闇 488(川越ピアニッシモ編)
闇 488(川越ピアニッシモ編)

2026/02/18 wed
前回の章
二千二十年三月十一日、水曜日赤口。
緊急会議という事で、店長の橋本、そして責任者の俺が喫茶店『クール』へ集合。
オーナーである酒井さんを始め、すべての番頭が捕まるという異常事態。
今頃みんな、二日間の刑事拘留により調書を取っているのだろう。
「赤崎さん、ちょっと携帯電話出して下さい」
香川の指示で酒井さんと根間の電話番号を出すよう言われ、何かあると困るからその場で削除をするよう命じられる。
コイツ、本当に馬鹿な奴だな……。
逮捕状の関連でこっちまで警察の手が伸びる事は、もう無いのが分からないのだろうか?
仕方ない。
香川にしても、橋本にしても、これまで警察組織に捕まった事がないので、状況がどうなるのか把握できず、手探り状態なのだろう。
いちいち説明するのも面倒だったので電話番号を削除した。
猪狩や吉田の番号は残っている。
彼らも捕まったようだが、後々連絡を取ろうと思えば取れる。
遅れて酒井さんの側近である金太郎が姿を現す。
タッチの差で店を守った俺に対する事は、何一つ言及されない。
つまり香川はその事実を知りながら、自分の手柄にしたいのだ。
とりあえず無期限でラッキーハウスは休業状態にすると決定。
明日全従業員を集め、再開するまでの間一日保証金として待機料を五千円あとで払うと決まった。
おそらく最低一ヶ月は店を閉めるだろうから、一ヶ月十五万円の収入で生活を考えねばならない。
一つ気になった事があり、聞いてみる。
「渋谷のインカジって、世永弟も捕まったって事ですか?」
「え、赤崎さん、何で世永さんの事知っているんですか?」
「あいつの兄貴とは俺が歌舞伎町来た時、一番始めに働いた仲なんですよ」
時間帯は夜十時から朝十時までの十二時間。
俺の他に世永という責任者しかいなかった。
たった二人しか従業員がいないのか……。
この店は喫茶店というよりも、ゲーム喫茶またはゲーム屋と呼ばれる業界で、目の前にあるポーカーゲームの機械を使い、実際に金をクレジットに換えてプレイする賭博場のようだ。
客が誰もいないので、世永は丁寧に色々教えてくれる。
俺は深夜喫茶かと思い、慣れたらカクテルを作って店を盛り上げたいと思ったと伝えると「そんな奴、歌舞伎町に一人もいやしないよ。岩上君は本当に面白いなあ」と大笑いしていた。
この日結局客は誰一人も来なく、世永との雑談だけで一日が終わる。
あのあと世永の弟がワンオン系列に入って来て、道端で会えば雑談ぐらいはするような仲になっていた。
そうだ、兄の世永は弟が捕まった事を言っているのか?
クールでのミーティングが終わると、俺は十数年ぶりに電話を掛けた。
「えーと…、どちら様ですか?」
そうか、俺の携帯番号は〇〇会と揉め、二度目の横浜へ行く際、坊主さん名義で作ってもらい変わっていたんだっけ。
今さらになって気付く。
この携帯電話は元々俺のではなく、インターネットカジノ新宿クレッシェンドの店用で使ったままだという事を……。
俺はフェイスブックのメッセンジャーを使い、先輩の土方智こと坊主さんへ連絡を取った。
まるで金が無い事を伝え、電話さえも無くなってしまった事を伝える。
面倒見のいい坊主さんは、わざわざ新宿まで来て自分名義で新しく携帯電話を俺用に契約してくれた。
しかも自分のクレジットカードまで「困った時は使え」と強引に手渡してきた。
断るも「いいから持っておけ」とカードを置いて帰ってしまう。
一人になると、俺は静かに泣いた。
とうとう引っ越しの日が来る。
今日で新宿も最後。
「……」
本当に俺はいつも誰かから救われて、未だ彷徨いながらも辛うじて生きているんだよな……。
「えーと…、誰ですか?」
「あ、世永さん、お久しぶりです。岩上です、岩上」
「え! あの岩上君? どうしたの?」
俺は弟が警察へ捕まった事。
そして酒井さんら幹部も捕まった事を伝えた。
「え、どこ署に捕まったか分かる?」
「数十名なんで、ちょっとそこまでは現状じゃ分からないです」
「まあ身内なら聞けば教えてもらえるか…。ありがとう、岩上君」
これで初めて歌舞伎町でゲーム屋のイロハを教わった時の恩が、少しは返せたかな?
俺と違い、本当に仲のいい兄弟だ。
静寂の中小江戸号の走り音だけが聞こえてくる。
これまでの自身の人生を色々と振り返ってみた。
家族との決裂。
数珠繋ぎのような裏稼業人生。
スポットライトを一瞬だけ浴びた表社会。
平穏無事でいいんだけどなあ……。
川越に帰り、直属の後輩である山下哲也だけには前もって連絡をしておく。
「岩上さん、これからどうなるんでしょうかね?」
「酒井さん、これで二度目だからなあ…。まあラッキーハウス自体は生き残った。最低一ヶ月もすれば逮捕状も無意味になるはず。うちらは金を使わないよう心掛けて、その間は生活していくしかないな」
そう彼に言いながら、自分にも言い聞かせていた。
もう競馬でいくら負けただなんて、馬鹿みたいな行動している場合じゃなくなってしまったな……。
さて、問題はフェイスブックや地元川越での親しい人たちへの説明だ。
いきなり投稿が止むのもおかしく思われてしまう。
かといってこの事態をSNSなどで垂れ流す訳にもいかない。
まあゆっくり気長に果報を待つとするか。
俺は久しぶりに喫茶ジャズへ向かう。

漫画喫茶も無かった時代、暇があるとこの店か今は無きジミードーナツへ行き時間を潰していた若かりし頃。
まあこっちは通った比率でいえば、一割にも見たたないが。
それにしても、こういうレトロな喫茶店は本当に居心地が良く落ち着く。
俺は大好きなビーフドリアとハンバーグセットを注文し、本棚にあるたくさんの漫画の中から適当に取り出した。
熱々のビーフドリアが目の前に置かれる。

この店に過去女性を連れてきたのって、二十九歳の頃付き合った室舘真紀ぐらいか。
スタイルだけは抜群の女だったが、いかんせん高慢ちきなプライドとあの余裕ぶりながら本性は錯乱するという性格がどうも合わなかった。
別れを告げても毎年俺の誕生日になると未練ある長文のメールを送ってきたが、今頃どうしているのだろうな。
幸せに暮らしていればいいが。
ハンバーグセットが出来上がる。

何の曲のジャズかは知らないが、終わり次の曲の合間に無音の瞬間が何故か堪らなく好きだった。
この店のボリュームは、耳を澄まさないと聞こえないぐらい静かで囁くように音楽が聴こえてくる。
フェイスブックでは、諸事情により休みになったと簡易的な説明だけして写真をアップした。
二千二十年三月十二日、木曜日赤口。
ラッキーハウスへ集合した全従業員。
早番は俺、吉岡、内藤ノブ。
遅番は橋本、山下、川崎。
前日通り店を最低一ヶ月は休業し、待期期間一日五千円の保障をつけると香川は説明する。
「まとめて後日に保障分は払いますが、もし今金が無くて困っている人がいれば、前借りという形で渡しますが。誰かいますか?」
真っ先に挙手をした店長の橋本。
この中で一番給料をもらっているくせに、一ヶ月程度の余裕すらないのか?
以前ノブから聞いたキャバ嬢に入れ込んでいるという噂は、本当らしい。
こんな男を店長に添えて大丈夫なのか?
オカマの木下を責任者にした事といい、香川の人間を見る目は無能に等しい。
自分が番頭という立ち位置に運良くいるから、それより上が金太郎のみという現状。
従って木下が無責任に即日辞めても、香川自身の管理能力を酒井さんの逮捕と重なり追及する人間がいないだけ。
こんな馬鹿げた連中が、俺より上にいるのだ。
溜め息も出てくる。
帰り道、山下が飲みに誘うのでいきなり説教をした。
「おまえさ、状況を把握しろよ。大人しく一ヶ月は過ごせって」
「だって暇じゃないすかー」
「知らねえよ、そんなの。本当に生き残れなくなるぞ?」
「一軒だけ寄りましょうよ」
「……。もういいや…。勝手に一人で行ってろ」
「待って下さいよ、岩上さん!」
馬鹿に付ける薬はないのだ。
いずれ自業自得で勝手に苦しめばいい。
さっさと山下をおいて、俺は西武新宿駅へ向かった。
あいつは馬鹿だけど、秋葉原の時の逮捕経験がある。
もう少し状況を分かっていると思ったんだけどな……。
いや、そうでもないか。
あの時も俺が岡部さんに頼みこんで裁判へ出廷してもらった。
山下はというと、呑気に檻の中で過ごしていただけで、月に百万前後の給料をもらいながら使い果たし、借金までしていたぐらいである。
あの馬鹿の為に必死に駆けずり回った俺に対し、何の感謝も無かったのであの時制裁を加えただけ。
少しはマシになったかと思ったら、馬鹿は馬鹿のまま。
俺は川越へ帰ると、立門前通りの冨久屋へ入り、イカフライセットを注文した。

何年も前にメンチカツを頼んだ時マヨネーズを頼んだのを覚えてくれているのか、今回も小皿でついてくる。
メンチカツの時だけでいいんだけどなあ。
まあ俺のような客の好みを記憶してくれて有難いものだ。
マヨネーズをキャベツにつけて俺は食べ始めた。
店内では蕎麦を啜る音だけが聞こえている。
二千二十年三月十三日、金曜日赤口。
インターネットで酒井さんたちはどうなったのか調べてみる。
何故逮捕時じゃないのか?
二日間の刑事拘留。
そのあとの検事の十日拘留を二回。
まずは刑事の調書が出なければ、ニュースもクソもないからだ。
ニュースで映像まで出ちゃっているよ……。
押収金は約三億三千八百万円と発表されている。
金太郎が「酒井君、車の中にあった一億円も見つかったらしいんだよな」と、お気楽そうな表情で語っていたのを思い出す。
脱税は罪になるのだろうが、三億円以上も押収しその金を国は懐に納めるんだろ?
人を殺した訳でもない。
ましてやインカジは騙しの商売ではないのを経営した俺が、一番よく知っている。
酒井さんグループの初期のほうから居た俺から見れば、そこまで悪い事をしていないのに、本当にマスコミは他人の不幸は蜜の味を地で行っているなあ。
これをもって悪と定義するなら、国も俺が私財を投げて失った三百万以上の金を補填してもらいたいものだ。
脱税したから金を没収、返さず逮捕なんて、形を変えたヤクザにしか見えない。
待てよ…、いい機会だ。
脱税について調べてみるか。
まず押収された段階。
これは 証拠保全。
現状のところだろう。
捜査中に現金、通帳、金塊、高級品などが 一時的に国(検察・国税)に預かられる状態。
この時点では、まだ国のものじゃない。
裁判・処分が確定すると分岐。
脱税分として認定された金。
本来払うべきだった税金。
追徴課税。
延滞税・重加算税。
これらは税として徴収され、国庫へ。
犯罪収益と認定された金。
脱税のために隠匿していた現金。
酒井さんは当然こっちになるんだよな?
没収、完全に国のもの。
結果、国庫に入る。
犯罪と直接関係ないと判断された金。
返還される。
だから全額取られるとは限らないとされるが、賭博法もつくのか?
下手したら酒井さん、約三億三千八百万円没収かよ……。
国庫に入った金はどう使われるか?
特別な使い道はなく、一般会計に入る。
主に社会保障、公共事業、国債返済などに使われる可能性が高いようだ。
つまり国の誰かに配られる訳でも、被害者に戻る訳でもない。
よくある誤解として、押収された金イコール全部没収は違うらしい。
たまに適当な台詞で「どうせ警察や税務署が懐に入れているんだぜ」というのは完全に違法であり、あり得ないようだ。
なので裏で戻る事など、ほぼ無理というのが実情。
脱税事件特有のポイントとして、脱税は被害者が国という理論なので、民事的な返還先がない。
結果として、税と罰金と没収。
金は全部国側に吸収されやすい。
いかに自分が無知だったか自己嫌悪に陥る。
いや、捕まらず自由な時間を満喫できる俺が、自己嫌悪などという表現を使うなって。
あの留置所の中の窮屈な生活は、過去俺だって嫌というほど知っているだろうが……。
結構時間掛かりそうだな。
無音に近い俺の部屋。
静寂の中、ボーっとしながらセブンスターに火をつけた。
携帯電話のバイブが鳴る。
連日届くちかからのLINE。
俺はマメに返信をした。
彼女の誕生日が三月四日だったと聞いた俺。
早く言ってくれよと伝える。
その日はヤッターマンのパチンコで九万円勝った日なので、リアルタイムだったら何かプレゼントぐらい買ったのにと言うと、彼女は余計な負担を掛けさせたくないと言う。
あれ?
いつだか似たような事を言われたっけ……。
最初の総合格闘技に出場する前に会った浅野美嘉を思い出した。
今回もプリンスホテルのアリタリアへ来ていた。
「岩上さん…、今日何の日だか分かりますか?」
ビューホテルで初めて会った日?
いや、違うよな……。
いくら考えても分からなかった。
「実は今日…、私の誕生日なんです……」
恥ずかしそうに小声で言う浅野。
「え、早く言ってよ! 事前にプレゼントだって用意したのに」
「いえ…、それを会う前に言うと岩上さんなら絶対にそうして…、いつも美味しいものをご馳走になったいるのに、また余計なお金を使わせちゃうので……」
素直にその言葉に対し感動した。
帰り道の別れ際、俺はそっと宝物を扱うように優しく抱擁してから別れる。
少しは距離が縮んだ気がした。
ひょっとしてちかも、浅野美嘉と同系統の優しい心の持ち主か?
いやいや、悪い子じゃないのは分かっているが、所詮飲み屋の女である。
かといって誕生日を聞いたのにLINEでおめでとうだけじゃなあ……。
久しぶりに今度彼女の為に絵でも描くか。
まあ日時は過ぎているし、近い内にでいい。
九州のひろみからは相変わらずメッセージが届いていたが、相手にするだけ無駄だと自覚しているので無視をする。
腹が減ったので家を出た。
近所にできたネパールカレーのルンビニ食堂。
元はプージャという同系統の店。
千百円のBセットを注文した。
カレー二種類、サラダ、ナン、ドリンク。

ナンのあまりの大きさにビックリ。

味も美味しかった。
また今度来てもいいな。
プージャの頃は、弟の徹也の会社でまだ伊田カズたちが働いていた頃だったっけ。
実家に目の前のコインパーキングから三回も同じ場所へ車で突っ込まれた時など、よくあいつらには俺がご馳走をしてやった。
徹也のところを飛んだらしいが、今頃何をしているのやら。
あいつに貸した漫画の『シグルイ』と『ヨリが跳ぶ』全巻は、ちゃんと返して欲しかったな。
まあ恩義しらずに文句を言ったところで、何も始まらないか。
二千二十年三月十四日、土曜日先負。
阪神八レース、思い切り縦目で負ける。
明日の中京メインの金鯱賞。
今日も全滅だし、これ外したらしばらく競馬辞めたほうがいいな。
こんな状況で競馬もクソもない。
二千二十年三月十五日、日曜日仏滅。
競馬もパチンコもすべて駄目。
しばらくギャンブル辞めよう。

金が無い訳じゃないが、こんな時に賭博で無駄遣いなど阿呆らしい。
今年で三十八万以上負けって、俺も頭がおかしいだろ?
時間だけは有り余っているのだ。
小説も書かなくなった今、ちかの為に絵でも描くか。
すでに彼女へ公言しちゃったしな。
さて…、何を書こう?
三月四日って何座になるんだ?
こういう時本当にインターネットは便利である。
魚座になるのか。
まずは星座をそのまま描いてと……。
いいイメージが浮かば…、いや、以前気まぐれで描いた泡の絵。
あれを組み合わせ、建物の中に何故か海水があり、その奥に宇宙が見えて魚座があるなんて独創的じゃないか。
フォトショップを起動し、マウスで細かい操作をしながら絵を描いた。
うん、中々いいんじゃないか?

俺はこの絵の名前をシンプルに『魚座の絵』と名付ける。
本当にパソコンって使いこなせるようになると便利なものだ。
まあ、教えてくれた坊主さんのスキルの一万分の一にも及ばないのだろうけどね。
ついでに誕生日おめでとうと英語で文字を入れたバージョンも作っておくか。
こういう時、グーグルで簡単に翻訳してくれるのが楽で嬉しい。

魚座の絵、ちかバージョンの完成。
といっても文字を打ち込んだだけだけど。
彼女へ絵のプレゼントを送信する。
LINE情報で優香の誕生日が今月の二十一日だと知った。
え、あいつも魚座かよ。
いや、微妙な日にちだからちゃんと調べてみよう。
一日違いで牡羊座だった。
ピアノは弾かなくなってスキルは無くなったが、せめてパソコンの操作ぐらいは残しておかないと……。
ついでに優香の絵も描いてしまおう。
何々…、牡羊座って星が四つしかなく、ほぼ棒一本じゃん……。
これじゃ絵としての完成度が格好悪い。
何かいい方法ないかな?
いいアイデアを思いつかないまま、気が付けば日時が変わっていた。
たまに通る車のエンジン音だけが静寂の邪魔をしている。
二千二十年三月十六日、月曜日大安。
考え中に店長の橋本から電話が掛かってくる。
「赤崎さん、毎日どうやって過ごしてます?」
「俺はプレステ4でゲームしたり、今は絵を描いてますよ」
「絵? 絵なんて描いてどうすんですか?」
「いや、近い内知り合いの子で誕生日だっていうのがいるから、絵でもプレゼントしようかなと」
「赤崎さん、子供じゃないんだから、そんなものプレゼントしたって女の子から笑われますよ」
「大きなお世話です! 作業中なんで切ります」
まったくあの馬鹿は礼儀がなっていない。
自分なんてキャバ嬢に金掛けて熱入れ込んだだけじゃねえか、あのクソメガネ。
ん…、待てよ……。
俺、以前メガネ買って全然使っていないけど、メガネから見た宇宙なんてどうだろう。
牡羊座だけじゃシンプル過ぎるから、地球描いて次に近いのってどこだっけ?
昔アニメで、水金地火木土天海冥ーって歌あったのよな?
南大塚に住む従姉妹の和ちゃんが、子供の頃よく口ずさんでいたもんな。
思い出せ、俺の脳みそよ。
過去の記憶を鮮明に思い出せ。
インターネットで調べてみる。
吉澤嘉代子の『月曜日戦争』?
どんな曲だっけ?
まあ聴いてみよう。
確かに水金地火木土天海冥と唄っているが、何か違う。
こんな声じゃなかった。
アニメのほうだよ、絶対に。
検索で引っ掛かったのが『宇宙大帝ゴッドシグマ』。
オープニング曲の歌い手は、ささきいさお。
この人ってあの当時のほとんどのアニメ主題歌唄っていた人じゃなかったっけ?
全部聞いてみたが、水金地火木土天海冥は出てこない。
じゃあさっきの吉澤嘉代子?
いや、絶対に違う。
エンディング曲ってないのか?
宇宙大帝ゴッドシグマのエンディング曲を聴いてみると、すぐにこれだと分かる。
和ちゃんがあの頃唄っていたのは、この曲だ。
つまり地球の次は、水金地火だから火星。
赤いイメージしかない……。
俺は左に火星、右に地球を描き、中央に牡羊座と薄っすら羊の絵を描いてみる。
どうも地味だ。
そこへメガネを描いて、レンズから見える部分だけをくっきり描き、枠から外れた部分はモザイク処理を施してみた。
うん、これ中々いいんじゃないの?
連続して絵を描くの本当に久しぶりだ。

過去にも俺は十二星座の名前を冠した絵を描いている。
つまりこれは『牡羊座の絵』でいい。
優香へ早速少し早い祝福コメントと共にこの絵を送信してみた。
ほぼ同時期に優香と、ちかからお礼のLINEが届いた。
二人とも凄い喜びようだ。
どうだ、見たか、クソ橋本め。
さて、このクソ暇過ぎる時間をどう過ごすか……。
ギャンブルは経済と精神的健康状態によろしくない。
以前買っておいたファイナルファンタジー15をやろうとしたら、アップデートが必要らしい。
え、三十四ギガ?
ダウンロード残り五時間?

ふざけんな!
サクッと手軽にできるからゲームなんだろ。
馬鹿じゃねえのか、スクエアは。
コントローラーを放り投げ携帯電話でフェイスブックを見ていると、七年前の本日の思い出が出てくる。
三時間掛けて作った弁当を床にぶちまけ台無しにしてしまった七年前。
えーと、二千十三年?
天ぷら各種、鶏肉グリル焼き、モヤシのナムル、豚トロ焼肉、目玉焼き、フライドポテト、お新香、カレーピラフと麦飯半々の弁当。

見栄えもいいし、これなら田村も喜びそうだ。
あ、あの昼キャバの店へ持っていけば良かったな……。
いつもより出る時間が遅くなった。
急いで支度をし自転車に飛び乗った瞬間、地面に弁当を落としてしまう。
バラバラに飛び散った弁当……。
俺は泣きそうになりながらも、掃除をして弁当を捨てる。
はっきり覚えているぞ、あの時の事は……。
一口も食べずに終わってしまった弁当。
あんな恩も何も感じない田村の駄目オヤジになんて、作るんじゃなかったよ。
まあもう生涯関わりないから別にいいか。
さて、ファイナルファンタジーのダウンロードどうなった?
まだ四時間以上?
俺は横になり、ふて寝した。
無音の空間に包まれながら。
二千二十年三月十八日、水曜日先勝。
ラッキーハウス休業生活から一週間以上経ち、あまりにも暇を持て余す日々に嫌気が差してくる。
ゲームをひたすらしていれば幸せだと思っていたが、あれは少ない時間の中もっととなるからこそ渇望するものなのかもしれない。
そう考えるとゲームなどで十数年も引き籠もりを続けられる人間はある意味凄い。
しかし親を脛を齧って生きてる時点で、それはただの甘え。
おじいちゃんが生前の頃、何の成果も出せず甘えてばかりだった俺。
裏稼業で働いているだけで、その店さえ休みな今、人の事を卑下している場合ではないだろう。
社会に貢献していないという点では、俺も同じ穴の狢。
何かいつも暗い方向へ思考が行ってしまうな。
このシーンとした室内が悪い。
たまには音楽でも掛けるか。
いや、飯でも食べに行こう。
始さん家の隣りのレストランシブヤへ入り、いつもの注文をする。

今日のランチの一品は焼売。
酢豚は相変わらず格別の旨さだ。
そしてこれもレギュラーであるナポリタン。

そういえば全然飲みにも行かなくなったなあ。
夜になり、ちかへのLINEを打っていると山下から着信が入る。
「何だよ? 金なら貸さねえぞ?」
「いきなり酷いすねー。そうじゃないすよ!」
「じゃあ何だよ?」
「暇過ぎちゃって…、明日川越遊びに行っていいすか?」
「嫌だ」
「酷いすよー」
「酷くない。俺は金をなるべく使わない生活を心掛けろって言ったろうが。それにコロナだって感染者どんどん増えているんだぞ?」
「自分風邪には免疫あるから大丈夫す」
「コロナは風邪じゃないだろ、馬鹿」
「もー毎日毎日暇で……」
話が通じないやつには何を言っても無駄だ。
会話途中で通話を強引に切った。
ちかへの続きを書いていると、また山下からの着信が入るが無視をする。
返信をすると、布団へ寝転がり静けさの中、たまに聞こえてくる鳥の鳴き声を耳を澄ませている内に眠ってしまう。
二千二十年三月十九日、木曜日友引。
家から徒歩三十秒という距離で、食事をルンビニ食堂に決める。

こうしてギャンブルも酒もやらず、食事だけで日々生活していれば、結構金なんてそうそう使わないもの。
問題は週末に開催される競馬だが、こればかりは自分の意思次第。
部屋でファイナルファンタジー15をプレイして時間を潰す。
スクエアも最近のゲームは、システムでなくグラフィック優先するから面白さが無くなっていくんだよなあ。
優れたCG技術に拘りたいのは分かるけど、元々の売りはドラクエよりも緻密で拘ったシステムのはずだろうが。
ゲームしながらウトウトしてはまたコントローラーを持ち直す堕落した日々。
何も無い現状に対し、さすがに嫌気が差してくる。
ちかの働くキャバクラも出勤人数を調整するなり、営業時間を短縮したりと大変なようだ。
本当コロナといい、ラッキーハウスの件といい、これから日本はどうなっていくのだろうな。
あの猛威を振るった東日本大震災とは、また違った形の世紀末感。
中国の武漢からコロナは見つかったんだっけ?
それだとコロナは人災になるのか?
言いようのない不安が全身を包む。
部屋の中だから無音なのは安心する。
だが外に出た時の無音だと、閑散としたまるで過疎化された村のようになっていく?
悪い方に考え過ぎだって。
つくづく人間が生きていくとは、バランスがいかに大切かを身に染みて自覚する。
退屈な何も無い人生に、人は堪えられないのだ。
しかし娯楽ばかりに浸っても、それはそれで苦痛を感じる思考。
一体生きるって、何なのだろうな……。
俺が初めて書いた小説の新宿クレッシェンド。
クレッシェンドは音楽用語で段々大きくなる。
最初に新宿をつけたから、俺の場合一瞬だけ大きくなっただけ。
あとはどんどん縮小し、まるで新宿デクレッシェンドだ。
あれ?
ピアニッシモとかも、ピアノの弱く、静かに演奏せよよりも、さらに静かにだったっけ?
差し詰め今の俺は、川越で息をひそめているから川越ピアニッシモという事か。
静寂を破るかのように携帯電話が鳴る。
また山下哲也から。
「何だよ、しつこいな」
「あ、自分今本川越駅着いたんすけど」
「はあ? 何で?」
「いや、暇なんでつい電車に乗っていたら川越まで来てしまって……」
一瞬だけ大きくなっただけが新宿クレッシェンドなら、一瞬だけ静かになっただけが川越ピアニッシモなんて馬鹿な事を考えているから、本当の馬鹿がやってきた。
まあ、俺の暇だし飯ぐらい奢ってやるか……。
山ゴネスを連れ中央通りを歩き、仲町にあるワインスタンド『ポン』へ入る。

今は亡き税理士大野さんが憩いの場所として通い、もっと俺が若い頃亡くなった仲町のおばあちゃん家の隣りの店。
おばあちゃんが亡くなったのって、俺が浅草ビューホテル時代だから二十代前半だよな?
あれから二十五年ぐらい経っているのか?
あの頃はまだ大野さんとも知り合っていない時だもんな。
「狭いけど何かいい店すねー。ほら、岩上さん。ワインが空になってますよ。また赤ワインでいいんすか?」
生ハムをバケットに乗せて下品に食べる山下を見ていると、無性に腹が立ち軽く頭を叩く。

「痛いすよ! 何すんですか?」
「いきなりこのコロナ蔓延の中、急に川越へ来やがって、この馬鹿が」
人がせっかく過去の美しい思い出に浸っているところ、ノイズが入るように割り込んできやがって……。
ごめんなさい、大野さん。
あなたの愛した店を山ゴネスという公害によって汚してしまい。
「川越、もっと何かいい店ないんすか?」
「ねえ訳ないだろ! 腐るほど紹介できる店なんてあるよ」
どうもこの男に川越を軽く見られるのは生理的に許せない。
ポンを出ると、次はお好み焼きのかぶやへ連れて行く。
続いてヤスのカガヤカフェ。
後輩のヤスにやたら語り出す山下。
一軒で済ませようとしたつもりが気付けば三軒目。
何故この男は金も無いのに川越へ来たのだ。
「もう行くぞ、この馬鹿め」
「痛いすよー、ポンポン頭を叩かないで下さいよー」
クレアモールを歩きながら、山下は相変わらずキョロキョロ落ち着きがない。
蔵里を見つけては中へ入ろうと言い出したり、その先のパラッツォを発見するとパチンコをやろうと言い出したりと、金の無い男の言動とはあり得ない事ばかり抜かす。
仕方なく傍にあるリバティへ寄る。

「あ、ようこそいらっしゃませ、岩上さん」
「小沢、この馬鹿一応後輩の山下。馬鹿だから気を付けて」
「酷い紹介の仕方しないで下さいよー」
俺はグレンリベットとマティーニ、山下は生ビールを注文。
「岩上さん、何かつまみ頼まないんすか? 一応礼儀的に何か頼まないと失礼ですよ?」
また山下の頭を叩く。
「チーズの盛り合わせ頼んでいるわ! だいたい礼儀的にって金も無いくせに突然川越に来るような奴が、そんな言葉使ってんじゃねえ」

しかし久しぶりの梯子酒は、鬱憤の溜まった俺にとってもいい解放を与えていた。
だがこれでいくら使ったんだ?
一日保障五千円なのに、短時間で数万も消えている。
これならまだ優香なり、ちかの店へ行き、一人で酒を飲んだ方がマシだ。
「帰る前に焼鳥食いたいすねー」
この男はタカる際限をまるで知らない。
まあここまで来たら天下鶏にも顔を出しておくか。
あそこも久しく行けていない。

天下鶏オーナーの田辺は、俺の来店を快く迎え再会を喜んでくれる。
「次はキャバすか? あ、痛っ!」
今度は強めに尻を蹴飛ばし、強引に本川越駅まで連行し改札を潜らせた。
もう勝手に来るなと念押しして家へ向かう。
苛立ちと解放感、二つの矛盾した感情に挟まれながら、ついつい優香のガールズバーへ入ってしまった。
もちろん優香指名だが、新人で芸能人の沢尻エリカ似の女がいたのでその子も指名して飲み始める。
「おまえ、沢尻エリカに似てるって言われない?」
「うーん、どうなんでしょうね」
「名前は?」
「エ、エリカです……」
「ほら、自分でも意識してんじゃねえか」
「私も一杯頂いていいですか?」
「おう、勝手に飲みな」

沢尻エリカ自体タイプではなかったが、目の前に似ている女がいるとそれはそれでかなり気になってしまう。
優香よりも新人のエリカへ会話が弾む俺。
途中で優香が拗ね出したので、近い内食事へ行こうと取り繕う。
「じゃあ明日行こうよ」
彼女と食事に行くという事は、またそのあと同伴で金が掛かると比例する。
対して好みではないが、唇ぐらい奪ってやるか。
しつこく食事食事と繰り返すので、仕方なく了承した。
二千二十年三月二十日、金曜日先負、春分の日、春分。
ちかからのLINEが届き、携帯電話を見ると日が明けている事に気付く。
かなりの時間飲んでいるなあ。
会計をすると七万円を超えていた。
そりゃ女二人つけてドリンクを好きなように飲ませていれば、このぐらいいくよな……。
またやってしまった馬鹿な行動。
このまま帰るのも癪なので、深夜の呑龍へ向かう。
「しょうが焼き定食両方大盛りと、餃子を下さい」
「あいよー」

本当に山下に絡むと碌な目に遭わない。
まあ最後の優香の店は俺の責任だが。
食事を終えると家に帰り、大人しく睡眠を取った。

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