56.アレクサンドロス・ロマンス
画像は以下のサイトから転載。
前回、前々回に引きつづき、ゴグとマゴグに迫っていきます。
古代の終焉
アレクサンドロス大王(紀元前三五六年~)は、アジアを統一してヘレニズム時代をもたらし、事実上古代を終わらせた偉大な人物です。
ヘレニズム時代は、現代に通じるグローバル社会です。
広大な帝国が形成された結果、従来のポリス中心主義から、「世界人類みな兄弟」というコスモポリターンな思想が生まれました。ついでに個人の幸福追求を求める個人主義も生まれました。
ヘレニズム世界では、アッティカ方言を元にしたギリシャ語、コイネーという共通語が使われました。現代における英語です。
共通語があれば、民族や出自などに関係なくコスモポリターンできます。いわゆる国際結婚なども容易に行われます。
プトレマイオス朝エジプトのアレクサンドリアでは、世界各地から集められた古代の書物が研究され、その結果として宗教、哲学もまたヘレニズム化することになりました。
そして頭のおかしな人たちによって、オカルト思想や実践的な神秘主義もすくすくと成長していくことになります。
アレクサンドロス大王は世にいわれるとおりの英雄的人物ですが、政治手段として混血政策も行っていました。「民族の統一」は支配の常套手段です。
そしてアレクサンドロス大王の死後、どの時代もアレクサンドロス大王という人物に独自の伝説を与えつづけてきました。
ユダヤの伝統では、アレクサンドロス大王は預言者とされました。アレクサンダーの略称センダーという名前は、現在も一般的なユダヤ人の名前です。
ペルシャでは、真の王であると同時に大魔王だったとされています。魔王なのは、ゾロアスター教の聖典アヴェスターを焚書にするなど、ペルシャの歴史を抹殺した人だったからです。
ペルシャのマギの暗躍ぶりを考えると、「こんなものを残してはいかん」ということで徹底的に抹殺した、という可能性も考えられます。残すともれなくアレクサンドリアの図書館に移され、神秘主義者たちが大喜びするからです。
現代のギリシャでは、アレクサンドロス大王は、征服者としてよりも賢者として崇められています。
これらアレクサンドロス大王の評価は、すべてアレクサンドロス・ロマンスにルーツがあります。
ロマンスというと「恋物語」のような響きがありますが、アレクサンドロス・ロマンスは、アレクサンドロス大王の生涯をネタにした空想的な伝説群を指します。
平和と反乱
アレクサンドロス三世(当時)は、紀元前三三一年、ガウガメラの戦いで再びペルシャ軍とダレイオス三世を打ち破りました。

ダレイオスは山を越えてエクバタナに逃げ、そのあいだにアレクサンドロスはバビロンを占領しました。
その後アレクサンドロスは、アフガニスタン、バクトリア、ソグディアナ、ヒンドゥークシュ山脈と進み、紀元前三二六年、北インドを征服します。

アレクサンドロスは、バクトリアに都市をいくつか建設しました。

都市ができたということは、そこにギリシャ人が住んでいた、ということです。現在のイラン北東、中央アジアのスキタイ人の土地にギリシャ人がいたわけです。
ギリシャ人の居住地は、カイバル峠、ガンダーラ(パキスタン北西部)、パンジャーブ(インド北西部からパキスタン北東部にまたがる地域)にまで広がっていきます。
紀元前三二三年、アラビア征服の遠征前夜、アレクサンドロスは三十三歳で死にました。病に倒れたと一般的にはいわれています。
その後ディアドコイと呼ばれる後継者たちは、帝国を解体し、それぞれ独自の王国を築きました。

アンティゴノス一世(紀元前三八二年~)は、マケドニアとギリシャを統治しました。紫の部分です。
プトレマイオス(プトレマイオス一世ソテル。紀元前三六七年~)はフェニキアを手に入れ、エジプトのサトラップになったあと、紀元前三〇四年に王の称号を獲得し、プトレマイオス朝を発足させました。緑の部分です。
セレウコス一世(紀元前三五八年~)はバビロニアのサトラップになり、セレウコス朝を建国しました。うんこ色の部分です。
セレウコス朝の帝国は、最大時、アナトリア(トルコ)の中央部、ペルシャ、レバント、メソポタミア、現在のクウェート、アフガニスタン、パキスタンとトルクメニスタンの一部が含まれていました。

セレウコス帝国はコスモポリターンのルールに則り、エーゲ海からアフガニスタンまでの民族を結びつけることになりました。ギリシャ人、ペルシャ人、メディア人、ユダヤ人、インド人、などです。
繰り返しになりますが、アレクサンドロスは生前、混血による人種統一政策を行っていました。
セレウコス朝の支配者たちも支配者なので、混血政策を行う権限を有していました。
そうしてよくも悪くもヘレニズム思想が広まっていきます。ヘレニズム思想は約二五〇年に渡って、近東、中東、中央アジアに拡大していきました。
セレウコス帝国政府の方針は、都市建設と支配でした。もちろん貿易のためです。
それらの都市の多くは、ヘレニズムの哲学、宗教、政治を採用しました。または採用するよう強制されました。
このようにしてヘレニズムと土着の文化との融合が「成功」しました。ヘレニズム化に至る道にはフィジカルな要素もあったということです。
その結果、帝国各地で平和と反乱が同時に起こりました。
反乱はもちろん、人種や民族的アイデンティティーを保つために起きるわけですが、少しイメージしずらいかもしれません。
現在、日本もヘレニズム化の真っ最中です。コンビニに行くともれなくベトナム人やイラン人に出会えます。どこもかしこも外人だらけです。
このような発言に抵抗を覚える人が、コスモポリタニストです。「ベトナム人が日本で暮らしてもいいじゃないか」「人間は自由で平等なんだ」というわけです。
実際、現在の移民政策は、混血を奨励する政策です。陰謀論的な話はさておき、昨今の外人の急激な増加に対しては、大なり小なり不安に感じているのではないでしょうか。
その不安の元となるのが民族的アイデンティティーです。
わたしたち日本人ですら、日本人であること、日本という国で生まれたことを常に感じ、行動しています。
「世界人類みな兄弟」は究極的な理想であり、同時に不可能です。混血などによってみんなが同じになってしまったら、若い人はとくに「わたしとはなにか」という実存的不安の深みにハマってしまうでしょう。
そのようなディストピア的世界においては、自分は日本人だ、とすらいえません。出自というのはアイデンティティーの最後の砦です。
すると「日本人とはなにか」などという民族的アイデンティティーのニーズが高まっていきます。「おまえの祖先も日本人か」と意気投合するシチュエーションも生まれるでしょう。
そしてよりいっそう、「民族」どうしで団結することになります。結果当然、紛争や戦争につながっていきます。
アイデンティティーは大事です。日本は日本人の国で、アメリカは白人プロテスタントの国です。当たり前の話です。日本に住む日本人には、「ベトナム人はさっさとベトナムに帰れ」といえる権利があります(逆もいえます)。
ですがコスモポリタンにいわせると、「日本には日本人しかいない。日本は差別主義者の国だ」となります。
そのようなことをいわれても困ってしまうわけですが、実際そのような「理屈」を元に移民政策が推し進められています。
結果、アメリカはもはや白人の国ではなくなってしまいました。
そして逆に、「ユダヤ人」は大切なアイデンティティーとして大いに悪用されています。
ドゥル=カルナイン
アレクサンドロス・ロマンスは、紀元後三三八年以前に書かれたとされています。紀元後です。
すでにお伝えしましたが、伝説の中では、アレクサンドロス大王はコーカサスの二つの峰のあいだにある峠まで敵を追い詰めます。
そして神の助けによって、鋼鉄の巨大な壁(門)を建設し、峠を封じます。これでコーカサスの北にいる野蛮なゴグとマゴグどもは、南の平和な土地に侵入できなくなりました。
一三五七年から一三七一年にかけて、騎士ジョン・マンデヴィルの遍歴物語『東方旅行記』が世間に広まりました。
『東方旅行記』は、アレクサンドロスが鉄の壁(門)で閉じ込めた国々を「失われた十氏族」と明確に結びつけています。
これらの山々のあいだに、十の氏族のユダヤ人が囲まれている。人々はゴートとマゴートと名づけられ、どちらにも出てはならなかった。
失われた十氏族がゴグとマゴグと同一視されるようになったのは、十二世紀のころからです。
最初の言及は、聖書学者ペトルス・コメストルの『聖書物語』(一一七〇年ごろ)とされています。
アレクサンドロス・ロマンスの記述には、コーランと似た記述があります。
コーランの十八章にはこうあります。
みなはおまえ(ムハンマド)にドゥル=カルナインについてたずねるだろう。言うがよい、「かれの物語をおまえらに語って聞かせよう」と。
ドゥル=カルナインは、文字通り「二本の角を持つ者」です。
アレクサンドロスに仕えた将軍で、ディアドコイ戦争を戦ったリュシマコス(紀元前三六〇年~)は、シリアのテトラドラクマ銀貨を発行しました。そこには角を生やしたアレクサンドロス大王が描かれています。

アレクサンドロスはまた、聖書に出てくるメディアとペルシャの王を倒す角のある人物と古くから同一視されていました。
ダニエル書の八章にはこうあります。
あなたが見た二本の角をもつ雄羊は、メディアとペルシャの王である。
ヨセフスは『ユダヤ古代誌』で以下のように記しています。
またダニエル書を見せられたとき、ダニエルがギリシャ人の一人がペルシャ人の帝国を滅ぼすと宣言していたので、かれ(アレクサンドロス)は自分自身がその人物であると思った。
ちなみにこのような予言は、後出しジャンケンの可能性があります。
リュシマコスがダニエル書を参照し、「アレクサンドロス大王に角が生えていたことにしよう。そしたら予言が当たったことになるぞ」とテトラドラクマ銀貨を発行したとしたら、かなりガックリきます。
ですがこの前後関係こそが歴史です。捏造もまた歴史の一つです。
ヨセフスの『ユダヤ古代誌』と『ユダヤ戦記』を組み合わせて見ることで、ヤペテ(白人)の息子マゴグはスキタイ人として一般的に知られる「マゴグ人」の始祖、とわかります。
マゴグが建国した国の者たちは、マゴグ人(Magogai)と名づけられたが、ギリシャ人はスキタイ人と呼んだ。
一世紀中ごろのローマの歴史家クイントゥス・クルティウス・ルファスの著書『アレクサンドロス大王の歴史』は、スキタイ人の長老がアレクサンドロスを前にしたときの演説、というかたちで物語を記しています。
しかし、スキタイ人の王は、当時その支配がタナイス川(ドン川)の向こうまで及んでいたので、マケドニア人が川の岸に築いたこの都市が自分たちの首のくびきになると考え、弟のカルタシスという名を持つ者を大軍の騎兵とともに遣わし、この都市を破壊し、マケドニア軍を川から追い払わせようとした。タナイス川は、バクトリア人といわゆるヨーロッパのスキタイ人を分け、アジアとヨーロッパの境界でもある。
ドン川は、コーカサス山脈の北、ロシアの主要な川です。アレクサンドロスは山脈越えを果たしていたわけです。

スキタイ人の長老はアレクサンドロスにこう言っています。
あなたがたは、盗賊(ラトロネス)を襲いに来たと誇らしげに自慢している。しかし、あなたが訪れたすべての(国の)民にとってはあなたは盗賊なのだ!
南対北の構造です。
その後マケドニア軍は敗北しました。なのでアレクサンドロスは、さらなる侵攻を防ぐため、鉄の門でコーカサス地方の通り道を塞ぎました。
コーランに登場するドゥル=カルナインは、地球の東と西に到達した男です。
ドゥル=カルナインは、西に向かい、東に向かい、北に向かいます。そしてそびえたつ二つの峰のあいだにたどり着きます。
そこにはある民族が住んでいました。
ああ、ドゥル=カルナイン様。ヤジュジュとマジュジュがわが国を荒らして困っております。貢ぎ物を差し上げますので、わたしたちとかれらとのあいだに城壁を築いてください。
ヤジュジュとマジュジュは、もちろんゴグとマゴグのことです。
鉄と銅の壁(門)を築いたあと、ドゥル=カルナインはこう言います。
これはみな神様からのお慈悲だ。だが神様の約束が果たされる時(終末の時)が来れば、(防壁は)たたきつぶされるだろう。神様の約束は必ず実現するからだ。
その日(終末の日)、かれらを波のように押し寄せさせよう。その後ラッパが吹かれ、われらすべての民を一つに呼び集めよう。
ドゥル=カルナインは東に旅し、「太陽からの保護を与えられていない人々」に出会います。家がなく裸である、という捉え方もできますが、肌のことを指している可能性もあります。つまり白人です。
イスラム教の伝統によると、ゴグとマゴグは壁(門)ができて以来、地下を掘りつづけているのだそうです。
そしてメシアであるイエスが再臨した際に登場し、地上を苦しめますが、結局はイエスに根絶やしにされます。
実在する鉄の門
鉄の門や終末の時についてこれだけ執拗に書かれると、どちらも真実なのかと考えてしまいます。
実際、アレクサンドロス大王の門たちはいくつか見つかっています。
南ロシアのデルベントには、「カスピ海の門」と呼ばれる建築物があります。


ロシアとグルジアの国境にあるダリアル峠も有力な候補とされています。


ダリアル峠は「アランの門」とも呼ばれています。アランというのはスキタイの部族アラン族のことで、ローマ時代、当時独立していたヒルカニアの王と同盟を結び、コーカサス山脈の「鉄の門」経由で南下し、メディア・アトロパテネに侵入しました。

ヒルカニアは、ダレイオス大王のベヒストゥン碑文(紀元前五二二年)などに記されている古ペルシャ語ヴェルカーナ(Verkâna)から借用したギリシャ語名です。
ヴェルカー(Verkā)は古イラン語で「狼」を意味します。現代ペルシャ語ではgorgです。
またダリアル峠は、のちにお伝えするアラブ(南)とハザール(北)との戦いでも重要な要素となる要害です。
別の説では、カスピ海の南東岸にあるゴルガンの長城と関連づけられています。


ゴルガンの長城は「アレクサンドロスの城壁」とも呼ばれ、百八十キロメートル分は現在も保存されています。
イスラム世界では、アレクサンドロスの城壁を発見しようと、いくつかの探検が行われました。
ムハンマドの後継者、第二代正統カリフのウマル・イブン・ハッターブ(五八六年~)は、アラブのアルメニア征服の際に、アルメニアのキリスト教徒から城壁のことを聞き及びました。そこでデルベントに遠征隊を送りました。
いまも昔も、多くの人間が終末論を信じています。ゴグとマゴグが飛び出してくるコーカサス山脈は、大変重要です。世界の終わりの合図になるからです。
ですがデルベントもカイバル峠もゴルガンの長城も、ググってみるとわかりますが、日本語ではろくな情報がヒットしません。
ヒットしても、記事ではアレクサンドロスの伝説についてはまったく言及されません。伝説は「事実」ではないので省略したのでしょう。そして生年月日、○○の戦い、行った政策、などの教科書的な「歴史」的記述に終始しています。
ですがこれまで見てきたとおり、伝説にはとてつもないパワーがあります。シャンバラを求めてわざわざロシアからチベットに探検する人もいます。
そしてその探検は歴史になります。伝説が歴史をつくったのであれば、伝説もまた歴史の一部です。
歴史はストーリー、物語そのものです。わたしたちは物語の世界に生きているともいえます。
いずれガンというフィクションによって殺されるからです。
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