千堂武士という男 ~『はじめの一歩』のララパルーザがボクシング漫画史上最高の戦いであることについて~
千堂武士という男がいる。
彼の職業は、プロボクサー。圧倒的なパンチ力によってKOの山を築き、地元である大阪ではカリスマ的な人気を誇っている選手である。
彼の得意とするパンチ、スマッシュはどんな劣勢からでも一撃で形勢を逆転しうる、まさに必殺技と呼ぶべき威力を誇っている。
千堂武士というキャラクターの特徴を端的に述べるとするならば、それは「漫画の主人公のような男」となるだろう。自信に満ちた言動や立ちふるまい。それと同時に隙や抜けた部分も多い、愛嬌に満ちた人間性。リングの上でもその猛々しいファイトスタイルと、防御面での甘さなどから劣勢に回ることが少なくないが、いつだって自身の拳一つで逆境からの活路を切り拓くその姿はまさに「漫画の主人公のような男」である。
事実、彼は『はじめの一歩』という漫画作品に登場する漫画のキャラクターである。しかし、彼は本作の主人公ではない。
「漫画の主人公のような男」である筈の千堂は、本当の主人公である幕之内一歩と二度にわたってリング上で対峙し、そして二度敗れている。
1989年から週刊少年マガジン誌上にて連載が開始され、2025年現在においても連載が継続している少年漫画、『はじめの一歩』。このあまりに長い期間にわたって連載が継続されている漫画作品において、私が確信をもってベストバウトだと断言できるのが、この千堂武士と、幕之内一歩による二度目の戦い、通称「ララパルーザ」である。
なぜ「漫画の主人公のような男」である筈の千堂武士は、『はじめの一歩』という物語においては脇役なのだろうか。なぜ千堂武士はこの物語の本当の主人公である幕之内一歩に一度ならず二度も敗れてしまったのだろうか。そしてなぜ、「ララパルーザ」はボクシング漫画史上に残る名勝負なのだろうか。この文章を通して明らかにしていこう。
西から来た男
『はじめの一歩』に千堂武士が初登場するのは、プロボクシングの全日本新人王決定戦の、東日本の代表である一歩に対する西日本の代表選手としてである。
この一つ前の試合である、東日本新人王決定戦の決勝戦は、幕之内一歩にとって生涯のライバルである宮田一郎を故意の反則行為によって辛くも破った間柴了との因縁の対決であった。そしてこの試合は『はじめの一歩』の序盤のピークと呼ぶべき、白熱した試合となった。結果は、自身の拳を痛めながらも一歩が繰り出す渾身のアッパーによって間柴を撃破し、一歩の快心の勝利によって終わる。
これは本作に限らないことだが、漫画におけるトーナメント戦で最も盛り上がった試合の次の試合というのは、さらなる盛り上がりを作るのが難しいものである。東日本新人王トーナメントが開始される前のプロテストの時点で始まっていた間柴と一歩との因縁がついに決着した試合の次という、漫画の展開的にはなかなかに難しい局面において、千堂武士は登場する。
そして、登場するやいなや千堂は、間柴戦での拳の負傷が原因で試合を辞退するつもりだった一歩に、是非とも試合をするように直接掛け合うために、はるばる大阪から、敵地である東京の鴨川ジムに単身乗り込んでくる。
そこでの千堂のふるまいがすごい。ここで彼は自らの必殺技、スマッシュを試合前に対戦相手に明かしてしまうのみならず、自らが完全にノックアウトされる姿を、一歩と読者の前にまざまざと晒してしまうのである。未知の脅威として描くべき新たなライバルの必殺技や無様にやられる様を、他でもない主人公の目の前で晒してしまうというのはバトル漫画のセオリーからは明らかに逸脱している。
もっとも、千堂がノックアウトされる相手は作中最強のボクサーである鷹村守であるためそれで千堂が弱いという印象には繋がらない。だが、登場していきなり自身の手の内を惜しみなく繰り出し、さらに無様にやられる姿すら晒すそのふるまいは、明らかに従来のライバルキャラクターとは一線を画す印象を読者に残すものとなった。
考えるよりも先に身体が動いてしまい、帰りの電車賃すら持たずに大阪から東京に殴り込みのような形で押しかけ、自身の隠し技のみならず、ノックアウトされる様すらも全てさらしてなお残る底の知れなさと強者のイメージ。千堂武士というキャラクター像はこの登場時点においてほぼ完成していたといっていいだろう。
そんな強烈な千堂という人間の魅力に惹きつけられるような形で、一歩は辞退するつもりだった試合に臨むこと、千堂とのリングの上で戦うことを決意する。
初対決、全日本新人王決定戦
前の試合で痛めた拳が試合当日まで完全には癒えきらない一歩は試合直前に麻酔を打つことで痛みを抑え、試合に臨むことを決断する。そして迎えた千堂と一歩の第一戦目、東西新人王決定戦において、二人は初めてリングの上で相対する。
だが、この試合は、あまりに唐突に幕切れを迎える。
第3ラウンド終わりで一歩の渾身の一撃をテンプルにくらった千堂はその時点で意識を失う。だが、その後も無意識状態で戦い続け、地元の大歓声がゴングの音すらかき消すなかで、一歩をKO寸前まで追い詰める。どうにか試合はレフェリーによって止められ、そのまま戻った自陣のコーナーで座ったまま動けなくなった千堂はその時点での負けを宣告される。結果は、幕之内一歩のKO勝利である
なぜ、千堂と一歩の一戦目はこのような形で決着してしまったのだろうか。
その最大の要因は、拳の怪我の影響のため、一歩がこの試合に向けて万全の準備をすることが出来なかったからだと私は考える。
たしかに拳は使えなくても練習自体はいつも以上にしっかり積んできた。しかし、あくまで本番で拳が使えるかどうか、マイナスの状態をゼロに戻すことに焦点を合わせて試合に臨んでいるため、千堂をどのように攻略するのかという観点での準備はあまり出来ていないのである。
例えば後のヴォルグ・ザンギエフ戦においては、その試合のためのガゼルパンチという新しいフィニッシュブローを習得したが、そのような試合を決定する決め手を、千堂との第一戦目において一歩側は用意していない。これがこの試合が唐突に終わらざるを得なかった最大の要因である。
一方の千堂は事前に晒してしまったスマッシュをさらに改良し磨きをかけている。普通に考えればこの試合は千堂の勝ちである。だが本作の本当の主人公である一歩だってそう簡単に負けるわけにはいかない。
この文章の冒頭において、千堂を「漫画の主人公のような男」と述べた。彼がなぜ漫画の主人公のようなのかといえば、何度倒されてもそこから立ち上がり、より強くなっていくからである。窮地に陥れば陥るほどにその中で成長し、本領を発揮していくまさしく少年漫画のド王道をゆくの主人公のような男だからである。
そんな千堂を真っ向勝負で倒すには、本作の本当の主人公である幕之内一歩はあまりにも準備が不足していた。だからこそ、この試合は唐突な幕切れを迎えるほかなかったのである。
一歩のパンチによって意識を失った千堂と、意識を失っても戦うことをやめない千堂によって、KO寸前にまで追い詰められた一歩。試合自体は一歩の勝利だが、殴り合いの勝負においては千堂が上回ったのではないかというお互いにモヤモヤとした消化不良な部分を残しつつ、二人の初戦は終わる
チャンピオンへの道
全日本新人王決定戦において勝利した一歩は、日本ランキングの10位にランク入りを果たす。そんな彼に日本チャンピオンである伊達英二からスパーリングの誘いがかかる。
そこで一歩はスパーとはいえ初めてリングの上で対峙したチャンピオン伊達英二から脅威のパンチを喰らう。コークスクリューブローで心臓を打ち抜くことで、相手の動きを一時的に完全に止めてしまうハートブレイクショットである。
ボクシング漫画の永久不滅の金字塔『あしたのジョー』の最後に矢吹丈が戦う最強の敵、ホセ・メンドーサが得意とし、以降必ずと言っていいほどにボクシング漫画において強者が繰り出すパンチことコークスクリューブローだが、このパンチは実に漫画に映えるパンチである。シンプルなパンチに回転を加えるだけでなぜここまでカッコよく、一撃必殺感が生まれるのだろうか?
おそらくはコークスクリューブローの変化形なんじゃないかと私個人が勝手に思っている、『ドラゴンボール』のピッコロによる魔貫光殺法や、『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』のヒュンケルが使うブラッディスクライドは、直線的でシンプルな構成の技に回転と貫通力が加わることで異常なまでに殺傷力が高まり必殺技としての風格が増している。
あくまでもボクシングなので実際に人を貫くわけにはいかない『はじめの一歩』におけるハートブレイクショットの、一時的に心臓を止めて相手の動きも止めてしまうというテクニカルな一撃必殺感は素晴らしい。実在のボクシングから逸脱しないようにしながらも漫画的なケレン味を両立させてしまうことが『はじめの一歩』という漫画の非常に優れたポイントだと私は常々思っているのだが、コークスクリューブローのさらなる発展形としてのハートブレイクショットはその真骨頂といっていいだろう。
話を戻そう。伊達英二とのスパーリングにおいてその総合的な実力と、試合を決めるフィニッシュブローの差を見せつけられた一歩は、改めて自身の抱える最大の問い、「強さとは何か」ということが、伊達英二を目標とし、それを乗り越えることで答えが出るのではないかと考える。
そして、その過程でもう一つ、一歩に、山田直道(通称ゲロ道)という後輩ボクサーが出来る。先輩ボクサーとして、日本チャンピオンに挑む挑戦者として、一歩の次なる歩みがここから始まる。千堂の再登場はまだもうしばらく後!
挑戦の始まりとしての沖田戦
次の一歩の公式戦の対戦相手となったのは、日本ランキング5位にランクし、かつ伊達英二と同じジムに所属する選手、沖田佳吾だ。
伊達英二に強い憧れを持つ沖田もまたコークスクリューブローの使い手である。そんな伊達を強く意識したスタイルを持つ沖田は序盤においてはその卓越したテクニックで一歩を苦しめるものの、チャンピオンたる伊達英二に追いつこうとする沖田と、チャンピオンに挑戦し、追い抜こうとする一歩との差が次第に明確化し結果的には1Rで一歩のKO勝利に終わる。
沖田の敗因というか思ったよりもサクッと試合が決着してしまった要因として、コークスクリューブローのさらに応用型であるハートブレイクショットの存在をすでに一歩も読者も知っている以上、コークスクリューブロー単体では試合を決定する決め技としてはすでに弱いものになっていたという点が挙げられるだろう。総合力に優れ、必殺のパンチをも持つ最強のチャンピオンに至る道のりにおいて、一歩の対戦相手にもまた局所的にはそのチャンピオンすらしのぐ「強み」が求められる。伊達英二直系の総合的に優れたボクサーである沖田はその「強み」という点において、既に見劣りする存在だったのだ。
だが、1Rというあっという間に決着がついてしまったこの沖田戦がつまらないかと言えばそういうわけでもない。伊達を尊敬し、だからこそハートブレイクショットのテストのために自分ではなく一歩が練習相手として選ばれたことに嫉妬する沖田。そんな沖田を遠目に見守っていたが最後には、闘志を見せる沖田の姿に思わず声を出して彼を鼓舞しようとする伊達という二人の関係性は胸に迫るものがある。
私は『はじめの一歩』という物語はボクシングの興奮や華々しさを描く一方で、ひたすらにボクシングに打ち込む選手たちの地道さやひたむきさ、そしてそれが必ずしも報われるわけではないという厳しさを描く漫画だとも思っている。ボクシングは甘くはないが冷たいわけでもない。むしろ常にそれを取り巻く人々の熱に満ちている。その苦みを伴う熱をこそ『はじめの一歩』は丹念に描く。だから、ある種通過点とも呼べるこの試合もまた、その沖田の熱を帯びた切実さが、我々の胸に迫る印象的な試合となっているのである。
この試合に限らないことだが『はじめの一歩』では、常にリングに立つ選手たちの「戦う理由」が問われる。そしてそれこそが勝負がギリギリの極限状況に達したときの勝敗を分ける要因となる。この試合では伊達に追いつこうとする沖田と、伊達を追い抜こうとする一歩という「戦う理由」の違いが明暗を分けた。ボクシング選手の技術と気持ちという二つの面での激突を描き、それが一試合ごとに厳しさを増していくとともに、『はじめの一歩』という作品のテンションも右肩上がりに上昇していくのである。
スピードスター、冴木戦
沖田戦に勝利し、日本ランキング5位にランクアップした一歩は、A級ボクサートーナメントに出場することを決める。そのトーナメントで優勝すれば、チャンピオン伊達英二への挑戦権が得られるからだ。そして次なる一歩の対戦相手は日本ランキング2位の冴木卓麻である。
この試合は、釣り船屋を営む一歩の母親が過労によって倒れ、一時はボクシングを続けることすら危ぶまれるという状況から始まるが、親友の梅沢の助けによってどうにか復帰し、冴木戦に臨むことは出来た。この準備不足で試合に臨むこの事前の状況は、痛めた拳の回復に焦点があてられた千堂戦にも近いものがある。だが、力と力のぶつかり合いでありお互いが追い込まれるほどにより力を発揮する千堂戦と、スピードとパワーという異なるベクトルの勝負である冴木戦はかなり趣が異なる試合となった。
結果から振り返ってみれば、一歩がここまで窮地に追い込まれた試合もなかなかないだろう。スピードで圧倒する冴木にはとにかく一歩のパンチが当たらない。逆に」フリッカージャブを駆使する冴木のパンチは的確に一歩の視野を奪っていく。そこから一歩の視界の外側からの一方的な攻撃によってKO寸前まで一歩を追い詰めながらも、その視界の外側に出るまでの一連のリズムを読み取ることでついに一歩は渾身の一撃を冴木に浴びせることに成功する。
そこまでは、一歩のパンチをギリギリのところでかわすことで極上のスリルを得ていた冴木だが、フェザー級で最も強力とも言われる一歩のパンチの直撃を喰らってしまうことで、状況は一変する。
アマチュアの試合では得られなかったスリルを求めてプロのリングを選んだ冴木だが、あまりに規格外の破壊力を持つ一歩のパンチはそんなスリルを超えた恐怖に変えた。そこから試合は徐々に一歩のペースとなり、最終的には一歩の逆転KO勝利で終わる。
幕之内一歩とは本当に対戦相手からすれば嫌な相手である。途中までほぼパンチをもらわず、一方的な展開だったにも関わらず、ほんの少しの糸口から冴木はあっという間に逆転されてしまった。それまでの判定での有利などまったく意味をなさない問答無用のKOによってだ。そしてどれほどの劣勢に立たされたとしても一歩はあきらめることを知らない。ほんの少しでも光明があれば、それを無理やりこじ開けるような形で逆転してしまう。
一歩の戦歴の中でも屈指の苦戦を強いられた試合であると同時に、一歩の厄介さを印象付ける形で冴木戦は幕を閉じる。だが、この時、一歩の強烈なパンチに覚えた以上の脅威と恐怖を冴木はその後、千堂との試合において体験することになる。
後輩との別れとリバーブロー
冴木戦に辛くも勝利した一歩だが、その試合の後に一つの転機が訪れる。後輩、山田直道との別れである。
単行本13巻、110話にて初登場した彼は150話で母親の引っ越しのために鴨川ジムを辞め、作中のレギュラーキャラクターからも外れることになる。登場してたったの40話で退場というあまりに短い登場期間であり、非常に唐突な印象を受けるのだが、この別れのエピソードは『はじめの一歩』という作品全体にとって非常に重要な意味を持っている。
なぜなら、幕之内一歩がもっとも得意とし、勝利のための活路を何度となく切り拓いてきた彼にとってのもっとも重要なパンチであるリバーブローに明確なスポットが当てられるエピソードだからだ。
沖田戦でも述べたように、『はじめの一歩』という漫画はボクシングの派手さや華々しさを描く一方で、日々の泥臭い努力であるとか、地道さを丹念に丹念に描く漫画でもある。幕之内一歩は一撃で試合をひっくり返す強力なパンチを持ちながらも同時に、一発一発の積み重ねによってより強力な効果を発揮するボディブローを誰よりも得意とするボクサーでもある。そんな彼を象徴するパンチこそがリバーブローだ。
少年漫画の主人公としては地味めなキャラクターである一歩の、さらに華のない地味な後輩として山田直道を登場させたのは、その地道さ、愚直さにこそ作品を通して焦点を当てたかったからなのではないかと私は考える。だから山田直道は一歩の放つどんなド派手なKOパンチよりもリバーブローに感銘を受ける。
山田直道をジムから送り出すときに行われる、先輩たち全員とのスパーリングという鴨川流の送別会において、一歩は渾身のリバーブローを山田に放つ。
そんな山田は連載のだいぶ後になって再登場するのだが、それはまた別の話だ。ここで明確に一歩の強力な武器として位置づけられたリバーブローは後のヴォルグ戦、伊達英二戦、そしてなにより千堂武士との再戦にて大きな役割を担うことになるのである。
「プレ・ララパルーザ」としてのヴォルグ戦
山田直道との別れを経た一歩の次なる対戦相手はロシアからやってきた元アマチュア世界チャンピオン、ヴォルグ・ザンギエフだ。
先に結論から言ってしまうと、このヴォルグ戦は後の伊達戦、千堂戦とも並ぶ名勝負とある。そうなった要因として、ホワイトファングと呼称されるアッパーと打ち下ろしの二つのパンチを瞬時に繰り出す必殺のコンビネーションを持つヴォルグに対し、この戦いのための新技、ガゼルパンチを一歩陣営も用意してくることで、必殺技対必殺技の攻防という非常にわかりやすい構図が生まれた点が挙げられるだろう。
この構図は後の千堂との試合とのスマッシュとデンプシーロールの攻防という点で共通している。さらに他にもいくつかの点で共通する部分もあり、実はこのヴォルグ戦は後になってから振り返ってみると、プレ・ララパルーザとでも呼ぶべき試合になっていると私は考えている。
お互いの持つ必殺技によるダウンの応酬、両者ともに限界を超えて力を振り絞ることによってそれぞれの想いが結晶化し、戦う以前は到達しえなかった境地に至ることで単なる勝敗を超えた余韻を残すこのヴォルグ戦は素晴らしい。特に対戦相手のヴォルグは、戦う前と戦った後ではボクシングへの向き合い方のみならず、自分の生き方、もっと言えば己の世界に対する向き合い方に大きな変化が起きる。生きるための手段に過ぎなかった筈のそんな一人の人間の内面が大きく変化、成長していくプロセスを、ボクシングの試合を通して描くことにこの試合は成功している。
おそらくはこの試合があったからこそ、のちの千堂戦がより素晴らしいものになったのだと私は考える。作中で選手たちが成長していくように、漫画家もまた連載を継続していく過程において成長していく。このヴォルグ戦以降、『はじめの一歩』という漫画は、一段高いステージへと到達し、名試合、名勝負が連発される黄金期へと突入していく。
王者伊達英二戦、そして初の敗北
激闘だったヴォルグ戦を制し、チャンピオンへの挑戦権を得た一歩の次戦は満を持しての伊達英二戦へと望む。
この試合は当然、伊達英二の必殺ブローである「ハートブレイクショット」をめぐる攻防戦となるわけだが、命中したが最後、無防備な状態で相手のパンチを喰らわざるを得ないハートブレイクショットは一撃で試合の行方を左右する。であるが故に一歩側は心臓の手前、左上のガードを極力降ろしたくはないのだが、一歩の得意ブローであるリバーブローを放つ時、心臓の前はがら空きになる。そのことを事前に把握済みの一歩陣営は距離が必要なコークスクリューブローが放てないほどの至近距離でもボディへのパンチが放てるように鍛錬を重ねる。
この至近距離のボディブローVS距離を空けてのスクリューブローの攻防がこの試合の焦点になるのだが、それとは別に、伊達英二との試合を決する上での大きなポイントが存在する。
それは、なぜ二人はボクシングをするのか。というボクシングに向き合う上での根本的な問いかけである。
当時「はじめの一歩」が連載していた90年代という時代において、「貧困」というテーマはリアリティを失っている。生きるために戦うことが必要となるのは、間柴のような若くして両親を失うなどのかなり限定された境遇においてでしかない。しかし、当時のボクシングというかスポーツ界全般において、競技をする上での選手寿命は、2026年現在よりも明らかに短い。だから今になって考えれば全然若い28歳という伊達英二の年齢は、ボクサーとしては崖っぷちだし、まだまだ20代前半の一歩はまだやり直せる年齢ということになる。だが、ここでなにより重要なのは、両者ともに経済的な理由などではなく、なぜリングの上に立ち、ボクシングをする必要があるのかという戦いに向き合う根本の動機についてである。強いとは何かを探求する一歩と、己が己であるために一度は戦いの場から降りながらも再び戻ってきた伊達英二の「戦いに臨む理由」を巡る戦い、これこそがこの試合最大の争点なのである。
そしてその結果は、伊達英二に軍配があがる。
半ば意識を失っても戦うことを止めない一歩は、その朦朧とした状態だからこそ鍛錬に鍛錬を重ねた自身の「素」のパンチ、すなわち伊達英二が待ちにまった心臓部分のガードが下がったリバーブローを放ってしまう。そこ一瞬の隙をハートブレイクショットで撃ち抜かれ、それと同時に鴨川会長によってタオルが投げ込まれる。ハートブレイクショット後の返しの一撃を打つまでもなくそのまま一歩は崩れ落ち、行動不能となる。完膚なきまでのKO負けである。
敗戦の後、一歩自身が痛いほどに気づかされてしまうのは、伊達英二との勝利に対する「向き合い方」の差である。一歩は「強さ」とは何かということの答えを求めながらひたむきに努力し、試合にも勝利し続けていたが、あくまでも師匠である鴨川会長に叱咤されながら試合に臨むケースが大半だった。ヴォルグ戦において、敗戦したヴォルグは自分の中に眠っていたボクシングへの熱意に気づくが、一歩はただひたすらに会長に指示されるがままに従順に戦い続けた結果として勝利したという点において、自分で考えて戦いに臨んでいるわけではないのである。
それでも結果的には試合に勝利し続けたのだから一歩のボクシングに対する想いは決して弱いというわけではない。むしろ伊達英二戦に至っては意識を失いながら戦うことを止めないのだから恐ろしいほどの試合にかける執念を幕之内一歩は持っている。しかし、王者伊達は一歩と同等、もしくはそれ以上に追い込まれながらも明確に勝利への道筋を見据え続け、勝利に向けての思考を止めず、意識を半ば失っても戦うことを止めない一歩の歩みすらも断ち切る渾身の一撃、ハートブレイクショットを撃ち抜いた。半ば意識を失っても戦い続けるモンスターのようなボクサーを超えるのは、同等以上のダメージを負いながらそれでも勝利の道を見据え、自分の意思を拳に乗せて貫き通すボクサーなのである。
一歩にとって初の敗戦という結果によって、千堂との第一戦目以降から始まった、一歩の王者挑戦の道は終わる。そして、物語は一つの節目を迎え、再び物語に姿を現すキャラクターこそが、千堂武士その人である。皆様大変お待たせしました。
ここからこの長すぎる文章の本題たる千堂武士との第2戦目「ララパルーザ」へと至る道のりがついに始まる。
ヴォルグVS千堂
伊達英二に一歩が勝利した暁には、満を持しての再戦の挑戦状を叩きつけるつもりだった千堂だが、その目論みは一歩の敗北によって空振りにおわる。
だが、伊達英二が王座を返上し、世界へと歩みを進めたことで、空位となったチャンピオンの座を巡り、千堂とヴォルグの試合が決定する
すでに述べたように、ヴォルグ・ザンギエフと一歩との戦いは『はじめの一歩』という作品全体の中でも一つの節目となる重要な試合である。なぜならこの試合では、主人公の一歩以上に対戦相手であるヴォルグが試合を通じて変化、成長する様が描かれるからだ。
この試合によって、ヴォルグ・ザンギエフというボクサーは、単なる一歩の前に立ち塞がったライバルを超えた、自身の物語を生きる人物になっている。そしてそれに対する千堂もまた、自身の物語を生きる、一歩とはまた別の形での主人公のような人物である。一歩が伊達英二というチャンピオンに挑む過程において、大きく成長したのは一歩だけでない。共に競い合うライバルたちもまた成長している。
そんな二人が激突し、そしてどちらかが勝利し、どちらかが敗北するのだから、この試合が盛り上がらないわけがない。
そうして始まったこの試合は、内容面ではヴォルグが終始優勢で進めることなる。しかし、劣勢に追い込まれながらも自身のボディブローが確実に相手に効いていることに気づいた千堂がここぞの場面で放つ、利き腕である右腕から放たれるスマッシュによって一撃で形勢は逆転する。だが、ここで試合は終わらない。一歩の試合を通して自身のボクシングに懸ける情熱に気付いたヴォルグは絶体絶命の状況から立ち上がり、試合は続行される。
結果的には最終ラウンドに、スリップかとも思われた微妙なダウン宣告を受けたヴォルグの判定負けに終わり、千堂が勝者になる。しかし、双方にとってお互いの強さを認め合いながらも結果には不完全燃焼な部分を残してしまう。
この試合に誰よりも納得がいってないのは千堂自身である。だが、敗北を受け入れるしかないヴォルグは日本に呼ばれた外国人ボクサーとしての商品価値を失いロシアへの帰国が決まる。誰よりも切実な理由をもってボクシングに臨んでいたヴォルグ・ザンギエフは、幕之内一歩、千堂武士という二人のボクサーとの対戦を通して大きな成長を遂げながらも、ボクシング界からの退場を余儀なくされる。これもまたボクシングというスポーツの厳しさである。とはいえ後に彼はカムバックを果たすことになるのだが、それについてはこの文章では触れないでおこう。
不完全燃焼な部分があったとはいえ、この試合の経て千堂はついに日本チャンピオンのベルトを戴冠する。幕之内一歩を迎え撃つべく準備は整いつつある。だが、二人の対戦はまだもう少し先である。
爆誕!デンプシーロール
千堂がヴォルグとの激戦を辛くも制し、日本チャンピオンの座についた一方で、幕之内一歩もまた敗戦からの再起戦に臨もうとしていた。
そんな大事な試合を前に、一歩の師匠である鴨川会長が疲労により倒れてしまう。重要な再起戦において、一歩は自分自身で「考える」必要性に迫られる。そしてこれこそが今までの一歩に足りない部分である。
師匠であり、自身のボクシングにおける「頭脳」とも呼べる鴨川を欠くことによって一歩は自分自身の考えで、最も自分にふさわしい必殺技を編み出そうとする。
彼は確かに圧倒的なパンチ力をもっているボクサーである。だが、その強力なパンチ一発で試合を決することが出来たことはほぼない。多くの試合において、地道なパンチの積み重ねによって一歩は勝利を得ている。その点においてはスマッシュという一撃必殺の威力を誇るパンチを持つ千堂と対照的であるとも言えるだろう。
そんな積み重ねのボクサーである幕之内一歩にふさわしい戦い方、ふさわしい必殺技とはなんだろうか。そのような自問自答の果てに、一歩は一つの答えを出そうとする。
タイからやってくるという、事前の情報が得られにくい対戦相手に不安を覚えながら迎えた復帰戦において、一歩の豪腕をものともしない異常なタフネスを誇る相手を前にし、第2ラウンドの開始前にセコンドの鴨川達にむけて、一歩らしからぬKO予告をする。そして、その予告通り、これまでの一歩が見せたことがないコンビネーションパンチを対戦相手に叩き込むことで、見事な一歩のKO勝利で試合は終わる。そしてそれを見た鴨川の脳裏には1920年代アメリカンボクシング、古代のブローの名前が浮かぶ。
デンプシーロール。それが一歩が遂に己の力で、己の考えで編み出した必殺技の名前だ。
左右に体重移動を繰り返し、∞の軌道を描きながら前進しつつ絶えず左右のフックを浴びせ続けるこの技は、一度敵を捉えたが最後、一歩の強力なパンチを倒れるまで浴びせ続ける恐ろしい技である。単発でも十分強力な一歩のパンチが絶えず連続して浴びせかけられるデンプシーロールは、積み重ねのボクシングをモットーとする幕之内一歩にとってもっとも彼らしい、彼が遂に手に入れた「必殺技」である。
一歩はこの連続攻撃がかつてのヘビー級チャンピオンが得意とするデンプシーロールと呼ばれていたことを知らなかった。あくまでも自身の努力、自身の考えの末にこの技を編み出したという点において、ヴォルグ戦に備えて鴨川より伝授されたガゼルパンチとは大きく異なる。デンプシーロールは一歩による一歩のための必殺技であり、自身のボクシングにかける情熱や勝利への意思の全てが込められているのである。
すでに述べたように、千堂との第1戦目における最大の問題点は、拳の回復に多くの時間を割かざるを得なかったことによる一歩側の準備不足にあった。
デンプシーロールを体得することによってこの第1戦目の問題点は完全に解消されたと言っていいだろう。リング上でデンプシーロールを浴びせられたら最後、どんな相手であろうとただでは済まない。対する千堂のスマッシュは一撃で試合を決する威力を有している。そんなお互いの必殺技を巡る攻防戦こそが、もうまもなく開幕する二人の二度目の戦い「ララパルーザ」の最大の焦点となるのである。
第二の師、猫田との出会い
新技にして必殺技、デンプシーロールを開眼することで千堂との決戦に向けての準備を着々と整える一歩陣営に対し、千堂陣営はそれをも上回る勢いで歩みを進めていく。
かつて一歩をKO寸前まで追いつめたスピードスター、冴木卓麻を対戦相手に迎えての初の防衛戦を行い、なんと1ラウンドでKOしてしまうのである。
実力もファイトスタイルも近しい一歩と千堂だが、冴木戦において序盤はことごとくパンチが空を切り、絶体絶命のピンチの末に辛勝した一歩と対照的になぜこのような短時間で千堂は冴木を仕留める出来たのか。そして、試合を直接観戦していた鴨川に千堂は自分にはデンプシーロールは通用しないと告げる。そして、それは一歩もまた薄々は感じていたことでもあった。
この冴木を瞬殺した謎と、折角の新必殺技が通用しないのではないかという不安を抱えつつ、一歩たち鴨川ジムの面々は毎年恒例の夏の合宿へと突入する。
この合宿は、鴨川の旧知の親友である猫田銀八が経営する山中での合宿となった。そこで一歩はデンプシーロールは後退する相手には抜群の効果を発揮するが、前に前に出てくる相手にはそもそも技自体が出せないという問題を鴨川より突きつけられる。これにより千堂と一歩の戦いの争点はよりシンプルになった。千堂を後退させなければデンプシーロールは出せない、であるならば千堂を後退させることに成功すればその時点で一歩の勝ちだ。だが、言うまでもなく試合中に千堂を後退させるなど至難の技である。
そして、この合宿では、千堂があの冴木を瞬殺できた要因をジムの先輩、鷹村の実演によって知らされる。その正体は実にシンプルなフェイントである。しかし、殺気が込められて本物のパンチが来るとしか思えないそのフェイントが如何に恐ろしい効果を発揮し、そしてそれが千堂や鷹村だからこそ出来ることであって、一歩には出来ないであろうことも身をもって知ることとなる。
一歩は自身のパンチを直撃させることで初めて冴木に恐怖の感情を植え付け、その速すぎるリズムを崩すことが出来た。だが千堂はそのパンチを当てるまでもなくその生来の殺気とそこから放たれるフェイントのみで冴木を、そして試合を支配してしまう。両者ともに強力なパンチを誇るボクサーだが、そこに込められた殺気の質においては大きな隔たりがあることを一歩は思い知らされる。
だが、そこで一歩は猫田によって、自らの師匠、鴨川源児が猫田との闘いにおいて放たれた、殺気とは別の気迫の存在を教わる。この猫田との出会いと教えこそが、やがて訪れる千堂との決戦に大きな意味を持つことになる。
ほかにも鷹村と熊との命がけの真っ向勝負など、さまざまな出来事が起こりながらも、一歩にとって大きな収穫を得る形で、鴨川ジムの一行は夏の合宿を終え、東京へと戻る。
まさかの苦戦、VS茂田戦
山中での合宿を終えた一歩を、鴨川ジムにて待ち構えていたのは、フェザー級4位にランクする新進気鋭のホープ、茂田だった。合宿から帰って早々に茂田とのスパーリングをした一歩は茂田のリズムに全く対応することが出来ず、終始茂田に圧倒されたまま、スパーは終わってしまう。それは合宿での疲労がピークであることなどを考慮すれば仕方のないことでもあるのだが、本当の問題は、茂田が次の千堂の対戦相手であるということだ。
伊達戦以降、一歩がデンプシーロールを爆誕させた再起戦の1試合のみで、千堂戦に臨むのに対し、千堂側は、ヴォルグ戦、冴木戦、そこからさらに茂田戦と3つの試合を経ようとしているのである。
そして、普通に考えれば、満を持しての一歩との再戦を控えた因縁のライバルの直前の試合というものは、決戦を前にしたライバルの強さを見せつけるための前哨戦なのだから、大抵は圧勝で終わるものだ。そうならないのだとすれば、宮田を倒した間柴のようにかなり前から不穏な空気を放つ選手として登場しているものである。だが、そういったテンプレ通りには進まないのが、千堂という「漫画の主人公のような」ボクサーなのである。
そう、ヴォルグ戦のみならず、この茂田戦においても千堂は思いっきり苦境に立たされる。右利きのサウスポースタイルという意表を突いたボクシングをする茂田に序盤からペースを握られ、一度はダウン寸前にすら追い込まれるほどの窮地に千堂は追い込まれる。しかし、脇役であるはずなのに「漫画の主人公のような男」でもある千堂は、窮地に陥れば陥るほどにその本領を発揮し始める。
追い込まれた千堂は、ヴォルグ戦の反省から鍛えに鍛えた脚力をようやく使いこなせるようになる。そこから形成は一気に逆転し、結果的には圧倒的な千堂のKO勝利で試合は終わる。
なぜ一歩との決戦の前に、千堂と茂田の試合は行われる必要があったのだろうか。強くなった千堂を示すという意味では、終始千堂が圧倒した冴木戦でも十分だった筈だ。主人公と戦う前に窮地に追い込まれ悔しがる姿を見せてしまうのは、ライバルとしての格を落とすことにもつながりかねない。しかし、ヴォルグ戦での反省点の解消以上に重要な点が一つある。
この試合で負けた茂田は、終盤において素直にダウンすることすら許されず、あと一歩で勝利に届きそうだったことの口惜しさからセコンド側からタオルを投げることもためらわれ、試合時の記憶が無くなるほどに千堂の強烈なパンチを浴び続けてしまう。
その代償として、彼はボクサーとして完全に「壊れて」しまう。
拳が顔面に近づいただけでおびえた反応をするのを見た鴨川は、茂田のボクサー生命が絶たれてしまったであろうことを一歩に告げる。千堂とは、試合を通して対戦相手に恐怖を植え付ける恐ろしい王者になりつつあることも。一歩の対戦の直前に茂田戦が組まれた意味、それは千堂側が意図したわけではないのだろうが、この恐怖の記憶を一歩に刻み込むためにあったのである。そしてこの千堂によって対戦相手に植え付けられる恐怖の感情こそが後の一歩との再戦でも重要なポイントとなるのである。
ともあれ、茂田戦を制した千堂は、次の対戦相手として幕之内一歩を指名する。対する一歩もそれを受け入れ、ついに二人の再戦が正式に決定する。場所は東京、後楽園ホールだ。
高揚する2人のボクサー
決戦を前に、ジャーナリストの飯村真里の取材を通して、二人の試合への意気込みが語られる。
ここで、千堂は両親とすでに死別していることや、たった一人の家族であるの祖母の存在など、彼の生い立ちが掘り下げて語られる。尊敬する父親との別れを経て、自分も父のように誰よりも強くあろうとし、やがて道を踏み外しかけたことも。
そしてスパーの様子まで公開し、自身の仕上がり、そしてデンプシーロールへの対策も万全であることをアピールされる。そして最後に千堂から、最高の気分を味わえながら不本意な結末を迎えてしまった一戦目の続きが出来ることを、勝ち負けを超えた次元で待ち望んでいるということが語られる。
それは対する一歩も同様だ。両者の戦いは勝ち負けやベルトを超えたところに存在するということが一歩からも語られる。そして、そんな試合を前に、一歩は静かに高揚する。一歩もまた、千堂と同等、もしくはそれ以上に再戦を熱望している。それはすでに両者の口から語られたように勝ち負け以上の価値がこの試合にはあるからだ。二人がボクシングを通して求め続けた「何か」が得られるかもしれないという予感があるからだ。
計量を問題なく通過し、後楽園ホールで再開した二人は握手を交わす。ここまで本当に長々と文章を書いてきたが、ついに二人の二度目の戦い、ララパルーザが始まる。
「ララパルーザ」開幕
満員に埋まる後楽園ホール、興奮を抑えきれない両者がリング上で相まみえ、試合開始のゴングが鳴る。
火蓋が切られた二人の試合は開幕初手から凄まじい展開を迎える。
先手を打ったのは一歩だ。なんと、試合が始まるや否やこの日のために編み出した必殺技、デンプシーロールを放つ。この完全に対戦相手の虚をついた奇襲攻撃は見事に成功し、千堂はなんと1Rの開始早々にしてダウンしてしまう。
そしてここが千堂というキャラクターの本当にすごいところなのだが、このダウンが出合い頭に尻もちをつくような形でのダウンではなく、KOしてもおかしくないほどにダメージを受けた深刻なダウンであるところだ。ここまで丹念に盛り上がりをセッティングしてきたライバルキャラクターを序盤からここまで追い詰めて、それでも格が落ちないのは千堂以外には考えられない。序盤のこの展開は千堂への絶大な信頼抜きにはあり得ない。なんとか立ち上がった千堂は、さらにだめ押しで繰り出されるデンプシーロールに対しても対応しきれず、再びダウン寸前まで追い詰められる。
二度目のダウン寸前のところをロープにつかまってなんとか持ちこたえた千堂は、ダウンを予期して一瞬の隙を見せた一歩への反撃を開始する。そして三度デンプシーロールを繰り出そうとした一歩を、千堂は茂田戦で見せた脚力を駆使し、なんとかパンチが放たれる手前で止めることに成功する。そしてこれ以降、前進を止めない千堂に対して一歩は試合の最終局面までデンプシーロールを放つ機会を失う。
そこから千堂は渾身のスマッシュを放ち態勢を立て直したところで、千堂と一歩、お互いが向き合っての打ち合いが始まる。目まぐるしく攻防の主導権が入れ替わり、最後は正面きっての真っ向勝負へと至るこの第1ラウンドは何度読んでも本当に素晴らしい。全ボクシング漫画史上最高の1ラウンドではないかとすら思う。千堂は窮地から何とか脱したが、劣勢を挽回出来たわけではない。一歩だって圧倒的優位に立ちながらもこれで試合が終わるとは全く思っていない。互いの実力を惜しみなくぶつけ合う形で、このラウンドは終了する。まだまだララパルーザは始まったばかりだ。
植え付けられる恐怖
第2ラウンドが始まってからも両者の打ち合いは続き、会場のボルテージは再び最高潮に達する。しかし、そこから徐々に形勢は千堂側に傾き始める。鷹村、そして鴨川会長によって語られるその要因は両者の「体格差」である。もともと試合前の減量がほぼ不要な一歩と、それ相応の減量をした上で試合に臨む千堂では計量から一夜明けてしまえば両者の体重差、すなわち蓄えているエネルギー量に大きな差が生じるのだ。
互角の打ち合いに見えていた試合は、次第に千堂のパワーが一歩を圧倒し始める。千堂の放つ威力と威圧に、一歩はガードを固める以外の選択肢を失う。だがガードを固めたくらいで防げるほど千堂の破壊力は甘くはない。それどころかガードを超えて威力が伝わる千堂のパンチの圧倒的な威力を前に、一歩は恐怖の感情を植え付けられる。そしてそれは、千堂陣営の思惑通りの展開だった。
そのまま第2ラウンドは千堂が主導権を握る形で終わる。そしてこのラウンドで一歩が受けた身体面以上に、精神面のダメージはそう簡単には回復しない。一歩が恐怖の感情で支配されたまま、試合は前回の戦いでは決着のラウンドとなった第3ラウンドを迎える。
さらに攻勢を強める千堂は、冴木を1ラウンドで仕留めた殺気が込められたフェイントを駆使し、さらに一歩を追い詰める。完全に戦う気力が萎えてしまっている一歩を前に、千堂は大いに失望し、試合を終わらせようとする。
だが、意識を失ってなお戦うことをやめない不屈のボクサーである一歩の、ここまで努力してきた成果を全て出し切る前には終われないというあきらめの悪さがKO寸前のところで発揮され始める。本作の主人公である一歩もまた窮地に追い詰められれば追い詰められるほどにその本領を発揮していく。
千堂がとどめのスマッシュを放とうとしたその瞬間、一歩から放たれるパンチの気配に、思わず千堂は後ずさりをしてしまう。なぜ千堂はKO寸前の一歩からパンチが放たれる気配を感じたのか、なぜ一歩は使えなかった筈の殺気が込められたフェイントと同じことが出来たのか、そして絶体絶命の状況の中で一歩は何をしようとしていたのか。いくつかの謎を残しつつ、第3ラウンドは終了のゴングが鳴らされる。
幕之内一歩、唯一にして最大の武器
辛くも生き延びたとはいえ、防戦一方だった一歩の状況に変わりはない。
意識も朦朧としはじめ、突破口の見えない一歩に猫田がこっそり連れてきた愛犬ハチの一吠えが耳に届く。そのどう見てもいろんな規則に違反しまくってるハチのおかげで、一歩は自分がこの試合に向けて積み上げてきた、自身の努力の足跡を思い出す。やはり一歩は積み重ねのボクサーであり、その積み重ねの厚みが自分を保つ源泉なのである。
一つ一つの丹念な努力の積み重ねによってさらに先を目指し、立ち塞がる分厚い壁すらも突き破る幕之内一歩の歩みをとめないその姿勢を、鴨川会長は「勇気」と呼称する。そしてそれこそが幕之内一歩の唯一にして最大最強の武器であると。
どうにか本来の自分を取り戻せた一歩だが、すぐに始まる第4ラウンドにおいて、千堂から放たれる威圧感にも臆せず打ち合えるようになる。かといってそこですぐさま形勢が逆転するわけはない。あくまでも互いに打ち合えるようになったというだけのことだ。
前のラウンドに続き攻勢を強める千堂はさらにボルテージを上げ、ヴォルグ戦でも放った渾身の利き腕である右のスマッシュを放つ。ガードごと吹き飛ばすほどの圧倒的なその破壊力によって一歩は再びコーナーまで追い詰められる。コーナーで今にも崩れ落ちそうな一歩にとどめを刺そうとしたその直後、リングにヒザをついたのは、一歩ではなくなんと千堂である。
立つ力すらも失っていたかと思われた一歩だが、それは反撃の一手の予備動作だったのだ。
追い込まれた一歩が放ったのはガゼルパンチ。ヴォルグ戦のフィニッシュブローとなったこのパンチが千堂に土壇場でクリーンヒットする。千堂は圧倒的な優勢からのまさかの二度目のダウンをしてしまう。
初回に続きこのダウンもまた、KO寸前まで効いてしまっている本当にヤバいダウンであるところが重要だ。ここでガゼルパンチをものともしない強さを千堂が見せてしまうと、ガゼルパンチやそれで倒されたヴォルグの格が落ちてしまうのだが、この試合においても思いっきり効いているからそうはならない。
かつての必殺技をそう簡単には型落ちさせないバランス感覚がこの試合というか、『はじめの一歩』という漫画全体のクオリティを維持している。だが、同時に一歩はどれほど強力でも単発のパンチでは千堂が倒せないことを確信する。つまり、この試合の決着にはやはりデンプシーロールしかないと。
なんにせよ、KO寸前まで一歩を追い込んだにもかかわらず逆転されてしまった千堂にはもはや余裕など微塵も存在しない。かといって起死回生のダウンを奪った一歩だって追い込まれていたことには変わりない。第4ラウンドにしてお互いがお互いの全力を発揮し、両者崖っぷちにも追い込まれたことで、試合は未曾有の領域に突入していく。
漫画の主人公のような男
多くの少年漫画の主人公は、立ちふさがるライバルとの戦いにおいて、往々にして窮地に追い込まれる。その逆境を跳ね返そうとすることでその主人公はさらに強くなる。その戦いと成長の連続の果てにやがては大きな何かを成し遂げる。だからいつだって少年漫画の主人公の前には、次々に強大な敵が立ちふさがる。
では、窮地に追い込まれれば追い込まれるほどにその真価を発揮するのが少年漫画の主人公なのだとしたら、同じように窮地に陥れば陥るほどにより強くなっていく少年漫画の主人公のようなライバルが現れたとしたら、両者の戦いはどのような形で決着がつくのだろうか。
千堂とは、そのような一種の思考実験を具現化したかのようなキャラクターである。そして『はじめの一歩』という作品は、この問いに対してこれ以上ないほどに誠実に、愚直に向き合った作品であると私は考えている。だからララパルーザは、どこまでも濃密且つ具体的に、一つ一つのパンチまで余すところなく描かれる。
第5ラウンドを迎え、一歩も千堂もどちらも極限の状態に追い込まれている。それゆえに両者ともよりその本領を発揮し、限界を超える準備もまた整っている。なぜなら両者はどちらも逆境に追い込まれるほどに強くなる「漫画の主人公のような男」だからだ。
だが、この時点においてより追い込まれているのはすでに2度ダウンをしている千堂である。つまりこのラウンドにおいて自身の限界を超え、より強くなる必要に迫られているのは千堂なのだ。そしてライバルであると同時に漫画の主人公のようなキャラクターである千堂はそれを実行する。
千堂のトレーナー、柳岡の回想を通して、彼がボクサーになったきっかけ、試合前に掘り下げられた千堂の生い立ちの続きとなるエピソードが語られる。
なぜ千堂は戦い続けるのか、なぜ千堂は強くあろうとするのか、なぜ千堂はボクシングを始めたのかが、リング上の激しい打ち合いとクロスする形で描かれる。千堂の長い時間をかけて求めていた相手が今、千堂の目の前にいる。
打ち合いの果てに千堂の顔が血に染まる。その刹那、千堂の右が一歩に直撃する。
限界の先へ
千堂の強烈な右をクロスカウンターになる形で喰らってしまった一歩は、そのまま千堂に打ち負ける形でとうとうダウンをしてしまう。
これに会心のガッツポーズをするのは、千堂のトレーナー柳岡である。なぜなら一歩との二つの試合を通してようやく奪えた初のダウンだからだ。そう、ここまでずっと千堂の圧倒的な破壊力は、一歩を何度も窮地に追い詰めてきたが、一度も肝心のダウンを奪うには至っていなかったのである。
ついに攻め続けながらも倒せないという図式を崩すことに成功した千堂は、どうにか立ち上がることが出来た一歩をさらに攻めたてる。そして狙いすまして放たれた右ストレートによって、立て続けにこの試合二度目のダウンを奪う。
一度目のダウンと違い、完全に力を失い前のめりに倒れた一歩を前に、千堂は勝利を確信する。一歩のこのダウンは完全に意識を失って倒れこんだ伊達英二戦と同じ形の危険なダウンだ。しかし、それを十二分に承知の上でなお鴨川陣営はタオルを投げない。
一歩が、必ず立ち上がると信じているからだ。
そして一歩はその師匠の信頼に応える。一度はあまりにきれいにもらい過ぎて気持ち良さすら感じさせるダウンに負けを受け入れようとした一歩だが、すぐさまそれを打ち消す。負けることの腸がよじれるほどのくやしさを彼は伊達英二戦で学んだからだ。そして伊達英二戦のように意識を半ば失いながら戦うのではなく、明確な戦う意思と共に一歩は立ち上がる。伊達英二戦のさらに先に進むために。
二度のダウンを喫してなお立ち上がり、戦いを継続しようとする一歩に、千堂陣営は驚きを隠せない。しかし、それでも有利なのは明らかに千堂側である。1つのラウンドで2度のダウンをした一歩はもう一度ダウンしたらその時点で試合が終わる。容赦なく攻める千堂に対して、一歩が放つのは、攻撃の起点であり、反撃の起点でもあるパンチ、リバーブローである。
一歩の放つリバーブローが千堂の脇腹に突き刺さり、それは千堂の肋骨に深刻なダメージを与える。それでもなお攻め続ける千堂を、単発ながらもリバーブローによって応戦することでなんとか第5ラウンドは終了する。
ミックスアップ
完全に試合が終わったかと思われた第5ラウンドが、決着がつかぬまま終了し、千堂はこの戦いがどちらかの息の根が止まるまで続くことを確信する。名作『あしたのジョー』がそうであるように、ボクシングはスポーツであると同時にどこまでいっても二人の人間の間で行われる殴り合いである。ゆえに試合が極限の状況まで進行したとき、意識されるのは命のやりとりである。
対する一歩は、まともに喋ることもままならないほどに消耗した状況において、自分がボクシングを始めるきっかけにもなった問いを口にする。
「強いってなんですか?」
この問いに対する答えを見つけること、一歩が戦う理由とはこれ尽きるといってしまっていいだろう。彼はボクシングを通じて金や名誉を得ようとはそれほどには思っていない。強いとは何か?この答えが見つかった時、彼はすぐにでもボクシングを辞めるだろう。それくらい幕之内一歩にとって、『はじめの一歩』という作品にとって最も重要なテーマともいえる問いである。
この問いを口にしたことで、この試合のクライマックスを超えて『はじめの一歩』という漫画にとってのクライマックスの様相を帯び始める。
そうして始まった第6ラウンド、両者とも大きなダメージを負いながら、それでも二人は前に出ることをやめない。一撃必殺のパンチの応酬に会場のボルテージはあがり、再び地鳴りのような歓声と轟音が後楽園ホールを埋め尽くす。
どちらがいつ倒れてもおかしくない危険な打ち合いを続けながら、両者ともに限界を超えた領域へと突入していく。
ミックスアップ。
互いが互いを高めあい、限界を限界でなくし、両者とも試合前よりも明らかに強くなっているという、ボクシングジャーナリストの藤井から語られるその言葉と共に、両陣営のセコンドは自身が手掛けたボクサーのポテンシャルを引き出し尽くす対戦相手に敬意を表する。そして両者ともにタオルは投げずに最後まで試合の行く末を見届ける覚悟を決める。
死力を尽くしながら、千堂の脳裏をよぎるのは自身がより強くあろうとした根源の理由である。そして迸るのは求め続けた答えが目の前にあり、それに打ち勝とうとする貪欲な意思だ。対する一歩もまた、鷹村との出会いからボクシングを始めて、絶えまなく努力を続けて、試合を重ね、なお答えが出なかった問いの答えがついに見つかるのではないかという予感に導かれるように打ち合うことをやめない。
この漫画の主人公、幕之内一歩と「漫画の主人公のような男」、千堂武士が真っ向からぶつかりあえば、やがてこのミックスアップの領域へと突入するのは必然と言えるだろう。互いが抱える抽象的な「強さ」への希求が、ボクシングを通すことで具体性を伴い、魂が宿り、その熱が後楽園ホールを埋める観客に伝播する。
後楽園ホールの轟音は鳴り止まず、そう、このラウンドは両者が拳を交わし続ける最中にずっと、ドドドドドドという擬音が描かれるのだが、それによって醸される異様な雰囲気が絶えぬままに、第6ラウンドは終わる。そして試合は決着の第7ラウンドを迎える。
「強さ」とは何か
千堂も一歩も、どちらも「強さ」を求め、より自分自身が強くあありたいと思い、そのためにボクシングを始め、戦い続けている。
しかし両者が考える「強さ」には違いがある。まず千堂は「強さ」を求めているが、すでにある己の「強さ」に疑いを持っていない。彼は自分が弱いなどとは一度も思ったことはないだろう。しかし、もともと強い彼が、より強くなろうとしたとき、彼の世界のバランスは狂い始める。仲間を守るために、尊敬する父親のように強くなりたかった彼がより強くあろうとしたとき、なぜか世界は退屈で色褪せたものになってしまう。
彼がボクシングを始めて、リングの上で対等以上に戦える好敵手を求める理由、それはすでに強い自分がより強くなったとして、それでも世界が生きるに値するものだということを確かめるためである。自分が「強さ」を求めてなお、自分が生きる世界を肯定するために、彼は誰よりも切実にライバルを求める。
それに対して、幕之内一歩は自身が強いと思えたことはおそらくほぼないだろう。だから彼は「強さ」を求めて絶え間なく努力し続ける。
彼が自身が強くなったと思えるのは、練習や試合を通じて文字通り一歩前に出たその瞬間である。しかし、勇気とともに踏み出したその一歩は踏み終えた瞬間に過去になる。だから一歩は次の一歩を踏み出そうとする。
そうして、書いてて紛らわしいが「強さ」を求めて、努力を一歩一歩積み重ねることで、どこまでも際限なく成長していくのが、幕之内一歩というボクサーなのである。そして常に強くなろうと在り続ける彼の関心はかつて歩んだ過去にはない。彼が求める「強さ」はまだ踏み出していない一歩先にしかない。だから一歩はその努力をその歩みを止めない。そして常に自身が強いという確信が得られない。その目は過去ではなくより強くなる一歩先を見据えているからだ。しかし、そんな永遠に辿り着けないかと思われた、求め続けた答えが出せそうな相手が、自分の歩みの終着点になり得そうな「強さ」をまとったライバルが、目の前にいる。
そして第7ラウンドが始まる。両者ともに残された最後の力を振り絞り、互いの必殺技で勝負に出ようとする。
全てを込めて
クロスアームブロックによって防御を固め、とどめのスマッシュにむけて力を蓄える千堂に対して、決定的な攻略法は見えなくても一歩はデンプシーロールを放つことしかできない。案の定無策で臨んだデンプシーロールは、千堂の動きによって出鼻をつぶされてしまう。
そしてその間隙を突いて千堂は渾身のスマッシュを放つ。しかし、それすら一歩は先読みし、同時に放たれたリバーブローとの相打ちになる。千堂の肋骨へのダメージはいよいよ深刻だ。
この試合の勝敗を考える上で、非常に重要な働きをしているのが、一歩が後半の要所で放つリバーブローである。積み重ねでその真価を発揮するボクサーである幕之内一歩の象徴にして一歩前に踏み込むと同時に放たれる「一歩目のパンチ」、リバーブローの果たした役割は極めて大きく、この試合の勝敗の分かれ目の一つと言えるだろう。
しかし、まだ試合は終わっていない。さらに追撃を加え、一歩は試合を決めようとする。しかし、千堂はまだ最後の牙を隠していたのである。
左のスマッシュでもまだ一歩を仕留めきれない千堂はまだ、最後に最強の威力を誇る右腕のスマッシュを放つ余力を残していた。これが決まれば間違いなく試合は終わる。
だが、千堂が最後の奥の手を放つよりも先に、生気を宿す千堂の目に気付いていた。
最後まで闘志を失わない生きた目が何よりも危険なサインであることを、夏の合宿を通して猫田から学んでいた一歩は、かろうじて千堂の右スマッシュを回避する。
二人の視線が交差し、一歩のリバーブローが突き刺さり、千堂の肋骨は完全に粉砕される。さらに追撃しようとする一歩の勇気を込めた目のフェイントによって千堂は上のガードを固めてしまう。その隙を突いて再びガゼルパンチが放たれ、ついに千堂が後退する。
試合の最後の最後にして、これまでの歩みで積み重ねてきた全てをぶつけることで、準備は整う。∞の軌道を描く一歩を前に、顔が血に染まる千堂が微かに笑う。
デンプシーロールが炸裂する。単発で倒れた初回とは違う、強烈な一撃が何度も左から右から叩き込まれる。強くなろうし、孤立して行き場所を見失いかけてなお強さを求めた千堂の執着心ごと断ち切るかのような連打が浴びせられ、ついに千堂は大の字になってリングに倒れる。
千堂武士という男
一歩の全て込めたコンビネーションからのデンプシーロールを炸裂させ、ついに千堂はこの試合で三度目のダウンをする。このときの千堂が倒れる姿がすごい。これを見た瞬間に勝負が決着したことがわかる決定的な1コマである。

しかし、勝負は終わっても試合はまだ終わらない。決定的なダウンをしてなお千堂は立ち上がろうとする。セコンドの柳岡すらも既に勝負が決着したこと悟っているのにもかかわらず、千堂は前を見据え、立ち上がろうとする。
千堂はまだ戦う意思を失っていないのか。そうではない。もう自身に戦う力が残っていないことは誰よりもわかっている。それでもなぜ千堂は立ち上がろうとすることを、己を倒した一歩を真っ直ぐに見据えることをやめようとはしないのか。
それは一歩との最初の戦いでは成し得なかったことを成し遂げるためだ。
彼は第1戦目の敗北において、完全に意識を失い勝負の決着を見届けることが出来なかった。再び迎えた第2戦ではお互いの限界を超え、戦いの中で高めあい、自身でも想像しなかったであろう境地に達してなお勝つことは出来なかった。しかし、それでもまだ彼にはやることが残っている。
それは自分に勝った男を、この世界が生きるに値する世界であることを全身全霊を持って教えてくれたライバルの顔を、最後まで見届けることだ。
それをやらなければ、彼はこの戦いを終えることが出来ない。一度は勝負の決着が命の奪い合いになることを覚悟しながらも、敗北を悟った彼は力尽きるのではなく立ちあがろうとする。この戦いは命の奪い合いではない。ボクシングなのだから。
この試合の最後に千堂が立ち上がること、そして試合後に幕之内に三度目の試合を約束すること、死闘の先に文字通りの「死」ではなく再戦の誓いという「生」を用意したことで『はじめの一歩』は『あしたのジョー』の激闘の後に命を落とした力石徹や、完全燃焼の果てに真っ白な灰になった矢吹丈の呪縛を超えて、負けても現役を継続していれば再起可能な競技としてのボクシングを、最初から最後まで徹底して具体的なボクシング描写の積み重ねで表現し切ることに成功している。だからララパルーザはボクシング漫画史に残る最高の試合なのである。
誰よりも「漫画の主人公のような男」である千堂は、本当の主人公、幕之内一歩に二度挑み、二度破れた。だが、彼は成し遂げた。最初の試合では成し遂げられなかったことを、自分の生きる世界が生きるに値する世界であると認め肯定することを。彼の戦いはまだ終わらない。なぜなら彼はどれほど窮地に追い詰められても何度でも立ち上がり、より強くなる「漫画の主人公のような男」だからだ。そして何より現役の選手として戦い続けるプロボクサーだからだ。
千堂武士とはそのような男である。
その後の幕之内一歩
千堂との試合に勝って、ついに自身が追い求めた「強い」とはなにかという答えを得られるかと思われた一歩だが、やはりその答えに辿り着くことは出来なかった。やはり彼は一つ歩みを進めた瞬間に、かつての歩みを過去のものにしてしまうようだ。それは千堂戦といえど同じだった。
千堂との激戦は単行本にしてちょうど30巻である。長編連載の区切りとしても最も脂ののったタイミングだろう。ここで連載が終わったとしても(宮田との再戦はどうしたとかはさておき)おかしくないほどのピークを迎えた『はじめの一歩』だが、その後も連載は継続され、現在においてもまだ完結していない。すでに単行本は140巻を超えて、最新刊は145巻になろうとしている。
現在(2026年1月)、千堂はとうとう世界チャンピオン、リカルド・マルチネスと決戦の最中である。一方、幕之内一歩は現役を引退してしまっている。だが、恐ろしいことに幕之内一歩はいまだに成長の歩みを止めていない。彼がその歩みを止めるとき、それはボクサーを辞めた時なのではなく、強さとは何なのかという問いに対する答えが出たときなのだろう。その時はやがてやってくるのだろうか。まだしばらくは続くであろう連載の行く末を長い気持ちで見守りたい。
実はこっちこそベストバウト?木村VS間柴戦はなぜ面白いのか?
ララパルーザの魅力は、漫画の主人公のような魅力と能力を備えた二人がほぼ互角の状態で激突し、完全に決着をつける過程をこれ以上ないほどに説得力のある形で描くことが出来たからこそ、ボクシング漫画史上においても例がないほどの境地に達することが出来たということをここまで述べてきた。
一方で、バトル漫画、スポーツ漫画の勝負の魅力は、主人公の戦い以上に脇役同士の戦いにこそ宿るとも私は考えている。なぜなら主人公は基本的に勝負に勝つのが当たり前だからだ。だからどうしても主人公の戦いには筋書き上の予定調和感がつきまとうという問題を常に抱えている。
一歩と千堂によるララパルーザは、本来は脇役であるはずの千堂に主人公と同等レベルの掘り下げと描写の積み重ねを行い、一歩と同等レベルで「強さ」に対するこだわりを持ったキャラクターとして設定し、その両者を激突させることで、その予定調和を真っ向勝負で吹き飛ばしてしまった点にその最大の価値がある。
一方で脇役同士の戦いはいわゆる主人公補正とは無縁であるため、どちらが勝っても負けてもおかしくはない。格下が格上の相手を喰ってしまうジャイアントキリングだって起こしやすい。
『SLAM DUNK』での陵南VS海南戦、『火ノ丸相撲』で千尋が国宝食いの異名を得た瞬間、『グラップラー刃牙』の花山薫VS愚地克巳戦などなど、脇役や主人公が所属しないチーム同士の名勝負は挙げていけばキリがない。
ボクシング漫画史上、いやバトル漫画史上に残すべき偉大な試合であるララパルーザの次に『はじめの一歩』にて描かれた間柴VS木村戦は、これまたバトル漫画の脇役対決史上に残る名試合中の名試合である。この時期の『はじめの一歩』の面白さは異常である。
ララパルーザとはいろいろな面で異なる戦いだが、ララパルーザと同等レベルに熱い戦いである間柴VS木村戦とはどのような戦いであったのか。
特徴のない木村と特徴しかない間柴
まずこの戦いは、基本的には、一歩と同じ鴨川ジムの先輩である木村の視点を中心に描かれていく。本エピソードの主役は一歩ではなく木村である。そして木村があまりに強大な敵である間柴にどのような準備をしたうえで挑んでいくのかということを主軸として話は展開されていく。
まず、そもそもの話として、この戦いの主役である木村達也というキャラクターは『はじめの一歩』にいつから登場しているか、あなたは覚えているだろうか?
彼が初めて登場するのは単行本3巻において、一歩のプロ初試合の対戦相手の同期選手として、相手の素性を解説するシーンである。その後も鴨川ジムの中では珍しいアウトボクサーとして一歩にフットワークを駆使した戦いの練習相手になるなどして、次第にそのキャラクターを確立していく。
おそらくは作者自身、木村がこのような重要なキャラクターになるとは初めて登場させたときは意図していなかったのではないだろうか。一歩や鷹村といった主要キャラクターや青木のようなコメディリリーフとも違う、その都度都度で便利にサポートしてくれる器用なキャラ、木村とはそのようなキャラクターだったのである。
まず、木村VS間柴戦が面白いのは、そんな木村というキャラクターが持っている強みの部分と弱みの部分のすべてを試合の前にはっきり木村自身に突きつけてしまうところにある。そして、それを伝えるのは、かつて間柴と対戦し故意の反則行為によって敗れた、一歩の宿命のライバル、宮田一郎である。木村は試合前のスパーリングのパートナーとして、彼を選択する。
ボクサーとしてのそつなく完成度高くまとまりながら、相手に脅威を感じさせるほどの強みがない。まさに木村というキャラクターを宮田は完璧に言語化して伝えてしまうため、木村は試合前にして逃げ道は塞がれ、勝ち筋を見失ってしまう。そうして追い詰められた先に、失意のどん底からようやく見つけた一つの光明、「ドラゴンフィッシュブロー」を開眼するに至るこの修行パートがまずすばらしい。木村というボクサーというよりも、木村という器用貧乏なキャラクターが自身の殻を破ろうとする過程が見事に描かれている。
一方、木村とは対照的に間柴というキャラクターは登場した時点で特徴しかないキャラクターである。登場した瞬間に「はい、憎々しい悪役の登場です」と一瞬でわかるルックスと不遜な態度、そしてなによりあまりに長いリーチから繰り出される間柴の代名詞的なパンチ、フリッカージャブ。さらに高い打点から打ち下ろされるフィニッシュブロー、チョッピングライト。
『はじめの一歩』という漫画が優れているのは、現実的に存在しているボクシングのパンチを作中でも多く登場させながら、漫画的なケレン味溢れる必殺技としても演出できている点にある。
その極みともいえるパンチが間柴のフリッカージャブなんじゃないかと私は思っている。当時の読者でこのパンチを真似した人はどれくらいいるだろうか?実際にできていたかどうかはともかく(まったく出来ていなかったと思うけど)、あまりにフォトジェニック且つ、相手からは脅威でしかないフリッカージャブの使い手である間柴はその登場時点においてあまりにもキャラが立っており、それは初期段階ですでに完成されていた。
さらに、間柴には一歩との恋仲が進みそうで進まない状態を30年以上続けている妹、久美がいる。そんな一歩と間柴の関係性を考えても、木村と間柴の試合は圧倒的に間柴が優勢であろうことはある程度漫画を読みこんだ人であれば予想は出来てしまう。木村の一方的なボロ負けで終わることはないにせよ、勝つことは難しいだろうと。
しかし、そんな間柴と木村の戦いはそんなこちら側の中途半端なメタ読みなどをはるかに超えた領域に突入していく。
「死刑執行」開幕
試合が開始される直前、控え室で木村はこの試合に負けたら現役を引退することをジムの仲間達に宣言する。木村にとってはそれほどまでにこの試合は重要であり、自身のボクサー人生を見つめなおす機会になっていたのだ。その発言に後輩の一歩は動揺を隠せない。だが、鷹村や特別にセコンドにつくことになった青木など他のメンバーはその言葉を冷静に受け止める。プロのボクサーは誰しもがいつかは引退していくものだからだ。日本王者のタイトルマッチ、キャリアの節目としては相応しい試合である。
そうして開始された試合において、まず猛威を振るうのは当然の如く間柴のフリッカージャブである。宮田とのスパーで対策はしていたとはいえ、自身の弱みを打破するためのフィニッシュブローを会得することに注力していた木村は試合の序盤において、思いっきりフリッカージャブの洗礼を浴びる。どうにか懐にもぐりこみ接近戦に持ち込みたい木村だが、間柴のフリッカージャブはにわか仕込みのインファイタースタイルが通用するほど甘くはない。
木村を応援する一歩が絶望しかけるほどに序盤は間柴のフリッカーによる一方的な展開で試合は進む。世界戦を意識し右を温存するという相手を侮っているといってもおかしくはない戦い方をしているにも関わらず、木村は活路が見いだせない。そうして防戦一方のまま迎えた第6ラウンド、ついに木村はダウンをしてしまう。
息子の応援にきていた木村の両親が、耐え切れずに退席してしまうほどに、間柴の攻撃の手は緩まない。だが、木村はこの試合のために開発した必殺技、ドラゴンフィッシュブローをまだ放っていない。そして、どれほど一方的であってもまだ木村は試合をあきらめていない。彼はフリッカーの弾幕を浴びながらも、逆転の準備を一つずつ整えていたのである。
第7ラウンドにしてついに木村はフリッカージャブの弾幕を掻い潜り、間柴の懐に潜り込むことに成功する。ここまで耐えることでフリッカージャブに目が慣れ、さすがの間柴もスピードが落ちることでようやく見出した活路だが、第7ラウンドまで終始間柴優勢で試合が進んだ時点で、判定で木村が勝つ可能性はほぼない。木村はフリッカーを攻略する代償としてKO勝利するしかなくなってしまった。しかし、木村にはそれを可能にするための策がある。
そうして反撃を開始した木村は、間柴の懐に潜り込んでからの左のボディブローの連打によって、間柴の意識を下方向へと集中させようとする。全てはドラゴンフィッシュブローのための布石である。そうして、反撃のための準備の第7ラウンドは終了する。
迎えた第8ラウンド、それでも世界戦を見据えて左での攻撃にこだわる間柴のフリッカーを被弾しつつも、木村はタイミングを読んで懐に潜り込み、前のラウンドに引き続き、左のボディ攻撃をたたき込もうとする。だが、前のラウンドを踏まえ、間柴は先読みして左ボディブローをブロックする。完全に間柴の警戒心は左のボディ攻撃にくぎ付けである。ここまで耐えに耐え抜いた木村の準備は整った。満を持して木村は渾身のドラゴンフィッシュブローを放つ。
その刹那、木村の脳裏にはボクシングを始めてから放ってきた何千何万というパンチの記憶がよぎる。そして全てを込めた木村の一撃は、間柴を顔面を完全に捉える。
炸裂するドラゴンフィッシュブローと間柴の真の魅力
ついにドラゴンフィッシュブローが炸裂し、間柴はリングに沈む。
倒れた間柴自身が何が起きたのか理解不能に陥るほどに、死角から放たれた痛烈な一撃によって形勢は完全に逆転する。
KO寸前のところで間柴は立ち上がり、試合は続行こそされたものの、攻勢に出る木村の上下のコンビネーションに間柴は全く対応できず、二発目のドラゴンフィッシュブローも直撃してしまう。
そして圧倒的な劣勢に陥ることで、間柴の持つもう一つの魅力が浮かび上がってくる。
間柴のもう一つの魅力、それは、やられっぷりの良さである。
高い身長と長い手足から絶え間なく繰り出されるフリッカージャブに象徴される攻撃面が間柴の第一の魅力とすれば、第二の魅力はその高い身長と長い手足が制御を失いリングを舞う間柴のやられっぷりの良さだ。第7ラウンドまで圧倒的に優勢に進めていた試合が一撃でひっくり返ってしまったことが一目瞭然なのは、木村が頑張ったこと以上に間柴のパンチの受けっぷりが素晴らしいからである。間柴がプロレスラーだったらきっと良いレスラーになったに違いない。
そして間柴は恵まれた体格とリーチによって圧倒的な攻撃力を誇るものの、実は天性のセンスを持っていたり、反射神経が異常に優れているわけではない。なので、パンチを喰らうときは結構ガッツリもらってしまうボクサーでもある。だから二度、直撃を喰らってしまったドラゴンフィッシュブローの三度目も華麗な対処など出来るわけもなくあえなく被弾する。
しかし、間柴にはやられっぷりの良さと同時に絶対に試合に負けまいとする執念がある。だからまったくドラゴンフィッシュブローに対応できていないにも関わらず、パンチをもらいながらもクリンチに持ち込んで倒れることを拒絶し、完全に流れは木村に移る形で第8ラウンドは終了する。
このラウンドで木村が勝っていてもまったくおかしくはなかった。執念によってどうにか生き延びた間柴だが、ラウンドの合間においても、狼狽するばかりで木村の攻勢に対応できる様子には見えない。一方の木村は完全に勢いに乗り、次のラウンドでの決着を見据え、ベルトを獲りに行こうとする。
勝負の第9ラウンドは、間柴の攻勢から始まる。左一本ではもう木村を止めることが出来ないことを悟った間柴は、ここまで温存していた右を解禁し、必殺のチョッピングライトすらも惜しみなく繰り出し、木村を勢いを止めようとする。
対する木村も真っ向からの打ち合いに臨む。この第9ラウンドの両者の打ち合いは、一つ前の試合である、一歩と千堂のララパルーザでも見られた脂の乗り切った作画と、攻守が一瞬で切り替わるコマ割りの切れ味の良さが合いまって非常に見ごたえがある。特に、間柴の試合を決めにかかるラッシュを右で打ち返す木村の一コマからの流れは何度読んでも素晴らしい。この右のストレート一発の作画によって試合の流れが転じる瞬間を説得力を持って描けてしまうから『はじめの一歩』という漫画は素晴らしいボクシング漫画なのである。

活路を切り開いた木村は最後の攻勢に出る。それに抗い、全力で危機回避しようとする間柴のクリンチすら読み切ったうえでボディブローの連打から、最後のドラゴンフィッシュブローを木村は放つ。このパンチが相手に届いたとき、遂に念願のベルトに手が届く。
しかし、その手は届かなかった。
間柴が無我夢中で放った右と、木村の右がクロスカウンターとなり、直線軌道の間柴のパンチと、曲線軌道の木村のパンチの差から、より強く間柴の右を被弾してしまった木村は、前のめりにリングに倒れる。
誰もが試合が決着したことを確信し、木村のセコンド篠田はタオルを投げようとするが、青木がそれを静止する。だが、止める青木だって勝敗が決まったことを疑ってはいない。
しかし、木村は立ち上がる。
この時、木村の周囲のほぼ全員が驚愕しているのだが、その中でも誰よりも驚いている顔をするのは他でもない、間柴である。本当に間柴は顔まで含めて受けが上手い。

あの間柴にここまでの表情をさせた時点で、勝負にかける執念において、木村は間柴を上回ったと言ってしまっていいだろう。この試合でもっとも印象的な瞬間は、作中で誰よりも強い執念を持つとされるキャラクターである間柴を圧倒する執念を木村が見せるこの瞬間である。ここまで精神面で間柴が追い詰められたのは、かつての東日本新人王決定戦での宮田戦以来だろう。
そして、闘志を失わない木村の目を見たレフェリーは試合を続行させる。木村の消えない闘志に怯える間柴は木村の息の根を止めるしか試合を止める術はないと確信し、とどめを刺そうとする。それに合わせるように木村が右ストレートを放とうとするその刹那、レフェリーが両者の間に割って入り、試合は中断させられる。
反撃のパンチを出そうとしていた木村の意識はすでに途絶えていたのだ。
死闘は間柴の勝利で幕を下ろす。しかし、リング上で立ちながら気を失っている木村はそのことに気づかない。そんな木村を前にして、青木は涙を流す。木村と同じタイミングでボクシングを始め、共に戦い続けた腐れ縁が、今終わろうとしている。最後に物語の主人公、幕之内一歩のベストバウト、「ララパルーザ」に匹敵するほどの名勝負を木村は戦い尽くした。だが、それが決着したことに当人だけが気づいていない。そんな木村を前にし、誰よりもおちゃらけたキャラクターである青木のなによりも真摯な涙に私は何度読んでも心を打たれてしまう。

木村と間柴の試合で、ここまでの激戦が展開されることは誰も予想できなかったのではないだろうか。それでも結果は当初の大方の予想通り、間柴の勝利で終わる。
その後の木村と間柴
この戦いの後も、木村と間柴、どちらもボクサーとしての戦いは続く。木村は激闘の後に正式に引退を表明するものの、木村達也から木村タツヤとして再デビューする形で引退を撤回した。
間柴はこの戦いの予想外の苦戦により、日本王座を返上し、世界への道を進むという道はいったん保留となった。だが、その後も尾張の竜こと沢村竜との激闘などを経ながらも、ついには世界戦へと歩みを進めたのだが、その詳細についてはここでは触れないでおこう。
間柴戦以降の木村はこの試合で見せたような意地はあまり見えなくなり、惰性でボクシングを続けてしまっているようにも思える。
だが、その後の2人がどうなろうとも、この試合の輝きは衰えない。
それはこの試合が、誰もがまさか勝てるとは思っていなかった脇役がもしかしたら本当に勝ってしまうのかもという「夢」を見せてくれるからだ。そしてその「夢」は、手に入れたからといって巨万の富が得られるわけでもないし、万人の羨望を集めるものでもない。しかし、だからこそこの試合にはそれを求めてやまない木村の悲痛なまでの切実がある。複雑な胸中でありながらそれでも戦いの臨む木村の一番近くで見守ろうとする青木の友情がある。ベルトなど二の次で「強さ」とは何なのかを追い求めた一歩と千堂のタイトルマッチ「ララパルーザ」とは対照的な極めて具体的なベルトという証と誇りを巡る戦い、それが「死刑執行」という試合なのである。
絶望的な状況から「夢」を掴みかけた木村も、その木村のすべてを見事に受け止めながらも最後の最後では跳ね返した間柴も、そしてその一部始終を見届ける青木も、この試合ではそれら全てが素晴らしい。
最後にもう一度言うが、千堂と一歩の激闘「ララパルーザ」の直後の試合がこれなんだから『はじめの一歩』とはなんてすごい漫画なのだろうか。このもうちょっと後には鷹村の世界戦というこれまた凄まじい試合が待っているのだが、それについて述べるのはまた機会を改めるとしよう。

