人生は、選択でできているー 考えるとは、自分として未来を選択していくこと。
人生を変える、本質。第1章
自分は、どう生きるか。
人生は、何によって変わるのだろう。
大きな出来事か。
環境か。
出会いか。
それとも、運か。
もちろん、それらも人生を変えるきっかけになる。
でも、今の私は少し違う考えを持っている。
人生を変えるのは、出来事そのものではない。
その時、自分が何を選んだか。
その積み重ねが、今の自分をつくっている。
転職も。
昇進も。
責任も。
失敗も。
出会いも。
記事を書き続けることも。
出来事だけを見れば、ただの通過点かもしれない。
でも、その一つひとつの前で、自分が何を選んだのか。
そこに、その人の人生が出る。
今回は、「選択」について書きたい。
人生は、大きな出来事で変わると思っていた
「人生を変えた出来事は何ですか。」
そう聞かれたら、多くの人は、転職や昇進、結婚や出会いを思い浮かべるかもしれない。
私も昔はそうだった。
人生は、大きな出来事によって変わるものだと思っていた。
でも、今振り返ると、少し違う。
大切だったのは、出来事そのものではなかった。
その出来事の前で、自分が何を選んだかだった。
給料が下がることを分かっていて、転職した。
家族もいる。
生活もある。
普通に考えれば、不安がないわけがない。
それでも、このままでは自分は変われないと思った。
経験も実績も足りない中で、大きな責任を引き受けた。
33歳で部長を任された時、自分には早すぎると思った。
周りからどう見られているのかも気になった。
本当に自分で務まるのか。
失敗したらどうするのか。
期待を裏切ったらどうするのか。
何度もそう思った。
それでも、逃げなかった。
誰も正解を持っていない仕事にも向き合ってきた。
前例がない。
答えもない。
誰かが道を用意してくれるわけでもない。
それでも、やると決めた以上、自分で考え、自分で決め、自分で背負うしかなかった。
そして、155本もの記事を書き続けた。
最初から自信があったわけではない。
何を書けばいいのか分からない日もあった。
誰に届いているのか分からない日もあった。
それでも、書くことを選び続けた。
当時は、それを「挑戦」だと思っていた。
でも今は、少し違う。
あれは挑戦というより、
未来を選ぶという決断だった。
怖くなかったわけではない。
迷わなかったわけでもない。
本当にこれでいいのか。
失敗したらどうするのか。
戻れなくなったらどうするのか。
そんな不安は、いつもあった。
それでも選んできた。
なぜなら、変わりたかったからだ。
今いる場所の延長線上に、自分が望む未来はない。
そう感じた時、人は何かを決めなければならない。
変わりたいから、環境を変えてきた
私は、環境によって大きく変わる人間だ。
同じ一年でも、どこに身を置くかによって、成長速度は何倍にも変わる。
どんな人と働くのか。
どんな責任を背負うのか。
どんな課題に向き合うのか。
どんな緊張感の中に身を置くのか。
それによって、人は大きく変わる。
だから私は、環境を変えることを恐れなかった。
いや、正確に言えば、
変わりたいから、環境を変えてきた。
この順番が大切なのだと思う。
環境が人を変えることはある。
でも、環境だけが人を変えるわけではない。
変わると決めた人だけが、その環境を意味あるものにできる。
同じ職場でも、成長する人がいる。
同じ転職をしても、変わらない人がいる。
同じチャンスをもらっても、伸びる人と伸びない人がいる。
違いは、環境だけではない。
その環境の中で、自分がどう振る舞うかである。
学ぶのか。
流されるのか。
背負うのか。
逃げるのか。
人のせいにするのか。
自分の課題として引き受けるのか。
環境は、きっかけをくれる。
でも、そのきっかけを人生の転機に変えるのは、自分である。
正解を探すことをやめた
若い頃の私は、「正解」を探していた。
失敗しない方法。
評価される方法。
早く成長する方法。
正しいキャリア。
正しい努力。
正しい人生。
できるだけ間違えたくなかった。
遠回りしたくなかった。
損をしたくなかった。
恥をかきたくなかった。
だから、正解を探していた。
でも、社会に出て気付いた。
人生には、最初から用意された正解などない。
あるのは、自分が選んだ道だけだ。
選ぶ前から正解かどうかは分からない。
選んだ後に、正解にしていくしかない。
転職が正解だったのか。
責任を引き受けたことが正解だったのか。
前例のない仕事に踏み込んだことが正解だったのか。
書き続けることが正解だったのか。
その瞬間には分からなかった。
分からないまま、選ぶしかなかった。
だから最近は、「正解は何ですか」と考えることをやめた。
代わりに、自分へ問い続けるようになった。
このままでいいのか。
本当に守りたいものは何か。
十年後、どんな人間でありたいのか。
何を得たいのか。
何を手放すのか。
誰のために働きたいのか。
何から逃げたくないのか。
この問いに向き合う時間が、私にとって「考える」ということだった。
考えるとは、自分で選ぶこと
私は、部下に「考えろ」とよく言う。
でも、本当に伝えたいのは、知識を増やせということではない。
分析しろということだけでもない。
自分で未来を選べ。
ということだ。
会社が決める。
上司が決める。
周りが決める。
世間が決める。
そんな人生は、いつか必ず誰かのせいになる。
環境が悪かった。
運が悪かった。
上司が悪かった。
会社が悪かった。
もちろん、そう思いたくなる時もある。
実際に、自分だけではどうにもならないこともある。
すべてを自分の責任だと言いたいわけではない。
でも、最後まで残る問いは一つしかない。
その中で、自分は何を選ぶのか。
私は、その問いから逃げない人が成長するのだと思っている。
考えるとは、答えを当てることではない。
自分として、未来を選ぶことである。
変われる人は、人生を人に預けない
今まで、多くの人を見てきた。
変われる人。
変われない人。
その違いを、能力だと思っていた時期もある。
頭が良いか。
経験があるか。
要領が良いか。
そういう差だと思っていた。
でも、違った。
変われる人には、一つだけ共通点がある。
人生を誰かに預けていない。
苦しくても、自分で決める。
怖くても、自分で踏み出す。
失敗しても、自分で背負う。
だから、変われる。
逆に、人生を環境に委ねた瞬間、人は考えなくなる。
誰かが変えてくれる。
会社が何とかしてくれる。
上司が導いてくれる。
環境が整えば、自分も変われる。
そう思っているうちに、時間だけが過ぎていく。
自分で選ばない人生は、楽に見える。
でも、その代わりに、自分の人生を生きている実感を失っていく。
私は、それが一番怖い。
人生は、誰かに預けた瞬間、自分のものではなくなっていく。
安全な道だけを選んでいたら、今の私はいない
自分の人生を振り返ると、
「あの時、勇気を出してよかった」
そう思う選択ばかりだ。
給料が下がる転職もそうだった。
責任ある立場を引き受けたこともそうだった。
誰も正解を持っていない仕事に踏み込んだこともそうだった。
記事を書き続けると決めたこともそうだった。
あの時は怖かった。
失敗するかもしれない。
後悔するかもしれない。
評価されないかもしれない。
自分には無理かもしれない。
そう思ったことは、一度や二度ではない。
逃げたくなることもあった。
体も心も限界に近かった時期もある。
朝起きると、吐き気がする。
それでも会社へ行かなければならない。
そんな日もあった。
それでも、今振り返ると、あの苦しい時間も自分をつくっていたと思う。
もしあの時、安全な道だけを選んでいたら、今の私はいない。
安全な道が悪いわけではない。
守るべきものがある時もある。
無理に挑戦すればいいわけでもない。
でも、自分の本心に気付いていながら、怖さだけで踏み出さなかった道は、後から必ず心に残る。
人生は、日々の決断によって少しずつ形を変えていく。
だから私は、未来をただ予測しようとは思わない。
未来は、待つものではない。
自分で選ぶものだと思っている。
書くことも、選択だった
155本の記事を書いてきて、一つだけ分かったことがある。
記事を書くことは、ただの発信ではなかった。
選択だった。
何を書くのか。
何を書かないのか。
何を信じるのか。
何を伝えたいのか。
どんな言葉を残したいのか。
そのたびに、自分はどんな人間でありたいのかを問い続けてきた。
だから、記事を書けば書くほど、自分自身が変わっていった。
読者へ問いを投げかけながら、一番問い続けられていたのは、自分だった。
書くことは、自分の人生を選び直す時間でもあった。
言葉にすると、ごまかせない。
自分は本当にそう思っているのか。
自分は本当にそう生きているのか。
その問いが、いつも自分に返ってくる。
1万スキを超えても、問いは残る。
自分は、何を届けられているのか。
誰かの人生に、少しでも残るものを書けているのか。
だからこれからも、書くことを選び続けたい。
自分自身から逃げないために。
小さな選択が、自分をつくる
人生は、一度の大きな決断だけで変わるわけではない。
今日、誰に感謝するか。
誰を助けるか。
何を学ぶか。
何から逃げるか。
何と向き合うか。
誰のせいにするのか。
それとも、自分で引き受けるのか。
その小さな選択が積み重なり、自分という人間をつくっていく。
人生は、特別な瞬間だけでできているわけではない。
むしろ、何気ない日々の小さな選択の方が、自分を静かに形づくっている。
挨拶をする。
感謝を伝える。
謝る。
任せる。
信じる。
逃げずに話す。
苦しくても前に出る。
小さなことに見えるかもしれない。
でも、そういう一つひとつが、その人の人間性になる。
だから私は、「考える」という言葉が好きだ。
でも、その意味は昔とは違う。
考えるとは、知識を増やすことではない。
答えを探すことでもない。
自分として、未来を選択していくこと。
そのために考えるのだ。
自分で選んだ人生を歩きたい
若い頃の私は、正しい人生を歩きたかった。
失敗しない人生。
評価される人生。
損をしない人生。
できるだけ間違えない人生。
でも今は違う。
私は、自分で選んだ人生を歩きたい。
正解だったかどうかは、最後まで分からない。
でも、自分で考え、自分で選び、自分で背負った人生なら、後悔はしないと思う。
もちろん、これからも迷う。
怖くなる日もある。
間違えることもある。
逃げたくなることもある。
それでも、自分の人生を誰かに預けたくない。
だから今日も、自分に問い続ける。
自分は、どんな未来を選ぶのか。
何を守るのか。
何を手放すのか。
何から逃げないのか。
誰のために、自分の時間を使うのか。
人生は、その問いに答え続けることで形づくられていく。
だから私は、これからも選び続けたい。
正解かどうか分からなくても。
怖くても。
迷っても。
自分の人生を、誰かに預けないために。
── Flow Thinker R.
人生を変える、本質シリーズを書く理由
その全貌
