83年ファミコンに挑んだゲーム機列伝、セガ真の宿敵はMSX?
1983年のファミコンの登場はまさに「その時歴史が動いた」瞬間でした。その圧倒的な性能は瞬く間に日本統一を果たし、やがて世界をも席巻することになるのでした。しかしその栄光の影には、絶対王者に挑んでいったツワモノ達の存在があったのです。
今回は「いにしえのゲーム機列伝」と、実はセガの真のライバルはファミコンではなくMSXだったという知られざる暗闘の物語です。
注意、今回紹介の機種を僕は所有していないので、画像は全てヤフオク、メルカリ、Wikipedia等からの転載になります🙇
❶昭和悪ガキの生活実態

僕は昭和48年生まれなのですが、僕より少し若い方とお話すると「物心ついた時にすでにファミコンがあった。」という話をよく聞きます。つまり家庭にゲーム機があるのが当たり前の世代ということになるのですね。ファミコン登場時僕は小学校4年生でしたが、それ以前は子供たちの遊びが全く違っていました。まずはその頃の悪ガキ連中が、どんなことに興味を持っていたかを振り返ってみましょうか。







まずは1979年の幼児向け雑誌から。超合金やウルトラマンのソフビ人形、ボードゲームにミニカーなんかが定番でした。



小学校に上がると腕時計を付けているのがステータスになりました。当時はかなりの高額品で、持ってる奴は見せびらかしてましたね。スネ夫かよ!




小学校3-4年になると子供のホビーにも幅が出てきました。一番人気はやはりガンプラブームからのプラモデルでしたね。やまと虹一先生の『プラモ狂四郎』が連載されていたのも人気に拍車をかけました。当時のガンプラブームを感じる事ができるホビー系マンガの最高傑作ですよ。






元祖てっちゃんことNゲージ。これは相当お金持ちの子供じゃないと無理な趣味で、超絶羨ましかったです。デパートとかの展示会で眺めるのがやっとでした。この頃PC88などで制御するNゲージが発売されましたが、天文学的予算と専門知識が必須の世界でした。それでもやってる小学生いましたよ、この道は本当に奥が深いです。多分今でも続けてるんだろうなあ。


モデルガンも流行りました。どうしても男の子は武器を持ちたがる本能から離れられないんですよね。コミックボンボン連載の『モデルガン戦隊』好きだったなあ。僕はお金がなかったので銀玉鉄砲がやっとでした。でもムエタイ修行時代にタイでホンモノ撃ちまくったからいいんだよ!(いいのか😅)
僕はこの頃の憧れから「ウィンチェスターM1873」を所有してます。他にもコルト・パイソンやヌンチャク、アーミーナイフなどのブツが陳列されているので、気味悪がって母上や嫁さんは僕の部屋に立ち入ろうとしません。まあ魔除けみたいなもんです😁




ラジコンも羨ましい趣味の一つでした。僕はやったことないんですが、TV番組のタミヤRCカーグランプリは楽しみにしていました。



ちょと背伸びしたい子は大人向けボードゲームであるシミュレーションゲームに手を出していました。ちょうどアニメを題材にしたシリーズがツクダホビーから発売され、静かなブームになっていた時期です。僕は悪友FM7くんが持っていたので幾つかプレイできたんですが、この体験がパソコンゲームのSLGやTRPGにドハマりする切っ掛けになったと思います。


もちろんゲームにも興味津々でした。しかし当時のゲーセンは、小学生の立ち寄りを監視付きで禁止する北朝鮮状態。かと言って家庭用ゲーム機は高すぎて一般家庭には高嶺の花でした。そんな訳で子供たちが遊べるゲームは電子ゲームが主流でした。
夥しい数が発売された電子ゲームでしたが、やはりそれなりに高額だったので、友達と貸し借りして遊ぶのがお約束でした。

デザインもかっこよく、時計機能がついているというのも子供心をくすぐりました。








1983年頃にはちびっこの中でプロレス人気が爆発していました。ゴールデンタイムで生中継が見れたいい時代でしたね。今振り返るとプロレスこそ最高のファンタジーを子供たちに提供してくれた、まさに超人たちだと思います。
僕はその後大学でプロレス研究会に入るんですが、所属メンバー全員が『プロレススーパースター列伝』 を全巻丸暗記するほど読み込んでいましたよ。僕が
😏「あれって面白いけどフィクションだからなあ」
と呟くと、
😨😱😵「え、アレってガチじゃねえの?」
と落胆した奴が何人かいたぐらいです。 僕がプロレスについて語りだすとキリがないので、ぐっと我慢してこの辺で・・・




しかしやはり最も人気だったスポーツはプロ野球。この時期は皆野球帽を被り、前日の巨人戦の結果が挨拶代わりでしたね。僕は父上が全く野球が不得手だったのでルールが理解できず、仲間外れにされて相当悔しい思いをしました。しかしファミスタとドカベンで野球を覚えた後は野球狂の道を突き進むことになるのですが…


昭和アイドルも全盛を迎えていました。僕の感覚だと現実の世界でなく、異世界の女神という感じでした。ある意味プロレスラーと同じ視点で見ていたような気がします。どのアイドルも凄く輝いていましたよ。






ここら辺の子どもが興味を持ちそうな事柄に関しては、ケイブンシャが1978年から発行を始めた『ケイブンシャの大百科』シリーズに詳しいですね。今回は取り上げなかったアニメ、特撮作品なども網羅していて、児童書とは思えないほどディープな情報が詰まっていました。その後オタク道に邁進するマニアックな子供たちにとってバイブル的な存在でした。





ちなみに僕の10歳になる甥っ子は特撮について熱く語り合う仲なんですが、僕の自室に遊びに来ると
😊「おじちゃん、ここで仕事できるの?」
と、笑顔で僕の繊細なハートを超電磁スピンのように抉ってきます。いいんだよ!この方が落ち着くんだ、君の駄目なオジサンは😅

❷いにしえのゲーム機列伝








以前8bitパソコンの戦国時代について語りましたが、家庭用ゲーム機の世界も群雄割拠の時代でした。大型デパートの玩具売場には様々な機種のゲーム機が陳列されていて、どれも輝いて見えたものです。
この時代はまだゲーム機を扱う専門雑誌は存在せず、パソコン雑誌で特集されるのが数少ない情報源でした。前回紹介したPC雑誌テクノポリスの1983年10月号の記事で
「入門用パソコン&ビデオゲーム専用機、14機種を全比較」
という特集がありました。この中でゲーム機だけを選別すると・・・あれ?一人だけ悪魔将軍みたいのが混じってるぞ😅それではファミコン以外の各機種の解説と想い出を、発売順に振り返ってみましょう。
●カセットビジョン 1981年7月 エポック






もはや全てが伝説のカセットビジョン、1983年時点で最も売れていた家庭用ゲーム機でした。僕が友達の家で遊んだ初めてのゲーム機もカセットビジョンでしたね。家でTVゲームが遊べた興奮は今でもはっきりと覚えていますよ。
何と本体にはCPUがなく、カートリッジ側に内蔵されているという驚愕の構造です。つまり実体はカセットの方だったのです。他にもテレビのチャンネル表示用のドット(僕らの世代なら解りますよね💦)を映像に使用しているなど、何もかもが伝説です。75×60ピクセルで三角ドットなどロマンの塊ですよ。この性能で横スクロールシューティングゲームの『アストロコマンド』を発売してるんだから気合が入ってます。
本体価格が12,000円と当時ではぶっちぎりに安く、1983年7月発売の廉価版のカセットビジョンJr.は何と5,000円でした。これはテレビゲーム機では最安値記録だったそうです。
問題はコントローラで本体一体型なのはまだいいとしても、上下左右に相当するボタンが水平に4個設置されてるんです。解りにくいと思うんですが、写真下部のPUSH-1~4のボタンがコントローラーなんですよ。コレでパックマンの移植版の『パクパクモンスター』とかやると大混乱します。
ややこしいことにそれとは別に左右2方向のみのレバースイッチもあるんですが、前述の横STG『アストロコマンド』では上下移動に使用されるんです。解りにくいよ!でも当時の僕たちはそれでも満足するぐらいゲームに飢えていました。

これがド迫力でカッコいいんですよ。これはファミコンを超えてます。

カセットビジョンの『モンスターマンション』はこの移植版とも呼べる内容でした。

エポック社は数々の電子ゲームを発売していましたが、カセットビジョンのソフトはその移植版という感じのものが多かったようです。電子ゲームと本格的な家庭用ゲーム機の中間のような存在だったのかもしれません。
●インテレビジョン 1982年7月 バンダイ





家庭用ゲーム機としては史上初めて16ビットCPUを搭載したバンダイのメリケン輸入機。本場米国では1980年に299ドルで正式発売されたそうですが、当時のレート1ドル220円として約66000円です。
木目調の高級感のある本体に16bitの凄い奴なのですが、本体価格49800円とこれまた超ド級のお値段、現在では3倍近い感覚でしょうか。翌年には速攻で半額にされたのだそうですが、サターンやPSみたいですね。
デパートで見た時、超高級感が漂っていてビビりました。一応遊ばせて貰えたんですが、店員さんが壊さないように厳重に監視してました😅
アルカディアもそうなんですが、専用ジョイスティックがテンキー付属タイプでバカでかいんですよ。これは子供の手に対して大きすぎて上手く操作できませんでした。デパートの展示でやりまくったので実証済みです😁ちなみにCMにはたけしさんが起用されていました。
●オデッセイⅡ 1982年9月 マグナボックス



軍事用電子機器メーカーの社員が開発した、世界最古の家庭用ゲーム機とも言われるオデッセイの後継機であるオデッセイ2。キーボードを標準搭載していて、ゲーム機と入門機パソコンを合体させたようなコンセプトでしょうか。お値段は定価49,800円、1ドル250円時代だから仕方がないか😅しかし米国の発売は1978年9月という4年落ちのマシンなので性能的に厳しかったかもしれません。
特徴はオプションの音声合成ユニットで、これまたお値段19,800円。しかし音声が英語なのであまり聞き取れないのでした。
●アルカディア 1983年3月 バンダイ



「負けると分かっていても戦わなくてはならない時がある」と語ったのはキャプテン・ハーロックでしたが、ファミコン発売直前に登場した「我が青春の」じゃない方のアルカディア。兄貴分のインテレビジョンに続いてバンダイが送り込んだメリケン輸入機です。
世界中にクローン機が発売された正体不明のマシンで、日本で発売されたものは香港からの輸入品というのが怪しさ満点。米国発売のソフトだけでなく、バンダイが得意の版権ゲームを発売してます。
バンダイのゲームで鉄板なのが『機動戦士ガンダム』のクソゲ…アワワ個性的なゲームの数々。アルカディア版は初の家庭用ゲーム機によるガンダムゲーなんですよ。しかし「タイトル画面で力尽きてしまった」ようで、内容はかなりカオスです。



😆「いけるやん!テレビつけたろ!」

特に2面(と言っても2面まででループ)では何故か黄色いムサイとザクを撃破する宇宙戦になるのですが、色違いのシャア専用ザクがしれっと画面上に2機出てきたりします。「三倍の速度」の噂はガセネタだったのかスピードは普通のザクと全く同じ。得点だけは高いのでただのボーナス扱いに。当然のごとく無限に湧いて出てきますので、どんどん殺してあげましょう。それでもユニゾンで音程の若干狂った『翔べ! ガンダム』が聞けるのがオフィシャルゲームの片鱗を感じさせます。
僕はデパートでデモ品をプレイしたことがあるのですが、これなら1981年に発売された電子ゲームの名作『FL機動戦士ガンダム』の方が全然面白いと思いました。全5ステージでちゃんとジオングも出てくるし…8500円と高額だったので買ってもらえませんでしたが💦そう言えばコミックボンボン連載の『プラモ狂四郎』にも登場しましたね。


今こそゲーム化希望の名作です。
まあこの時代はファミコンの時代と違ってろくな開発機器や資料もなかったので無理もないのかも。日本でオリジナルのゲームを開発しただけでも凄いのかも知れません。


●アタリ2800 1983年5月 ATARI






ヤーの復讐とかトリップしちゃいますよ。

米国の老舗ゲームメーカーATARI社が満を持して送り込んできたのがアタリ2800。デジタルゲーム本場アメリカ最高のブランドを引っ提げて、日本市場に殴り込みをかけて来たのでした。
しかし原型のAtari2600は6年前の1977年発売なので、時代遅れなのは拭えませんでした。アタリ2800が短期間で撤退したのは、米国アタリ本社の経営陣が想像した以上に日本のデジタルゲームが発展していたことが理由だと思います。ネットのない時代ですから、まさか極東の日本でこんなにゲーム文化が発達してるとは想像出来なかったんじゃないでしょうか。その象徴が任天堂の最終兵器ファミコンだったのでした。
激渋の次元大介がお勧めするアタリ2800のCM😝CV小林清志氏
凄くよくできていて「デーレレデレレレ♪アッターリ♪」という決めゼリフも格好いいですね。
ただ肝心のゲームが伴ってませんけど…デパートでファミコンの超強力タイトルと一緒に展示されていて、だれも見向きもしないからすぐプレイ出来た思い出があるんです。


余談ですが米国のアタリ2600は狂ったゲームが大量に販売されていたそうです。日本人が腰を抜かしそうな、本場のパッケージ詐欺ゲームがこの『PacKong』。パックマンとドンキーコングとイデオンとガミラス戦闘空母が混在するカオスすぎる世界ですよ。MSXで出たら絶対騙されて買ってますね。動画を見てみたら、米国のゲーマーの怨嗟で溢れかえっていました。
😭「子供の頃は完全に騙されました。このロボットのかっこいい表紙を見て「わあ、すごい!トランスフォーマーみたい!」と思ったら…」
😡「このゲームは完全にゴミだと断言できます。信じれませんが、ゲームスコアは乱数で生成されています。」
🤔「次の式が成り立ちます。パックマン=最高、ドンキーコング=最高。パックマン + ドンキーコング=超最高?」


Atari2600のクソゲーの象徴と言われるのが『E.T. ジ・エクストラ・テレストリアル』日本版もちゃんと販売されたんですよ。映画『E.T.』のヒットを受けて発売された、いわゆるキャラゲーなのですが
数百万本の売れ残りカートリッジが発生し、ニューメキシコ州の埋立地に廃棄処分された。
というとんでもない伝説を持っています。500万本近く生産され150万本程度しか売れなかったそうですが、最終的にセメントに塗り固めて廃棄されたとか。この『ビデオゲームの墓場』はアメリカのゲーマーの間でも長年都市伝説とされていたのですが、結局ドキュメンタリー番組まで作成されて事実であることが判明したそうです。このことが間接的に任天堂のゲームの制作方針に繋がっていくことになるのでした。
●マイビジョン 1983年5月 日本物産



せっかくなのでマイナーなゲーム機も紹介します。マイビジョンはあの麻雀で有名なニチブツこと日本物産が投入したマシン。ジョイスティックがないという割り切った仕様で、大人向けのボードゲームを中心にゲームを出していました。何と2台のマイビジョンと通信ケーブルを揃えれば2人対戦プレイができるそうです。
マイビジョンは合計6本しかゲームを出してません。しかし何とそのうち4本は現存するコンピュータ周辺機器メーカー、ロジテックが制作したんですって。そのサポートはこれまた現存するITサービスのウチダエスコでした。こんな無駄知識を今日もあなたへお届けします😁
●光速船 1983年7月 バンダイ





ファミコン発売と同時期、デパートの玩具売場に突然出現した異形のゲーム機が光速船でした。漆黒の筐体に小型モニタを縦置きで内蔵、更に本体に収納可能なコントローラというカッコ良すぎるデザイン。一度見たら絶対に忘れることが出来ない超個性マシンでした。
「一体コレ何なんだよ…」と友達と恐る恐る覗いていると「ブーン」という独特の起動音が響きながらデモプレイが開始されました。まるでアニメの巨大メカの起動シーンみたいでしたね。そしてベクタースキャンの彩る超未来的な世界に圧倒されたことを覚えています。
ベクタースキャン方式について解説すると長くなるんですが、これは通常のTV描写と違って全てを「線」によって描写するんです。極めて滑らかな線が書けるのが特徴で、僕の世代だとアニメやマンガでメカニックの代名詞として多用されたオシロスコープがこの方式を使用しています。


光速船はこんなイメージでした。
ベクタースキャンを使用したゲームは米国のアーケードゲームに多かったんですが、いちばん有名なのは1983年にAtariが発売した『スター・ウォーズ』だと思います。これは日本でもロングセラーとしてゲーセンに長く置かれていたのでプレイした人も多かったんじゃないでしょうか。デス・スター内部への突入シーンで、迫りくる画像には手を汗握りましたよ。拡大縮小機能がなかった時代、こうしたキャラの拡大描写はベクタースキャンの独壇場だったんです。



このベクタースキャンを採用した世界唯一無二のゲーム機が光速船でした。この方式は専用のディスプレイが必要だったので一体型のデザインになったんですね。
モニタは白黒でしたが「オーバーレイ」と言われる各ゲームに独自のカラーデザインを施された、下敷きみたいなのが付いてきます。初期のスペースインベーダーとかにあった白黒モニタにカラーフィルムを貼っ付ける方式ですね。このオーバーレイをはめ込むとあら不思議!貧相だった画面が一挙に豪華になるのに驚かされました。とにかく光速船の魅力は実物を見ないと伝わらないので、未見の方は是非動画を御覧ください。



定価は54,800円とかなり高額ですが、専用ディスプレイ込みならむしろ割安かも知れません。心臓部にはファミコンなどで使用されたMOS 6502より格上の、8bitCPUとして最強と謳われたMC6809を採用しています。コントローラもこの時期にしては珍しい4ボタンのアナログ入力対応ジョイパッドで、全てに渡って野心的な構造でした。
しかしやはりあまりにも独自性が強い構造だったため、米国のオリジナル『Vectrex』もあまり普及しなかったようです。致命的だったのは肝心の対応ソフトが11本しか発売されなかったこと。発売元のバンダイは前述のアルカディアなどでは日本での独自ソフトを供給していたんですが、光速船では請け負ってくれるメーカーがなかったのか皆無でした。ベクタースキャンでの『機動戦士ガンダム』とか発売されたら伝説になっていたかも知れないので残念です。
僕は運よくデパートの展示品で数回プレイすることが出来たんですが、ある日楽しみにして玩具売場に突撃した所
「手を触れないでください」
との張り紙が…後にマニアに聞いたのですが繊細なアナログスティックが故障しやすかったらしいので、僕みたいなクソガキがぶっ壊してしまったのかもしれません。
光速船は出回りが少なく、TVCMもあまり放送されなかったのでかなりマイナーなマシンでした。ただベクタースキャンのゲームはゲーセンでもおなじみだったので、それを家庭で遊べるという興奮は他のゲーム機とは一線を画していました。以前紹介したLDゲームとは技術的には真逆ながらも「ロマン枠」としてはゲーム史上双璧をなす存在だと思います。
●ぴゅう太Jr. 1983年7月 トミー


これで『スクランブル』とかやるとすげえイライラします。










1982年9月発売時には実力派入門PCだったぴゅう太。その家庭用ゲーム機バージョンがぴゅう太Jrでした。画面構成はMSXと同等で16bitのCPUと潜在能力はピカイチ。ただパソコン母体のゲーム専用機ってFMTOWNS・MARTYやAmigaCD32など成功した例ってほとんどないような気がします。

ゲームはコナミの名作『スクランブル』や、味のある3D脱出ゲーム『メイズパトロール』などがありました。しかしトミー単独でのサポート体制はジリ貧で、蔵前のおもちゃ問屋の倉庫に山積みになっていたという噂を聞いたことがあります。
僕の地元では鬼のような値引きで有名なディスカウントスーパーのロヂャースに大量に並べられていました。そのため友達に妙にユーザーが多かったんですよ。ロヂャースパソコンなる不名誉?なあだ名を付けられたりしていました。
ぴゅう太は入門用としては異例の16bit機で高い潜在能力を持ったマシンでしたが、「オモチャ」を強調したマーケティングで相当損していたと思います。いわゆるパソコンショップではお目にかかれ無い機種で、トミーの販売網の玩具売場が主戦場でした。
実際に使ってみると日本語BASICを搭載するなどかなり癖のあるパソコンでしたね。それゆえ未完の大器という印象があります。実は僕が初めてプログラムに挑戦したマシンなんです。この想い出はまたいずれ・・・
●TVボーイ 1983年10月 学研


ファミコンの襲来によって各メーカーのサムライ達が討ち取れれていく中、電子ゲームの老舗学研が『チョット待った!!』とばかりに送り込んできたのがTVボーイ。これまた相当マイナーな一品です。
まずルックスが相当特殊で、全然知らない弟が
😲「え?コレ、電車でGO!の専用コントローラーじゃねえの?」
と驚いてました。このアフターバーナーⅡのスロットルみたいな奴が十字キーで、見えにくいですが取手の左側にAボタンが付いてるんです。更に左側にアイロンの取っ手みたいなやつがありますよね?この上にある青いボタンがBボタン。この配置でスーパーコブラの移植版『地対空大作戦』とかやるとパニクります。
一応ミリオタの端くれとしてツッコませていただくと地対空ミサイルじゃああるまいし、ヘリが主人公なのに『地対空大作戦』って訳が解らねえよ!


しかしこの妙に黄色ががった画面にピンとくるレトロパソコンマニアは多いんじゃないでしょうか。そう!このTVボーイの画像チップには、往年の名機NECのパソコンPC-6001と同一のLSIであるMC6847が使われているんです。
このモトローラ6847はショボいと散々バカにされたMSX1に使われていた画像チップTMS9918より更に古い設計で、1978年製というシロモノ。元々ゲーム機ではなくパソコン用として開発されていたため、ゲームに重要なスプライトやスクロールなどの機能なんかある訳ありません。
さらにネット時代になって知ったのですが、このTVボーイは前述のカセットビジョンと同様にCPUを本体側に持たないシステムなんです。代わりにワンチップマイコンのMC6801がゲームカートリッジ側に搭載されているという構造。この方式はカセットビジョンの1981年ならともかく、83年としては相当時代遅れでした。その分価格は8,800円に抑えられていまが…コレをファミコン発売後に投入する学研はまさに勇者ですよ。CMは『太陽の使者 鉄人28号』のビジョンコントローラーみたいでカッコいいんですけどね。



この珍品を僕が何故知っているかと言うと、以前登場した旧友のカシオPV-7くんが持ってたんですよ。彼のお父さんはパチンコの名人で、道で挨拶すると気前よくお菓子なんかをくれる街の名物オジサンでした。当然カシオくん所有のMSX、PV-7もパチンコの景品だったのですが、85年になるとファミコンブームが爆発。「父ちゃんファミコン取ってきてくれよ。」とねだりにねだっていたのでした。
😤「よおし、今日は父ちゃん気合い入れていくからな!」
その帰りを待ちわびていたカシオくんに手渡されたのは…この時の心境を本人に直接聞いたので、メールの返信をお聞きください。
😖「俺だってねえ、あの酔っぱらいが素直にファミコン持ってくるとは思わなかったよ。ただセガのSG-1000でも御の字だって期待してたら、よりによってコレかよ…」
『ファミコンをお願いしたら別のゲーム機(含むMSX)がやって来た』というのは僕の世代のあるあるなのですが、このケースは相当レアだと思います。しかも僕が若気の至りで
🤭「カシオくんの家にすげぇトークン、じゃなかったゲーム機があるらしいぜ。」
と言いふらしたもんだから、悪友のFM7くんやパピコンくんが押しかけて
🤣「ショボい、ショボすぎる」
😁「コレならPC-6001版スーパーコブラの方が勝つる!」
と傷口に塩を塗り込んだのだから、カシオくんは暫く学研を恨んでいました。こんなやり取りをしていても友情を失わなかった彼に感謝ですね。『地対空大作戦』とPC-6001版スーパーコブラのプレイ動画がありました。見比べてみると面白いですよ。
ちなみにカシオくんからは
😉「久しぶりに連絡くれたと思ったら、忘れかけてたコイツの話かよ。まあ今度一杯飲もうや。」
との暖かいメッセージを頂きました。カシオくんは親父さんの遺伝子を継いで?パチンコの沼にドハマりしてるらしいので、その武勇伝を聞くのが今から楽しみです。
❸SG-1000 セガの真のライバルはMSX?




やはり任天堂最大のライバルと言えばSEGA。SG-1000とSC-3000のコンビでファミコンを迎え討ちます。MSXとほぼ同等の性能でファミコンには若干劣りますが、良質なセガのアーケードゲーム移植が魅力でした。
奇しくもSG-1000とファミコンは83年7月15日に同時に発売されています。ここからセガ・マークIII・メガドライブと続く、任天堂VSセガの血塗られた?抗争の歴史が始まった…そうゲーマーの間では語り継がれていますよね。しかし歴史を紐解いてみると、ちょっと違った側面が見えてくるんですよ。
SG-1000とSC-3000のCM集です
ちなみに僕はポニーさんから発売された『ザクソン』『ズーム909』『ガルケーブ』『忍者プリンセス』などのSG-1000タイトルのMSX移植版をやり込んでいました。その後弟がマスターシステムを購入したので、投げ売りされていたSG-1000のゲームもかなり遊びましたね。FC版よりACに忠実な『スターフォース』とか『シンドバッドミステリー』とかメチャメチャ面白いです。BGMが追加されたりしていた名移植『ザ・ブラックオニキス』なんかもありました。




ただ最終的にはセガの孤軍奮闘で、多数のサードパーティーを抱えるファミコン軍団に対抗しきれずに力尽きてしまったような印象があります。僕はパソコンバージョンのSC-3000とMSXが似たような性能だったので、
😞「あーあ、セガとMSXが連合軍でファミコン連中をぶっ潰してくれないかなあ。」
と妄想してたりしました。
しかしその後ネット時代になって知ったのですが、実際にMSXの創業者、西和彦先生が「MSXグループに参入するか?」とセガ陣営に働きかけていたようなんですね。
「これからはMSXの時代だから、セガ一社で入門用パソコンをやっても無駄でしょ?」
と西さんは考えていたようです。しかし結局セガは一本独鈷の道を選び、この夢の大同盟は成立しませんでした。もしMSXとセガがドリームタッグを組んでいたら、それこそ歴史が変わっていた…MSXユーザーとしてはそんな夢物語をつい考えてしまうんです。








セガはむしろSC-3000のブランドイメージを高めて、入門機パソコンの覇権を狙っていたようです。パソコンだったSC-3000が先に開発された経緯から見て、むしろ本命だったのかも知れません。SG-1000はそこからキーボードなどを外してゲームに特化したマシンだったんですよ。ここら辺はファミリーべシックと逆の展開なので興味深いです。






当時の広告を見てみると、ゲーム機であるSG-1000より圧倒的にパソコンのSC-3000の広告のバリエーションのほうが多いんですよ。また日本の黎明期におけるマイコンの展示会「マイクロコンピュータショウ'83」では新型プロトタイプのSC-5000が公開されています。これが元となって改良型SC-3000Hとして発売されたのかもしれません。僕も参加したのですが、国内でのパソコンイベントでは最大規模でしたのですごい熱気でした。ここに出展したセガのパソコン参入の意気込みが感じられます。
しかし同年1983年末になると8bitパソコンの共通規格であるMSXが提唱され、もろにSC-3000の市場とバッティングすることになりました。これにセガ社は強烈な危機感を持ち、多くの対抗措置を取ったことが数々の報道記事に残っています。つまり、
セガの真のライバルはファミコンではなくMSXだったのです!
まあこれはちょっと強引かもしれませんが、そういう意見もあるということで大目に見てください😅


セガの本気度を表す一例として、翌年1984年8月に本格的なパソコンには必須だったフロッピーディスクドライブが発売されています。
「多機能マルチ接続マシン。その名もスーパーコントロール・ステーション 」
と銘打たれて登場したSF-7000は、シャープX1Dと同じ3インチディスクドライブを採用していました。さらに標準端子RS-232Cを介してMSXでも使えるというとんでもないシロモノ。
広告では「大容量640KB内蔵」というインチキ(多分誤植で64KB💦)もやってますが…価格の79,800円は当時の外付けFDDとしてはむしろ安い部類になります。


ど~ですかSF-7000と合体させせたSC-3000Hの勇姿!ルックスでも本格的8bitパソコンにひけを取らないどころか、初期のMSXを凌駕する性能を備えてることになります。MSXで初めてFDDを内蔵した『ソニーHB-701FD』の発売が同年1984年の11月で、定価も148,000円なので価格でも優位性があったんです。
しかし実際の販売は低調で、最終的にゲーム機であるSG-1000の方が圧倒的に売れるいう皮肉な結果になってしまいました。

「ファミコン売り切れ」の張り紙の横に売れ残りのSC-3000が…

最終的に入門用パソコンというカテゴリーを制覇したのはMSXでした。性能がほぼ同等で、値段的にも優位にあったSC-3000がなぜ敗れたのかは考えさせられるものがあります。よくMSXが売れたことについて
「MSXがパソコンの中でずば抜けて安かったから。」
という意見が聞かれますが、それではSC-3000が売れなかった理由が説明できません。自分の実感では『ぴゅう太』『RX-78』『セガSC-3000』といったMSXのライバル機がおもちゃ売り場で発売され、パソコンとして認知されなかったことが一因だと思います。実質の購買層である保護者にとって「おもちゃ」ではなく知的なパソコンのイメージが重要だったのですね。
一方MSXは最下層ではありましたが、あくまで「パソコン」と言うブランドを死守していました。この違いは大きかったのではないでしょうか。この保護者がパソコンを見る感覚については、僕がMSXを購入した経緯で触れました。
またこれはあくまで僕の感想ですが、西和彦先生のパソコンに対する設計思想や哲学が、セガの開発陣を上回ったとも感じています。この2機種の性能の差は殆どありませんでした。しかし「神は細部に宿る」を地で行くMSXは細かい部分までこだわり抜くことで、最終的にこの過酷な戦いを勝ち残ったように思うのです。
まあここら辺はあくまで僕の素人意見なので聞き流してくださいね、特にセガファンの方々怒んないでください🙇僕は長くレトロゲームの世界に身をおいて、セガマニアだけは敵に回しちゃいけないと骨身に染みているんですよ😅というかMSXユーザとしてこれぐらい言わせてください!




僕は模型店以外で見たことがないです💦
また玩具メーカーのツクダオリジナルとの提携もMSX陣営に対抗するためだったとか。ここらへんの記事を遡ってみると、各陣営やメーカーの思惑やバチバチ感が伝わってきて最高に面白いですよ。誰もが天下統一を狙っていた熱い時代でした。こうしてみてみると1983年は、ゲームとパソコンに大きな地殻変動が起きていた分岐点の年だったと言えると思います。

他にもナムコがMSX参入と言う風雲急を告げる記事が。



そういった流れの一環としてセガの取った奇策の一つが伝説の番組
『パソコン宇宙大作戦・アイドルを救え!』
「宇宙人にさらわれたされたアイドルを救う」という視聴者参加型のアトラクション番組なのですが、関門となるゲームにSC-3000を使用していたのがミソ。ちゃんと番組用のゲームをセガが制作してるんですよ。最終戦ではセガのLDゲーム『アストロンベルト』が使用されたりしています。
放送時の1983年10月の時点で僕はまだナイコン少年だったのですが、悪友のFM7くんが
🥱「なんだよ、全然パソコン関係ないじゃん。」
とむくれていましたっけ。僕はコンピュータ役の声が、キャプテンハーロックや石川五ェ門の井上真樹夫さんだったことにすげえ違和感がありました。何でも週刊誌によると
「パソコン操作をさせられる」と勘違いし、アイドルの出演を躊躇する芸能プロダクションが多かった。
まあこの時代は世間一般ではTVゲーム=パソコンぐらいの認識だったんでしょうね。まだパソコンが「なんだかよくわからない不気味なもの」と考えられていたことが伺えます。結局6ヶ月の放送予定が全8回の2ヶ月で打ち切りになり、リニューアルした後継番組『パソコントラベル・君ならどうする』も 全10回で終了しているので、あまり人気はなかったみたいです。個人的にはバラエティ番組でパソコンのイメージアップを狙うという安易な発想に無理があったような気がします。

セールス的に失敗したSC-3000に対し、SG-1000はファミコンの牙城を崩すには至りませんでしたが、一定の成功を収めることとなりました。それがその後のセガ独自ハード路線の礎となった功績は極めて大きいと思います。

❹冒険者の酒場の吟遊詩人の如く…


伊東岳彦先生の『ドラゴンクエストII 』
いかがでしたでしょうか?今回は元々「昭和雑誌列伝」の続きでファミコン雑誌を特集しようと思ったんですよ。そうしたら
「ファミコンを語るなら、その前の時代をまとめないと…」
と思ったら、いつの間にかこんな内容になってしまいました。




特にファミコンのライバル機として本命だと思っていたセガのSG-1000について調べていたら、意外にもMSXとの隠れた因縁について知ることができました。当時は業界の裏側のことなんて全然解らなかったですから、今だから見えてくる背景は凄く新鮮に見えたんです。こうやってネットの大海で、かつての「楽しかった時代」の情報を探っていると、ウィザードリィやTRPGで延々お宝を探しているような不思議な感覚になってくるんですよね。


そんな訳で『ギルガメッシュの酒場』の吟遊詩人を気取って
「怪物に挑んだいにしえの勇者の物語」
を長々と唄ってみました。昨年は1985年がテーマだったんですが「今年は86年だな…」と思っていたら、いつの間にか時代が逆行してましたよ。僕のタイムスリップの冒険は続きますが、これからも皆さんもご一緒してくれたら嬉しいです。
サイボーグMSX
僕は正直全ての知識がド素人なので、記述で間違いがあればコメント欄でお知らせください。直ぐに修正いたします🙇♂️
いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹
