⚪️掌編小説|蜜柑堂書店 第十話
第九話からの続き
かなりペースを掴んできた。
蜜柑さんとの約束も、少なくともひとつは着実に進んでいる。
膨大な在庫の収納場所をデータベースに登録する作業。その約半分を片付けたから残り半分だ。1日200冊ずつ登録して後25日で終わるだろう。
これが完了すれば今までは蜜柑さんしか辿り着けなかった場所にぼくも行くことができる。
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そしてもうひとつ。
書きかけの小説を完成させること。これも少しずつではあるけれど、書いては消し、書いては消しだけれど、現状は読むに耐えないこの代物を、どうにか人が読めるものにしたい。
難儀なのは、変に整ったものを蜜柑さんが好まないことだ。故にそれをまた変に意識しすぎて立ち止まってしまう。気を抜くとそのループに陥ってしまう。
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「今日はお客さんも来ないわねきっと」
蜜柑さんがバックヤード(書庫)に顔を出して言った。昨夜からの雨が客足を遠のけているらしい。
「珈琲淹れるから休まない? 退屈しちゃった」
蜜柑さんが悪戯っぽく頭を振って「こっち来て」の仕草をする。
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玄関ドアの向こうで、窓の外で、音もなく雨が降っている。世界を濡らしている、と言ったら大袈裟かな。この街を、地表や建物や空気を洗っている。
通りを走る車が水飛沫を上げる。その音が線を引く。
ぼくらは読書スペースで蜜柑さんの淹れてくれた珈琲を飲みながら、仕事をサボっている。
蜜柑さんは文庫本を手に、それを読んだり読まなかったり。何を読んでいるのだろう。ぼくは想像を巡らす。上田秋成、吉行淳之介、山本周五郎、井伏鱒二、……
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小説の主題や場面設定に雨を選ぶ、というのはどういう意味があるのか考えてみた。
天候や気象情報の開示に過ぎない、という場合もあるだろう。何も書かれていなければ多くの人はそこに雨が降っているとは思うまい。つまり、雨であると書かない限り、小説内では雨が降らない。
雨にはいくつもの機能がある。
記号的には抒情性や活動低下による停滞、あるいは自然の恵みなどを示し、憂鬱や倦怠、悲しみなどの心象風景を表したり、予兆(降りそう)、一時的な変化(通り雨)、再生や浄化(雨上がり)と時間変化によって異なる意味が与えられたりもする。
そして、これはたぶんだけれど、空間を閉じ込めたり、切り離したり、誰かと誰かをほんの少し隔てたり近づけたりするのではないだろうか。空間的に。
あるいは親密に?
いや、ちょっと、自信はないけど。
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あまり立ち入ったことは聞けないけれど、でも少しぐらいなら構わないよね。
ちょっと気になるだけだから。
それを訊いてどうしようという訳でもない。分かったような気になりたい訳でもないし。ただ知りたいだけ。深い意味はない。
「何を読んでるんですか?」
蜜柑さんはふふと笑って「これ?」と言いながらブックカバーを外して表紙を見せてくれた。
なんだかそれが嬉しくて、その時の蜜柑さんの顔がとても親しげだったから、ぼくは、そのタイトルさえ読むことができなかった。
(第十一話に続く)
*関連エピソード:第二話、第四話
*見出し画像が夏バージョンになりました。こちらも引き続き@羽さんに描いて頂きました。@羽さんは、小説や詩、AIイラストやSUNOによる作曲など、独自の世界観で多様な作品を生み出す、豊かな才能をお持ちのクリエイターさんです。
