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人間性は、才能ではないー 生き方は、毎日の選択でできている。

人生を変える、本質。第1章

自分は、どう生きるか。

能力だけでは、人はついてこない。

人生は、選択でできている。

では、その選択を積み重ねた先に、何が残るのか。

私は、それが人間性なのだと思っている。

若い頃の私は、人間性という言葉があまり好きではなかった。

大切なのは分かる。

でも、どこか曖昧だった。

優しいことなのか。

礼儀正しいことなのか。

思いやりがあることなのか。

人によって答えが違う。

だから、どこかきれいごとのようにも聞こえた。

それよりも、私は能力を信じていた。

能力があれば評価される。

能力があれば結果が出る。

能力があれば人は認めてくれる。

本気でそう思っていた。

でも、多くの人と出会い、多くの失敗を経験する中で、一つだけ確信したことがある。

能力は、人を感心させる。

でも、

人間性は、人を安心させる。

この違いは、とても大きい。

今回は、「人間性」について書きたい。


人間性とは何なのか

「人間性が大事だ。」

社会人になってから、この言葉を何度も聞いてきた。

でも、私は長い間、その意味をうまく掴めなかった。

人間性とは何なのか。

誰も、はっきり教えてくれなかったからだ。

優しい人のことなのか。

明るい人のことなのか。

礼儀正しい人のことなのか。

人当たりがいい人のことなのか。

もちろん、それらも大切だと思う。

でも、それだけでは足りない。

優しく見えても、苦しい時に逃げる人がいる。

礼儀正しく見えても、陰で人を傷つける人がいる。

人当たりが良くても、自分が不利になると責任を取らない人がいる。

逆に、口数は少なくても、最後まで人を守る人がいる。

不器用でも、約束を守る人がいる。

厳しくても、相手の未来を本気で考えている人がいる。

だから、人間性は表面的な印象だけでは分からない。

人間性は、苦しい時に出る。

自分が損をする時に出る。

誰も見ていない時に出る。

自分を守るか。

相手を守るか。

逃げるか。

引き受けるか。

そこに、その人の本当の生き方が出る。


人がついていく人

人は、能力だけではついてこない。

最後に人がついていくのは、

「この人なら大丈夫だ」

そう思える人だ。

どれだけ頭が良くても。

どれだけ仕事ができても。

どれだけ正しいことを言っていても。

その人のそばにいると不安になる。

その人に任せると、誰かが傷つく。

その人が上に立つと、周囲が疲れていく。

そんな人には、最後まで人はついてこない。

私は、管理職になってから何度も人を見誤った。

能力がある。

頭もいい。

仕事もできる。

だから、きっと任せられる。

そう思っていた。

でも、違った。

能力が高いことと、人を預けられることは同じではなかった。

成果を出せることと、人を育てられることも同じではなかった。

正しいことを言えることと、人を動かせることも同じではなかった。

能力だけを見て任せた結果、部下が苦しんだことがある。

組織が疲弊したこともある。

本人も苦しみ、周りも苦しんだ。

その時、初めて気付いた。

私が見ていたのは、能力だった。

でも、本当に見るべきだったのは、

その人が、どう生きているか。

だった。


人を見る基準が変わった

それから、私の人を見る基準は変わった。

今、一緒に働きたいと思うのは、能力が高い人だけではない。

困っている人がいたら、自分の手を止めてでも助けられる人。

自分が損をしても、約束を守る人。

人の価値観を受け入れられる人。

自分の負けを認められる人。

弱さを隠さず、ありのままで向き合える人。

そして最後は、責任を引き受ける人。

昔なら、そういう人を見て、

「いい人だね」

で終わっていたかもしれない。

今は違う。

私は、そこに人間性を見る。

人間性とは、言葉の美しさではない。

態度の良さだけでもない。

苦しい時に、何を選ぶか。

損をする時に、どう振る舞うか。

自分が不利になった時に、何を守るか。

誰かが困っている時に、見て見ぬふりをするのか。

それとも、一歩踏み出すのか。

そこに、その人の生き方が出る。

そして、人はその生き方を見ている。

言葉以上に。

成果以上に。

肩書き以上に。


人間性は、毎日の選択でできている

では、人間性は生まれつきなのだろうか。

私は、そうは思わない。

人間性は、才能ではない。

毎日の選択である。

自分を守るのか。

相手を守るのか。

言い訳をするのか。

責任を引き受けるのか。

損得で動くのか。

信念で動くのか。

見て見ぬふりをするのか。

一歩踏み出すのか。

人の成功を喜ぶのか。

嫉妬に飲まれるのか。

弱い人を切り捨てるのか。

支える側に回るのか。

その一つひとつの選択が、人間性をつくっていく。

大きな決断だけではない。

日々の小さな振る舞いの中に、人間性は出る。

挨拶をする。

感謝を伝える。

謝る。

約束を守る。

人の話を聞く。

困っている人に声をかける。

都合が悪いことから逃げない。

一つひとつは、小さなことかもしれない。

でも、その積み重ねが、その人をつくっていく。

だから、人間性は完成された人格ではない。

磨き続ける姿勢そのものなのだと思う。


先に与えられる人でありたい

私は、「GIVE」ということを大切にしている。

見返りを求めない。

相手が喜ぶことを先にやる。

困っていたら助ける。

必要とされる前に、自分から動く。

それは、仕事だけの話ではない。

人生そのものだと思っている。

「損をしているね」

そう言われることもある。

でも、私は損だと思ったことがない。

人は、人によって変わる。

私自身、多くの人に変えてもらった。

厳しく叱ってくれた人。

信じて任せてくれた人。

失敗しても見捨てなかった人。

苦しい時に支えてくれた人。

逃げそうな時に、踏みとどまらせてくれた人。

そういう人たちがいたから、今の自分がある。

自分一人でここまで来たわけではない。

誰かが、先に与えてくれた。

だから今度は、自分が誰かに渡す側でありたい。

誰かの人生を大きく変えられるほどのことはできないかもしれない。

でも、少し前を向ける言葉を渡すことはできるかもしれない。

もう一度やってみようと思える機会を渡すことはできるかもしれない。

自分も変われると思えるきっかけを渡すことはできるかもしれない。

それが、私にとっての人間性の一つである。


私は、まだ未熟だ

もちろん、私はまだ未熟だ。

今でも、自分より努力していないように見える人が評価されると、心がざわつく。

悔しいと思う。

納得できない時もある。

人の成功を、素直に喜べない時もある。

自分の小ささに嫌になる日もある。

それでも、昔と違うことが一つある。

その感情をごまかさなくなった。

まだ未熟だな。

そう受け止められるようになった。

人間性がある人間を演じたいわけではない。

完璧な人間だと思われたいわけでもない。

私は、人間性が高い人間ではない。

ただ、人間性を磨き続ける人間でありたい。

この違いは、とても大きい。

完璧であることよりも、未熟さから逃げないこと。

正しい人に見られることよりも、間違えた時に向き合うこと。

人間性とは、立派な人を演じることではない。

自分の弱さを知り、それでも少しでも良くあろうとすることなのだと思う。


最後に残るもの

最近、こんなことを考える。

人生の最後に、人は何で評価されるのだろう。

役職だろうか。

実績だろうか。

能力だろうか。

もちろん、それらも人生の一部だ。

能力を磨くことは大切だ。

成果を出すことも大切だ。

責任ある立場を目指すことも、大切なことだと思っている。

でも、最後に残るものは、少し違う気がしている。

あの人には助けてもらった。

あの人は裏切らなかった。

あの人は、最後まで責任を取った。

あの人の言葉に救われた。

あの人の背中を見て、自分も変わろうと思えた。

人は、そんな記憶を残していく。

能力は、数字で残る。

成果は、記録に残る。

肩書きは、名刺に残る。

でも、

人間性は、人の心に残る。

私は、そんな人生を歩みたい。


生き方が、人間性になる

若い頃の私は、能力を磨けば人生は変わると思っていた。

今は違う。

人生を変えるのは、能力だけではない。

肩書きでもない。

才能でもない。

毎日、自分がどんな選択をするか。

その積み重ねが、人間性になる。

そして、その人間性が、信頼をつくり、人生をつくっていく。

だから私は今日も、自分に問い続ける。

この選択は、自分を守るためだけのものか。

それとも、誰かを支えるためのものか。

この言葉は、自分を正当化するためのものか。

それとも、相手と向き合うためのものか。

この行動は、損得で選んでいるのか。

それとも、自分が大切にしたい生き方で選んでいるのか。

人間性とは、生まれ持った才能ではない。

毎日の生き方が、静かにつくり上げていくものなのだと思う。

だから私は、これからも磨き続けたい。

能力だけではなく。

肩書きでもなく。

人の心に、安心として残る自分であるために。

── Flow Thinker R.


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