⚪️掌編小説|蜜柑堂書店 第四話
第三話からの続き
思ったより重労働だ。
***
入社して半月、基本的な内容は理解したけれど業務の全体像はまだ掴めていない。
とりあえず蜜柑さんがフロント(店頭)を仕切り、ぼくはバックヤード(書庫)を管理する。
そのため在庫品の収納位置をデータベースに入力することにしたのだけれど、何せ数が多い。蜜柑さんには1日200冊で50日掛かると伝えておいた。
その合間に午後の入荷対応をしなければならない。これは蜜柑さんが店頭分の入荷を午前、書庫分の入荷を午後と切り分けてくれたので助かっている。
***
蜜柑さんが昼休憩に出るときは店頭を預かる。
預かるなんて言うと偉そうだけれど、その実、単なる店番である。
ぼくは入社祝いに貰った『安西冬衛全詩集』を読みながら蜜柑さんの帰りを待つ。
いや無論そこは客を待つと言いたいところではある。それは確かにそうなのだけれど。しかし蜜柑さんがいないと何故かぱったり客足は止み、蜜柑さんが戻ってくると客もまた戻ってくる。まるでみんながぼくを避けてるみたいだ。
***
ひとりの男が訪ねてきた。
「あれ、アオイちゃん、お昼?」
「アオイちゃん?」
頓珍漢なやつだ。
黒縁メガネ、チャコールグレーのスーツ、ノーネクタイ、両手ポケット、バーガンディのストレートチップ。三十代。背丈はぼくと同じぐらいか。
いけ好かないやつだ。
「開いてたから、いるのかと思ったけど。ほら、休憩のときはいつも閉めていくから」
「はあ……」
「じゃあ、待たせてもらおうかな」
一応、無視した。
***
男は読書スペースの椅子に脚を組んで座っている。そしてイタリア料理の本をいかにも興味なさそうに、ただぱらぱらと眺めている。
読む気がないなら本棚に戻せ、売物だぞ?
通用口の方からガチャリと音がして蜜柑さんが店頭に姿を見せた。ぼくらは同時に立ち上がった。
「蜜柑さん」
「アオイちゃん」
「アオイちゃん?」
「蜜柑さん?」
蜜柑さんは驚いたように目を左右にクルクルさせて、それから弾けたように笑い出した。ころころとお腹を抱えて笑ういつもの蜜柑さんだ。
***
「蜜柑さんて呼ばれてるの?」
「ふふ。可愛いでしょ」
ぼくはその瞬間、首から上が熱で溶けた。
「ありがとう、ここはもう大丈夫だから」
「あ、はい」
すごすごと退散するぼくの背中にふたりの声が木霊する。
「ミドリのやつが週末にでも飲もうってさ」
「良いわよ、また失恋でもしたのかしら」
「ああ、兄貴のとこに子どもが出来たらしい」
「まあ!」
***
アオイさん……蜜柑さん……アオイさん……蜜柑さん……いやぼくにとっては蜜柑さんだ。ここで変えてたまるか。
ああ、もう、また今日も仕事が手につかない。
(第五話に続く)
*見出し画像は@羽さんの作品です。
*本作は『文化人類学入門』とのクロスオーバー作品です。
