいう。その言葉を使う多くの人の本音は、「右翼が嫌いだ。民主主義も嫌いだ」ということだ。


私はE・M・シオランの「婉曲話法は敵だ!」をモットーにしている。

なるべくズバリの言葉、表現を選ぶべきだ。それは、ものを書く者の最重要のモラルだと思っている。


だから毎日新聞も、参政党を極右と思うなら、極右と書くべきだ。


もっとも、参政党を極右と書くメディアは、アメリカのトランプ政権的立場からは、「左翼フェイクニュース」だと呼ばれる場合が多いだろう。

朝日や毎日は、トランプ的基準からは、まちがいなく左翼メディアだ。左翼から見て、参政党が「極右」なら、基準が左に寄っていること補正して、「右翼」くらいにすべきかもしれない。

しかし、トランプ政権は「右翼」だ。だから、それもまた補正して・・というふうになると、どこを「真ん中」にすべきか、わからなくなっていく。


こういうことでは、なるべく党派的でない、中立の論説を書こうとする場合に困る。

それで、「右派」「左派」といった、ボヤッとした形容が使われるのだろう。

私から見れば、参政党は右翼だし、毎日新聞は左翼だ。それは中立な見方だと思う。

だが、私も文脈上、不本意ながら、「右派」「左派」という濁った表現を使う時がある。


前にも書いたが、私がいくら「右翼」「左翼」を価値中立に使っても、言われる側がそれを「差別語」ととらえることが多いのだ。

朝日や毎日の記者を「左翼」と呼ぶと、彼らはなぜだか怒るのである。

参政党の神谷氏も、「自分たちは普通のことを言ってるのに右翼と呼ばれる」と、「右翼」を悪口のようにとらえていた。

そのいっぽうで、「自分たちは保守ではない」とも言っていた。


右翼でもない、保守でもない、そして極右でもないとすれば、どう呼べばいいのか。


こちらに差別の意図がなくても、「チョン」や「シナ」で傷つく人がいるなら、それを使うべきでない。

とするなら、同様に、「右翼」「左翼」も使っちゃいけないのだろうか。

いや、それは困る。私のモットーを裏切ることになる。


ここで、右翼とは左翼とは、という歴史的、あるいは概念的な定義づけを、フランス革命あたりから始めても、たいして役に立たないと思う。ことを複雑にするだけだ。

少なくとも、そういうのは私の仕事ではない。ネットのAIふくめて、そういう解説はいくらでもあるだろう。

しかし、それが、いま「参政党」をどう呼ぶべきか、をすぐに決定してくれるとは思わない。


「極右」「極左」を使う立場


まあ、うだうだと考えても仕方ない。

私の意見だけを率直に書こう。

私は参政党は「極右」ではないと思う。少なくとも今のところは。


外国人労働者問題での強硬派を「極右」と呼ぶのは、今の欧米のリベラルメディアにとっては自然かもしれない。


しかし、「極右」「極左」は、やはり通常の政治体制の中に収まっていない、暴力的な例外者に使うべきだ。


この場合、日本語で、過去に「極左」という言葉がどう使われたかが、参考になるだろう。


少し古いが、1985年に、法務省の第三研修部長が、以下のように書いている。


「過激派」とは、日本のマスコミが彼らの戦術・行動に着目して名付けたものであり、御承知のとおり、広く一般に通用しています。公安調査庁・検察庁など法務省関係では、通常「過激派」、「過激派集団」の用語を用います。しかし、警察当局は、これによらず、「極左暴力集団」の用語によっております。言うまでもなく、極左とは、日本共産党と対比してのことです。「過激派集団」も「極左暴力集団」も同一の実態を指しており、その概念としては、本質的に変わりがないとみてよいでしょう。なお、「新左翼」と言う用語も一部の者によって使われていますが、ほぼ「過激派」、「極左暴力集団」と同一の実体を指しているものとみることができるでしょう。

田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』(立花書房、1985)p2


要するに、「過激派」=「極左暴力集団」≒「新左翼」という認識だ。

ここで注目すべきは、「極左とは、日本共産党と対比してのこと」というくだり。

つまり、左翼の日本共産党より、もっと左だから「極左」だ、ということですね。

また、警察関係が使う「極左暴力集団」での「暴力」の強調もポイントかと思う。


つまり、従来の左翼より、さらに左で、かつ「暴力」をともなう。だから「極左」と呼ぶ、ということです。


この方式を、参政党に当てはめるなら、参政党が従来の右翼よりさらに右で、かつ暴力的であれば、「極右」と呼んでいいことになります。

しかし、参政党は、まだそのような存在ではない。

少し前にも書いたけど、かつての在特会のような存在なら、「極右」と呼んで差し支えなかったと思います。

そのカウンターとなったしばき隊も「極左」的だった。暴力の行使をいとわないからだ。


しかし、参政党は、同じ「日本(人)ファースト」をスローガンにしながらも、在特会〜日本第一党とは、明らかに一線を画している。

TBSの「報道特集」のように、参政党を在特会と同一視して、参政党の「極右」性を印象付けようとするメディアは多い。

でも、参政党は在特会と同じではない。神谷代表は、おそらく在特会と同じに見られることを非常に恐れていて、だからしばき隊にも「無抵抗」であるように見せていた。


外国人労働者問題でハードライナーだとしても、外国人を暴力的に迫害するような行動に出ない限り、「極右」とは呼べないだろう。


ちなみに、最近のホワイトハウスの声明の中でも、よく「極左 far left」「左翼過激派 left wing radicals」といった言葉が使われるが、それらはおおむね、カリフォルニアで暴動を起こしているような左翼を指している。

つまり、暴力を振るっているから、そういう言い方しかできず、リベラルメディアからもそれで異論は出ていないと思う。


なお、上の引用にあるように、メディアは「過激派」と呼び、警察は「極左(暴力集団)」と呼んだ。

左翼との距離感において、メディアの「過激派」はやや親しげで肯定的であり、警察の「極左暴力集団」は、左翼への憎悪が見て取れる。


では、警察は、「極右」とどのような距離感かというと、私の見る限り、「極左」よりかなり近い。

それがわかるのが、警察関係者のマニュアルで、警戒すべき相手として「極左」と「右翼」を並べていることだ。「極右」という言葉は使われない。右翼も、左翼に負けず劣らず、暴力事件を起こしているにもかかわらず。

このことは前にも書いたことがあるが。たとえば、これも古いけれども、私が持っているそういう本の書名は、「極左暴力集団・右翼101問」(警備研究会著 立花書房、2000)だ。



私が言いたいことがわかるだろうか。

つまり、警察や体制側は「右」に近いから、敵に対して「極左」という言葉を使う。でも、そのカウンターパートを「極右」と言わない。

マスコミは、「左」に近いから、敵に対して「極右」という言葉を使う。でも、そのカウンターパートを「極左」と言わない。せいぜい「過激派」と言う。

「右」は、「極左」という言葉を使いたがり、「極右」を使いたがらない。

「左」は、「極右」という言葉を使いたがり、「極左」を使いたがらない。

「極左」「極右」は、このように、呼ぶ側の立場、イデオロギーが、色濃くにじんでしまう言葉なのだ。


2022年、「極左」の代表であるような日本赤軍の重信房子が出所した時、日本のメディアは彼女を歓迎し、「正義感のある普通の女性」のように紹介した。

でも左翼メディアは、彼らが「極右」とみなす神谷宗幣を、「正義感のある普通の男性」とは決して紹介しないだろう。


まあ私としては、自分が考える中立の立場から、朝日・毎日を「左翼」と呼ぶし、参政党を「右翼」と呼ぶ。たとえどちらからも歓迎されなくても。


「左翼」「右翼」というのは、単なる「レッテル貼り」ではない。

われわれは、そのように呼ぶことで、その団体がひと繋がりの一貫した行動を取るだろうと予想できる。

外国人問題でこういう立場なら、憲法問題ではこういう立場で、教育問題ではこういう立場だろうーーと、だいたいわかる。

それは、当該の団体にとっても、支持者を集めやすくなるのではないだろうか。


今回の選挙で、NHK党は衰退したが、ああいうワンイシュー政党の限界を感じた。

NHKや偏向報道に対抗するのはわかるが、他のさまざまな政治問題についてはどうなのか、一貫した政策が見えてこない。

それは、「政策パッケージ」としての貧しさを感じる。

将来起こる、予想できない問題についても、自分好みの政策で対応してほしい。そのためには、「右」か「左」か、はっきりさせた政党の方がよい。


というわけで、私は参政党を右翼と呼ぶ。

彼らは、自分たちの資料で、現在の主張政党の中で自分たちが(ほとんど唯一の)右翼であることを示してもいる。(彼らはそれを「反グローバリズム」と言い換えているのだが)


「反グロ」とか、もうこれ以上わけのわからん言葉を作るのはやめろ。

右翼だからといって悪いわけではない。右翼が悪いというのは、それこそ左翼メディアの刷り込みである。彼らは愛国者を右翼と呼ぶのである。

参政党も、自分たちが右翼であることを、受け入れて、誇りにすべきだと思う。

そうすることで、初めて、

「でも、自分たちは極右ではない」

と主張できると思うからだ。

もちろん、そう主張するだけでなく、これからも「極右」になってほしくない。



<参考>


いいなと思ったら応援しよう!