第46話 高卒後希望していた進路の話
チカノベの人生史小説。タイトルは『精神障がい、性的違和の知暖が学んだ「真実の愛」と「人生の正解」を目指す道』。
脳の障がいによる障がい特性を持つ主人公の知暖が、人生でたくさん失敗し、苦しんで、たくさん泣いて叫んで、報われない経験をして生きてきた。
そうやって、いろんな人たちと関わっていく中で「社会性」と「愛の形」と「人生の正解」について学んでいくお話。
今回は、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第46話 高卒後希望していた進路の話』です。
目次はこちらです。以前の話や次回以降の話を選んで読めます。

(Geminiさんで生成したイメージ写真)
高卒後希望していた進路の話
高校在学中、最初に希望した進路は、放送大学。隣の市に学習センターがある通信制大学で、テレビや街の広告で見聞きする学校だった。母に、大学の学費を貯めるために、アルバイトをしたいことを相談するも、在学中のアルバイトは反対された。通学の苦にしていた経験から、「学生生活に集中してほしい」という、日常生活を送るのが困難な姿をそばで見ていた親としての願いだった。
同じ学年の女子が、担任に進路相談をするとき、芸能スクールのホームページを視聴覚室のパソコンで見せていた。彼女は本気で歌手を目指し、高校卒業後はバンドを組むことも考えていた。
私は声を出したり、歌ったりすることに自信があった。当時、同居家族は、仕事で電話対応をしており、同じく声を出す仕事をしていた。私は積極奇異型のため、場面に応じて、相手の気持ちに寄り添って、考えて話すということが難しかった。小学生の頃から、アイドルや歌手、アニメソングシンガーになりたいという夢もあり、できたら子ども番組の人形劇や教育テレビのキャラクター、ヒロインアニメの妖精、架空の生物といった、個性的なキャラクターの声を演じてみたかった。
自分も、ネット検索で、仙台市のボーカルスクール・声優養成所を見つけた。夜間や週末だけ登校するスタイルが、通信制や定時制の学校に似ていると思い、私でも通えると思った。本気でその学校に進みたいと思った。
でも、母は賛成しなかった。現実は甘くなかったのだ。我が家には経済的な余裕がなく、離れて暮らす父からの援助も見込めない。学費は自分で貯めるしかなかった。
今度は、就職を目指し、高校在学中からハローワークに通い、大手メガネブランドや郵便局の求人票を印刷した。メガネ屋さんは、住んでいる地域の障がい者枠の中で、最も賃金が高い求人だった。郵便局は最低賃金だが、自宅から近い場所にあるため、通勤の面では楽ができそうだと思った。
ボーカルや声優の夜間・週末講座について、仙台市でひとり暮らしをして通学するのなら、物価や家賃が高く、アルバイト程度の収入では暮らすのが大変であることを母に指摘され、国家資格を持つ人は高い給料がもらえるという情報を知り、小児看護師を目指したいと思った。中学生の頃は、子どもたちの役に立つ仕事をしたいと願っており、県内の看護学校を希望した。
実際のところ、夜間・週末講座は、近隣県から交通機関を乗り継いで通う生徒も多い学校だった。自分にとって、長時間の移動は息苦しさを伴い、毎回決まった時間に間に合わせる登校スタイルは心身を酷く消耗させる。余裕を持って学び続けるには、仙台に移り住むしかない。
高校卒業後は、メガネ屋さんに就職できることを強く信じ、給料の計算をし、貯金期間や、看護学校在学中の学費や教科書代、昼食代、お小遣いを算出し、それは完璧な計画に見えた。
結局、高校を卒業する日まで、面接を受けることも内定をもらうこともなく、進路は決まらなかった。これから、相談支援の就労指導の言いなりになる人生が始まろうとしているとは、夢にも思わなかった⋯⋯。
おことわり
この物語は、自分の主観と記憶を辿り、実体験をベースに綴ったノンフィクション・エッセイです。一部、プライバシー保護のために、地名や人名、団体名、家庭事情等を伏せたり書き換えたりしています。そして、歳月の経過による記憶の断片を繋ぎ合わせています。当時の心情風景としての描写が含まれることをご了承ください。
あとがき
このお話は、第5章の別のお話に続きます。他の記事を読んでいる人には展開がわかっていると思いますが、今の時点でも進学や就職をしていません。
進学が叶わなかった高校3年生の頃も、就職が叶わなかった高校卒業後から20代後半でも、相当納得できず、理不尽な思いをしました。
昨日のASDエッセイにも書かれていた通り、叶わなかった夢や目標は、これから叶えていきます。今、夢は歌い手に戻りました。
芸能人として歌うのではなく、シンガーソングライター・カバーシンガーの動画配信者として、音楽活動をしたいです。
人生で、機会があれば、音楽学校へ行きたいのですが、結婚生活や子育てを希望しているので、やはり独学か近場で音楽を学ぶことになりそうです。
作者の近況
今、第10章を生きる作者の近況。就労選択支援の施設に、今日は初出勤しました。出勤前に、私から距離を置いていた彼に連絡しました。
返信がなくても、不安な気持ちにならず「自分の目に見える覚悟」としておくと決めていました。
送信後少し経ってから、彼から返信があり「自分も時間になったら出勤します」といった言葉をかけてもらいました。
絵文字は1個もないですが、丁寧な返信で、彼に別に嫌われたわけではないと思います。
PCでの打ち込み作業をしました。作業の評価は、長くてあまり覚えていませんが、印象に残っている評価はいくつかあります。
多動や多弁を自覚していたこと、体調の変化を都度申告したこと、45分間は静かに集中していたところでした。
「すみません」と話しかけ、答えて話を聞いたあと「ありがとうございます」で話し終えたところも評価すべき点でした。
気になる点は、話しかけたとき、相手のほうを見なかったことや、返事をして聞く態勢になる前に、話し続けてしまったところです。
帰りの送迎で、隣町から出て、彼の住む地域の近くを送迎車が通ったとき「イケメン(彼)歩いているかな〜」と言いました。
すると、本当に彼が歩いていて、車の窓を開けて「〇〇さ〜ん!」と叫んでしまいました。
知らない車の窓から私が出てきて、彼はかなり驚いていた様子でした。そして、今の就労施設も、やはり養護学校出身者の利用者がいるとのことでした。
私の元同僚(養護学校出身者)の名前を出したところ、私の恋人でもある彼のことも知っているみたいで「知り合いですか?」と訊かれました。
顔見知りの間で変な噂が広まると思い、恋人の存在を誰にでも話さないと心に決めたばかりなので、付き合っているとは言いませんでした。
嘘をついてごまかしたくなかったので「仲良しの人」「家が近くて仲良くなった」と、事実を話しました。
帰宅後、反省文を書きました。車の窓から向かって叫んだのは、ちょっとした不適切行動だと感じました。「帰るまでが就労の利用」だと気づきました。
施設の人の間で噂を広めたくないため、今後見かけた際は、自分だけ気づいたことにして、彼に「〇〇のあたりで見かけた」と連絡するだけにします。
お互いのプライバシーを守るため、恋人の存在を広く知られないように、恋人の存在を話すことやノロケ話は慎みます。
もし今の施設の人や、他の顔見知りの人が彼に会って、私の話や関係を質問をしたとしたら、返答に困りますよね。
社交的な養護学校出身者は、SNSで繋がっていることも多いです。連絡手段もあり、SNS上で冷やかしや噂が流れることもありそうです。
せっかくの運命の縁も、また遠ざかってしまいます。公私混同も仕事をする上では不適切です。
送迎車を運転する職員の安全運転も願い、窓を勝手に開け放ったり、恋人や知人が窓の外を歩いていても、叫びません。
反省文を明日、担当の職員に渡します。恋人の情報を広めてほしくないことも同時に伝えます。
今日の出来事を第10章の最新話に書くのは、今日の振り返りや、評価の内容を印刷してもらったら記録のように綴ります。
悪い癖や内面を抑え、長所や特技を生かして、一般就労へと進みたいです。たった1ヵ月で、就職への道が拓くのか、不安なことだらけです。
トップ画像説明と次回予告
トップの生成写真は、高校卒業後、ボーカルスクールに進学している姿を想像して生成しました。鍵盤の向きが逆ですね。
次回、第4章『何かと闘いまくった高校生活』から『第47話 高校時代の勉強法と得意・不得意科目と成績』です。
高校時代、模範的な生徒だった知暖が取り組んでいた勉強法と、得意・不得意な科目、そして通知表の成績です。
