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数億円バイアウトから3年|僕が「正解だと思っていた選択」を不正解だと確信した理由



■ 3年前、僕は「ゴール」に辿り着いたはずだった

2023年の春。 僕は、都内の銀行の窓口で、新しく記帳された通帳を受け取った。

ペラリとページをめくると、そこには、これまでの人生で見たこともないような、数え切れないほどの「0」がずらりと並んでいた。

歌舞伎町で源氏名を選んだあの夜から、15年。
夜の街での10年と、起業からバイアウトまでの5年を、駆け抜けた末の結末だった。

「これがゴールだ」と、あの日の僕は確かに思っていた。

学歴ゼロ、職歴は「夜職10年」。
そんな僕が、No.2と一緒に月商600万円を叩き出し、10人の社員を抱える会社を作り、一度は社員の8割に裏切られて月商ゼロまで叩き落とされ、そこから這い上がって30人・月商1億に積上げ、最終的に大手企業に事業を売却した。

物語としては、これ以上ない結末だった。

本来、ここで筆を置いていれば、僕は「成功者」として語られる側に立てたはずだ。

しかし、今日この記事を書くにあたって、僕はあえてこう書く。

あのバイアウトは、僕にとって「不正解」だった。

これは負け惜しみでも、ポジショントークでもない。
3年間、自分の心の動きを観察し続けた結果として、僕がたどり着いた偽らざる結論だ。

なぜ「不正解」だと言い切れるのか?
そして、もし時間を巻き戻せるなら、僕は何を選び直すのか?

この3年間で気づいた「成功」と「幸福」の決定的な違いについて、今日は書こうと思う。

これは、いつか「事業を売って楽になりたい」「FIREして仕事から解放されたい」と一度でも考えたことがある、すべての人に読んでほしい話だ。

■ なぜ僕は、会社を手放したのか?

世間に向けては、僕はずっとこう説明してきた。
「結婚して、子供も授かったので、家族との時間を優先したかったから」と。

これは半分本当で、半分は嘘だ。

本当のことを書く。
僕が会社を手放した一番の理由は
「もう一度ゼロからやる気力が、自分の中に残っていなかったから」だ。

【⑬】で書いた、社員の8割が消えた朝。
・あの瞬間、僕の中で何かが確実に折れた。
・折れたまま、僕は会社を再建した。
・記憶のない朝、右手のギプス、月5万円の現金。

当時は1日の睡眠時間が2〜3時間ほどだったこともあり、記憶もあいまいなほど、とにかくがむしゃらにもがき続けていた。

そこから僕は這い上がり、もう一度月商を戻し、最終的に売却までこぎつけた。

外から見れば、見事な再建劇に見えるだろう。

しかし、再建の3年間、僕の中ではずっと、ある声が響き続けていた。

「次にまた誰かに裏切られたら、僕はもう立ち上がれない」

その恐怖が、僕からビジネスを続ける気力を、じわじわと奪っていった。

買収提案が来た時、僕はそれを「家族との時間を選ぶ言い訳」として使った。

本当は「逃げ場所」として、その提案に飛びついたのだ。

妻は「あなたが決めたことなら」と言ってくれた。

僕は通帳に数億円が入る選択をして、社員と取引先を引き渡し、一夜にして「経営者」という肩書きを失った。

そして、その瞬間から、本当の地獄が始まることを、当時の僕はまだ知らなかった。

■ 通帳の数字を見つめた日、僕が感じた「何もなさ」

銀行の窓口を出て、通帳を内ポケットにしまいながら歩いた、あの日のことを、僕は一生忘れないと思う。

桁を確認した瞬間、僕は何を感じたか。

驚き、興奮、達成感――そういうものを、当然感じるはずだと思っていた。

歌舞伎町でNo.1を取った夜
月収1,000万を初めて超えた月
月商1億を初めて達成した日。

あの時のような、内臓を突き上げるような高揚感が来るはずだった。

しかし、何も起こらなかった。

通帳の数字を見つめながら、僕の中に湧き上がってきたのは、たった一つの感情だった。

「……で?」

これだけだった。

「で、僕は今日から何をすればいいんだ?」

その夜、僕は妻(売却まで秘書として支え続けてくれた、創業期からの戦友)と、近所の焼肉店に行った。

祝杯と呼ぶには地味すぎる選択だ。

その時に飲んだビールだけは格段においしかった記憶はあるが、ただそれだけだった。

焼いているお肉を眺めながら、僕は妻にこう言った。

「明日から、何して生きていけばいいんだろうな」

妻は笑った。
「ゆっくりすればいいじゃない」と。

その「ゆっくり」という言葉が、僕の胸の奥に、小さな刺のように刺さった。

歌舞伎町で初めて源氏名を選んだ夜、僕は「ここで終わるわけにはいかない」と歯を食いしばっていた。

起業した夜、僕は「絶対にこの会社をデカくする」と血が滲むほど拳を握っていた。

僕の人生は、いつだって「次の目標」に向かって走ることで成り立っていた。

走ることをやめた時、僕は「自分が何者か」を答えられない人間になることに、その時はまだ気づいていなかった。

翌朝、目が覚めて、僕は天井を見つめた。
通勤する場所がない。
出迎えてくれる社員がいない。
今日決めなければいけない経営判断がない。
電話してくる取引先がいない。

代わりにあったのは、隣で眠っている妻。
それと、見慣れていたが、見知らぬ天井だけだった。

「これが、僕が10年かけて手に入れた景色か」 そう思った瞬間、僕は自分でも信じられないほど、感情の起伏もなく静かに涙が流れた。

それが嬉し涙なのか、悲しみの涙なのか。
当時の僕には、判別がつかなかった。

■ 「育休」と呼んだ3年間の、本当の正体

人に聞かれた時、僕は売却後の生活を「育休みたいなもの」と説明してきた。

確かに、表面上はそうだった。

朝、妻と一緒に買い物をしたり、昼間は近所の公園を散歩したり、夜は残り少ない2人の時間をかみしめるかのように食卓を囲む。

世間が描く「成功した起業家のセミリタイア生活」そのものだった。

しかし、僕の内側では、まったく別のことが起きていた。

僕の中で、何かが、毎日少しずつ死んでいた。

最初の3ヶ月は、まだ高揚感があった。
「ようやく休める」
「ようやく自分の時間を持てる」

と、自分に言い聞かせていた。

しかし半年を過ぎたあたりから、奇妙な感覚が芽生え始めた。

朝、目が覚める。
やることがない。

正確には、「やってもやらなくてもいいこと」しかない。

公園に行ってもいいし、行かなくてもいい。
本を読んでもいいし、読まなくてもいい。
誰も僕を待っていない。
誰も僕を必要としていない。

歌舞伎町時代、僕は毎晩、何百人もの客の中から「指名される」存在だった。

起業してからは、社員が、毎朝僕の判断を待っていた。

その「待たれる感覚」が、根こそぎ消えていた。

一番堪えたのは、元社員からの連絡が、ぱったり止まったことだった。

売却直後の1ヶ月は、彼らからLINEが来ていた。

「お疲れ様でした」
「色々ありがとうございました」
「また飲みましょう」

しかし、半年も経つと、その連絡はゼロになった。

僕が組織から離れた瞬間、僕は彼らの人生の中で「過去の人」になっていた。

冷静に考えれば、当たり前のことだ。
僕はもう、彼らの上司でも経営者でもない。
連絡を取る理由がない。

しかし、頭で理解することと、心で受け入れることは違う。
ある夜、僕はベランダで一人、夜風にあたりながら、ふと自分にこう問いかけた。

「お前は今、誰なんだ?」

答えが出てこなかった。

「失敗二郎」という人格を成り立たせていた、すべての要素――歌舞伎町、起業家、経営者、リーダー――それらをすべて剥がした後に残ったのは、ただ「家にいる男」というだけの存在だった。

妻を愛していなかったわけではない。
むしろ、深く愛していた。

しかし、「愛されている夫」という役割だけでは、 僕という人間は満たされなかった。

これが、僕が3年かけて気づいた、最も残酷で、最も大切な事実だ。

■ 転職コンサルタントとして、僕が見た「成功者の末路」

2年目の冬、僕は転職コンサルタントとして、もう一度社会に戻った。

正直に言えば、最初は「暇つぶし」のつもりだった。
何もしていないという虚無感を埋めるため、なんとなく仕事を始めた。

しかし、その「なんとなく」が、僕の人生を救うことになる。

転職コンサルとして数百人のキャリアに向き合う中で、僕はある共通項に気づき始めた。

特に深く話したのは、僕と同じように「一度は成功した側」に立った人間たちだった。

・30代でFIREを達成した元エンジニア。
・40代でIPOを経験した元CTOや大手上場企業の部長。
・50代で会社を売却した元社長や現役役員。

肩書きを聞けば、誰もが羨むような人たち。

彼らがなぜ、僕のところに「転職相談」に来るのか。
答えは、僕自身が経験したものと、まったく同じだった。

ある50代の元社長は、こう言った。
「会社を売って3億円が口座に入った。最初の1年は世界を旅し
2年目はゴルフ三昧だった。3年目に入った時、自分が抜け殻だと気づいた」

ある40代の元CTOは、こう言った。
「もう働く必要はないのに、なぜか毎朝起きるのが辛い。意味のない一日が始まる、と思ってしまう」

ある30代のFIRE達成者は、こう言った。
「投資の運用益で月100万入ってくる。でも、誰にも『お疲れ様』と言われない毎日が、こんなにキツイとは思わなかった」

僕は彼らに、共通の質問をした。
「もし時間を巻き戻せるなら、リタイアしますか?」

3人とも、まったく同じ答えだった。「リタイアはしない。でも、働き方は変える」

彼らが求めていたのは、「働かない人生」ではなかった。
「自分の意志で、自分の時間配分を決められる働き方」だった。

その瞬間、僕は気づいた。
僕が3年間ずっと感じ続けてきた「不正解」の正体に。

■ 「不正解」だったのは、選択ではなく、ゴール設定そのものだった

3年経った今、僕は明確に言える。

僕にとって不正解だったのは、「バイアウトしたこと」そのものではない。

「バイアウトをゴールに設定していたこと」が、不正解だった。

僕は10年以上、ずっと「ここから抜け出すこと」を目指して走ってきた。

・歌舞伎町から抜け出す。
・極貧から抜け出す。
・労働から抜け出す。
・プレッシャーから抜け出す。

「抜け出した先」に何があるかを、僕は一度も真剣に考えたことがなかった。

ゴールテープを切った瞬間、僕は気づいた。
ゴールテープの向こう側には、何もない。

ただ、走ることをやめた自分が、立ち尽くしているだけだ。

人間は、目的地のために走るのではない。
走り続けるために、目的地を設定する生き物だ。

これが、僕が3年間の沈黙の中で見つけた、たった一つの真実だ。

「お金が貯まったら辞める」
「事業が成功したら引退する」
「結婚したら仕事を辞めて家庭に入る」

そういう「辞めること」をゴールにした人生設計は、ほぼ確実に、たどり着いた瞬間に空白を生む。

なぜなら、人間の幸福の正体は「達成」ではなく「貢献」だからだ。

誰かに必要とされている感覚。
誰かの人生に影響を与えている実感。
自分が社会と繋がっている確信。

これらは、仕事を辞めた瞬間に、まとめて消える。
通帳の数字では、絶対に埋まらない。

■ 今、ひと段落を考えている、あなたへ

もしあなたが今、こんなことを考えているなら、僕は心からこの記事を届けたい。

「あと数年で会社を辞めたい」
「事業を売って自由になりたい」
「FIREして好きなことだけして生きたい」
「子供が生まれたから、仕事をセーブして家庭に入りたい」

その気持ちは、痛いほどわかる。
僕も同じ場所にいた。

その上で、僕は声を大にして伝えたい。

「辞めること」を目的にしないでほしい。

辞めた先の「何をしている自分」を、具体的に設計してほしい。 誰のために、何を提供して、どんな関係性の中で生きているか。

そこまで設計せずに「辞めること」だけを目指すと、あなたは僕と同じように、3年後、見慣れた天井を見つめながら、静かに涙を流すことになる。

転職コンサルタントとして、僕が今、最も多くのクライアントに伝えていることは、たった一つだ。

「いきなりゼロにするな。10を7に減らせ」

仕事を完全にやめるのではなく、自分の時間配分を再設計する。

・週5で働いていたなら、週3にする。
・会社を辞めて、関わり方を「外部顧問」に変える。
・「売却後も顧問として残る契約」を交渉に組み込む。

これが、僕が3年間の代償と引き換えに学んだ、「成功者が幸福であり続けるための、唯一の処方箋」だ。

「程よく働き続ける」こと。

これが、思っているよりも遥かに、人間の幸福を支えている。

■ おわりに:もし、もう一度選び直せるなら

最後に、これだけ書いておきたい。
「バイアウトは不正解だった」と書いたが、僕は今の人生を後悔しているわけではない。

3年間の沈黙があったからこそ、僕は転職コンサルタントとして、誰よりも深く「働くことの意味」を語れる人間になった。

あの空白の3年間がなければ、僕はきっと今でも、「次のゴール」だけを目指して走り続け、同じ過ちを別の形で繰り返していただろう。

人生に、完全な正解も完全な不正解もない。

あるのは、「自分にとっての納得解」だけだ。

もし、あの日に戻れるなら、僕は売却交渉のテーブルで、もう一つ条件を加えるだろう。

「売却後も、僕を3年間、顧問として残してください」と。

そうしていれば、僕は通帳の数字と、走り続ける感覚の両方を、同時に手にしていたはずだ。

しかし、過去は変えられない。

変えられるのは、これから走り出す人たちに、自分の経験を渡すことだけだ。

だから、僕はこの記事を書いた。

あなたが、僕と同じ場所で立ち尽くさないために。
あなたが、ゴールテープの向こう側で、静かに涙を流さないために。

そして、もしあなたが今、「ひと段落」を考えているなら、最後にもう一度だけ問いかけてほしい。

辞めた先の自分は、毎朝、何のために目を覚ますのか?

その問いに胸を張って答えられるなら、あなたの選択はきっと正解になる。

僕がそうではなかったように、あなたが「不正解」と呼ぶ場所に着地しないことを、心から願っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

僕がここに辿り着くまでの全記録は、マガジン「無様な履歴書」にまとめています。

極貧の母子家庭から、歌舞伎町No.1、そしてバイアウトまでの全17話。 ①〜②話は無料で公開していますので、よければ覗いてみてください。

また、僕が歌舞伎町で完成させ、起業の現場でも使い続けた「人を動かす4つのルール」については、別の有料記事にまとめてあります。

人間関係の主導権を、根本から作り直したい方は、ぜひ。

今後、僕が転職コンサルタントとして数百人のキャリアに向き合う中で見えてきた、 「働き続けながら幸福になる人」の共通点について、これから定期的に書いていく予定です。

もし続きが気になる方は、いいね・コメント・フォローしておいてもらえると嬉しいです。

📖 この先の物語で語ること(全17話)

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