闇 08(仕組まれた遊戯編)
闇 08(仕組まれた遊戯編)

2024/07/26 fry
2025/07/10 thu
2025/08/18 mon
前回の章
まったくの真逆になった生活。
普通のサラリーマンと似たような時間帯に出勤し、混み合った電車の中で揺られて帰る。
正直苦痛だったが贅沢を言えるような身分ではない。
遅番と違うところはパートナーが世永ではなく社長の高橋ひろしに代わった事。
この社長というのは実際の社長ではなく、名義を張って警察に捕まった際罪をすべて被る役割らしい。
当然名義料という形で給料とは別の部分でお金がもらえる。
高橋は陽気な性格で妙にチャラチャラしていた。
だが悪い人間ではなさそうだ。
元々ホストだったらしく現役ホストの先輩たちを店に呼び、ギャンブルをさせている。
それでもベガは基本暇な店だった。
共同経営の片割れの鳴戸は早番の時間だと、よく店に顔を出す。
高橋と店について話し合ったあとは、必ず俺にも気遣ってか他愛ない会話を振ってくる。
いい人だと感じた。
しかし恐ろしい一面を見て評価は一変する。
早番と遅番の入れ替わりの時だった。
両オーナーの鳴戸と海野もいて、たまたま俺の全日本プロレス時代の話を聞いてくる。
嘘偽りなく話していると、海野は額に手を当て「ポー」とジャイアント馬場社長の真似をしているつもりで小馬鹿にしてきた。
俺と入れ替わりで遅番に行ったスタッフが、それを見て大笑い。
駄目になったとはいえ、俺の原点である全日本プロレス。
その長である馬場社長を目の前で馬鹿にされるのは我慢できなかった。
「あの~、すみません……」
「ん、何だ?」
「自分のいた世界を馬鹿にしないで下さい」
静まり返る店内。
海野とスタッフは顔を見合わせていた。
「は? 何を言ってるんだ、おまえは?」
「何だ、急におまえは?」
「非常に不愉快です。やめて下さい」
二人の目つきが変わりだす。
威嚇しているつもりだろうが、こっちはその程度でビビるような軟な生き方などしていない。
「何だと?」
「以前、自分がお世話になったところの恩のある社長です。それを馬鹿にされるのは、正直不愉快です」
「何を言ってるんだ、いかさまプロレス上がりが……」
「そうだ、プロレスなんて八百長だろうが!」
反発した態度に腹を立てる海野。
しかし譲れないものは譲れない。
そんな状況の中、鳴戸が店に来た。
こりゃクビ決定かと腹を括る。
もう坊主さんたちの披露宴は終わった。
また一からどこかで働けばいいさ。
鳴戸は妙な店の空気に気付き、海野へ声を掛ける。
「いや、鳴戸君さ~」
「何でしょうか?」
「この新人の岩上君ね、やっぱ彼は駄目だよ」
顔つきが変わりだす鳴戸。
「どういう事ですか?」
目つきが鋭くなる。
「プロレスにいたというから、あれは八百長だろと言ったら怒りだしてね……」
何て話を自分本位に持っていくのだろうか。
呆れてものが言えない。
「私があのジャイアント馬場の物真似をしたら、急に怒りだしたんだよ」
「すみません…。お言葉ですが、自分、本当に身体張って、一生懸命やってきたものなんです。それを八百長呼ばわりされたり、世話になった社長を小馬鹿にされたりするような真似されたら、やっぱり我慢できません!」
「ほらね……」
フンと、口髭を指でなぞりながら、海野は勝ち誇ったような表情をした。
「ポォ~」
懲りずにまた馬場社長の物真似をしだす海野。
「本当にやめて下さい」
「ポォ~」
海野は、俺をからかって嬉しそうだった。
浅草ビューホテルの時もこれに近い事をやられ、憤慨した事もある。
「お願いします」
「何、そんなムキになってんだ」
鳴戸はその様子をしばらく静観している。
「もう一丁、ポォ~」
「……」
「八百長で、ポォ~」
「取り消して下さい!」
「ん、何だ?」
「取り消して下さい、お願いします!」
「まったくコイツは……。ほら、生意気なガキだろ、鳴戸君」
ゆっくり鳴戸は立ち上がり、俺を睨んだ。
心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
「海野さん……」
「ん、何だい?」
きょとんとする海野。
「あなた、何歳ですかー? えー? 岩上は岩上で一生懸命やってきたって、何度も言ってるじゃないですかー。何でそれをあなた…、そんな笑っていられるんです? 頭の中身、疑っちゃいますよ。海野さん、これから働こうという部下に、何でそんな事をできるんですかー? 教えて下さいよ~、海野さんー」
「え、いや…、その~……」
「答えになってないですよー! あのですね、いい加減人を馬鹿にして喜ぶ癖、改めたほうがいいですよー?」
「あ、ああ……」
まさか鳴戸がこんな対応をしてくれるなんて……。
少しグッとくるものがあった。
シュンとする水野を横目に鳴戸は笑っていたスタッフにも怒り出す。
謝りなさいと言われ鳴戸へ頭を下げ必死に謝罪するスタッフ。
「何で私に謝ってんですかー? 違うでしょー! 何故岩上君に謝らないんですかー?」
甲高い声で語尾を伸ばしながら恫喝する鳴戸は、今まで見た怖さとは違ったタイプのものだった。
ごめんと頭を下げるスタッフに対し、灰皿を掴みいきなり頭を叩き割る。
「何で私にはすみませんで、彼にはごめんなんですかー! あなたちょっと違うでしょうー!」
血だらけの頭を押さえながら懸命に謝るスタッフ。
俺は彼を庇うように立ち上がり「鳴戸さん…、やり過ぎです」と言った。
それを見た鳴戸は心から嬉しそうに笑いだし「うんうん、やっぱり岩上君、あなたはいいですよ!」と嬉しそうに口を開く。
普通の店じゃないのは分かっていたが、本当にヤバい職場で働いてしまったのだと実感した。
あんな危ない職場でこのまま続けていいのだろうか。
普通じゃないオーナーの鳴戸。
俺は一日休みを取れないか聞いてみる。
前の職場の件でと濁しながら適当な言い訳を伝えた。
社長の高橋ひろしはヘラヘラしながら「自分一人でも何とかなるから大丈夫ですよ。ゆっくり休んで下さいね」と陽気だ。
仕事を終えると、そのまま浅草ビューホテルの最上階にあるベルヴェデールへ久しぶりに顔を出した。
どこかで昔の同僚たちと会い、ホッとしたかったのかもしれない。
上司の林を始めとした同僚たちは久しぶりの再会を喜んでくれる。
今日はこのままラウンジで飲んでホテルに泊まれと半ば強引に仮眠室へ泊まる羽目になった。
淀んだ空気の中、狭い天井の上を見つめながら、昔を思い出した。
視界には、自分の右の親指が見える。
俺は、ジッとその親指だけを真剣に見つめていた。
通常のトレーニング以外で、最も鍛えた箇所でもある。
体重九十六キロ、身長百八十センチ。
元々レスラーとしては、小柄な部類に入る俺は、特別な強さの拠り所みたいなものを常に考えていた。
身体を使った技だと、小柄なので難しいものがある。
体重を乗せてといったところで、あまり効果がないのだ。
投げ技に頼ると、どうしても自分より重い人間を相手にする時厳しい。
関節はというと、実際に骨まで試合でへし折る訳ではないのでいまいちだ。
では、打撃だと?
拳や足を使ったものだと、俺より数段上の威力や技術を持つ人間は山ほどいる。
何かないだろうか……。
たまたま、針で自分の指を刺した時に、頭の中で閃いたものがあった。
大して力も使わないのに、先端が細いと簡単に人間の皮膚など突き抜ける。
針で刺すというのを打撃の理論で当てはめると、相手に当てる面積が狭ければ狭いほど、威力は大きい。
右手を開いてジッと見つめる。
俺の利き腕はもちろん右である。
指先をそろえ、抜き手で相手へ突き出す……。
いや、まだ弱いものがある。
先端が細ければ細いほどいい。
五本ある指の中で、一番細いのは小指……。
しかし、それでは弱過ぎる。
以前、指立て伏せをする際、試してみた事があった。
親指なら左右の二本でできた。
親指以外の四本指で左右、腕立て伏せの姿勢をとる。
それでやろうとしても、起き上がれず途中で潰れてしまう。
結論として、親指一本のほうが、他の四本指よりも力は強いという事になる。
そこで俺は徹底的に、右の親指のみを鍛え抜いた。
まず、広げた新聞紙の端を右手で持ち、グチャグチャと片手で丸めていく。
一枚だけなら、そんな辛くはなく普通に丸める事ができた。
しかし、新聞紙を二枚重ねて、同じ事をやろうとすると、中々大変な作業になる。
家でとっている朝刊、夕刊すべてを毎日、右手を使い丸めた。
そして左右親指のみの指立て伏せ。
毎日何回と決めるのではなく、暇があって指に余力があれば、出来る限り繰り返し反復する。
疲労を覚え身体が動くのをやめようとするが、脳みそから出る命令に逆らい、ひたすら限界を超え続ける。
バケツいっぱいに小石を詰め、そこへ親指を突き刺す練習をした。
さらに鉄の柱目掛けて同じ事をする。
当然、親指の爪は割れ、血は吹き出す。
痛いのは当たり前。
痛い事をあえてやっているんだから……。
俺は歯を食い縛って、毎日続けた。
こうして、俺の親指は凶器となっていく。
卑怯極まりなき打撃技の完成。

これを俺は自分で『打突』と名づけた。
真正面から繰り出す通常の打撃とは違い、クリンチ状態になった時のような密着戦において、初めて真価を発揮する打撃技。
相手の完全な死角、真横から鍛え抜いた親指をそのまま突き刺す卑劣な技である。
この打突を以前、ジャンボ鶴田師匠に話した事があった。
『馬鹿野郎! 人間を壊すつもりか?』
普段滅多な事では怒らない鶴田師匠が烈火の如く怒り、俺の頬を強く叩いた。
ジャイアント馬場社長の言葉を思い出す。
『いいかい。プロレスとは相手が攻撃を受ける為構え、そこへ力いっぱい攻撃を繰り出す事が大事なんだよ』
そう…、相手が試合中アクシデントで身体を故障する事はある。
しかし、誰も狙って相手を壊そうとはしない。
ただ単に攻撃を繰り出すだけなら、非常に陳腐でつまらないものになる。
カーンと試合開始のゴングが鳴り、相手の鼻っ柱目掛けて思い切りパンチを打ち込めばすぐに試合など終わり、勝つ事はできるだろう。
人間の鼻など折るのはたやすいのもである。
もし、そんな試合をしたら、見に来た客は大喜びするだろう。
しかし興行として成り立つ上でそんな事を繰り返していては、いずれ誰も興味を示さなくなる。
やられた相手も報復を考え、いずれ戦いは殺し合いへと変わっていくだけだ。
俺は不意をついて繰り出す卑怯な打撃技を見につける為、馬鹿みたいに一生懸命時間を費やしたのだ。
プロレスでは絶対に使ってはいけない技。
いや、人間にはやっていけない技なのである。
『打突』が完成してから俺は、今まで一度も人間相手に使った事はない。
言い換えれば、そこまで命を落とし兼ねるような事にまでなっていないという証拠であった。
俺は左肘をじっくり眺める。
先輩レスラーである〇〇に関節を極められ、この肘は一度壊れされた。
あの時、俺の右腕は空いていたのだ。
やろうと思えば、打突を突き刺す事ができた。
何故あの時左肘を壊されてまで、打突をやらなかったのだろう?
自分でも分からなかった。
生涯、この技を使う時はあるだろうか?
こればかりは、自分が寿命をまっとうする時でないと分からないだろうな……。
俺は天井に向かって右親指を突き出し、再度眺めていた。
俺の強さの拠り所……。
翌日目を覚ましベルヴェデールに顔を出すと、マネジャーがタダでいいからブッフェ食っていけと席に座らされる。
俺を慕う後輩の江尻が「ケーキとオレンジを絞った生のオレンジジュースを賞味期限近いから持って帰って下さい」と袋に入れて渡してきた。
断ろうとするも、江尻は譲らない。
「どうせ、明日になればこのオレンジシュースは捨てちゃうんです。ケーキなんてランチ終われば全部捨てるんですよ? だったら岩上さんに持って帰ってもらったほうがいいじゃないですか」
根負けした俺は、その誠意をありがたく受け取る事にした。
そういえば最近競馬をしていなかったよな。
せっかく浅草まで久しぶりに来たのだ。
景気づけに馬券でも買っておこうかな。
仮眠室にバックともらったケーキやジュースの袋を置いたまま、浅草JRA場外馬券場へ向かう。
戻ると俺のベッドの上に置いてあったバックが無くなっていた。
仮眠室のどこを探しても無い。
再度ラウンジへ向かい同僚へ聞きに行く。
すると暗い表情をしたまま江尻が「すみません」と謝ってくる。
状況を聞く。
支配人の一人がたまたま仮眠室のチェックに来た際、俺のバックを見つけた。
誰のバックだとなり、つい俺の名前を出してしまったようだ。
中身を見られたら俺のだと分かるのでしょうがないだろう。
総支配人まで出てきて、支配人室に俺が来たら来るよう言われたらしい。
江尻は泣きそうな顔で何度も謝るので、競馬しに荷物置いてった俺が悪いから気にするなと慰める。
面倒だが必要なものも入っているし、俺は支配人室へ向かった。
嫌な空気の部屋へ入ると総支配人の丸山は眼鏡の淵に手を掛けながら「何故辞めた人間がホテル内にいる?」と責めてくる。
他の同僚に迷惑が掛からぬようすべて自分で泥を被る言い訳をした。
「確かに自分は辞めた人間です。ただ、まだ一緒に働いていた仲間はいますので、顔を見せに来ただけです」
「本当か?」
「ええ、本当です」
「じゃあ何で仮眠室に、当ホテルのケーキやおまえのバックが一緒に置いてあるんだ?」
「……」
「ひょっとして従業員の誰かが、おまえにこれをどうぞとかくれたのか?」
もし、それをここで言ったら、良かれと思ってやった後輩に迷惑が掛かる。
「違います……」
「じゃあ、何だ?」
「自分が、もし、ケーキとか捨てちゃうなら、持って帰っていいかと聞きました」
「それで渡した従業員は、どうぞと渡したんだな?」
細かい性格のサディスティック野郎め…。こっちが困るような事をわざとついてきやがるきやがる。
絶対に後輩のせいにだけはできない。
「違います」
「じゃあ、何で仮眠室にあるんだ、これが」
「俺が、強引にいいじゃんと言いました」
「このケーキやオレンジジュースの入ったボトルは、当ホテルにとって何だ?」
「何だとは何でしょう?」
「当ホテルにとって、どういうものであるかと聞いているんだ」
「商品ですね」
「そう商品だ」
そう言うと、総支配人の丸山は、料飲部支配人今野へ首で合図を送った。
音を立てずに支配人室を出る今野。
顔は明らかに笑っていた。
「おまえがやった行為は、窃盗罪に値する」
そんな滅茶苦茶な。
泥棒呼ばわりまでするのか?
怒りが爆発しそうになったが、俺は懸命に耐えた。
「ち、違います……」
「違う? おかしな事を言うじゃないか。おまえは当ホテルの商品を盗んだのと同じ事をしたんだぞ」
「警察にでも突き出しますか?」
「そんな事はするつもりない」
「では、どうすればいいでしょう」
目に力を込めて丸山を見据える。
ふざけやがって……。
その時、今野が中へ戻ってきた。
何故か後ろには、隣りの会員専用のセントクリスティーナで働く田島が一緒についてきた。
何を考えてやがる、コイツら……。
「田島」
「はい」
「おまえのところで、オレンジジュースは一杯、いくらで売っているんだ?」
「はい、一杯、千円です」
手さげ袋からオレンジのボトルをわざわざ取り出し、目の前に差し出す丸山。
ウォッカスミノフのボトルを丁重に洗い、綺麗にラベルを剥がしてある瓶の中には、フレッシュオレンジが爽やかそうな色合いで詰まっている。
「このボトルで、だいたい何杯ぐらいとれるんだ?」
「う~ん、そうですね…。だいたい六杯から七杯はとれますね」
「値段にすると、六千円から七千円ってところか」
「はい」
ここまできて、ようやくこいつらの狙いが理解できた。
要は難癖つけて俺から金を毟り取りたいのである。
「ケーキはいくつあるんだ? ちょっと数えてみろ」
「はい。一つ、二つ、三つ……」
真剣な表情でケーキを数える田島。
その横顔を見ているだけで吐き気がした。
「全部で二十二個ですね」
「そうか…。一つ五百円だとしても、岩上…。おまえはボトルが三本で六千円だとして、一万八千円と一万千円分のケーキを盗んだんだぞ。合わせていくらだ?」
「……約三万すね」
「何だ、その言い方は!」
イライラが限界まできていた。
「金を払えば、窃盗でも何でもないでしょ?」
俺は財布から一万円札を三枚抜き出して、宙へ放り投げた。
「何だ、貴様!」
もういいや……。
こんなくだらないホテルの雑魚共。
すでに俺は辞めた人間だ。
もう上司でも何でもないのである。
「口の利き方に気をつけろや、ボケ! もう俺は、ここで働いている訳じゃねえ。しかも今、俺から強引に難癖つけて金も毟り取った。逆に何か忘れてんのは、おまえらだろうが?」
「き、貴様……」
「貴様だぁ~? おいおい…、俺は今、ここにいる訳じゃねぇんだぞ! 家にもいない。今は新宿歌舞伎町で裏社会にいる。どういう事か分かるか? 俺からは毎日のようにおまえのところ来て、いくらだって嫌がらせできるんだぞ? 少しは置かれた立場考えろや」
「……」
はなっからこうしておけば良かったのである。
俺が無心に仕事をして喉で入院した時も、何一つしてもらっていない。
おまえの管理するホテルで働いた俺は、業務中に倒れ入院したようなもんなんだぞ?
治療費はおろか、俺をベルヴェデールから外しやがって……。
馬鹿を増長させるとロクな事がない。
少し脅しておくか。
「帰り道、せいぜい気をつけて帰りな」
「……」
「おい、黙ってないで、お礼は?」
「え……」
「えじゃねえよ、ボケ! 俺は今、おまえらの余りもののケーキとかを買ってやった客だろが? しかも定価以上でな。ありがとうございましたぐらい言えねえのか?」
「あ、ありがとうございました……」
最初に田島がビビッて頭を下げる。
「おい、支配人とかいう立場で踏ん反り返ってるそこの馬鹿二名! おまえらは、挨拶すらできねえのか?」
「あ、ありがとうございました……」
残る二人も完全に飲まれていた。
「まあ、また暇できたら、ちょっくら寄らせてもらうようにするわ」
俺は捨て台詞を残し、支配人室を乱暴に閉め浅草ビューホテルをあとにした。
ホテル業界にもこういった腐った人間がトップを張る事もあるのだと思い知る。
この辺りから古巣とはいえ、部外者がもう立ち寄ってはいけない場所なんだと自覚した。
今の俺の居場所は新宿歌舞伎町。
ここで働き金を得て、生活をしているのだ。
鳴戸は仕事中だというのに高橋へ「岩上君少し借りますよ」と言ってよく外へ連れ出された。
お歳暮で酒を贈りたいが、ホテルでバーテンダーをしていた俺ならいい酒を選んでくれると酒屋へ連れて行かれたり、一枚一万円はするステーキを食べさせてくれたりと、あきらかに他のスタッフとはまったく違う待遇をされる。
よく言われたのが、従業員が変な事をしていたら教えて下さいという台詞だった。
変な事が何を意味するのかさえ分からない俺は、はいとだけ返事をしておく。

店は相変わらず暇で、高橋はよくテーブル筐体に鍵を差し込み、ボタンをポコポコいじってからゲームをしていた。
何をしているのか聞くと、オーナーが客数を気にするからある程度の帳尻合わせで客のふりをしてゲームを打っていると説明される。
店内の入口は常に鍵が掛かっている。
インターホンが鳴るとモニターに外の様子が映し出され、誰が来たかすぐ分かるようになっていた。
海野が映ると、高橋はゲームはすぐ止めてテーブルの上の遮光板を縦にずらす。
こうする事で客が外出する際、この台をキープしているといった意味合いがあった。
海野が誰がキープしているのか聞くと、高橋は自分の先輩のホストの誰々と適当に答えているのを見て、彼はオーナーサイドには内緒でやっている事なのかと感じる。
鳴戸や海野に言われた変な事を他のスタッフがやっていたら教えるように……。
高橋の事を告げ口するようなのかとちょっとした戸惑いを覚えた。
海野が帰ると、高橋は聞いてもいないのにオーナーたちは俺を騙したと話を勝手に始める。
ポーカーゲーム機には設定というものがあるらしい。
出るも出ないも設定次第のようだ。
以前海野からうちの店はこの設定だからと感熱紙で印刷された設定を見せられ、知り合いを呼ぶように頼まれた高橋。
良かれと思って呼ぶと、実はまったく出ない最低の設定で多くの信用を高橋は過去に失ったと言う。
彼がオーナーのいない時にゲームをして何がどうなるのかは分からない。
鳴戸に言うかどうか考えている内に、インターホンが鳴った。
見ると鳴戸が入口に立っている。
高橋は俺の右手に「岩上さんしまって!」と四つ折りにした一万円札を握らせてきた。
呆然とする俺に「早く!」とズボンにしまうジェスチャーをしながらドアを開ける。
咄嗟に札をしまう俺。
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