仙水のテレビ番組、クロロのビデオテープ——冨樫義博が繰り返し描く「遊びの共有」
※冨樫義博『幽★遊★白書』Kindle版16巻 No.18より
色んな漫画とかアニメ、ドラマなどを観ていて、その世界の主人公とか、登場人物たちが楽しみにしている娯楽ってあるんだろうかってことが、気になることがある。
そう思ってしまうのは、私がゲームとか漫画とかの娯楽をかれこれ30年以上楽しみながら生きてきた人間だからである。未だにジャンプの発売日の前日にはちょっとソワソワするし、マリオやゼルダの発売日はちょっとした神聖な儀式に参加するような気持ちで過ごしている。それらに限らず、スポーツの勝敗であるとか、その日のテレビであるとか、楽しみにしているライブであるとか、そういった日々の生活に密着したエンタメをフィクションの中の人物たちも享受しているのだろうかとついつい考えてしまう。
そんな私にとって忘れられないシーンが『幽★遊★白書』にある。

そのシーンは第139話、単行本16巻に収録されている。仙水編において、なぜ仙水が人間を憎むようになったのか、いわゆる「闇落ち」のきっかけを描くエピソードである。純粋で真っすぐだった仙水が、自分も楽しみにしているテレビ番組を同じように楽しみにしている妖怪、樹(いつき)の最後の頼みを承諾し、心を許してしまったところから、仙水の運命は大きく変わる。
ここで、こんな命乞いをしていなければ、そもそも仙水が主人公側と敵対することもなく、何も問題は起きなかったわけで、この最後の命乞いの言葉が物語にとっても大きな分岐点であったわけである。だが、そんなこととは無関係に私はフィクションの中の人間が、その世界に存在するエンタメを一種の心の支えのようにして生きているというこの描写にどうしようもなく惹かれてしまう。毎週見ているテレビ番組が存在するという、たったそれだけの描写が付与されるだけで、一週間をどんなリズムで過ごしているかが手に取るようにわかってしまうこの描写が、人類の存亡を巡る戦いのさなかにシレっと挟まれるところに、『幽★遊★白書』という作品の魅力の核心があるのだと私は思う。
仙水はこの樹の命乞いによって主人公や人間そのものと敵対するが、樹との友情は最後まで続く。樹自体は仙水をたぶらかすような目的もあったのだろうが、仙水を騙そうとか陥れようと思ったわけではない。彼らの友情はその命が尽きる最後まで続く。
「友情」の尊さは揺るがない
「友情・努力・勝利」というジャンプ作品の根幹を為すとされるこの3つの要素において、冨樫義博という作家は努力や勝利も極めて具体的かつユニークに描く作家であるが、実は彼は「友情」を描くことにこそ重きを置く作家なのではないかと私は考えている。
『HUNTER×HUNTER』におけるゴンとキルアの関係性などは言うに及ばないが、仙水と樹の関係性と同様に私が興味深く感じるのは、「グリードアイランド編」におけるゲンスルーとその仲間たちである。

サブ&バラ初登場時、いかつい
初登場時は感情を一切表に出さず、不気味かつ威圧的な存在感だけを放っていた二人が、ゲンスルー含めた3人の内輪だと大分くだけた雰囲気になる。

ひどいことしてる二人だが楽しそう
やっていることは本当にひどいことで、人の命を弄んでるどうしようもない行為なのだが、私は「グリードアイランド編」を何回読んでも初登場時のギャップも含めてこのリスキーダイスをモタリケに無理やりふらせるこのくだりにどうしても魅了されてしまう。仙水が妖怪である樹に、自分と楽しみを共有した存在であることが分かった瞬間に心を許してしまうように、読者である私は、なんの感情もない戦闘マシーンのような存在かと思っていた二人が、(めちゃくちゃ酷いことしてるのだが)飲み会のコールみたいなことをしながらサイコロに興ずるシーンに、あっという間に心を掴まれてしまうのである。
その後、ゲンスルーを含めた3人が、運が悪ければ命を落としかねないリスクを3人平等に背負いながら危険な賭けに出たり、主人公のゴン達との最終決戦の後も命を失いかねない大けがを負った仲間を助けるための命乞いを主人公側にしたりするなど、この3人の間にある絆や友情(それ以上のモノかもしれないけど)は薄っぺらなものなどではない。
だからといって彼らのしてきたことが許されるわけではない。ゲンスルー一味が「グリードアイランド編」でやらかしたことは本当に非道な行為である。だが、登場人物の一人として最後まで魅力的に描かれることはなかった損得勘定で手を組んでいるだけの「ハメ組」に比べて、ゲンスルー一味は様々な面で魅力に溢れている。実際の現実ではゲンスルー一味には絶対に遭遇したくないのだが、フィクションを通して接する分には何度読んでも面白いし、サイコロのコールで毎回笑ってしまう。
どれだけ非道なことをした許しがたい連中なのだとしても、そこに存在する友情それ自体は尊く、その価値は揺るぎない。ゲンスルー一味のやりとりを微笑ましく読んでしまうたびに、そんなようなことを考えてしまう。
また、現在(2026年7月13日)無料公開中のキメラ=アント編においても、あらゆる面で圧倒的な強さを誇るキメラ=アントの王、メルエムと天才的な軍儀の才能をもった盲目の少女コムギとの軍儀という「遊び」を通した交流が物語において非常に重要な役割を果たしているのだが、丁度無料で読める期間内なので詳細については控えよう。

「フィクション」の再構築と共有から始まった幻影旅団の崩壊
『HUNTER×HUNTER』38巻において、幻影旅団の結成にまつわる過去編が描かれた。
そこで描かれたのは、幻影旅団は拾ったビデオテープに収められた「フィクション」の再構築とその共有によって、後に団長となるクロロを中心として自然発生的に誕生した組織であるという事実である。
まだ少年時代のクロロは、清掃戦隊カタヅケンジャーという、世界でも大人気だという特撮番組のビデオを偶然手に入れたものの、違う言語で録画されていたのでその吹き替えを自分の仲間たちで行おうと考える。
ここでもやはりその世界のエンタメや遊びの共有を通して異なる人間同士が交流し、友情を育むという冨樫義博作品において繰り返し描かれてきたことは変わらない。一点、既にある「フィクション」を自分たちの手で再構築するという「創作」に踏み込んでいる点が大きく違う。その意味において、この幻影旅団の過去エピソードは、冨樫義博の創作の原点といってもいいような非常に重要なエピソードになっている。
そうして、「フィクション」の共有と再構築の末に築かれた仲間たちと共に幻影旅団が結成されたのである……とはならない。惨劇が起きる。
仲間の一人が人狩りの集団に攫われ、残忍に殺されてしまったことで(その集団にとっては「遊び」である)、彼らの運命は大きく変わる。友情によって築かれた仲間たちは、一つの惨劇をきっかけに世界を変える悪党となることを決意する。
かくして幻影旅団は結成される。
どう考えても幻影旅団は「友情」をきっかけとして結成されている。しかし、リーダーであるクロロは幻影旅団を「友情」とは切り離された独立した、永続する組織にしようとしている。

そこには大きな、そしておそらくは致命的なズレがある。欠番が出たら即座に追加のメンバーを補充してきた筈の組織は、パクノダの欠番であるNo.9の補充をしようとはしなかった。そしてそのことの意味は団長以上にメンバーには伝わってしまっている。
おそらくは、現在進行中の王位継承戦の裏側で進行するのは、作中最強のチームとして永らく君臨してきた幻影旅団の崩壊だろう。幻影旅団とはまた別の形で組織を構築しようとし、世界をデザインし直すどころか世界全体の破滅を目論んでいるモレナ・プルード率いるエイ=イ一家。一生消えることのない因縁のあるクラピカ。そして幻影旅団全員の命を狙うヒソカの存在が、幻影旅団の存在そのものを脅かす。
以前、noteにて述べたことだが、冨樫義博という作家は通常であればありえない要素を物語中で「圧縮」してしまう。普通は退場しないはずの強キャラが退場し、丁寧に描かれるはずの展開が省略される「圧縮」、それが冨樫作品ではしばしば起きる。そして同時に冨樫義博は「友情」というものが持っている、どれほどの時を経ようと、たとえ人の道を外れようともそれ自体の尊さは揺るがない普遍かつ不変の価値を描く。
これから描かれるのは、あまりにも『HUNTER×HUNTER』という作品にとって魅力的であり続けた幻影旅団という組織の容赦のない「圧縮」だろうか、それともその原点にあったはずの「友情」が再び見つめなおされるのだろうか。2026年7月現在、まだまだ連載は再開したばかりである。毎週月曜日に更新される「フィクション」に私は当分は魅了され続けるだろう。
