参政党が「出禁」にした神奈川新聞「活動家記者」の生態 なぜ偏向が許されるのか
神奈川新聞が、参政党を「出禁」になった問題。
神奈川新聞側からは、以下のような記事になっている。
極右政党の参政党(神谷宗幣代表)が批判報道を続ける神奈川新聞記者を定例会見から排除した問題で、同社の石橋学記者が24日、新聞労連の定期大会に登壇し、「党の横暴さや危険性がより明らかになった。これは極右と闘う報道の始まりだ。共に闘っていこう」と連帯を呼びかけた。
(神奈川新聞 2025/7/24)
昔は、こういう記事は「アジビラ」と言われて軽蔑されたものだが、新聞界の常識も、私の頃とは様変わりしたようだ。
左翼からは今、「石破辞めるな、石橋も辞めるな」という声がほうはいと起こっている。
今夜は、TBSの例の「報道特集」が、石橋記者を擁護するような番組を流すらしい。
これねえ、取り上げないわけにはいかないと思うけど、取り上げるのがつらいとこもある。
私も現役時代、活動家記者にはさんざん泣かされた。
マジ「悔し涙」を何度も流した。
私はこのnoteを、起き抜けの早朝に書くのが習慣だ。(前日に考えたことを記す日記として)
朝から、つらかった昔を思い出し、暗い気持ちで老後の一日をスタートしたくない。
でも、書き始めたから、できるだけ行ってみよう。
石橋記者の「常習」手口
問題になっている神奈川新聞の石橋記者については、2年前(2023年2月)にも私は記している。
石橋記者は、その時も選挙中の候補者を妨害し、名誉毀損で地裁で有罪になった。
その記事では、以下の産経記事を引用した。
在日コリアンに関する自らの言動を「悪意に満ちたデマ」などと報じた神奈川新聞記事や執筆した石橋学記者(52)の発言で名誉を傷つけられたとして、川崎市の佐久間吾一氏(56)が計約280万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で横浜地裁川崎支部は31日、演説中だった佐久間氏への一部発言が名誉毀損に当たるとし、石橋記者に15万円の支払いを命じた。
(産経新聞 2023/1/31)
2年前のそのnote記事では、私はこう記している。
現職の新聞記者から、一般市民が名誉を毀損される。
本来、市民としてはショッキングな出来事だ。
新聞は市民の味方ではないのか。原告の佐久間氏が、どういう思想の持ち主であろうと、別に権力者ではなく、犯罪者でもない。ある特定の思想の持ち主なら何をされても仕方がない、とこうした新聞は思っているのだろうか。それは思想信条の自由を定めた憲法への違反である。そして選挙妨害は被選挙権への侵害である。新聞は憲法を守る立場ではないのか。(中略)
普通なら、少なくとも記者はクビだろう。だが、組合をバックに持つ石橋記者は、社内処分もされないのではないか。一般人の名誉を毀損し有罪になったのに。
市民は、神奈川新聞と新聞労連の対応を注視する必要がある。
ところが、この判決はその後、高裁で逆転された。
神奈川新聞社の石橋学記者の発言で名誉を傷つけられたとして、保守系活動家の佐久間吾一氏が石橋記者に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が4日、東京高裁(中村也寸志裁判長)であった。判決は、石橋記者の発言が名誉毀損(きそん)にあたるとして15万円の支払いを命じた一審・横浜地裁川崎支部判決を取り消し、佐久間氏の請求を棄却した。
(朝日新聞 2023/10/4)
このように、有罪にはならなかったが、新聞記者が選挙の候補者に野次を飛ばす行為自体が、あり得ないことだ。
予想どおり、石橋記者はクビにならず、たぶん「譴責」程度の懲戒処分も受けなかっただろう。
今回も、石橋記者は、組合(新聞労連)の全面支援を受けている。
活動家記者の特異性
誤解してほしくないのは、私は、左翼は記者になるな、とか、活動家経験のある者を排除しろ、とか言いたいわけではない。
日本において新聞記者は、名著「日本の下層社会」を書いた横浜毎日新聞・横山源之助に代表されるように、 明治時代から左翼運動を担ってきた面がある。
こういう記者は社会部に多い。「社会」という言葉は明治になって出来た言葉でーーといったことを記しだすと、長くなるから、やめるけど。
それは、ある面、新聞の誇るべき歴史である。
しかし現代は、党派性が強かった明治時代と違い、新聞は「不偏不党」が建前だ。
その中でも、記者が自分のテーマを持ち、それを仕事を通じて追求するのは悪いことではない。今でも、格差問題とか、差別問題にこだわる記者で、尊敬すべき人たちがいる。
しかし、ここで言う「活動家記者」は、それらとは別だ。
テーマを持った記者も、普通は、記者という日常の仕事を、公平性という基準の下にきちんとこなした上で、自分の仕事をする。
活動家記者は、思想的に偏った「自分の仕事」だけ、自分が、それが自分の仕事だ、と決めたことしかしない。
たとえて言うなら、コンビニ店員として雇ったのに、ローテーションには入らず、勝手気ままに店に出入りし、「ここの商品は気に食わないから」と、店頭で自分の思想をつづった同人誌を売り始め、それでクビにならず、給料をもらい続ける、ような人のことだ。
そんな奴が「店員」として雇われ続けることが、一般社会人には信じられないだろう。
だから、一般の人には、「活動家記者」の生態と、なぜそんな存在が許されているのか、想像も理解もできないと思う。
そういう存在と、何十年も同じ会社で働いた私にしても、いまだに信じられないほどだ。
一般社会で非常識なことは、新聞社でも非常識であるべきだろう。
だけど、非常識が通用しているのが今のマスコミだ。
左翼の組合が強い
なぜ活動家記者は生き残り続けるのか、私の考えは、上に挙げた記事にもう書いている。
繰り返しになるが、簡単に書いておけば、一つには「労働組合」の存在がある。
神奈川新聞や朝日、毎日など、左翼系の偏向新聞は、ほぼ全て新聞労連という日本共産党系の組合に入っている。
新聞労連は強力だ。ユニオンショップ制で、加盟社の社員はいったん全員組合員になる(管理職になると抜ける)。組合から除名されると会社もクビだ。組合には逆らえない。
だから、これらの新聞は、基本的に共産党(系)、つまり左翼の政治活動の強い影響を受けている。これが、まず知らねばならないことだ。
なお、管理職になると組合員ではなくなるが、活動家記者は出世を拒否し(そもそもろくに会社に来ないから出世などできない)、いつまでも組合員として組合に守られる道を選ぶことが多い。
それについても、過去に書いているので、よろしければ参考にしてほしい。
新聞労連の影響は、新聞社によって濃淡はある。たとえば読売新聞は、相対的に組合の影響が紙面に表れなていないと見えるだろう。
そのあたりの力学は、私にもわからない。ただ、私の現役時代の記憶では、朝日や毎日、地方紙でも左翼色の強い新聞の出身者が、労連の幹部になる傾向があったと思う。
そして、産経新聞のように、新聞労連に加盟していない新聞もある。石橋記者の名誉毀損事件で、地裁の有罪判決をちゃんと報じているのも、産経新聞くらいだった。
ただ、なぜ今時、そんなに労働組合に左右されるのか。
普通の人は、そう疑問に思って当然だと思う。
私の体験
偏向新聞社の本当の問題は、そういう組合に保護された活動家記者を、社の上層部もまた庇護するということだ。
このメカニズムがマジ理解できず、現役時代に私を苦しめたところだ。
私は、サラリーマン時代の末期にちょっとだけ出世して、小さな部署を任された時、自分の部署だけは偏向せず、自分の考える公正なジャーナリズムをできるだけ実現しようと考えた。
もちろん、理想の実現だけでなく、それに収益という裏付けを与えるべく努力した。
活動家記者は、常に「偏向しろ、偏向しろ」と迫ってくるが、その小部署では私のほうが権力があったから、できるだけ跳ねつけていた。
しかし、ある日、私の知らない間に、その活動家記者の企画が通っていた。
社の上層部から、介入があったのだ。
私が「悔し涙」を流したのは、そういう時だ。
その後、それは何度もあった。そして、最終的には私は異動になり、活動家記者は残った。
なぜ、こうしたことが起こるのか。
それについても、上記の記事に書いたが、たぶん労使関係をうまくやるためだろう。
偏向報道がひどい会社は、えてして経営が苦しいところだ。
給料を上げられないし、リストラもある。組合とはもめたくない。
だから、組合が守る活動家記者とも、もめたくない。そういう力学が働くのだと思う。
新聞の経営者は、左翼組合との妥協に慣れすぎている。経営破壊と闘わない。新聞の公正を守ろうと、読者のために闘わないのだ。
書きたい放題
くわえて、私が腹が立つのには、以下のようなこともある。
先に述べたように、現代の新聞は「不偏不党」の建前があり、たいがいの社はそれを「綱領」としている。
そして、たいがいの社に、紙面がその基準から外れていないかチェックする部署があり、外部の「第三者」を入れたチェック委員会がある。
最近出来た、外部のファクトチェックセンターが、新聞をチェックしないのも、新聞自体にチェック機能があるから、という理屈だったと思う。
とんでもない話だ。
それらすべてのチェック組織、機関が、新聞の偏向を見逃している!
「不偏」という建前により、憲法の「知る権利」云々の保護を受け、8%の軽減税率ふくめたさまざまな優遇を享受しているにも関わらず、だ。
他ならぬ活動家記者が、アジビラのような記事を書いても、彼らは何も言わないのだ。
ふざけんな、馬鹿野郎、お前ら、いい加減すぎるだろう! ちゃんと仕事しろ! 新聞社にいたなんてことが人に言えないほど恥ずかしいぞ。
新聞が売れないから、教師を巻き込み、学校に新聞を購入させて、子供に読ませようという運動を、新聞社はずっとやっている。
活動家記者が書いたアジビラを、子供たちに読ませるというのか。あり得んだろう。
新聞には、テレビにおけるBPO(放送倫理・番組向上機構)のような第三者機関もなく、偏向記事による被害者が訴える先がない。
要するに、現状は、やりたい放題、書きたい放題ということだ。
ああ、なんか本当にムカついてきたから、もうやめる。
変化の兆し
ただ、最後に言えば、明るい面もある。
最近はそういう偏向を「おかしい」という世論が増えてきた。
ホワイトハウスもウォール・ストリート・ジャーナルを出禁にした。
ことの是非はともかく、そういうことが当たり前になってきたとすれば、メディアの権力布置が変化したからだ。
神奈川県人権啓発センターの宮部龍彦氏も、石橋記者の出禁は当然としつつ、「今はネットで意見表明できるから、新聞に取材してもらわなくてもよくなった」と、YouTube番組で述べていた。
新聞などマスコミの権力の源は、情報の上流を独占的に握っていることだった。
それは、「俺たちが気に入ったら書いてやる」「俺たちを敵に回すと怖いぞ」という脅しが効いたことを意味する。
それが権力の源泉だから、TBSのようなテレビも巻き込んで、「マスコミを怒らせたら怖いぞ」というキャンペーンをやらなければならない。
でも、参政党は、もともとネットで活動してきた政党だから、そういう脅しが効きにくい。
マスコミがそういうことをやればやるほど、自分たちの終わりを早めるだけではなかろうか。
<参考>
