57.バラモン
画像は以下のサイトから転載。
ゴグとマゴグのおさらい
お伝えしてきたとおり、終末の世にあらわれるゴグとマゴグがだれなのか、あるいはどの国なのかを巡り、さまざまな主張がなされてきました。
一般的にはスキタイ人がゴグとマゴグだとされています。コーカサス山脈から南の地に侵入し、圧倒的パワーで襲撃を重ねました。

北イスラエル王国のイスラエル人たち(十氏族)は、紀元前八世紀の「アッシリア捕囚」でメディアの地に送られました。そして行方がわからなくなったとされています。
失われた十氏族は、十二世紀あたりでゴグとマゴグと同一視されるようになりました。逆にコーカサス山脈から南に戻ってくるわけです。
コーカサス山脈といえば、ゴグとマゴグを封じ込めたアレクサンドロス大王の門がある自然の要害です。
この門は終末の時に破られ、ゴグとマゴグが侵入してきます。アレクサンドロス大王の予言なので必ず破られます。
このように、ヨハネの黙示録のオカルトパワーによって執拗にゴグとマゴグが追求された結果、史実と伝説がごっちゃになり、無宗教の人にとってはとくに「なんだかよくわからないもの」になっています。
ヨハネの黙示録がアレなので、そもそもゴグとマゴグの同定は必要ない、ともいえます。ですが探求をあきらめると終末の世に備えられません。
そして現在の世界情勢を見ると、終末の世であるような気がします。戦争が起きたりなどすると、「聖書にはこのように記されている」と多くの人が章句を引用し、聖書は真実を述べている、または予言が当たった、ということになり、同時にヨハネの黙示録の正当性、戦争の正当性が強化されます。
戦争を起こしたりする偉い人たちは、この仕組みを熟知しています。なのでこのような世界で生きているわたしたちは、オカルトたちがなにを考えなにを大切にしているのか、を知る必要があるのです。
そういう意味では、ゴグとマゴグは非常に重要です。ですが「スキタイ人 ゴグ」で検索すると筆者のページが上位に出るほど、日本では関心が持たれていません。
ベネ・イスラエル
ゴグとマゴグのさまざまな主張は、「アーリア人」の定式化の基礎となりました。
広義では、「アーリア人」はインド・ヨーロッパ語族を指します。
離散したいわゆる「ユダヤ人」は、インドでも見つかりました。ムンバイ(西インド)のユダヤ人は、ベネ・イスラエル(イスラエルの子)と呼ばれていました。

当然ベネ・イスラエルは、失われた十氏族の子孫ではないかといわれています。
ベネ・イスラエルのY染色体分析で、レバントとの関連が指摘されています。レバントは肥沃な三日月地帯の西半分に当たる呼称です。

ヨセフスの著書『アピオンへの反論』では、アリストテレスの弟子クレアルコスの断片を引用しています。
「この男は(とアリストテレスは答えて)生まれながらにしてユダヤ人であり、セレシリアの出身である。これらのユダヤ人はインドの哲学者に由来する。かれらはインド人にカラミと名づけられ、シリア人にはユダエイと名づけられ、ユダヤと呼ばれる彼らの住む国からその名を取った。
ギリシャ人は、ジムノソフィストと呼ばれるインドの哲学者たちを知っていました。

ジムノソフィストは、裸の哲学者という意味です。アレクサンドロス大王が北西インドを征服した際に出くわし、同行していたギリシャの哲学者たちに影響を与えた、とされています。
概してジムノソフィストのような人たちは、混乱の時代において物質的快楽を遠ざけ、静かに瞑想するすばらしい人たち、という捉え方をされます。
アレクサンドリアの神秘主義者たちも同じようなことをし、神との合一を目指した結果、グノーシス主義が生み出されました。
十九世紀の終わりから二十世紀半ばにかけて、ヨーロッパとアメリカでジムノソフィという運動、哲学が実践されました。
この実践には、裸、禁欲主義、瞑想が含まれています。
当然、ヒッピー・ムーブメントとも密接な関係があります。そしてあの「ラブ&ピース」の誕生には、CIAが絡んでいます。
オカルトたちはジムノソフィストを知っているので、「分割して統治せよ」の基本どおり、歴史から流用し、カウンターパートを生み出し、世の中に対立を引き起こすわけです。
そしてわたしたちは、物質主義は悪、それに反抗する人たちは善、と無批判に信じがちです。
ヒッピーといえば、セックス(裸)、ドラッグ(瞑想)、ロックンロールです。これらはバッカナリアなどの古代のお祭りがルーツです。
トラヴィス・スコットというラッパーのステージです。かなり悪魔的な「お祭り」で、まともな人であれば吐き気を催す(そして悪霊が憑く)動画なので、視聴する場合は気をつけてください。
ちなみにこのフェスティバルでは十人の死者が出ました。観客は「ライヴを止めろ」と訴えたのですが、トラヴィス・スコットはライヴを断行しました。
このようなライヴ(儀式)は物質世界からの逃避で、ジムノソフィスト、ヒッピーたち、ニューエイジと同じです。そしてわたしたちはそれらを「いいこと」「いい人たち」と捉えます。
実際はいいも悪いもなく、同じ穴のムジナです。世の中に疲れるともれなく宗教指導者やヨガの先生などが優しい笑顔で登場しますが、だれに頼ろうとその悩みは一切解決されません。
病気が治らないのはお医者さんに頼るからで、その病気を生み出しているのはじつはお医者さんなのです。これが世のならいです。
三世紀前半ごろに活躍した哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスは、著書『ギリシャ哲学者列伝』で、クレアルコスの著書『教育論』を引用しています。
また、ソリのクレアルコスは、『教育論』の中で、ジムノソフィストたちをマギの末裔であるとしている。
バビロニアのマギは、オカルトの歴史においてはすべての元凶といえます。
カラシュ人
ハプログループについては以前お伝えしました。
ハプログループR1aは、アレクサンドロス大王の子孫だと主張するカラシュ人にも見られます。

カラシュ人はパキスタン北西部のインドシナ山脈に住んでいる民族で、金髪で色白の北ヨーロッパ人のような外見を持つ人もいます。
アレクサンドロス大王はマケドニア出身、つまりギリシャ人なのですが、遺伝学的にはカラシュ人とギリシャ人とは異なるようです。
アレクサンドロス大王とカラシュ人のつながりは、『ジャングル・ブック』で有名なラドヤード・キップリングの『王になろうとした男』のベースになっています。
キップリングは英領インドのムンバイの生まれで、ノーベル賞受賞者で、フリーメーソンです。
また、アフガニスタンとパキスタンに住むパシュトゥーン人のあいだでも、イスラエルの失われた氏族の子孫であるという伝承があります。
パシュトゥーン人の部族の一つ、ユスフザイは、「ヨセフの息子たち」という意味です。
フェミニストで人権運動家のマララ・ユスフザイは、最年少でノーベル賞を受賞しました。

カースト制度
ヒンドゥー教のカースト制度は、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、スードラ、そして不可触民です。
上から三つは、プラトンの『国家』における哲学者王、軍人、生産者の三つの階層に正確に対応しています。
バラモンの起源は、ウィキペディアによると以下のとおりです。
紀元前13世紀頃、インド・アーリア人が原住民族のドラヴィダ人を支配するためにヴァルナを作り出した。そして自らを最高位の司祭・僧侶階級に置き、ブラーフマナすなわちバラモンと称したのが始まりであると言われている。
インド人とヨーロッパ人の遺伝的親和性は、カーストのランクに比例します。
もちろんこの遺伝的親和性は、上位のカーストはヨーロッパ人、下位のカーストはアジア人に寄っています。
ウィキペディアの記述は、古代の「アーリア人」がカースト制度を導入した、という説ですが、実際はのちに「発展」したものでした。
歴史家ヘロドトス(紀元前四八四年ごろ~)は、メディア人(白人)をアリアン人と呼んでいました。そして十九世紀の啓蒙思想の学者たちは、このアリアン人(メディア人)を「純潔のアーリア人」としました。
「インド・ヨーロッパ語族」という定義の恐ろしさは、カースト制度の恐ろしさをそのままあらわしています。
インド叙事詩の『マハーバーラタ』は、紀元後四世紀末までに最終版が完成したとされています。
『マハーバーラタ』の十二巻、「平和の書」では、色に基づく階級の記述があります。バラモンは白、クシャトリアは赤、ヴァイシャは黄色、スードラは黒です。
この「色」は、直接的な意味ではなく、異なるエネルギーと資質をあらわしているのだ、とされています。
白は純粋さと知識、赤は勇気と強さ、黄色は生産性と繁栄、黒は奉仕と謙虚さを象徴しているのだそうです。
ですが実際は、直接的な意味です。
『マヌ法典』は、ダーマ・スートラ(律法経)文献を改編・編纂して作成された法典です。
一七七六年、言語学者のウイリアム・ジョーンズ卿は、サンスクリット文書を英訳しました。イギリス植民地政府はそれを元に、インドにおいてヒンドゥー法の制定を行いました。
この英訳『マヌ法典』によって、ヒンドゥー教の前身であるバラモン教の信徒は数多くの制限をかけられました。インドのカーストと聞いて思い浮かべる、あのさまざまな制限たちです。
ジョーンズ卿と言語学者カール・ヴィルヘルム・フリードリヒ・シュレーゲルは、サンスクリット語の『マヌ法典』が書かれた年代を紀元前一二五〇年ごろから紀元前一〇〇〇年ごろとしました。
この試みは、インド・ヨーロッパ語族の「アーリア人」の血統を構築するために行われました。ですが現在では否定されています。
実際の年代は、紀元前二〇〇年から紀元後二〇〇年のあいだ、とされています。プラトン以後です。
二〇〇五年、『マヌ法典』の新たな翻訳版がオックスフォード大学出版局から出版されました。
翻訳者としてクレジットされているパトリック・オリヴェルは、このように伝えています。
MDh(マヌ法典)は、一七九四年にウイリアム・ジョーンズ卿の翻訳によって西洋世界に紹介された最初のインドの法律書である。ジョリーのものをのぞくMDhのすべての版は、クルカの注釈を含む[カルカッタ]写本にあるとおりのテキストを再現している。わたしはこれを「ヴルゲート版」と呼んでいる。繰り返し翻訳されてきたのはクルカの版である。ジョーンズ(一七九四年)、バーネル(一八八四年)、ブーラー(一八八六年)、ドニガー(一九九一年)……。
クルカのテキストの信憑性は、バーネルによって公然と表明された。「インドやヨーロッパの学者によって採用されたクルカ・バッタのテキストは、全体として原典に非常に近いものである」これは真実からかけ離れている。実際、わたしの編集作業における大きな驚きのひとつは、わたしが照合した五十以上の写本のうち、主要な読みにおいてヴルゲートに従ったものがいかに少ないかを発見したことである。
恣意的に原典から離れたテキストを選び、翻訳したわけです。それを古代の叡智として、イギリス政府は現在見られる制限だらけのインドのカーストを構築しました。
バルーチは、紀元後七世紀から十一世紀の人とされ、『マヌ法典』の最古の注釈者として知られています。
Manu-sastra-vivaranaと題されたバルーチの注釈書は、イギリス植民地時代から流通しているKulluka-Calcuttaのヴルゲート版よりもはるかに詩の数が少なく、失われたと考えられているさらに古いテキストに言及しているのだそうです。
ガンジーはこのような言葉を残しています。
わたしは『マヌ法典』をシャストラ(ヒンドゥー法典)の一部だと考えている。しかし、だからといって、『マヌ法典』と呼ばれる書物に印刷されているすべての聖句に誓っているわけではない。印刷された本には多くの矛盾があり、ある部分を受け入れたとしても、それと完全に矛盾する部分は拒否せざるを得ない……だれも原文を持っていない。
メディアはカースト制度をこのように伝えます。
たいていは、カーストという制度に対する悲しみを含ませながら、わたしたちは異質の文化を受け入れなければならない、というような論調です。
その悲しい異質の文化を生み出したのも、同じ人たちでした。わたしたちはこのような狂った世界に生きています。
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