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闇 307(新宿地獄篇第一章)

闇 307(新宿地獄篇第一章)

2025年08月23日(土) 06時30分03秒
テーマ:
闇シリーズ

新宿地獄篇第一章

2025/08/23 sta
前回の章

横浜から戻った俺はとりあえず寝た。

起きてから昨日のインターコンチ、あれはあれで良かったのだと自身を納得させる。
由香ちゃんは多分本当に喜んでくれたと思う。
あれは俺じゃないと、中々できない事なんじゃないか。

次は店の常連客たちへ、幸せを振りまくとしようではないか。
料理開始。

デミグラスソースを使ったグラタン。
茄子の味噌炒め。
冷凍コロッケと冷凍してあった自家製餃子を揚げただけ。
トマトメインのサラダ。
すき焼きの肉無し。

時折り出る溜め息。
ご飯を入れてしば漬けを添える。

弁当を作り終えたのに何故俺は溜め息をついている?

確かに昨日は楽しかった。
由香ちゃんも喜んでいた。

でもさ…、俺が本当にしたかったのは?

まずガールズバーの蓮だよ!
あの馬鹿女のせいで、ここまで遠回りをしながらどうでもいい苦労をしたのだ。
素直に来て俺の前で股開いてりゃあ良かったんだ、あの馬鹿。

けいこもけいこだ。
インターコンチだぞ?
あんなゴールデン街にあるへっぽこな店なんぞ、休んで来れば良かったのだ。

一番は春美だよ、春美……。
来るって言いながら一日前にドタキャンしてんじゃねえよ!
社会人として…、人間としておかしいぞ、あいつ……。

無理くりいい人で終わらされた昨日のインターコンチ。
何か金ばかり支出して終わった休みだった。

さて、そろそろ仕事へ行く時間か……。

マゲたちのご飯を替えてから身支度を整える。
道を歩きながら、ふと群馬の先生に言われた事を思い出す。

俺は愛に苦しむとか言っていたけど、あれから本当に苦しんでいるじゃねえかよ……。

ちゃんと彼女へと求めた女は、考えてみたら全滅している現実。
まず百合子と別れた岩上整体時を思い返してみろ。
新宿クレッシェンドをグランプリへ導いてくれた出っ歯美女ちゃち。

整体に花まで届けてくれ、デートもして、キスまでした。

俺とちゃち

それなのにいつの間にか音信不通になっている。
結構好きだったんだけどなあ。

次にぼだい樹の中原奈美。

中原奈美

彼女のお母さんからも俺は確かに気に入られていた。
あのまま行けば絶対にうまくいっていたはず……。

そうだ、あの時奈美が俺の整体に来てイチャイチャしていた時、春美がいきなり来たんだ。

あれで俺は奈美に帰るように言ってしまい、選択を明らかに間違えた。

春美め…、その気が無いならノーアポイントで来るんじゃねえよ!
俺は勝手に彼女を神格化し過ぎていただけなのだ。

もうあいつの誕生日に祝福メールなんて送ってやらない。
二度と祝福なんてしてやるもんか。

ゲーム屋に到着する。
はー…、またこれから仕事かよ……。

インターホンを押す。
新庄がドアを開ける。

「店長が頑張って店を盛り上げてくれているので、俺も行きつけの裏スロの従業員を客で連れて来たんですよ」
「そうなんですか、お疲れ様です」

気持ちは嬉しいけど、あんたちょっと筋道が違うでしょ……。

時給千円でずっと人を使い続け、それなのに行きつけの裏スロって何ですか?
まあヤクザだから文句を面と向かって言えないけどさ、そんな金があるなら給料上げてくれ。

でも、あのクソみたいな村本を出入禁止にしてくれた功績は嬉しいけど。
おかげで入江も辞めずに済んだしね。

ただヤクザ直営零細店って、色々とおかしいんだよな。
こんな警察に捕まる可能性のある仕事をしておきながら、一時間千円しかもらえない。
牛丼屋で深夜働いたほうがもっと時給もらえるしね。

ん…、ちょっと待て。

何か俺ヤバいぞ?
愚痴が全身に転移している。

ここ数日だけでいくら使った?

けいこの店は酒代と、かど平代くらい。
豚小屋で知り合った谷原愛穂、実はオーナーの中川の女。
そしてガールズバーの腐れ女蓮。
キスもしていないし、おっぱい一つ触ってもいないのである。

あー、風俗行けばよかったよー。

何で金に余裕も無いくせに、俺は毎日のように客へ無償で弁当配ってんだ?
店もおかしいけど、俺も色々とおかしい。

よし、決めた。

しばらく弁当の配給は禁止。
大人しく家に帰り、金を遣うのは自分の胃袋を満たすご飯と、マゲたちの餌代だけでいい。

まずコツコツと金を貯めよう。
今職が無くなったら、俺は数日持たないで終わる。

このまま変わらずここにいたら、ただ時間が過ぎて年を取るだけ。
とりあえずすぐできる目標を決めよう。

静かに暮らし、五万円溜まったら風俗行っておっぱいを揉む。
今はこれでいい……。


大人しく真っ直ぐマンションへ帰る。
透明なクリアカップが切れたので、紙コップでマゲたちの簡易プールを作る。

ベニとナミダは巣壷から出て来ない。
マゲとモツは仲良く紙コップの縁に来た。

マゲが中の水を突きながら、ちょっと身体を浸かって出てを繰り返す。
モツは呆れたのか途中消えるが、また紙コップへ戻ってくる。
呑気なものだな、おまえたちはまったく……。

でも可愛いから映像を撮っておこう。

この日からしばらく俺の節制生活が開始する。
みんなの分の食材を買い、弁当を作る行為。

俺が一人で外食したほうが全然安上がりだという事実に気付く。
仕事中腹が減ったら出前を取ればいい。

には高木と山下の二人の客。
いや、山下はゲームすらしていないので、ただの居候みたいなものだ。

「店長、最近弁当無いのー?」
指無しヤクザの高木が甘えた声で聞いてくる。

「ありませんよ」
「お腹減っちゃったよー」

「出前でも取りましょうか?」
「もう三時だよ? こんな真夜中に出前してくれるところなんてあるの?」

「まあかど平とかああいうところぐらいになりますけど」
「唐揚げ弁当とかあるかな?」

「かど平ならありますよ。電話します?」
「ああ、店長お願い」

俺はアドレス帳の中からかど平を探し、電話を掛けた。
唐揚げか…、俺もついでに頼むか。

「すみません、唐揚げ弁当二つ出前できますか?」

ボーっと椅子に座ってタバコを吸っていただけの山下が「あ、岩上さん、三つで」と叫んでくる。

「あ、すみません。二つじゃなくて三つお願いできますか? よろしくお願いします」

「店長、入れてー。これで最後やー」
五千円札をヒラヒラさせながら、俺を呼ぶ高木。

「全部入れます?」
「だって二本、三本って分けて入れても一緒やん」
「じゃあ五本全部INしますからね」

これが溶けたら高木は四万五千円負け。
特サを入れるにはあと五千円足りないが、多分これでオケラだろう。
帰ろうとしたら特サを入れてやるか……。

タバコを吸いながら高木が打っているのを眺める。
昨日あの台は珍しく木田が出したから、多分出る事はないだろう。
案の定いい見せ場もなく、高木のクレジットはすべて溶ける。

「あー、文無しやー! 唐揚げ食べて帰ろっと」
俺は出金伝票を出して特サで五千円分のクレジットを入れてあげた。

「ん? 何よ、店長?」

「俺からの特別なサービスです」
「ありがとー! よっしゃ、頑張るでー!」

どこか憎めない雰囲気の高木。
もう五十半ばほどだろうか?
年齢を聞いた事はないが、最低でもそのぐらいはいっているような容姿。

インターホンが鳴る。
かど平の出前だ。

仕方ない、高木の分くらいは俺が出してあげよう。

「おい、山下。千円」

「え、俺無いっすよ!」
「テメー! 金が無いのに偉そうに俺に頼んだのかよ!」
思わず怒鳴りつけた。

「違うすよ! 岩上さんが出してくれるかなと……」

出た、お得意の何が違うのかまるで分からない意味不明な台詞。

「本当おまえは……」

無関係のかど平の出前持ちに迷惑を掛ける訳にはいかない。
唐揚げ弁当三人前で、三千円の支出。

金を節約して貯めようと思った矢先にこれかよ。

高木はいい。
俺が出してあげようと決めたから。

山下の図々しさが無性に許せなかった。
ゲームをしない時点で客でも何でもない。

昔からの後輩だから、ただ店にいても黙認し邪険にしなかっただけ。

秋葉原裏ビデオ屋時代この馬鹿に給料月に百万円近くあげ、俺は三十万程度に甘んじていた。
それもパクられ要員として名義を引き受けた山下の為を思って、懸命に我慢してきたのだ。

当時付き合っていた百合子からは散々責められた。
何故俺が主軸で動き半年で三千万以上の利益を出しながら、山下が百万に対して俺が三十万なのかを……。

親心に近い感覚で山下には良くしたつもりだった。

すべてを裏切られたと悟った時、俺は山下を殴り制裁を加えた。
そこまでした覚悟。

二千五年十二月二十日。
ふと群馬の先生が言った台詞を思い出す。
「このまま働いていたら、あなた、命まで取られますよ?」
このまま過度なストレスで、おかしくなってしまうとでも言いたかったのだろうか?
力無き正義など、まるで意味は無い。
俺は色々思い知った。
自身の力の無さも痛感した。
もう何もかも嫌になった。
あの腐れ弁護士が許せない。
クズの山下の態度も許せない。
ここまでジレンマが溜まるのも珍しい。
もういいや。
俺は充分よくやったし、十二分組織に尽くした。
その結果がこれか……。
新宿の事務所へ行き、長谷川に伝える事に決めた。
「長谷川さん…、俺、もう辞めますわ」
「待って下さいよ! 岩上さんに辞められたら、うちはどうなるんですか!」
「すべてが馬鹿らしくなりました」
「確かに山下の態度や、あのどうしょうもない弁護士で怒るのは分かりますよ。でも、岩上さんに抜けられたら、うちは色々困ります」
必死に止める長谷川。
この際だ、言いたい事はすべて話そう。
「長谷川さん、そこまで俺を引き留めますが、ボランティアでやっているわけじゃないので、やっぱり収入って大事じゃないですか」
「ええ、それはもちろんその通りです」
「山下の歩合は確かに俺が設定しました。でも山下が月に百万近く…、俺は店がどんなに売上あげたって三十万。周りから見たら、どっちが大切にされていると思いますか?」
「ま、まあ…、岩上さんの仰る通りだと思います」
「俺は金に汚くありたくないんです。だから上を儲けさせ、そしたら勝手に金は来るものだという考えでこれまでやってきました」
「確かに岩上さんはそうですよね」
「山下は金を手にした途端、遅刻は当たり前、売上だって毎日持って来いと言うのに、面倒臭がって来ない日もある。知っていましたか? 山下は一度それで売上を無くしているんです」
「いや、それは初耳でした」
「あいつのせいなんで、もちろん埋めさせましたけどね」
「そうだったんですか…。言ってくれれば……」
「長谷川さんは俺が厳しくすると、いつも山下に味方して甘くさせていました」
「それについては申し訳ないです」
「アップルだって捕まった時、ここ出て一時間以内にパクられたんですよ? あいつが横着して道に立たず、店開けてのんびりしているところを踏み込まれたと思うの当然ですよね?」
「は、はい……」
「そして先日の裁判…、あの腐れ弁護士に、山下の態度…、あれで本当に何もかも嫌になりました」
「確かに弁護士にしてもあれは無いし、山下の対応も酷かったでした」
「俺…、そんな組織に役に立たなかったでしたか?」
「いえ…、横浜で福ちゃん使って失敗して…、岩上さん来てくれなかったら、秋葉原の成功は無いと思います」
「長谷川さんいい人だから、俺は精一杯頑張ってやってきたつもりなんです。でも、それももう…、限界です……」
「岩上さん! どうしても辞めてしまうんですか? 何か条件とか言ってくれたら……」
条件…、金が欲しいと言えとでも?
冷静に考えてみた。
この怒りの原点は何か?
山下とあの弁護士だ。
「辞めるの撤回するなら、二つ条件があります」
長谷川は俺の目をジッと見ている。
「どうぞ、言って下さい。言って欲しいです」
「一つは…、山下の奴、俺が事務所にいるから、あれからビビッてまったく顔を出さないじゃないですか」
「はい……」
「長谷川さんが呼べば、あいつは事務所へ来ます。今すぐ呼び出してもらえますか?」
俺の一つ目の要求に、長谷川は困った表情で黙っている。
「無理なら別にいいです。俺はこのまま辞めて帰るだけですから」
「分かりました。山下を呼びます」
電話を掛けている間、事務所にストックし、羅列してあるDVDを眺める。
一番から始まって、今じゃ千五百番まで……。
よくこんな種類を集めたもんだよな。
「あ、山下? たまには顔を出しなよ。え? 岩上さん? 今は出掛けてていないから。うん、分かった。じゃあ、待ってるよ」
長谷川の呼び出しが終わる。
恐る恐る長谷川は「山下をここへ呼んで、どうするんですか?」と聞いてきた。
「決まってんじゃないですか、ヤキを入れるんですよ。随分先輩である俺を馬鹿にしましたからね」
「……」
これであいつが来れば、一つ目の要求はクリア。
新宿の事務所のインターホンが鳴る。
山下が入ってくるのが見えた。
俺の存在に気が付くと、ビクッと一瞬仰け反るようにしてから怯えた表情に切り変わる。
「お、お疲れ様です……」
「山下……」
「は、はい……」
DVDが並ぶ棚を指さす。
「おまえが入ってから、何番くらいまで作品が出たか覚えているか?」
「あ、はい…、ええと……」
棚の前で前屈みになり、DVDを数えるふりをする山下。
俺は真横から、山下の顔面を蹴り上げた。
悲鳴を上げながら倒れる。
「随分と舐め腐った真似してくれたな、小僧」
もちろん加減はしているが、大袈裟に山下の身体を何度も蹴飛ばす。
「い、岩上さん、ヤバいですよ」
長谷川が止めに入るが、手で制し蹴り続けた。
「こいつはね、先輩を舐めたんですよ。そういう馬鹿はきっちりヤキ入れとかなきゃ駄目なんですよ。なあ、山下? 何だ、この間の態度は?」
「すいません! すいません!」
「随分前に教えたろ? すいませんじゃなくて、すみませんだと。おい、顔上げろ」
攻撃が止み、ゆっくり顔を上げた瞬間、また蹴飛ばした。
俺がこいつをここまで駄目に…、馬鹿に作り上げてしまったのだ。
長谷川から見れば、何て酷い事を思うだろう。
かなり加減して、後遺症が残るようにはしていない。
これまで俺を馬鹿にしてきた人間たちへの見せしめ。
そして叩かないと分からないほど、狂った山下。
いわばこれは愛の鞭だ。
事務所内が凍りついたような静けさに包まれ、山下の吐息だけが聞こえる。
「もう帰っていいぞ。おまえ、岡部さんところにお礼行かなかったら、また同じ事するから。分かったな?」
「はあはあ…、わ、分かりました! 失礼します!」
ヨロヨロしながらも、自分の足で事務所を出ていく山下。
出血はどこもしていない。本人的にただ痛いというだけ。
執行猶予四年もつき、保証金だって前借りしているから、残り百数十万しか残っていない。
これから惨めな人生を送らねばならない山下に対し、俺は暴力を使うのが最善の療法だと思った。
馬鹿なのはしょうがない。
ただ心まで忘れたら、それは動物と変わらない。
年齢は関係無しに、叩いてでも教えないといけない事だってある。
少しはこれであいつも凝りて、身に沁みて分かってくれれば良いが……。

俺はその後弁護士事務所まで殴り込んだ。

どこまで山下が知っているのかは分からない。
ただ自分なりに筋道は通したつもりだった。

おそらく山下も過去二度俺に殴られたにも関わらず、未だこうして懐いているのはある程度の自覚はあるのかと思っていた。

始めに暴力を振るったゲーム屋『ワールドワン』時代。
あの時の事も未だハッキリ俺は覚えている。

店の二番手として育てていた伊藤。
彼はラップのミュージシャンと兼用で働いているが、好評の東北ライブの回数が増え、どうしても四日間の休みが欲しいと懇願してきた。
伊藤にとってチャンスなのだ。
店はキツくなるが、みんなでカバーすればいい。
従業員に伊藤の件を伝えたところ、山下と望月はその間休みを取らなくても大丈夫と了承してくれる。
岡本だけはどうしても用事があるので、一日だけ伊藤と休みが被ってしまう。
今の状況を三人で回す……。
まあ俺が休み時間取らないでやれば、何とかなるか。
こういう日に限って店は皮肉にも忙しくなる。
俺と山下とまだ新人の望月。
ゲーム屋は忙しくなると、とにかくINが多くなるので必然的にホール内を所狭しと駆けずり回るようだ。
過去この忙しさから一日二日で根を上げ、辞めていった新人も数えきれないほどいる。
中々従業員を食事休憩すら回せない現状。
「望月、奥で一服してきなよ」
「いえ、まだ大丈夫です!」
「いいって無理すんな。俺がキャッシャーやりながらホールも見るから大丈夫だよ」
とりあえず望月にタバコの一服休憩を行かせるのがやっとな状況。
「岩上さん、飯休憩まだすか」
山下が隙を見て声を掛けてくる。
「悪いけど、まだ無理だよ。客が全然引かない」
「俺、早番の大倉さんと飯休憩で一緒に行く約束してて、まだ外で待ってんですよ!」
「知らねえよ、そんなの。オマエと大倉が勝手に決めただけで店には何の関係も無いだろ」
「でも、大倉さんまだ待ってるし」
「仕事中だ! 店の事を優先して考えろ。とりあえず望月が一服から戻ったら、山下行って大倉に電話くらいしておけ」
不服そうな山下。
気持ちは分からないでもないが、仕方ない事だ。
山下の一服も回し、望月に食事休憩行くよう促す。
「ごめん、いつもなら一時間いいんだけど、今日だけ四十分でお願いできる?」
「いや、俺飯大丈夫ですよ」
「いいから行ってこいって。こっちは大丈夫だから」
望月に飯代を渡し行かせる。
十五分もしないで口をモグモグしながらホールへ出てくる望月。
「おまえなあ……」
「もう食べ終わりました。大丈夫です」
素直に望月の好意を受け取る事にした。
「岩上さん、俺の飯休憩まだすか? 俺の飯休憩……」
横で山下がうるさいので、仕方なく行かす事にする。
「おい、山下。今日は本当人もいないし、忙しいから四十分な、悪いけど」
大倉に断りをしていなかったのか、山下はすぐ外へ飛び出した。
二人きりで回す地獄の忙しさの店内。
望月は汗だくになりながらホールを駆け回っている。
俺も片側の列のINとOUTをしつつ、四カード以上の役や一気が出るとキャッシャーへ戻り、プリントアウトしながら用紙へ記入しなければならない。
本来ならホールで最低二人、キャッシャーに一人はいないと難しい。
時計をチラリと見る。
正確な時間は覚えていないが、山下が休憩行ってから一時間は過ぎているはずだ。
この忙しい現状を知りながら、何をしてんだ、アイツは……。
こちらの都合などお構いなしに札を出しINを要求する客。
俺と望月はひたすら駆け寄りINキーでクレジットを入れる。
「ロイヤル!」
五卓の客が叫ぶ。
「少々お待ち下さいっ!」
キャッシャーへすっ飛び、プリントのボタンを押す。
その時入口の扉が開き、山下が戻ってきた。
食事へ出てから一時間半は経っている。
「オマエ何を考えてんだよ!」
思わず怒鳴りつける俺
「四十分って言ったろ! 何やってたんだ、ボケッ!」
少々顔の赤い山下。
酒でも飲んできたのか、コイツ……。
「おい、何を黙ってんだよ?」
「……」
「何でこの状況を知りながら酒飲んで、一時間半以上も飯食ってんのかって聞いてんだよ!」
「自分、責任取って辞めますよ!」
不貞腐れたように口を開く山下。
「あ? 今、何て言った?」
ホールでは望月一人が必死に駆けずり回っている。
「辞めればいいんでしょ、辞めれば」
俺は山下の胸倉を掴んでいた。
「オマエ…、ホールで新人の望月があんなに一生懸命やっているのに、何とも思わないのか?」
「だから辞めれ…、うぎゃーぁーっ!」
気付けば俺は山下の頭に頭突きをお見舞いしていた。
両手で頭を抱えながらホールの床を転げまわる。
あれだけポーカーに熱中していた客たちの音が止む。
みんな、転げまわる山下を見て唖然としていた。
俺は首根っこを掴んで立たせ、奥の休憩室へ放り投げる。
「大袈裟なんだよ、オメーは」
すぐさまホールへ戻り、望月と客の相手を始めた。
さすがに限界だろう。
隙を見て佐々木さんへ連絡をし、他の系列店からヘルプに来てくれるよう頼む。
三十分ほどして山下が頭を片手で押さえながら、フラフラとホールへ出てきた。
「殺すんなら殺して下さいよ!」
大声で怒鳴る山下。
俺は一発殴り、荷物と服を入口の外へ放り投げる。
山下も外へ投げ捨て「オマエはクビだ。とっとと出ていけ!」と怒鳴りつけた。
何とも遣る瀬無い気持ちになる。
二年以上共に働き、吉田のせいで辞める時だって俺は身体を張ったつもりだ。
何故こんな馬鹿なのか、アイツは……。
ようやく系列のアリーナから黒岩、チャンプから中島がヘルプに来てくれる。
そこで初めて望月をゆっくりさせる事ができた。
山下の奴、何故場面が読めなかったのだ?
とても情けない気分だった。

それが蓋を開けてみれば、ただタカっていただけの現実。

俺と年が一つしか変わらないのに、いつまで色々な人に依存しながらこの馬鹿は生きていくつもりなんだ?

年上には何かしてもらって当たり前。
そこに感謝も何も無い。

コイツの法廷でわざわざ立ってくれた岡部さんの顔すら覚えていないというのが、確固たる証拠だ。

ただ甘んじて生きるだけの山下。

俺らがゲーム屋全盛時代から十数年経ち、未だ歌舞伎町に現役でいる人間はとても少ない。
俺も山下も大倉も斉藤も、今となっては希少な存在なのである。

この街で生き残るには、それなりの処世術がある。
俺は行き場を失い再びここへ戻ってきた。

山下は継続して生息している。
しかしそれが人の隙間を見て、タカりながら狡く生きていくだけなのか?

唐揚げ弁当をがっついて食べる高木と山下。

俺は一つの共通点に気付いた。
二人ともどこか不思議と憎めないのだ。


地味に過ごす日々が続く。

仕事に行き、終われば鳥の世話。
やる事をやったら寝る。
前と違うのは料理をしなくなったくらい。

客からのクレームはすべて聞き流し、自分の為の生活を優先する。
これが本来裏稼業で働く正常な形なのだ。

「店長は前と変わった」と言うブーイングはある。

それは違う。
俺が普通になっただけの話だ。

あくまでも俺が作り出した空間は、異空間であり正常なものではない。
そんなものはいつか消滅する。

だいたいどの世界に一円レートのゲーム屋で、弁当を用意してある店があると言うのだ?

寡黙に仕事をして、マンションと職場を行き来する生活。

出勤すると新庄が店にいたので客もいないせいもあり、色々な話をした。
心なしか顔色がいまいち冴えない新庄。

「店長…、やっぱり先に言っておきます」
「はい?」

「俺ですね…、近々飛びます」
「え?」

新庄の飛ぶという言葉の意味が理解できなかった。

「これですね、店長だから言うんです。絶対に他言しないで欲しいのですが……」

「……」

え、何この流れは?
うまく言葉が出なかった。

「実は組の金に二千万手をつけてしまいました」
「二千万! 何にですか?」

「すいません…、前に店長に注意された時で気付けばよかったんですが、インカジです」

「……」

こっちが月に百万、二百万の売上を作るのに四苦八苦しているのに二千万?
二千万ってどこからの金よ、一体……。

飛ぶってヤクザを辞めて、歌舞伎町から消える事を言っているんだよね?
残された俺たちは、これからどうなるの?

様々な疑問が沸いては消え、直接何も聞けないもどかしさ。

「あ、心配しないで下さい。店長の手腕の凄さは俺の親父も知っています。きっと俺が飛んだあとでも、同じ条件で変わらずそのままやってくれるはずですから」

「……」

ヤクザの組長であるその上の親父?
つまりもっと上の大親分?

歌舞伎町初期の頃、鳴戸に連れられて行った六本木の大物ヤクザを思い出す。

その上の親分が俺の事を知っている?
同じ条件で働ける?

そんなの結局時給千円のままじゃねえかよ……。

飛ぶって冗談でしょ?
今からでも遅くない。

嘘だって言って……。

「でもすぐ俺が飛ぶ訳ではありません。あくまでも先の話を店長の人柄を見込んで正直に話しただけです」

「はあ……」

いやいや、そんなの勝手に見込まれても困るし、面倒な臭いしかしない。
先に俺がこの店を辞めていいという選択肢はないのかな?

「それと店長のところにキャッチ連中がケツモチ料持ってくるじゃないですか」
「ええ、あの三好とかあの辺の集団ですよね?」

「それは店長に今まで通り管理お願いします」

「はい……」

結局新庄はそのあと黙ったまま、店を出て行く。

やっぱり本当の事なのか?
こんな事、誰に言える?

親しい岡部さんにすら話せない。
真偽の不確定さはある。

新庄は本当に歌舞伎町から消えるつもりなのか?

いくら考えたところで答えなど出ない。
ボーっとしながらタバコを吸って時間を潰した。

冗談であんな事を言う必要があるか?

前に二百万インカジで溶かしたと言う前科。
今回の二千万も、本当にやらかしたのだろう。

しかしヤクザで組長になった男が普通飛ぶか?
俺を信用、信頼してくれているのは理解していた。

だからこそ俺にだけはひっそりと打ち明けた?

飛ぶのが本当だったとしよう。
そう言われた俺は、どうしたらいいんだ?

インターホンが鳴る。
元同僚の山本だった。

黙った状態でドアを開ける。
また俺に金も返さず懲りずに打ちにきたのか。

「あ、岩上さん…、大変申し訳なかったです。今日はこれをお返しにきました」
「え?」

山本は五万円を俺に渡すと、そそくさと階段を降りていく。
余程ヤクザに頼んだからという嘘のLINEが堪えたのだろう。

不意に湧いた臨時収入。
いきなり目標達成。
仕事終わったら風俗でも行っちゃうか。

いやいや、違うだろ?

元々俺が貸していた金が返ってきただけ。
すぐそうやって浮かれるから、いつも痛い目に遭うのだ。
少しは自粛しろって。

早番が出勤した交代時、俺は岡部さんに新庄の事を何も話せず店を出た。


これからどうなってしまうのだろう?
本当に新庄が飛び、そのあとにならないと分からない。

今の内に別の職場を見つけたほうがいいのでは?
マゲたちの世話をしながらも、頭の中は店の今後についてつい考えてしまう。

俺が出るのはいいが、岡部さんや入江はどうする?
三人同時に辞めるなんて、普通に考えて無理だもんな……。

何とも言えない得体の知れない不安。

「ん?」

巣壷を見ると、ナミダの身体が異様に膨らんでいる。
じっくり様子を眺めた。

小刻みに震えている。
前もこの子はそんな事があった。

体温調整がうまくできないのか?
俺はそっとナミダを取り出した。

どう見てもナミダの体調が思わしくない。
早めに気付けて良かった。

俺は店から何本かもってきているおしぼりを水で浸し、電子レンジで温める。
手で触りながらちょうどいい温度にすると、優しくナミダを包み込む。

この工程を何度か繰り返す。
おしぼりを開いた時、突然飛び回るナミダ。

「あ、元気になったのか、ナミダ」
ずっと籠の中の生活なので、部屋の中を飛ぶといってもすぐ捕まえる。

「もう一回だけおしぼりで温まっておこうね」

今さら遅いが、ヨーロピアン十姉妹のポーポとチッチの時も、こうして早く気付いてあげられていたら、まだ生きていた可能性があったはず。

ポーポの時は横浜の下陰さんのインカジの仕事を終えて帰ってきたら落鳥していた。

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