「僕 ...... 」 「...... ママも」 おなか痛めなかった息子たち
#あの日母になった私へ
未知9歳、お兄ちゃん4歳上。乱暴で未知のお皿に自分の食べたいもの残ってたらサッと手を出して口に放り込んじゃう。そんなこんなで未知が泣かされることしょっちゅう。
「ねえ、お母さん、あんなお兄ちゃん、どっかやっちゃえば」
そのとき、
未知の顔をまっすぐ見て母親は言った。
「できないの、そんなこと。おなか痛めた子だもの」
意味ははっきりわからなくても、未知を黙らせるのに充分だった。
「おなか痛めた子だもの」
今、未知は二人の息子の母。
息子二人、家では遊んでるのだかケンカしてるのだかとにかく身体ぶつけ合って大騒ぎ。外出れば何かしらやってのけ、未知は謝りに回り顔あげて近所歩けない。むろん学校からは呼び出ししょっちゅう。
妹がいたならきっと同じこと言っただろう。
「ねえ、ママ、あんなお兄ちゃんたち、どっかやっちゃえば」
そのとき、母親になった未知はなんと答える?
「できないの、そんなこと」そこまで同じ。
でも
「おなか痛めた子だもの」って言えない。
この子たちは未知のおなか痛めなかった。
生まれてすぐ熱〜いあつい思いで待っていた未知のところに来てくれた息子たち。
未知を、母親にしてくれた息子たち。
おなかは痛めなかった
けど、
胸は痛めた。どこにでもいる母のように。
寒い日、Tシャツ一枚でとび出して行った息子たち。一日中寒さに震えて過ごしたのは未知。
息子と言い争ったある日、「ぼく、家出するっ!」ととび出ていくのを「待って、ダメよっ!」と裸足でじゃり道追いかけ足指骨折。三日後片方サンダル履きで勤め先出張の飛行機搭乗。息子は戻った。
夕食前、息子の言葉に「そんなこと言って!」と激怒。炊飯器の内鍋を台所の床にたたきつけてしまった。翌日、使いものにならなくなった炊飯器を見て反省。何でそんなに怒ったのか息子も未知も覚えてない。
人生経験色々積んだ後ゆっくりゆっくり前に進んだ息子に電話で届いた就職ニュース。隣にいて聞いた。ただただ会社に感謝し頭を下げ息子に気づかれないよう涙の流れるままじっとしていた車中。現在一応職ありの息子。
教師面接、息子と二人着席。開口一番教師側の文句。言い終わる前にすでに涙どっと出てめちゃめちゃ英語で断然抗議。「まず良いことから聞かせてくれませんか。息子のこと良いこと言えないんですかっ!それでも教師っ?!」次から面接は父親がついて行くことになった。
幾度も経験した息子たちの迷子。レストランで、ショッピングモールで、海中で、人も車も行き来頻繁の都会で、降りしきる雪の中で……「もう二度とあの顔を見ることもあたたかい身体を抱くこともできない」絶望の極み。そして「よみがえった」息子たち、きつくしかった後の安堵。
言ったことやったこと胸あっため大笑いさせてくれた。
そうして大きくなった息子たち。
ある日、
とびきりわるそうの息子、ドアを出かかったそのとき、

「僕、ママから生まれたかった」
一瞬、息がとまりのどに何かつまった。
「ママも」
聞こえたのかどうか。
「ママも」
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