人は、教えられて育つのではない ー 育成とは、答えを渡すことではなく、問いを渡すこと。
「人生を変える、本質。」第2章
人を育て、組織をつくる。
― あなたの人生が変わるきっかけになれば、それでいい。
第1章では、自分自身の人生について書いてきた。
能力とは何か。
選択とは何か。
人間性とは何か。
責任とは何か。
そして、人生の最後に何を残したいのか。
書きながら、私は何度も自分自身と向き合った。
でも、人生は自分一人では完結しない。
人は、人によって変わる。
人は、人との関わりの中で育つ。
そして組織は、人が育つことで強くなっていく。
だから第2章では、「人を育てること」「組織をつくること」について書いていきたい。
その第1話として、今回は「育成」について考えてみたい。
育成とは、何なのか
「人を育てることが大事だ。」
社会人になってから、この言葉を何度も聞いてきた。
管理職になってからは、何度も自分に言い聞かせてきた。
でも、正直に言えば、私は長い間、育成の意味を分かっていなかった。
教えること。
指導すること。
正解を伝えること。
足りないところを直すこと。
若い頃の私は、それが育成だと思っていた。
だから、部下に対してもよく言っていた。
こうした方がいい。
それは違う。
もっと考えろ。
なぜ分からないんだ。
今振り返ると、未熟だったと思う。
私は、相手を育てているつもりで、相手を自分の正解に近づけようとしていただけだった。
育成という言葉を使いながら、実は相手を見ていなかった。
見ていたのは、自分の基準だった。
教えても、人は変わらない
人は、教えれば変わる。
昔の私は、そう思っていた。
正しいことを伝えれば、分かってくれる。
丁寧に説明すれば、動いてくれる。
やり方を教えれば、成長してくれる。
でも、現実はそうではなかった。
何度説明しても変わらない人がいた。
厳しく言っても動かない人がいた。
期待して任せても、途中で止まってしまう人がいた。
そのたびに、私は思っていた。
なぜ分からないのか。
なぜやらないのか。
なぜ本気にならないのか。
でも、今なら少し分かる。
人は、教えられただけでは変わらない。
人は、自分で気付いた時に変わる。
自分で悔しいと思った時。
自分でまずいと思った時。
自分で変わりたいと思った時。
その瞬間からしか、人は本当の意味では変わらない。
育成とは、相手を変えることではない。
相手が自分で変わるきっかけを渡すことなのだと思う。
答えを渡しすぎていた
私は、せっかちな人間だ。
早く結論を出したい。
早く前に進めたい。
早く成果につなげたい。
だから、部下が悩んでいると、すぐに答えを渡したくなる。
それはこう考えればいい。
この順番で進めればいい。
この人に確認すればいい。
ここが論点だ。
そう言えば、仕事は前に進む。
その場では早い。
でも、ある時気付いた。
私が答えを渡しすぎるほど、相手は考えなくなる。
相手は失敗しない。
でも、成長もしない。
仕事は進む。
でも、人は育たない。
これは、私自身の大きな反省だ。
育成とは、相手の失敗を先回りして消すことではない。
相手が考える前に、正解を渡すことでもない。
時には、分かっていても待つ。
遠回りだと分かっていても、考えさせる。
失敗しそうだと分かっていても、致命傷にならない範囲で任せる。
その我慢が、育てる側には必要なのだと思う。
育てる側の都合
育成が難しいのは、育てられる側だけの問題ではない。
むしろ、育てる側の問題の方が大きいのかもしれない。
待てない。
任せきれない。
失敗させられない。
自分でやった方が早いと思ってしまう。
報告が粗いと不安になる。
考えが浅いと口を出したくなる。
その気持ちは、私にもある。
今でもある。
でも、それを続けると、部下はいつまでも自分で判断できない。
上司の顔を見るようになる。
正解を探すようになる。
怒られない選択をするようになる。
それは、育成ではない。
管理である。
もちろん、管理は必要だ。
組織には規律も必要だ。
でも、管理だけでは人は育たない。
人が育つには、自分で考え、自分で選び、自分で背負う経験が必要だ。
その経験を奪ってしまうのは、上司の過干渉なのだと思う。
人は、任された時に育つ
人は、いつ育つのか。
私は、任された時だと思う。
ただし、丸投げではない。
放置でもない。
任せるとは、相手に考える余白を渡すことだ。
自分で決める責任を渡すことだ。
そして、最後は逃げずに支えることだ。
任せる側には、覚悟がいる。
失敗するかもしれない。
期待通りに進まないかもしれない。
自分でやった方が早いかもしれない。
それでも任せる。
なぜなら、任されなければ、人は自分の力を信じられないからだ。
私自身もそうだった。
最初から自信があったわけではない。
できると思っていたわけでもない。
それでも、任せてくれた人がいた。
失敗する機会をくれた人がいた。
答えをすぐに教えず、考えさせてくれた人がいた。
その経験が、今の自分をつくっている。
人は、教えられて育つのではない。
信じて任され、その責任に向き合う中で育っていく。
成長は、本人のもの
どれだけ上司が本気になっても、本人が変わろうとしなければ人は変わらない。
これは冷たい言い方に聞こえるかもしれない。
でも、育成に向き合うほど、この現実からは逃げられない。
上司が代わりに考えることはできる。
環境を整えることもできる。
機会を渡すこともできる。
言葉をかけることもできる。
でも、最後に一歩踏み出すのは本人だ。
悔しさを力に変えるのも本人。
失敗から学ぶのも本人。
責任を引き受けるのも本人。
成長は、上司の所有物ではない。
本人のものだ。
だからこそ、育てる側ができることには限界がある。
しかし、その限界を知った上で、なお関わり続けること。
それが育成なのだと思う。
育成とは、信じて待つこと
私は、育成とは「信じて待つこと」だと思っている。
ただ優しく待つという意味ではない。
何も言わずに放っておくことでもない。
相手の可能性を信じる。
でも、現実から目をそらさない。
必要なことは言う。
厳しいことも伝える。
逃げている時は向き合わせる。
ただし、最後の答えまでは奪わない。
自分で考える余白を残す。
自分で選ぶ責任を残す。
自分で成長した実感を残す。
人は、誰かに変えてもらった時よりも、
自分で変われたと思えた時に強くなる。
その瞬間をつくることが、育成の本質なのだと思う。
人を育てる人も、育てられている
育成とは、相手だけが成長するものではない。
人を育てようとする側もまた、育てられている。
待つことを覚える。
任せる怖さを知る。
自分の未熟さに気付く。
相手の価値観を受け入れる。
思い通りにならない現実と向き合う。
そして、相手が成長した時、自分一人では見られなかった景色を見る。
人を育てるとは、相手の人生に関わることだ。
軽いことではない。
思い通りにいかないことの方が多い。
悩む。
迷う。
腹が立つこともある。
それでも、誰かが変わる瞬間に立ち会えることがある。
あの瞬間があるから、私は人の成長にこだわり続けているのだと思う。
人は、教えられて育つのではない
若い頃の私は、人を育てるとは、正解を教えることだと思っていた。
今は違う。
人を育てるとは、相手が自分で考え、自分で選び、自分で背負えるようになるまで関わり続けることだと思っている。
答えを渡すことではない。
問いを渡すこと。
失敗を奪うことではない。
経験を渡すこと。
管理することではない。
信じて任せること。
そして、必要な時には逃げずに向き合うこと。
人は、教えられて育つのではない。
信じられ、任され、悩み、失敗し、それでも自分で立ち上がる中で育っていく。
だから私は今日も、自分に問い続ける。
私は、相手の成長を本当に信じているか。
私は、相手が考える余白を奪っていないか。
私は、答えを渡すことで、自分が安心したいだけではないか。
育成とは、相手を変えることではない。
相手が変わる力を信じ続けること。
そして、その人が自分の人生を自分で選べるようになるまで、関わり続けることなのだと思う。
── Flow Thinker R.
第一章記事
