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夫としなかったもう一つの指輪の話 

 一杯めのコーヒーを飲み終わり「君は?」と首をかしげたジェスチャーで未知のコーヒーカップも持って台所へ二杯目を注ぎに。

 いつもなら未知のをもどし、自分のはそのまま持って気に入りのソファに行って新聞を読む、それが夫の毎朝の決まり。

 その日はちがった。自分のコーヒーも持って食卓にもどった。夫にしてはどこか改まった口調で口をひらく。

 アフリカで買い求めた壺は娘にやろうと思うがどうだと聞く。未知は目でもってうなずく。 続いて自分の文章の入った中学の国語教科書は息子になどといくつかのいく先も未知にいいかと聞いてくる。

 なぜ今朝そう聞いているのか、夫の心もちがつたわる。

 先月の思いがけない入院、退院、その翌朝、再入院、退院時に心不全の診断。入院中夫は天井を見ながら考えていたことなのだろう。

 久しぶりの自宅での朝食。

 「指輪は?」未知のしているのは夫の母のもの。生まれ育った土地で結婚、最後の息をすうまで半世紀ものあいだ身につけていた指輪。その母が亡くなって10年目に未知は夫と知りあった。

 夫にはめてもらって以来全身麻酔をほどこされた時をのぞいて、お茶わん洗ってても庭の花植えのときだって外してない。

 二人同時に「孫娘にやろう」

 それで一仕事済んだかのようにいくらか顔色もよくなった夫はソファにもどり新聞を取り上げた。

 それが合図のように食卓から立ち上がった未知、ハッとした。

 小引き出しで眠っているもう一つの結婚指輪に思いがいったのだ。離婚証書にサインした風の強い日以来初めて。

 眠れなかった夜も朝がたの涙も全部知ってる指輪。もらってくれる人なんて家族親戚どこにもいないのに気がついた。未知だって誰にもあげる気持ちになれない。

 そんな指輪、だったらなぜ今まで処分できなかったの。

 それは未知の幸福を願った両親の心のこもった指輪だったから。

 20代の未知、親を心配させどうしだった。

 結婚制度は女性差別、結婚式などできないとカレと同棲どうせいを始め、それも3年半、今度は自分の力だけで生きてみたいと二人のアパートを出て都会の一人暮らし。

 はたから見たらそれも飽きたかのように、30になろうという年知り合って間もない外国人と結婚するのだと国を出た娘。

 両親に何ができたろう。娘の毎日する指輪を知り合いの細工師に頼み特別に作ってもらいそれを海を越えて贈ってくれた。娘を想う気持ちのあまり。

 願いはかなわず娘の結婚は幸せにつながることはなかった。

 それでも離別から5年後夫となる人にめぐり合って20数年。

 「心配かけました。今、幸せに暮らしてます」

 もう顔を見て告げたくても両親はいない。心の中でそう言うことのできる、今。

 だから、もういい、この指輪を手放しても、そう思い始めた。

 夫も経験者。翌日の朝食で「ねえ、前の結婚指輪あなたはどうしたの?」と喉まで出かかった。あやうくハッとそれを飲み込んだ。

 いくら夫婦とはいえ、過去のある再婚者同士、聞いてはいけないことのあるのに気がついたのだ。夫は夫で自分なりの結論を出したのだろう。

 未知は未知。自分で決めるしかない、前夫との結婚指輪のいく先は。そんな当たり前なことにやっと思いあたった。

 そうだ、私の顔なんて見たこともないちょっと遠い街角の店に持って行こう。

 そして何も言わずに買ってもらおう。いくらだっていい。店にいる時間が短ければ短いほどいい。

 そしたら長い長い間暗い小引き出しに眠っていた結婚指輪は、明るすぎるくらい明るい店内のガラスのケースに綺麗同士のほかの指輪といっしょに並ぶのだろう。

 そしてある日、どこかの幸せなカップルに気にいってもらい、指にはめられ、新しいストーリーを始めるのだろう。

 そうだといい、前のストーリーなんて何一つついていかずに。 

 幸せを願ってつくられた心だけ連れて。


            ー ー ー

平和エッセイ:
『そこしれなくかなしい中に 心に沁みる 一枚の写真』
『1965年 カリフォルニア 高校卒業のあと ベ・ト・ナ・ム』
 
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『子育てしてたつもりが親育てされてた アメリカ版こそだて記』
三人の母たち 命をあたえた母 173日愛しつくした母 そしてわたし
『「 僕…… 」 「 …… ママも」おなか痛めなかった息子たち』 
                        
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『僕たちいつか狂おしいほど今を切なく懐かしく思う日がくる』
『本気で愛した男の熱望 とこなつの国 大アラシ』
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