ネギかけ放題の青春——三角茶屋・豊吉うどん「きつねうどん」
宮崎駅のなかに、創業九十年を超えるうどん屋がある。三角茶屋・豊吉うどん。高校生のオレは、ここでネギを山のようにかけて青春を過ごした。いまは、おばちゃんが笑って多めにかけてくれる。同じ三角でも、東京とはえらく違うのであった——きつねうどん一杯をめぐる、宮崎の話。
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宮崎駅のなかに、三角茶屋・豊吉うどんはある。

昭和七年創業、もう九十年をゆうに超える老舗なのであった。創業者の豊吉さんは九十七歳まで店に立っていたというから、これはもう、うどんというより一つの宮崎史である。
高校生のころ、オレはこの三角茶屋に何度通ったかわからない。
あのころは、ネギが大きな容器にどさっと入っていて、かけ放題だったのである。ネギ好きのオレが、どうしたか。言うまでもない。うどんが完全に見えなくなるまで、青い山をこしらえたのであった。
丼のなかにネギの草原ができて、その下からうどんを発掘する。あれはあれで、まことに正しい青春だったと思う。いまの高校生が見たら、なにをやっているんですか、と真顔で言われるかもしれない。
SNSに投稿され、炎上し、名前、住所、学校名までさらされたかもしれない。
ああ、スマホがない時代はよかった、よかった、ネットがない時代はよかった、と68歳のオレは涙を浮かべつつネットを使ってnoteやXに書き込んでいるのである。
でも、まあ、ネギかけ放題というのは、それだけで一つの自由なひとつの文化なのであった。

いまは、おばちゃんがネギを適量かけてくれる。
すまん、おばちゃんは、たぶん、オレより若いのだが、こちらの気分としてはおばちゃんなのである。
ところがだ。「ちょっと多めにお願いします」と頼むと、おばちゃんはにっこり微笑んで、多めにかけてくれるのだ。

この、微笑んで、というところがいい。宮崎なのである。これが東京のうどん屋だと、目を三角にして睨まれるのであった。同じ三角でも、三角茶屋とではえらく違うのだ。まったく、三角という字の使い方が、東と西でこうも違うものかと思う。
いやはや、いやはや。

来たきつねうどんは、四百六十円。
黒い丼のまんなかに、きつねの揚げがどっしりと寝そべっていた。その上に青ねぎがこんもりと盛られ、一味唐辛子がぱらりと赤を散らしている。汁は澄んだ琥珀色で、丼の縁の近くまで満ちていた。
箸を入れると、うどんがやわらかく持ち上がる。揚げを噛むと、含んだ出汁がじゅわりと口の奥でほどけた。甘く炊かれた揚げと、いりこの効いた汁。宮崎のうどんは、これでいいのである。これがいいのである。
オレは何を隠そう、きつねうどんが大好きだ。
天ぷらうどんが来ようと、海老天うどんが大勢でかかってこようと、オレは断固きつねの味方をする。揚げ一枚あれば、それでいい。豪華さなど、いらないのである。
まあ、血糖値のことは、食べ終わってから考えることにした。
ネギを多めに、と笑って受け取ってくれる店が、まだ宮崎にはある。それだけで、悪くない朝なのであった。九十年続いた味の上に、おばちゃんの微笑みが一杯ぶん、よけいにのっている。まったく、ありがたい話なのであった。
読んでくれてありがとう。次もこういう、うどんと人情の話を書く予定である。
