見出し画像

【読書】小林秀雄、吉本隆明、福田恆存――日本人の「断絶」を乗り越える (テンミニッツTV講義録 4) その2


出版情報

本記事は下記の一連の記事のうちのその2である。

断絶を乗り越えた2人+1人の評論家

 近現代史における日本人の精神的な「断絶」は2回あるという。
 1回目は明治維新2回目は戦前戦後の断絶だ。

 本書の著者 浜崎はまず、小林秀雄吉本隆明を紹介する。

 小林秀雄は明治の終わり、吉本隆明は大正の終わり頃の生まれなので大体20歳(約1世代ほど)の隔たりがある。
 小林はイヤでも1回目の断絶の影響を受けざるを得ないところにいたし、吉本は正面から2回目の断絶を喰らってしまった。

 小林秀雄の課題は「西洋近代と、近代以前の日本人の生き方との断絶を乗り越えること」p 20。
 吉本隆明の課題は「戦前と戦後の断絶を乗り越えること」p 20。

 小林秀雄が成し遂げたことの総括を、浜崎は第3講の終わりと第4講のはじめで次のようにまとめている。

  • 小林の批評は直観を擁護し、宿命を引き受け、伝統を自覚する、が有機的に絡み合っているp44。

  • 小林は批評によって「直観」と「宿命」を「伝統」を繋げながら、そこに「日本人の自然」を甦らせているp48。

 吉本隆明の総括は、第4講の最初で、次のように行っている。

  • 自立」や「関係の絶対性」や「大衆の原像」という言葉を繋ぎ合わせながら、戦前と戦後の分裂を乗り越えようとしたp48。

 本一連の記事のうち、前回は文学が近代に果たした役割と、評論とは何か、さらに小林秀雄についてまとめた。

 今回は吉本隆明にフォーカスする。

 もう1人の評論家、福田恆存については今回はお休み、ということで。

 以降は、目次をつけますので、目的のところに飛ぶのでも、ここで離脱するのでも。どうぞ、そうしたいようになさってください〜。
若干ネタバレ気味でもあるので、それが気になる方も、離脱をどうぞ〜。


吉本隆明とはどういう背景を持つ人か?

 吉本隆明は大正13年(1924)生まれ。亡くなったのは平成24年(2012)。享年88歳。大往生だ(最晩年の様子が、漫画家で長女のハルノ宵子によって描かれていて、私には面白かった。吉本ばななは次女。ハルノとばななの対談も収録されている)。
 
 本書の著者 浜崎によると、吉本隆明は物心ついた時には戦争は身近なものであり、子どもは(男の子は)「いつかは兵隊さんになってお国のために立派に戦って立派に死ぬ」ことができるよう、少国民教育がなされていたという。例えば、そのようにあからさまに教科書に書かれていなくても、そういう雰囲気が蔓延していた。
 明治38年(1905)には日露戦争が終結し、日本は南満州鉄道の利権を取得した。それより10年も前に日本は台湾を併合し、韓国併合は明治43年(1910)。大陸の情勢は日本の本国と連動し、それは取りも直さず、日本の子どもたち、子どもたちが将来をどのように描き、自分はどうなりたいのかに影響を与える。そうした中で吉本隆明が7歳の時に昭和6年(1931)に満州事変が、8歳の時(昭和7年(1932) )に五・一五事件、12歳の時に(昭和11年(1936))に二・二六事件が起きる。例えは適切でないかもしれないが、特撮ヒーロー戦隊モノが実地でバンバン起きているようなものだ。子どもが影響されないわけがない。徴兵された兵隊さんが万歳と共に送り出される。20歳の時に終戦になるまで、自分はどのように生き、どのように死ぬのか、濃密に見つめ続ける。長く生きられないかもしれないという覚悟。それが玉音放送によって突然放り出されることになる。浜崎の言葉によれば「あとは勝手に生きよ」とp49。
 その時の様子を吉本隆明が自身の言葉で、次のように語っている。

 敗戦の日、わたしは動員で、富山県魚津市の日本カーバイトの工場にいた。その工場には、当時の福井高等工業学校の集団動員の学生と、当時の魚津中学校の生徒たちがいた。わたしは天皇の放送を工場の広場できいて、すぐに茫然として寮へかえった。何かしらぬが独りで泣いていると、寮のおばさんが、「どうしたのかえ、喧嘩でもしたんか」ときいた。真昼間だというのに、小母さんは、「ねててなだめなさえ」というと蒲団をしき出した。わたしは、漁港の突堤へでると、何もかもわからないといった具合に、いつものように裸になると海へとびこんで沖の方へ泳いでいった。水にあおむけになると、空がいつもとおなじように晴れているのが不思議であった。そして、ときどき現実にかえると、「あっ」とか「うっ」とかいう無声の声といっしょに、耻羞のようなものが走って仕方がなかった

吉本隆明「戦争と世代」、『吉本隆明全集6』晶文社、p66
日本人の「断絶」を乗り越える の引用による p56

 玉音放送で「あとは勝手に生きよ」と放り出され、でも、そんなことは言葉にならず、ただ茫然とし涙が溢れ、ひとり寮で泣いている。事情を知らない寮母さんは、的外れかもしれないが、声をかけ、精一杯の親切で蒲団を敷いてくれる。自分は衝動に駆られ、漁港の突堤から海へ飛び込み、夏の空と海に包まれる。言葉にならない言葉にできない。でも漏れ出す声。漏れ出す耻羞のようなもの。
 浜崎は次のように分析している(もちろん分析はヤボですよ。でもヤボを突き抜けた先にイキがあり、評論とはヤボな分析をイキにまで昇華させたものだとすれば…)。

 ここで読み取るべきは次の三点でしょう。
 まず一つ目は、まさに「国家」の運命から見放されてしまった青年が、その孤独のなかで言葉を失ってしまっている点です。…吉本の思想を見る上で重要なのは、まず、その失語感覚…どうしても社会的秩序からはみ出してしまい、言葉の意味に還元し切ることができない実存という主題、それが吉本の原初感覚なのです。
 また、二つ目に注目すべきなのは、国家の命運や、社会の運命などとは無縁に、その日その日を生きている「寮のおばさん」のもつ存在感です。寮のおばさんは、「玉音放送」の意味が分からないばかりか、泣いている青年に、「どうしたのかえ、喧嘩でもしたんか」と聞いてしまうほどに無知で素朴なのです。
 これは、後に吉本隆明のなかで、言葉を持たぬ生活者…「大衆の原像」として像を結ぶことになります。…
 そして、最後に注目すべきなのが、真っ青な海と空の存在、つまり、青年を包み込む「自然」のイメージです。まさに敗戦によって、国家の枠組みから零れ落ち、言葉を失い、孤独のなかで茫然としている青年を取り巻いていたのは、海と空でした。自分がどんなイデオロギーに染まろうと、また、どんなイデオロギーに挫折しようと、変わらずにいつもそこにあって自分を見つめているものとしての「自然」。これは次第に「大衆の原像」のイメージとも重なり合いながら、吉本隆明の実存を包むものとして立ち上がってきます。

日本人の「断絶」を乗り越える p57

 吉本の同時代人には、三島由紀夫がいる。彼は昭和45年(1970)、市谷自衛隊基地で割腹自殺を遂げた。壮絶。浜崎はいう。

…彼らもまた、「戦前」と「戦後」の断絶に晒され、迷い惑いながら、やはり「戦前」にこだわり、また「戦後」を批判しなければならなかった知識人でした。これが「純粋戦中世代」の宿命だったのです。
 「戦前」に何のけじめもつけられることなく、突然「戦後」のなかに放り投げられてしまったことのトラウマと精神的虚脱と…。そんな彼らにおいて、「戦前」と「戦後」の断絶をどう乗り越えるべきなのかという問いは、そのまま、自分たちが、この世界のなかでどう生きるべきなのかという問いにつながっていました。

日本人の「断絶」を乗り越える p50-p51

 いい大人がケジメ=総括できない…。ん?2025年を生きる私たちにもまさに降りかかっていることなのではないか??(もちろん枠💉のことですよ)
 では、いよいよ、浜崎が示す吉本隆明の思想の辿った道筋と到着点を見てみよう。

吉本隆明の思考の道程と到着点

 浜崎はしばしば「倫理」という言葉を使う。いわゆる道徳規範というよりも、これは何に価値を置いているか、とか、価値基準、判断基準クライテリオンという意味に受け取る方がしっくりくる。

 そうすると、下記の浜崎の言葉は、そのまま初期、中期、後期 吉本隆明を貫く倫理、ということにならないだろうか?

 吉本隆明を突き動かしていたもの、それは、あの小林秀雄の言葉にもあった「自然」への畏怖と信従その信頼感ではなかったかと思えるのです。

日本人の「断絶」を乗り越える p60

 つまり、小林秀雄と吉本隆明には右↔︎左美への内省↔︎社会活動など、たくさんの対立軸があるが、底に流れているものは案外似通っているのではないか、それは「「自然」への畏怖と信従その信頼感」だというのが浜崎の洞察であり、それこそが「日本人の「断絶」を乗り越える」を考えるカギになると言っているわけだ。

初期吉本隆明 <関係の絶対性>のなかに見る「倫理」

 とはいえ、吉本隆明には彼にとって譲れない独自??の倫理がある。

「言っていること」と「やっていること」がずれたとき、まずは「やっていること」に目を向けるべきである。これが「関係の絶対性」という言葉の中に託した、吉本隆明の倫理でした。

日本人の「断絶」を乗り越える p63

 「大人は信じられない」「言っていることとやっていることが違う」。昭和の不良が言っていたことだ。多分その代表格の尾崎豊も。そんなふうにだけど、吉本隆明の心情に、私たちバブル世代も少しは心を寄せることができる。

人間の意思はなるほど、選択の自由をもっている。選択のなかに、自由の意識が蘇るのを感じることができる。だが、この自由な選択にかけられた人間の意志も、人間と人間との関係が強いる絶対性のまえでは、相対的なものにすぎない。…しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。僕たちは、この矛盾(報告者註:「自分の自由意志」と「関係の絶対性」が指向するものの矛盾)を断ち切ろうとするときだけは、自分の発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある

吉本隆明「マチウ試論」、『吉本隆明全集4』晶文社、p249~250
日本人の「断絶」を乗り越える の引用による p63

 多分上記のことは、ハイデガーとか西田哲学とかが、言っていることと関係あるような気がする(素人の私はなんでも自分が知ったばかりのことに還元しがちなのですが💦)。存在とか純粋経験とか。モノや個人に還元できない体験。自由な選択は個人に還元できちゃう。だけど、言っていることとやっていることの一致不一致は体験という関係の場の中にしか現れない。それを吉本隆明は関係の絶対性と呼んだのではないか?
 個人でいるときの選択と、誰かといるときの選択が異なることは人間であればままあることだ。得てして個人でいるときの選択=言っていること=意識的、であり、誰かといるときの選択=やっていること=無意識的でもある(凡人である私は人に流されちゃうわけだ)。
 「(言っていることとやっていることの)矛盾断ち切ろうとするときだけは、自分の発想の底をえぐり出してみる」。自分の言っていることとやっていることの矛盾に気がついたら、思想家ならば「自分の発想の底をえぐり出してみる」ことになるだろう。「そのとき、ぼくたちの孤独がある」。それは孤独な作業だ。誰を誤魔化しうるとしても、自分は誤魔化せない(だからフツーの人は行ってることとやってることの矛盾なんぞにそうそうは気づかないんだけどね💦。いや気づく人はどんな人であっても気づいて、成長していくわけだ。そういう頼もしい人はいつでもどんなところにでもいる)。

 上記が初期吉本隆明の到達点だとすると、その道程は…
 吉本隆明は玉音放送によって、国家から「勝手に生きろ」と放り出され、言葉を失う。語るものはあるはずなのに。…というわけで、初期の吉本は詩を書いていく。評論も行なっていくが、それは戦中の左翼から皇国思想へなぜああも易々と転向できたのか、逆に大衆から遊離し頑なに思想イデオロギーにしがみついたのか、問うものであったp61。つまり「現実のなかに居場所を見失い内向した「心情」は、いかに社会と交わることができるのか、そして自身の「自立」を、いかにして担保することができるのか」問うものだったp61-p62。さらに吉本は、敗戦後の自分の心情を原始キリスト教に仮託してして「マチウ書試論」を上梓する。新約聖書のマタイ伝についての試論だ。「まるで敗戦後に吉本自身が抱えた現実へのルサンチマンがどこからきたものなのかを問い質そうとするかのような迫力を帯びてい」たp62。

人は言葉だけなら、いくらでも「きれいごと」が言える…皇国思想のきれいごと、平和主義のきれいごと、そして、原始キリスト教のきれいごと。しかし…言葉だけを吟味しても、私たちは、その言葉の真実性を確かめることはできない

日本人の「断絶」を乗り越える p62

 自由に選択できる言葉を超えたものとして、体験としての関係の場やっていることを観察できる場関係の絶対性と呼んだのではないか?というところで、中期吉本隆明へ。

中期吉本隆明 進歩的知識人批判と<大衆の原像>

 言っていることとやっていることの違い。差。その批判は続いていく。それは旧左翼(日本共産党)にも、戦後左翼へも(60年安保の活動家)、戦後左翼知識人(丸山真男に代表される)にも容赦なくp64。中期吉本隆明の主張は言葉にしてしまえば単純だ。「「やっていること(生活)」に合わせて「言っていること」(言葉)を整えよ」p66。かっちょえ〜。

平和主義や戦後民主主義といった理念を理念として語るのではなく、「魚を売り、飯をたき、子供をうみ、育てる」という生活の現場に足を置きながら、それと矛盾しない言葉を語ることができたときだけ、私たちはそれを信じることができるのではないか、吉本はそういうのです。

日本人の「断絶」を乗り越える p66

思想(言っていること)を正当化するのは、その足元の生活(やっていること)でしかないのであり、それを導くものこそ「大衆の原像」ではないのか、それが吉本隆明の核となる思想でした。

日本人の「断絶」を乗り越える p66

 なぁるほど〜。実践するのは、なかなか厳しそうだけど。「大衆の原像」を生々しく自身の内に内包しているかどうかにもよると思うけど。
 でもまあ、実践しようと足掻いたんじゃないか。それは吉本の作品とともに、例えば、長女さんのエッセイにも現れているんじゃないか、と甘ちゃんの私は思ったりする。

後期吉本隆明 <対幻想=性=生活>から<自然>信仰へ

 浜崎は続ける。

…ということは、吉本隆明自身においても重要になってくるのは…様々なる前衛的な「意匠」を拒みつつ、まずは私たち自身が生きている「生活」に足を下ろし、そこに生まれてくる「直観」を拾い上げそれを言葉にしていくということになりはしないでしょうか。

日本人の「断絶」を乗り越える p66-p67

 こりゃ↑まさに小林秀雄がしていたことと重なるじゃないか!

…興味深いのは…「生活」の底に、吉本が見出していたものでした。「伝統」を語った小林とは違って、吉本は「大衆の原像」の底の方に「自然としての性」を見出すのです。

日本人の「断絶」を乗り越える p67

 ほほう。性は選べない、という体験。直観も「やってくる」のを待つしかないように。恋もしようしようと思ってできるものではなく、いつの間にか「落ちる」ものだ。いや昨今LGBTQだとかまびすしいっすけどね。いかにも「性はファッションと同じように選べますよ〜」的な喧伝をしてはいるが。でも、そんなことできやしない(ゲイやレズの人の話を読むと「そうとしか生きられない」苦しさの話がごまんと出てくる)。というところに立たないと、人間、人類はどんどん自然から乖離する。

…吉本は、全ての人間存在の底に「性としての」、あるいは「動物としての」存在を見出していることになります。つまり、家族の存在、共同体の存在、そして、その共同体のなかで育まれる人間の無意識の存在も含めて、それらを成り立たせているものとして、吉本は「性」を語ることになる…

日本人の「断絶」を乗り越える p67

 「たしかに個人は、共同体のイデオロギー(共同幻想)と逆立し、その結果孤独な情念に苦しんだり、ルサンチマンにまみれたりする」p69。青年吉本が「玉音放送」で国家イデオロギーから放り出されてしまったように。だが「婚姻し、子供をうみ、生活し、育て、やがて老いて死ぬ」という単純で常識的な事実。それは大衆がやってきたことでもあるし、吉本自身がやってきたことでもあるp69。「性」を鍵にして吉本は自然の中に連なることになる。

 ここまで来れば、吉本隆明が最終的に辿り着いた場所が、どこか小林秀雄の<直観ー自然>とも似た、日本人ならではの「自然」信仰と近いものだった…

日本人の「断絶」を乗り越える p69-p70

 それは「信仰」にまで昇華していくことになる。1970年代以降、吉本隆明は親鸞の語った「自然法爾じねんほうに」を論じるようになる。阿弥陀如来の「他力」に任せ、あるがままの自然に従うということなのだがp70、吉本は、それを論じながら自らの姿を重ね、自らの信仰心を語っていたp70。

<知識=イデオロギー>を超えて、己に与えられた「自然」に着地すること、ここにおいてようやく、時代を超えた「安心」と、揺るがぬ「信仰」を得ることになる…

日本人の「断絶」を乗り越える p70

 よかったね。

 んんん??戦前戦後の断絶を乗り越えた先が「己に与えられた「自然」に着地する」ことであり、「揺るがぬ「信仰」を得る」こと???

 そうなんだ〜。ということは、私の不全感は、「己に与えられた「自然」に着地」していないってことなの〜???

…というわけで旅は続く…。

おわりに

 いやいやいやいや。そうじゃなくて…ご興味を持った方はぜひ本書 『日本人の「断絶」を乗り越える』をお手に取ってくださいませ〜。


引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。
また、文言の間違い、表現のわかりやすさなど、随時訂正しています。ご了承ください。

おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために

ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。

本書と連動している動画

下記は同じく戦前戦中戦後の日本人の断絶を扱った動画。

著者 浜崎洋介は山本七平賞を受賞している

浜崎洋介の著作

ハイデガーと西田哲学

小林秀雄

小林は近代日本人の課題について自覚的だった。その証として浜崎が本書で引用している『正宗白鳥の作について』は下記に収録されている。

デビュー作『様々なる意匠』は下記に収録されている。

映画

小林秀雄、中原中也、長谷川泰子の三角関係を描いたドラマ。

吉本隆明

本記事で引用した「戦争と世代」が収められている。

 共同幻想とか対幻想って、今でいえば創発とか、階層性とか言われるものについての言説ってこと??浜崎洋介は<共同幻想=イデオロギー>と言っているけど…。ま、無限通りの解釈があるってことで\(^^)/。

隆明だもの

 長女で漫画家のハルノ宵子によって描かれた最晩年の吉田隆明の思い出。次女 吉本ばななとの対談も収録。


福田恆存

 彼については、これから紹介していきます。

いいなと思ったら応援しよう!

🌈☁️😸虹雲猫 ありがとうございます❣️よりよい記事を書くために使わせていただきます💫 Thank you for your support! I’ll put this toward creating higher-quality articles.

この記事が参加している募集