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闇 09(ベガ地獄変)

闇 09(ベガ地獄変)

2024/07/26 fry
2025/07/10 thu
2025/08/18 mon
前回の章


通路を歩く鳴戸。
俺は後ろをついていく。

この野郎…、一言文句を言わないと気が済まない。

「鳴戸さん……」
「岩上君、あなたは本当強いんですね~」

いい映画でも見終わったような表情で鳴戸は満足そうに両腕を上げ、わざとらしく大きな伸びをした。

「鳴戸さん……」
「う~ん。海野さんにも見せたかったなあ~」

自分のした事を誤魔化すように、俺の声など聞こえないふりしている。

「鳴戸さん!」

帰りの通路を歩きながら俺は強めに言った。
その声でようやく歩くのをやめる鳴戸。

「何でしょう?」
「最初からこうなるの、分かっていたんですよね?」

「さあ…、そんな事まで知りませんでしたよ」

白々しい奴め……。

あとは口を開かず、ビルの地下から出るまで黙っていた。
車の中では、海野が苛立ったような顔でこっちを見ている。

「遅いよ~、鳴戸君」
「ははは、すみませんね~」

上機嫌の鳴戸。
横から見ていて苛立ちを覚えた。

一歩間違えば、壊れるのは俺のほうだったかもしれないのだ。
そんな刹那的な戦いを鳴戸は、俺にやらせた……。

しばらく俺の頭の中は、壊したという罪悪感でいっぱいだった。

一歩間違えば、自分自身が大怪我をする『螺旋』と言う技。
うまく相手の攻撃を捌ききれなければ、そのまま自分に攻撃が押し寄せるのだ。

周りから見れば、あの勝負は俺の楽勝に見えただろう。
しかしとんでもない。
紙一重の勝負だったのである。

俺の挑発に乗ったからこそ、振り被ったパンチを出してくれただけ。
そうでなかったら、あんな簡単に捌けやしない。

極度の集中した中の究極の極限状態。

昔、あれだけ血の小便を流したのは無駄ではなかった。
今でもしっかり自分の身体の中に沁み込んでいたのだ。

この震えるような罪悪感とは別に、どこかこのような刺激ある生活にワクワクしている自分がいた。


食事をしに店に入る。

「好きなものを頼んで下さいね、岩上君」

「……。いりません」
「お、おい! せっかく鳴戸君がご馳走してくれんだぞ? ヒレ肉でも食べるか?」

空気の読めない水野が間へ入ってきた。

「いりません」
「何だ、おまえ! 不機嫌そうな面しやがって」

「……」
「随分偉そうな態度取るじゃないか、おい」

「水野さん、その辺にしましょう」
「だって鳴戸君、コイツの態度は何なんだい」

「水野さん! もういいと私は言ってんですよ!」

鳴戸独特のキンキン声が店内に響く。
一斉に客がこちらを見た。

昨日まではこの丁寧口調が怖かった。
しかし今ではもう何も感じない。

結局何も注文せずにステーキハウスを出た。
このまま逃げてしまおうかと思ったが、スーツの上着をベガに置きっ放しのまま。
財布も何も無い状況で、見知らぬ土地。
小銭入れだけでも持つ習慣を持っていれば……。

仕方なく車に乗り、海野の運転で再び先ほどのビルへ方向へ向かう。
まさかさっきのカジノへ、また俺を連れて行くつもりなのか?

一対一の勝負ならいくらだって自信はある。
しかし闇討ち、不意打ち、大人数で一気に襲われたら俺には防ぐ術がない。

自衛隊の時のリンチのトラウマが蘇る。
多勢に無勢。
あんなシチュエーションになるのだけは避けたい。

どうする?
この二人だけなら何とかなる自信はあった。

右の拳を握り締め、親指を真横に突き出す。
最悪打突を使うしか……。

いや、交番に駆け込んで助けを求める?
それだと俺の財布の入った上着は?

馬鹿な事を考えている内に車は停止した。
思考を巡らせるのが阿呆らしくなってきた。

俺は馬鹿だから、こんな流れに巻き込まれているのだ。
しかしそれは、これまでの自身の堕落した流れから全部そうなっている。

鳴戸の目的は、一体何なのか?

海野は大人しく車の中で待機している。
相変わらず無言の鳴戸。
ただドアを開けた。

次は何なんだよ。
まあ何でもいいさ。
大人しくあとをついていく。

ビルに入り、地下でなくエレベータへ乗り込んだので、少しだけホッとした。

「今度はどこへ行くんですか、鳴戸さん」

「……」
「鳴戸さん!」

通常のエレベータの二倍はありそうな大きく豪華な箱の中、俺の声だけが反響している。
鳴戸は何も答えてくれない。

「鳴戸さん! 聞いてんですか!」

エレベータの動きが停まる。
その時、蚊の鳴くような声で鳴戸は言った。

「いいですか…。静かに黙っていなさい。それが身の為です」

それだけ言うと、先にさっさと出てしまう。

「……!」

こんな造りの部屋があるのか……。

目の前の光景が信じられないほど、立派で壮大な造り。
エレベータを出た俺は、思わず辺りをキョロキョロ見回した。

会社のオフィスならある程度分かる。
しかし、どう見ても会社という感じではない。

無知な俺は物の価値など知らぬが、通路に置かれた壷や絵画がかなり高価なものであるぐらいは肌で感じた。
真紅色に染まった綺麗で分厚い絨毯。
どこもかしくも金の掛かったものであるのは、間違いないだろう。

大理石でできたような厚い扉の横にあるチャイムを慣れた手つきで押す鳴戸。
静かに扉は開きだした。

一般人では…、いや普通ではそこへ入れない空気がその奥にはいっぱい詰まっている。

「いらっしゃいませ」

部屋の入口には、二人の大男が直立不動のままビシッと立ち、左右綺麗に並んでいる。
只者ではない雰囲気を二人とも醸し出していた。

無造作に床には、本物であろう熊の毛皮が引かれている。

この上を土足のまま、歩いていいのだろうか。
俺がそんな心配をする中、鳴戸はお構いなしに歩き、嬉しそうな顔で先へ進む。

「先輩、お久しぶりです!」

奥の部屋にはゆったり座れる大きな黒いソファがあり、そのソファには二人の男がでんと座っていた。

一人は、狡猾そうな表情の初老。
頬に大きな傷跡が残っている。

もう片方は、よくこんな身体で生きていられるものだというぐらい、醜く肥えていた。
ソファに腰掛けているお尻は半分以上、中へ埋まっている。
体重、百五十キロを越えているのではないだろうか。

「おう、鳴戸やないけ」
「元気かいな?」

「もちろんです。お陰さまで」

そこには普段では考えられないような、おべっかを使う鳴戸がいた。

入口の屈強そうなボディガードといい、座る二人といい、非現実な人間ばかりである。

まるで映画のワンシーンの中へ放り込まれた。
そんな気がした。

鳴戸は手前のソファへ座る様子もなく、普通に立ったまま、前の二人を相手している。

どう見てもヤクザ者の親分クラスだ。
ただの親分ではない。
かなりの大物といった雰囲気が、身体全体から発している。

「聞いてくれや、鳴戸」
「はい、何でしょう? 先輩」

太ったヤクザが、面倒くさそうに喉から声を絞り出す。
こんな相手を先輩と呼ぶ鳴戸が薄気味悪い。

「この間な、マカオ行ったんや。一億の銭、持ってのう」
「凄いじゃないですか! それでどうしました?」

いつもなら人の話など聞きもしない鳴戸。
そんな人間が飼い猫のようにおとなしく従順でいる姿は、どこか滑稽に見えた。

「ツキあったんやなぁ~。一気に十億やで、十億」
「凄いですね、先輩!」

「ただな、帰りの税関で引っ掛かってしもうてなぁ~」
「あらら、それはそれは」

「ワテ、言ったんや。行きに持ってきた銭は良くて、何で帰る時だけ因縁つけんねん、ワレッってな」
「ええ、おっしゃるとおりですよ」

「したらのう。向こうも『それはそうですね』って、おとなしゅうなりよったわ」
「はは、さすが先輩ですね~」

「税関もタジタジやで」

会話の内容が尋常じゃない。
まるで異次元の会話。
聞いていて気が狂いそうだった

不思議とあり得ないような話でも、ここにいるとすべて現実に起きている事なのだと実感した。

派手な扇子を左手に持ち、パタパタと面倒そうに仰ぐデブ親分。
まるで漫画に出てくるキャラクターを見ているようだ。

「横の若いのは何や?」

頬に傷のあるヤクザが、鳴戸へ尋ねる。

「ああ、申し遅れました。コイツ、私のところに入ったばかりの従業員でしてね。まあ、ゲーム屋の従業員やらせるの勿体ないですから、とりあえず折を見て私の運転手から始めさせようかなと思いまして」

何を抜かしているんだ、この男は……。

鳴戸が店に来た時、上機嫌だった理由。
先ほどの死闘。
そして今まで俺に対してだけは妙に甘かったという事実。

すべてはこの為だったのか……。

気付いた時にはすでに遅い。

「なかなかええ面構えしとるのう」
「掘り出しもんやで」

室内の視線が俺に集まる。
非常に嫌な視線。

「しかも、先輩! こいつ、レスラー上がりなんですよ」
「おぅ、レスラー上がりかいな」
「外の二人に負けへん身体つきしとるのう」

顔を高潮させ、楽しそうに話す鳴戸の顔を俺は黙って見ていた。

「おい、兄ちゃん」

デブヤクザが初めて声を掛けてくる。

全身の毛穴が全部開いたような感覚。
ここが正念場になる。

「はい……」

飲まれるな……。

必死に自分へ言い聞かせた。

初めてジャイアント馬場社長と会った時のあの極度の緊張感。
まともに話せなかったが、俺は一瞬でもあの人の下にいたのだ。
無様な真似は晒せない。

「レスラーちゅうんは八百長なんやろ? 前に…、前にと言うても昔やけどなぁ~。興行仕切っとったら、星決めあるのないのって聞いた事あるで」

一般社会では人気もなくなり、すっかり地に落ちたプロレス。
それでもいまだに八百長かどうかと聞く人間は、どこに行っても多い。

自身にとっての強さとは何か?

誰の前でも同じ意見を言える人間になりたい。
どんな状況でも、誰に対しても同じ事を言える人間でいたかった。

人によって自分の意見を変える。
罪悪な事だ。

正直、怖かった。
泣き叫ぶ事で許してもらえるのなら、いくらでも涙をこぼしたい。
端も外聞も捨て、この場から走って逃げ出したかった。

優しかった鶴田師匠の顔が目に浮かぶ。

そうだ……。

俺は師匠の弟子なんだ……。

誰の前でも違うって言ってきた。

自分で飛び込み、あの世界で俺は地獄を見てきた。
それを八百長と言われるのが、どれだけ傷つく事か……。

誰にも分からないだろう。

ちんけなプライドとビビる心。

全日本プロレスとはもうまるで関係無くなった俺。
だが俺の行動一つで古巣を軽く見られてしまう。

それだけは絶対にできない。

目を静かに閉じた。
そしてゆっくり呼吸をした。

メジャー団体である全日本プロレス。

当時二十歳になった俺は、レスラーになるべくひたすら鍛えてきた。
とんとん拍子にプロテストに受かり、合宿へ臨む。

強くなる為に俺はここへ来た。
しかし神の悪戯か合宿前日、俺は警察に捕まる。

地元のヤクザ十五人と揉めたところを運悪く警察に見つかったのである。
当然プロ入りは駄目になった。

期待していた人は冷たい目で俺を見ながら罵倒してくる。
それでも諦めきれなかった俺は強引に合宿へ押し掛けた。

「何だ、おまえは。馬場社長から来るなと言われたろうが」

入口で門前払いをされた俺。
その時奥からジャンボ鶴田師匠の姿が見えた。

「まあまあ、せっかく来たんだし今日ぐらい一緒に練習させてあげましょう」

そう言って俺に優しく微笑んでくれた鶴田師匠。
これが俺と鶴田師匠との初遭遇だった。
たった一日だけ限定の入門として全日本プロレスの合宿の参加を許可してもらう。

最初は他のレスラーたちと同じトレーニングをしたが、やがて鶴田師匠は俺に付きっきりになる。
足が痙攣して倒れてしまうまで、俺は必死に頑張った。

先輩レスラーに担がれ、風呂場でマッサージを受ける。
最後に全日本プロレス特製のちゃんこ鍋までご馳走になった夢のような一日だった。

一日だけの合宿を済ませて帰ろうとする俺に、鶴田師匠は玄関先まで見送ってくれる。

「今日は、本当にありがとうございました……」

これで全日本プロレスともお別れ。
もちろん悔いはある。
だが、たった一日とはいえレスラーたちと同じ空間で一緒にトレーニングができたのだ。

深々と頭を下げお礼を述べた。

「またさ……」

頭上から鶴田さんの声が聞こえる。

「はい?」
「あと一年自分で頑張ってみてさ。まだまだ身体も細いから体重を十キロから十五キロぐらい増やして来年また来てみれば? 結構センスあるから何か勿体ないんだよね」

「……!」

こんな俺にセンスがある?
いや、それよりも来年また来いと言ってくれた言葉が、俺の心に深く刻み込まれた。

あのジャンボ鶴田さんにそう言われたのだ。

プロレスにしがみついてきて良かった。
自然に俺は跪き、両手をついてお礼を言っていた。

世間一般で言う土下座。

でもこれぐらいじゃ、喜びや感謝を表せられない。

「鶴田さん…、本当にありがとうございます……」

額を地面に擦りつける。

「おいおい、こんなとこでやめてくれよ」

「俺、頑張ります……」

こうして俺は不遇の一年を過ごす事を決意した。

二年間で体重六十五キロから八十五キロへの増量。
筋肉のみで二十キロ。

働いた給料の大半は食費で消えた。
それでも俺は幸せだった。

自分の身体が日々、徐々に大きくなっていくのを感じる。
それだけで充分だったのだ。

そして二度目のプロテストを受かり、俺はレスラーとしての道を歩こうとしていた。
左肘をあの一件で壊すまでは……。

何故こんな時、全日本プロレス時代を思い出すのか?
今俺がいるのは、どう見てもヤクザの事務所の中だ。

おそらくかなりの大物なんだろう。
身体中ガタガタ震えていた。
本当に怖かった。

ここで俺が泣きながら許しを乞うても誰も責めないだろう。
でもさ、そうじゃない。

俺はあの人たちに何も恩義を返せていないじゃないかよ。

だから、俺は俺を信じる。
自分が潜ってきた道を信じる。
何の為に強さを目指したんだよ。

身体がブルッと一瞬大きく震えた。
大丈夫。
プロレスってこっちはどんな攻撃来ても堪えられるようにさ、しっかりしっかり構えて……。

だってレスラーって、攻撃避けちゃ駄目じゃん……。

怖いなあ…、それはしょうがないか。
でもさ、師匠たちを侮辱すんなよ、このデブ野郎!

大きく息を吸い込み、口を開く。

「すみません…。プロレスは八百長じゃありません」

俺の言葉で目を丸くするデブヤクザ。
できれば大笑いしたかったが、さすがにそこまで肝は据わっていない。
これが今の俺の精一杯。

師匠がどこかで見つめてくれているさ。
そんな感じがした……。

「何やて、兄ちゃん?」
「八百長じゃありません」

もう一度ゆっくり言う。

その瞬間、火花が散った。
真横から鳴戸が、渾身の力で殴ってきたのだ。

「何だ、テメーはっ! 何て口を先輩に向かって利いてんだ、オラッ!」

鳴戸のキンキン声。
しかし不思議と怖くも何ともなかった。
不意打ちで鼻先を打たれたので、ドワッと血が垂れてくる。

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