【動画】【現代日本人の『自己喪失』の起源を問う】浜崎洋介
浜崎洋介のファンである。ファンといっても『なんちゃって』なので、つまみ食い程度ではある。
だが、動画は見るたびにノックアウトされる。
というわけで、本記事は、チャンネル桜北海道の動画【現代日本人の『自己喪失』の起源を問う】浜崎洋介の、特に『戦後レジーム』を解説した部分について紹介していく。
戦前と戦後を連続的に考えるために
自分の中の気持ち悪さ。それはどう考えても、戦前と戦後の生活?人々の様子?考え方?がつながっていないこと。ひと繋がりじゃ、ない。連続していない。
そんなことが気持ち悪いの?
そうなんだよ、気落ち悪いんだよ。ヘンなこだわりでしょ?でも、いいの。それを掘っていかなくちゃ、という私のどこかがいってる。
何かすごく大事なものを切り捨ててしまった、気持ち悪さ。不全感。
浜崎の言説には戦前と戦後をつなげてくれるものがある。
そういうわけで、例によって極私的な偏った見方による動画の紹介だ。
浜崎の言葉は信頼に足る。それは浜崎の下記のような言葉から、私は感知する。
文学をやるということは言葉を通じて何かを考えると同時に言葉を味わう。味わうってことは身体性ですね。頭じゃないんですよ。 その身体性のことは分かってる人間が、だからこそ、その身体性を守るんだという形で文芸から保守が出てくるです。
身体性を守るその延長線上に保守がある。そして、下記のように言い切る力強さ。
日本人の宗教心は 何なのかって問題ですよね。…正直で素直であること以外に日本人が価値としたことはない。…つまり…正直で素直なやつ以外成長しちゃだめなんです。だから逆に言うと政治家は 正直で素直になるために徹底的に修行するんです。…天の声は曇った心じゃ聞けないんです。…私たちが正直で素直であることを価値にしてきた。それによって自然と一体化してきた。
ここでいう自然とは人間の考えや人間を超越したもの。大いなる何か。浜崎は『神秘』という言葉も使っている。
つまり「日本人の価値観は、昔から変わらず、正直で素直であることだ。…政治における最終的な決断には、何かを研ぎ澄まし、天の声を聞けるくらいに正直で素直になること、そうすることで調和と不調和がわかる。そのためには修行が必要だ」といっている。ん?政教分離じゃないの??ノンノン。政治を担う人の、心の構えの話をしているのだ。
そういう伝統がギリギリ残っていたのが、明治期で、それ以降は大東亜戦争中でも、戦後でも、フワフワとした『空気』によって物事が決まっていく。それを浜崎は山本七平の『空気の研究』を読み解きながら本動画内で解説してくれている。そして戦争に負けたのも、いつまで経っても離米、自立できないのも、『空気』なんていうふわふわしたものに私たち自身がどっぷり浸かっているからなのではないか、と論じている。いつまでもGHQのせいにしていても仕方がないのだ。
本動画は少し長めだが、たくさんのヒントが詰まっている。ぜひご覧いただければ、と思う。本記事では特に『戦後レジーム』に焦点を当てて紹介していく。
戦後レジームを構成する3つのもの
下記の3つは私が本動画から読み取り、つぶやき記事にしたもの。
なんのために大東亜戦争を戦ったのか、なぜ負けたのか。
記憶喪失となった日本人。
ポツダム宣言で国家と国民は分断され、サンフランシスコ条約で国家としての責任を放棄し(米軍依存の安保体制)、理想と現実の好循環すら55年体制で絶たれた。
浜崎は下記のように述べている。
戦後 レジームは僕は3つで出来上がってると思います。1つはポツダム体制もう1つは もちろんサンフランシスコ体制そして重要なのは55年体制です。この3つによって 戦後レジームは完全にがっちり固められました。
浜崎は戦後レジーム構成するもの3つの時期を下記のように分けている。
ポツダム体制:国家と国民の分断:修身の代わりに平和主義
1945年-1948年で構築
ポツダム宣言、東京裁判、平和憲法
国民は許してあげるよ、国家が世界征服狙って侵略しまくったんだよね、国民は純粋無垢で騙されたんだよね。国家の人たちは戦犯ね。国民はこれから米国と付き合ってね(超意訳)。
いやいや。国民もみんな協力したんだよ。パールハーバーで拍手喝采していたんだよ(これは探せていないが別動画で浜崎が述べていた)。
米国は戦犯には平和に対する罪を被せた。憲法は平和憲法。日本国民の道徳は修身から平和主義になった。9条。護憲。
そして戦後日本はこの平和主義以上の価値観を見出せていない。
サンフランシスコ体制:国家の責任を放棄:米軍依存の安保体制
1948年-1952年で構築
1948年 冷戦体制:NATO、ワルシャワ条約機構
1950年 朝鮮戦争。「日本を防共の防波堤にする」。自衛隊を創設。完全に米軍の補助部隊。
1952年 サンフランシスコ講和条約
55年体制:理想と現実の好循環の阻害:左翼と右翼の断絶
9条安保体制の確立。戦えない国家=米国にすがるしかない国家。経済のあり方のみ視座する視野の狭い国家へ。
対外的な国家意識の欠如。「対外的な当事者意識というのは国家主権の形」。対外的な国家意識は「戦争するかもしれない」という危機意識。下記を成し得ない戦後。つまり戦前を清算できていない。
兵士を育成する。
兵士は死ぬ可能性がある。
何のために死ぬのか?
1955年に左翼がまとまって日本社会党を結成。それを受ける形で右派(改憲派)がまとまって自由民主党へ。以降左派が1/3、右派が2/3弱の議席数を持つ55年体制が確立。
理想を語る左翼。現実を見る右翼。この断絶が固定化することにより、理想と現実の好循環が阻害される。
平和憲法が顕教だとしたら、自衛隊や国防論は密教となる。大ぴらに語られない。
以前、私は日本国憲法は倒錯している、と論じた。そして国家と国民の分断を前提としていて、それは日本の歴史や伝統に反するとも書いた。
上記の記事での私のモヤモヤを浜崎はスッキリと晴らしてくれた。
ポツダム宣言ですでに、
国民は許してあげるよ、国家が世界征服狙って侵略しまくったんだよね、国民は純粋無垢で騙されたんだよね。国家の人たちは戦犯ね。国民はこれから米国と付き合ってね(超意訳)。
戦犯は平和を犯した罪ね。
国民は平和主義をおし頂いてね。
が、始まっている、と。つまり、戦犯の命を差し出し、国民は平和主義をおし頂くことで命乞いをしたわけ、だ。いや正確には命乞いをしたわけではないが、形として、そうなってる。「平和憲法を守っている限りあなたたちの命はとりませんよ」が「平和憲法を守っている限りあなたたちを守ってあげますよ」に変わっていく。ファンタジー以外の何物でもないのに。
このことを引き受けない限り、戦後は始まらないのだろう。戦犯の命と引き換えに、国民の命が許されたのだ、と。
だとしたら、戦犯合祀は当然で、むしろ新しく神社を作ってお祀りしてもいいくらいなのでは??と…私は極端なことを想像してしまう。
離米、独立をするためには、戦犯の方々は私たちの命と引き換えに亡くなってくださったのだ、と。もちろん一般の英霊の方々も。そこに立ち返らないといけないのでは?と。そういうことを想像することから、思いをいたすところから始まるのでは?と。
こうしたこと全部を100%腹落ちしているか、と問われれば、そうではない。お恥ずかしい。が、ここに思いをいたすことからしか『洗脳』を解くことも、離米・自立もムリなのではないか。そんな思いがある。
戦前の状況:なぜあの大戦を戦ったのか?
国際政治学者伊藤貫によれば、価値には3つのレベルがあるという。物価高への政府の対策を例にとると…。
哲学レベル:国民の幸福が大切
戦略レベル:減税しよう:財政均衡より国民の幸福が大切
戦術レベル:補助金を出そう:困っている人にお金を配ろう
つまり、目の前の問題を対処するレベルから抽象度が上がるにつれて、影響を受ける人々が格段に多くなる。そして哲学レベルでの方針があるからこそ、パラダイムシフト=財政均衡より今は減税だ、が起きる。
抽象度が上がるにつれて、選択肢の自由度が上がる。理論的!?には哲学レベルでのケンカは起こらない。なぜなら、そうした普遍的な価値はみなが共通に持っているので、交渉というものが成り立つからだ(私はこのことをNVC「非暴力コミュニケーション」から学んだ)(自分がその通りに行動できているかどうかは別にして)(パラダイム=枠組みや、やり方、特定の状態に執着するとケンカが起きる)。
では、なぜ大東亜戦争を戦ったのか?
経済のレベル=戦略レベルで言えば、経済封鎖が〜、とか満州利権が〜ということになる。戦術レベルでは、盧溝橋事件が〜とか、真珠湾攻撃が〜となる。では、哲学レベルでは?
浜崎は「グローバリズムと戦ったんです」という(本動画で言っていたと思うのだが、箇所を探せなかった。申し訳ありません)。あるいは麗澤大学准教授のジェイソン・モーガンも日本軍はグローバリズムと戦ったと言っている。(当時の人々にそういう自覚があったかどうかは別として。当時であってもそういう自覚があったという人もいる)。
昭和天皇の開戦の詔書とその現代語訳全文を参考に掲載する。これは天皇の言葉を絶対視しようとするものではなく、それこそ国の代表として国民も納得しうるものとしてこれを書いたに違いないと思うからである。
開戦の詔書 (昭和16年12月8日)
天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス。
朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス。
朕ガ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ、朕ガ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ、朕ガ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ、億兆一心国家ノ総力ヲ挙ゲテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ。
抑々東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ、丕顕ナル皇祖考、丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ、朕ガ拳々措カザル所。
而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ、万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ、之亦帝国ガ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ。
今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル。洵ニ已ムヲ得ザルモノアリ。豈朕ガ志ナラムヤ。
中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セズ、濫ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ撹乱シ、遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ、茲ニ四年有余ヲ経タリ。
幸ニ国民政府更新スルアリ。帝国ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ビ相提携スルニ至レルモ、重慶ニ残存スル政権ハ、米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ、兄弟尚未ダ牆ニ相鬩クヲ悛メズ。
米英両国ハ、残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱ヲ助長シ、平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス。
剰ヘ与国ヲ誘ヒ、帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ、更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ、遂ニ経済断交ヲ敢テシ、帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ。
朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ回復セシメムトシ、隠忍久シキニ弥リタルモ、彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク、徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ、此ノ間却ッテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ、以テ我ヲ屈従セシメムトス。
斯ノ如クニシテ推移セムカ、東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ、帝国ノ存立、亦正ニ危殆ニ瀕セリ。
事既ニ此ニ至ル。帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、蹶然起ッテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ。
皇祖皇宗ノ神霊、上ニ在リ。
朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ、祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ、速ニ禍根ヲ芟除シテ、東亜永遠ノ平和ヲ確立シ、以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス。
御名御璽
大東亜戦争 開戦の詔勅 <現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。
私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。
そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。
今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。
中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。
さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。
米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。
私は政府に事態を平和の裡に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。
このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。
ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御名御璽
昭和十六年十二月八日
改行、太字はこちらで行った。
AIによると詔勅と詔書の違いは…「詔書と勅書は、どちらも天皇の言葉である「みことのり」を意味する漢字ですが、詔書と勅書の総称を「詔勅」と呼びます。詔書と勅書の違いは、主に臨時の大事のものは「詔」、定例の小事のものは「勅」とされていますが、実際には区別しにくいといわれています」。
開戦の詔勅によれば「我が国は平和を希求しているが、蒋介石の中華民国政府は兄弟である南京政府と争うし、欧米は東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている」という。
これって実は戦後の米国(CIAとNED)の所業そのままじゃないだろうか?(関連記事あり)あるいはウ露戦争におけるCIA、ヌーランド、梅電息子などの事前の暗躍…。もちろん日本は負ける戦争なんてすべきじゃなかった。日本に領土的野心がゼロであったかと言われればそうではないかもしれない。だが領土的野心は英米の方が旺盛だったのでは?
そうして…開戦してもなお、なぜ、大東亜戦争戦を戦わねばならないのか、日本人は考え続けた。その一つの試みが近代の超克だろう。近代の超克は雑誌の座談会で京都学派と呼ばれる人々が参加していた。必ずしも戦争礼賛とか、「なぜ戦争を戦うのか」という話ばかりではなく、近代とは何か、なぜ超克する必要があるのか、という話をしていたようだ。つまり少なくとも「考え続ける」胆力はあったのだ(動画:もぎせかch)(動画についての記事を書いた)(京都学派の人々は戦後公職追放の憂き目にあったが)。浜崎は挙げていないが、石原莞爾の八紘一宇などもその試みの一つではないかと思われる。
だが総力を上げて戦った戦いに、負けてしまった。
「皇国史観は全面的に吹き飛んで」「アメリカの手のひらの中で踊ることになる」。
以降、本動画は、おおよそ下記のような流れで進んでいく。それぞれの項目ごとにかいつまんで説明する。
浜崎の講演は緻密に計算されているかのように、情報量も熱量も充足している。この記事よりずっと内容が濃く豊穣だ。ちょっと長いがぜひ視聴をお勧めする。
戦後レジームを可能にした日本人のメンタリティ:一層進む大衆化
空気に流れる大衆
前近代の方が空気に強かった:武士道
日本人の確たる価値観は素直で正直な心:鏡
それを取り戻すには
戦後レジームを可能にした日本人のメンタリティ:一層進む大衆化
浜崎によると、大衆とは、
大衆というのは基本的に故郷を失って都市に集中するようになった人々です。 もちろんそれだけでは大衆じゃないです。 問題は都市がそれを受け入れた瞬間、都市はですね、近代的なシステムによって彼らを 支えますからそのシステムに支えられてるにも関わらずそのシステムはもちろん不 透明なものとして私たちに迫ってくるに甘えていく存在これが大衆なんです。…私たち は身体感覚をどっかしらで切り落としながら抽象的に生きている。そしてそれは システムのおかげですよね。しかしながら そのシステムの全体図は誰にも見えてない。そしてその見えてないものに対して私たち はだから感謝の念を捧げようがないが故に こう言うんです。僕は僕だけで生きていると。つまりシステムが見えないんですよ。自分が 支えられてるものが見えなくなる。だから傲慢になる。これを大衆と呼ぶわけです。まさに大衆社会が70年代からやってくる 。これはまさに高度経済成長の後ということになります。
浜崎は戦後レジームがあったからこそ、大衆社会が出現した、と言っている。だが、逆もまた、然りではないだろうか?
何かから切り離され、自分だけで生きているという傲慢さ。頭と心が切り離されたエリートたち。農村は見捨てられていると奮起した二二六事件。こういう「空気に流される大衆」の萌芽は、実は戦前にはエリートたちにこそあったのではないか?(と素人ながら提起してみる)。エリートたちを含む、戦前の日本人の一定数は大衆化していたからこそ、戦後レジームを抵抗なく受け入れていったのではないか?(もちろん浜崎は戦前の「空気に流されるエリート」もきちんと描いている。そしてそれが大戦へと突き進むことにもつながったと言っている)。
空気に流される大衆
山本七平の『空気の研究』
山本七平は『空気の研究』で有名だ。彼が空気の研究を始めたのは、戦艦大和の指揮官の戦後インタビューの受け答えを雑誌で読んだからだった。大損害を出した出撃を決定した際のことを記者にしつこく尋ねられていた。戦前の当時ですら大損害を出すだろうと推測できていたのだ。その指揮官は「君はあの時の空気を知らないだろう!」と答えたという。山本はショックを受けた。国の命運をかけた戦いの決定をその場の『空気』で決めた???そんなことって??というわけで『空気の研究』を始めたわけだ。
世間の崩壊と空気の増大
故郷から切り離され、一人で生きている気になっている大衆。
浜崎はそれをさらに『世間』という切り口で見ていく。世間学というものを提唱した学者がいるそうだ。阿部謹也。日本人の規範には世間があるという。世間は次の3つで構成される。
お互い様:互酬関係:お互い様の共同体
共通記憶:お互い様の記憶
長幼之序:共同体規範:年寄りは偉い
日本で長いものといえば=伝統といえば天皇陛下
長いものは神秘的になる
神秘
差別と排除
最初の4つをもとに共同体は差別と排除をする。最初の4つを集約した天皇陛下を認めるかどうかで、日本人であるかどうかの差別と排除をする(差別が今時でないなら区別でもよい)。これで世間が出来上がっている。日本の手前にあるのが中間共同体。家族であり親戚であり、かつては村落であり、ちょっと前までの現代では会社ということになる。
世間には培われた時間があり掟があった。だが空気は恣意的(場当たり的)だ。浜崎は世間という枠組みを先生のいる教室。空気のみが漂い暴発する状況を先生がいなくなった教室で説明する。
終身雇用の崩壊で会社という世間はなくなりつつあり、核家族化、非婚化、少子化で家族や親戚という世間もなくなりつつある。残されるのは、暴発する空気だ。
場当たり的で即物的な空気の醸成
浜崎によれば、山本は『空気の醸成』に関して下記のような発見をする。
世間や…私たちの生き方がぐずぐずに揺らいでいる時に、危機において空気が醸成されるんだということを山本は発見するんです。…内と外がぐちゃぐちゃになった時、何が内側で何が外側かわかんない時って境界線を引く必要がある…じゃないと秩序がぐちゃぐちゃになる。不安になる。その時に境界の内側を決める瞬間に何かを祭り上げるんです。これを彼は隣在感的対象把握っていう…経験的に触れる隣在している何か。これを恣意的に祭り上げるんです。その祭り上げた瞬間にその対象を超越化し感情移入をする。これによって私たちは空気を醸成する…。
世間という枠組みが崩壊し、大衆化した私たちは秩序がぐちゃぐちゃになり、不安になった時に立ち返る場所、心の拠り所が、ない。超越してどっしり構えた信頼感を持ち得ていない。そういう時に手近なものを瞬間的に祭り上げて感情移入する。ポジティブであれ、ネガティブであれ。そうやって心の(偽りの??)安寧を取り戻す。日本人は明治維新以降、そういう行動をとることが多くなかっただろうか?
客観的に見て勝ち目のない戦争や戦術に「空気」で突入してしまう軍幹部。そして拍手喝采する国民。平和憲法が良いとなれば、C国などの状況はどうあれ、意地でも守ろうとする人々。例えば、コロナの振り返りを行わない政府。コロナの振り返りを行わない政府や行政をそのままスルーしてしまう国民。
つまり、危機において、現実を見ようとせずに、手近なものに縋り付いてしまい、集団として、そこから離れることができないのだ。それを山本は空気の醸成と呼んでいる。
前近代の方が空気に強かった:武士道
では明治以前の人々はどうだっただろう?
「いやしくも男子たるもの、その場の空気に流されることは、恥」として生きてきた。武士だ。もちろん女性もそうだっただろう。そういう規範があった。武士の精神性を構成したのは、
神道
陽明学(儒教)
禅(仏教)
だという。明治の知的精神的指導者 福沢諭吉は独立自尊の提唱者であった。彼は次のように述べている。「真実の武士は自ら武士として独り自ら武士道を守るのみ。ゆえに今の独立人士もその独立の法を昔年の武士のごとにして大なる可なるべし」。つまり独立自尊のスピリットと武士の独立心自立心の間に、連続性があることを語っている。
本来無一物からやってくる意味への囚われのなさ、そして意味の囚われのないがゆえに私は常に自立しているという感覚。これは天と繋がっていると言ってもいいし、日本人の感覚で言うと自然と繋がっているという感じです。私の自然感、私の調和感。そこだけが唯一のクライテリオンなんです。基準なんです。
浜崎はこれこそが「空気に流されない一貫性」だという。
日本人の核たる価値観は素直で正直な心:鏡
質疑応答の中でではあるが、浜崎はこのように述べている。(本記事の初めの方で掲載した内容を拡大引用している)。
日本人の宗教心は 何なのか…一言で言うとね。…正直で素直であること以外に日本人が価値としたことはない。…でも、これすっごい大事なんですよ。なんでかというと正直で素直であることって鏡っていう風に比喩されるんです。つまりね、これ神皇正統記を見ても分かるんだけれども。勾玉と剣と鏡でしょ。だけど鏡だけ別格なんですよ。…全部が映り込むので自分の私心なく、エゴイズムなく映り込むので何が調和で何が不調和かが分かるわけ。つまり何が不調和で何が調和か分かるやつだけが成長していいんですよ。 そうすると正直で素直なやつ以外成長しちゃだめなんです。だから逆に言うと政治家は 正直で素直になるために徹底的に修行するんです。だから武士はだから禅をやるんですよ。そして陽明学はまさに天の声を聞こうとするわけでしょ。天の声は曇った心じゃ聞けないんです。…私たちが正直で素直であることを価値にしてきた。それによって自然と一体化してきた。…多分日本人の価値観はこの鏡であると同時に素直で 正直であることなんです。ここに純粋経験がやってくるんです。それに従うことだという風に言っていいんじゃないかなと思いますね。
それを取り戻すには
浜崎は自身の専門の福田恒存の『私の幸福論』からの言葉を引用して、講演を締め括っている。
まず何よりも信ずるという美徳を回復することは急務です。親子兄弟夫婦友人。そしてさらに、それらを超える、あるいはそれらの関係を可能にしている何者かとの間に。その大いなるものを求める欲望こそ私たちの幸福の根源と言えましょう。その欲望がなくなったら生きるに値するものは何もなくなるでしょう。
これこそが、素直で正直な心、空気に流されない、何かにつながっている感覚、有機体としての全体性を取り戻すヒントなのだ、と浜崎は述べているのである。そして、これさえあれば「デフレ脱却も防衛論も憲法改正も自動的についてきます」と。
おわりに
最初は戦後レジームを構成する3つのもののみ書いておこうかと思っていた。そして戦犯の人々の命と引き換えに国民の命が救われたのだ、という気づきを得た。そして平和主義のウソくささは、本当に欺瞞の代物だったと、確信した。いや平和は貴重だ。尊重し大切なものだ。だが、それを『奉って』しまってはいけない。平和に執着しても平和は守れない。守ることと執着は別なのだ。
また、浜崎は自衛隊を自衛軍にする必要があること、9条に加憲ではそれは不可能であることを指摘している。
自民党の有志議員が憲法9条の改正を巡り、現行の1、2項を残し、新たに3項として「前2項の規定は、自衛権の発動を妨げない」と付け加える案を掲げ、24日に意見交換会を開く。
浜崎は本動画では指揮命令系統と責任体制のことを言っているが、警察は『できること』を法律で明記し、軍隊は『してはいけないこと』を法律で明記する。自衛隊は軍ではないので、警察方式の法律体系になっているとのこと。また軍人は普通の裁判ではなく軍事法廷によって裁かれる。こういう『軍隊』としての体裁を成していないと、自衛隊の人々はいざとなっても国民は愚か、自分の命すら守れないことになってしまう。
平和主義に執着していると、こうした警察と軍隊の基本的な違い、それによって何ができて何ができないのかすら、わからないまま議論を進めることになる。っていうか、こういう基本的な情報すら知らなければ、何も議論ができない。そして加憲を言い出しているのは、自民党の『保守』寄りと言われている政治家なのだ。頼りないにも程がある。
さらに浜崎は、では自衛隊を自衛軍にするとしたら、将兵を育てるにあたって「何を守るのか」「何のために死ぬのか」を私たち自身がこの問いとともにいる必要があると指摘している。戦前は「天皇陛下のために」だった。米軍兵士は「お金の補償」のためにだそうだ。北海道を守ったことで顕彰されている樋口季一郎中将も戦後の自衛隊に対して同じ問いを指摘していた。「何を守るのか」「何のために死ぬのか」と。
私自身は素直で正直な人生を生きているか?
「「素直で正直な人々が住む国土」「素直で正直な人々が報われる国」「素直で正直であろうとする人々」を守る」。そう胸を張って言えるだろうか?
また浜崎は政治家の心構えについて「素直で正直な心」や「調和と不調和を感知できる自分のエゴを捨て去った鏡のような心」について述べている。これが日本人の道徳観である、と。日本の政治家にはこういう心構えが求められている、と。
伊藤貫は米国や欧州の政治のあり方や政治家を長年観察することで、近年の政治家には『哲学』がなく薄っぺらであると嘆いている。民主主義よりはプラトンの言うような哲人政治に立ち返るのはどうだろう?と提起したがっているように見える。
現在の政治家の『資質のなさ』を嘆いているのは同じだが、洋の東西で何かが違う。浅学の私には心の状態を目指している日本と、条件や形で定義しようとする西洋。そんなふうに感じられるのだが。まだまだはっきりと言葉にできそうもない。学びの旅は続きそうである。
…私が感想を書くと、ホント単純なことしか書けないのだが💦
すごく大切なことを学ばせていただいた。
引き続き浜崎には注目していきたい。
追記:ある人が、自分が先人に言われたのは「世間迷惑をかけるな」「お天道さまが見ている」と言っていた。これも日本人の基本姿勢としてヒントになりそうだよね。現代的に説明する必要があるだろうけど。
おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために
ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。
浜崎洋介の著作
山本七平 空気の研究
55年体制
NVC
私はなぜ靖国神社で頭を垂れるのか
開戦の詔勅
開戦の詔書(開戦の詔勅)原文
開戦の詔勅 現代語訳
もぎせかch 近代の超克
伊藤貫セミナー
自民党の憲法草案平成24年(2012年)
https://constitution.jimin.jp/document/draft/
2019年 自民有志による加憲案
これが浜崎の指しているものかどうかは不明だが。
樋口季一郎中将
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます❣️よりよい記事を書くために使わせていただきます💫
Thank you for your support! I’ll put this toward creating higher-quality articles.