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【読書】小林秀雄、吉本隆明、福田恆存――日本人の「断絶」を乗り越える (テンミニッツTV講義録 4) その4

出版情報

本記事は下記の一連の記事のうちのその4である。

高度成長期と大衆化と福田恆存つねあり

 本記事では、改めて高度成長期とは何だったのか、オルテガのいう大衆とは何なのか、そして福田恆存の文学論などについて、本書で論じられることを見ていこうと思う。それぞれ本書では第8講、第9講、第10講となる。

 本書 『日本人の「断絶」を乗り越える』という題名の指す断絶。それは、明治維新敗戦、そして高度成長期の3つだ。断絶とは日本人にとっての自然から、自らを疎外するプロセスでもある。逆に言えば、「断絶」を乗り越えるとは、自然を取り戻すプロセスなのだ。
 小林秀雄は、自らの中に組み込まれている伝統を直観を持って見出すことで自然を取り戻すに至った(<自然=伝統=直観>)。吉本隆明は、自らの生は自らだけで成り立っているわけではないし、(ちっぽけな考えなど)圧倒的な生の営みによって洗い流されるという原体験によって自然に立ち返っていった(<自然=対幻想=大衆の原像>)。
 戦後世代の江藤淳と柄谷行人。
 江藤淳は自らの立ち位置の不安定さ=現実感のなさを感じながらも、占領政策や憲法制定についての研究=戦後の起源を問いただす「歴史研究」に捧げた。
 柄谷行人は同じように現実感のなさを感じながら、現実の外に出るために、秩序の脱構築へと向かい、さらに自分自身を持て余すかのように「コミュニズム」や「世界共和国」という”理念”の方向に向かって行く。

 というわけで、繰り返しになるが、本記事では、改めて高度成長期とは何だったのか、オルテガのいう大衆とは何なのかを見ていく。さらに私たちが「自然」を取り戻すためのヒントとして、福田恒存の文学論を概観する。

 以降は、目次をつけますので、目的のところに飛ぶのでも、ここで離脱するのでも。どうぞ、そうしたいようになさってください〜。
若干ネタバレ気味でもあるので、それが気になる方も、離脱をどうぞ〜。


高度成長期によって変質した日本人の自然観

 浜崎洋介は70年代以降の大衆化を用意したものを下記の3つにまとめているp100-p101(第6章の60年安保闘争の敗北の結果と重なる部分がある)。

  • <憲法第9条ー安保>体制の固定化

  • 故郷喪失

  • 消費社会の拡大

  • <憲法第9条ー安保>体制の固定化

    • 「言っていること」(平和憲法)と「やっていること」(安保条約による米軍の駐留)の矛盾。ダブルスタンダードの固定化。

    • 国家としての主体性の溶解

      • 危機において「自分が主体(主権)として決定する」意識の溶解

  • 故郷喪失

    • 土地からの離脱とそれに伴う「宿命」の後退

    • 家や生活など(=与えられた自然、強いられた自然)。自然なしでもやっていけるかのような錯覚

  • 消費社会の拡大

    • 「必要」のないものを次々に商品化、広告によって売っていく。

    • 生活が人工的なものになっていく。他者との関係を希薄にする。大勢で行なっていた料理や掃除などの家事労働も、家電によって1人でこなすことが可能になる。→生活が抽象的になる。共同性=現実感が後退する。

学問の大衆化ー頭脳労働でズレていく自然への感覚

 「70年代以降、大学は学問によって真理を極める場所ではなく、頭脳労働者を輩出する職業学校と化」すp104。「単なる偏差値の高低に平準化され、「真理」や「価値」といった概念が後退していく」p104。

 「頭脳労働者」というと、聞こえはいいですが、それは言ってみれば「肉体」を使わない労働です。…またしても頭で「考えていること」と、身体で「やっていること」のズレの問題が出てきてしまう

日本人の「断絶」を乗り越える p105

 そして行き着く先は、脱臭されテーマパーク化された都会生活だ。

 渋谷は…「ハイパーリアル」な感性を先端的に体現する巨大な遊園地的空間として変貌をとげる。「かわいい」「オシャレ」「キレイ」ということが、この空間にあるものたちの条件である。…
 リアルなもの、ナマなもの、「自然」なものの「脱臭」に向かう、排除の感性圧。…
 …ダサイことは語るな、思考するな。「かわいい」世界のマリー・アントワネットたちの、あっけらかんとした、残酷

見田宗介『社会学入門』岩波新書 p92-p93
日本人の「断絶」を乗り越える p106 より引用

 こうして日本人の「自然観」は希薄になり曖昧になる…。

オルテガが指摘した大衆化の問題

 スペインの哲学者オルテガ・イ・ガゼットは大衆化の問題を鋭く問い直したp108。主著『大衆の反逆』が上梓されたのは1930年と早い。その頃のヨーロッパでは、イタリアでファシスト党が、ドイツではナチ党が、スペインではフランコ将軍の独裁政権が台頭していた。それを支えていたのが「大衆」だった。日本では、新自由主義とグローバリズムによって中間共同体がバラバラに解体された現在こそp109、「大衆」とは何かを見直す必要があるのではないか。

大衆の定義

 オルテガは大衆を下記のように定義しているp109。

家の中のように外でも振る舞うことができると信じ、致命的なことや取り返しのつかないこと、あるいは取り消しできないことは何もないと信じている」「満足しきったお坊ちゃん

『大衆の反逆』佐々木孝訳、岩波文庫、p180-p190
日本人の「断絶」を乗り越える p109より引用

浜崎は自身の言葉で次のように言い換える。

自分を超えた上位の規範ーつまり「歴史」に対する畏怖を失ったエゴイストたち、それが「大衆」…

日本人の「断絶」を乗り越える p109-p110

「自然」とは、私たちの上位にある規範そのものです。それは土地であり、歴史であり、言語です。ということは、オルテガの言う「大衆」とは、まさに、それらの「自然」を失ってしまった存在だと言っていいでしょう。

日本人の「断絶」を乗り越える p110

大衆を可能にした近代システムと空っぽの価値観

 オルテガは大衆の条件を「密集の事実」から観察した。つまり都市への集住だ。それを可能にしたのは下記の3つの近代システムだった。

  • 都市への集住を可能にする3つの近代システム

    • 教育(学歴)

    • 経済(流通)

    • 技術(生活インフラと工場)

蛇口をひねれば水が出る。魚の切り身の生産工程を知らない、など、生活の仕組みから疎外された大衆は「誰にも依存することなく生活できる人間」とか「無限の可能性をもった安全で完璧な存在」と言う思い込みを大きくする。オルテガはそう言う彼らの性格を「自己満足」「自己閉塞」「忘恩」と定義づけるp111。そしてこれらを「甘やかされた子供の心理の特徴」だと述べるp111。
 そして、浜崎は、「自分が自分で完結できる限り、彼らにおいて価値観のようなものは育ちようがなく、彼らは総じて「空っぽ」である」とさえいう。

…私たちは、何かと組み合い、誰かと組み合って生きているがゆえに、「それを失えば自分が自分でなくなるもの」「これだけは譲れないもの(家族、友人、故郷、歴史など)」の一線を見出し、そこに価値の源泉を見ますが、誰とも組み合わない「大衆」において、価値の基軸はありません

日本人の「断絶」を乗り越える p113

厳しいなぁ。

…そんな「空っぽ」の大衆を、危機が襲ったらどうなるのか?…それが「みんなと同じであること」でした。

日本人の「断絶」を乗り越える p113

コロナ禍でしていたマスク。感染予防のためではない。「みんながしているから」していると言うアンケート結果がp114。情けないな。

無自覚な羊の群れ:福田恆存の指摘

 福田恆存は高度成長を果たした日本において、「これからは「右」の保守陣営も、「左」の革新陣営も、自分がぶつかっていくべき「障害」を見失い、それゆえに「理想」をも見失ってしまうだろう」と予言したp114。

 ある意味、福田恆存ほど一貫して戦後社会に抵抗した人、あるいは、その世俗化に抗した人もありません。それが戦後最大の保守思想家といわれる所以でもあります…

日本人の「断絶」を乗り越える p117

 と言うわけで次項へ続く…。

政治と文学の関係性を問うた福田恆存

福田恆存の生い立ち

 福田恆存は終戦時33歳の誕生日間近だった。誕生は本郷駒込、育ったのは下町の神田錦町。「まさに関東大震災以前の、江戸の風情が残る下町に育った」。「福田は古い日本を知っている」p122。親戚はすべて職人さんたち。「人間としての「教養」を持ち、立派に暮らしを立てている人たち」だった。多分、紆余曲折ありながら21歳で東大英文科に入学。それまでにシェイクスピアに親しんでいた。浜崎に言わせると、「シェイクスピア文学はほとんど映画の『仁義なき戦い』の世界」だという。「暴力と激情に溢れ返った世界」は「他者との関係を「身体感覚」で摑んだ後に、その関係からくる「感情の流れ」に身を任せるようにして味わわれるべきもの」であるとp123。「演劇は「頭」だけでは理解」できず、「舞台があり、役者の体があり」「ダイアローグによって世界のリアリティを運んで」くるp123。「福田はそこに世界の真実を見ていた」と。
 論文の執筆、翻訳などをしながら、ここでもまた紆余曲折があり、終戦直前には全ての公職を辞して、なんと防空壕の掘削に従事した。執筆に必要なものをそこに全部詰め込み、戦後机の上に転がった消しゴムを見て「B二十九と一人で戦つて勝ったやうな気にな」ったというp125。いや、実際には戦っちゃいない。だけど防空壕の掘削という肉体労働によって得た実感だ。

九十九匹は政治に、一匹は文学で

 職人気質の人々に囲まれて育った福田恆存。だが関東大震災で、その頃の下町の風景はなくなり、入った大学では、「都会に攻め上ってきた山手人種(近代の知識階級)」との間で孤独感を深めるp120-p121。下町にも山手にももはや身の置き所がない。
 そして敗戦だ。
 この時期に書かれた論考「一匹と九十九匹とーひとつの反時代的考察」(昭和21年=1946年11月)によって、福田は注目を浴びると同時に、敗戦に戸惑う人々の心を掴み、戦後の代表的な批評家とみなされるようになるp125。骨子は、政治行動の領域で「最大多数の最大幸福」を目指し(九十九匹を救おうとする営み)、文学政治では救いきれない一匹のためにある、というものだ。
 では、その文学で救いきれない人がいるとしたら…それは当時、太宰治だった。福田恆存は太宰治の自殺前後に論考を書いている。それだけ太宰の自殺にショックを受けた。後の方の論考では、死に向かう文学ではなく、はっきりと生の方向に向かう文学を志向しようとある種の決意をする。「徹底的な革命がおこなわなければならぬ。誠実が死ではなく、生を志向しうる文学概念を自分のものにしなければならぬ」とp127。

批評から創作へ、文学から芸術へ

 福田は文学では孤独な精神は救えない、と演劇を志向するようになる。「小説的精神から演劇的身体へ」。 

小説は個人の「内面」(モノローグ)を書きますが…ともすれば「一匹」を、孤独な精神へと追いやってしまいます。それに対して演劇は、「一匹」が「一匹」と対話(ダイアローグ)する場を開くことによって、その「一匹」の孤独を世界のなかに包摂ほうせつしようとします。福田は、そこに「一匹」を肯定し、それを包み込む演劇の力を見ていました。

日本人の「断絶」を乗り越える p127-p128

 私自身は演劇はわざとらしくて、どうも馴染めない。だが、人は時には「包み込む何かが必要」ということには同意する。
 というわけで、福田恆存のその後の足跡を見ていこう。
 昭和25年(1950)年、38歳の福田は「キティ颱風たいふう」という自分の戯曲を文学座にて上演。翌年『藝術とは何か』という評論を書き下ろす。そしてD・H・ロレンスの「チャタレイ裁判」の特別弁護人を引き受け最終弁論を書き上げる。あらすじは別に譲るとして、作品の特徴などについてGoogle AIの意見を聞いてみよう。

作品の特徴:
・大胆な性描写:

発表当時、その性描写はセンセーショナルで、わいせつ文書として扱われました。
生の喜びの探求:
ロレンスは、機械文明に支配された現代社会において、生の喜びや肉体の解放をテーマとして描きました。
階級を超えた愛:
身分や地位の異なる男女の愛を通して、社会の矛盾や不平等に光を当てています。
現代性:
登場人物の苦悩や絶望は、現代社会にも通じる普遍的なテーマとして、今も読者の共感を呼んでいます。
裁判:
・伊藤整による日本語訳版が出版された際、わいせつ文書頒布罪で裁判となりました (チャタレー事件)。
・一審では訳者と発行者が起訴され、二審では両者とも罰金刑となりました。
・この裁判は、わいせつ文書の定義や表現の自由について議論を呼び、社会に大きな影響を与えました。

Google AI ”チャタレイ夫人の恋人” 2025/08/05

「機械文明に支配された現代社会において、生の喜びや肉体の解放」とか「登場人物の苦悩や絶望は、現代社会にも通じる普遍」性を持つとか!いかにも福田恆存が没頭しそうなテーマじゃないか!
 そして戦前は出版できなかったロレンスの『黙示録論』をこのタイミングで出版する。

遊学後の活動

 福田恆存は昭和28年(1953)、42歳になってロックフェラー財団の奨学金を得て1年間の欧米遊学に向かう。
 その後の活動は下記の4点にまとめられるというp129。

  • 遊学後の活動

    • 進歩的知識人批判

    • 「人間論」と『人間・この劇的なるもの』の執筆

    • 国語論争

      • 歴史的仮名遣いに対する愛着と、歴史ー言葉に対する暴力への抵抗

    • シェイクスピア全集翻訳

詳しい活動内容は、次回以降の記事に譲ります〜。

おわりに

 歴史的仮名遣い。憧れるけど、変換ソフトとかあるのかな?私には使いこなせそうもない。
 だけど福田はずっと歴史的仮名遣いで執筆してきたし、それこそが自然。それを貫き通すって、すごい精神力だ。それこそ、「時代の空気」なんてものに流されてない。それにも憧れる。けど、全然読んでないんだよなぁ。一次資料にすら当たってない…💦
 ま、お勉強の一環ってことで💦

 いやいやいやいや。そうじゃなくて…ご興味を持った方はぜひ本書 『日本人の「断絶」を乗り越える』をお手に取ってくださいませ〜。


引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。
また、文言の間違い、表現のわかりやすさなど、随時訂正しています。ご了承ください。

おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために

ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。

本書と連動している動画

下記は同じく戦前戦中戦後の日本人の断絶を扱った動画。

著者 浜崎洋介は山本七平賞を受賞している

浜崎洋介の著作

映画

小林秀雄、中原中也、長谷川泰子の三角関係を描いたドラマ。

オルテガ

見田宗介

福田恆存

D・H・ロレンス

シェイクスピア全集

たくさんあるけど、全集としてのページがアマゾンにも出版社にも見つけられなかった💦有名どころを集めてみた。


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