1965年 カリフォルニア 高校卒業のあと ベ・ト・ナ・ム
ベトナム上陸後38日目。
戦闘中行方不明。
チャック。最初会ったとき眼がきれいだなって思った。バンドのクラス。チャック、サックス、未知、フルート。ここカリフォルニアの高校。未知が一年間ホームステイした農村。
友だち。アメリカ高校生活なにもかも不慣れな未知。助けてくれた。
ホームシックで沈んでる時なんかすぐ気づいてジョークいって笑わせてくれた。ドラム聞かせるからってうちにもよばれた。家族みんなで5人。
「ぼく、養子なんだ。ほら、見た?母さんも父さんも姉さんたちだってみんな青い眼でしょ。ぼくだけ髪も眼も茶色。家族みんなすっごくやさしくて大好き。僕ラッキーって思ってる」
チャックの苦手は数学。先生にこのままじゃ今年みんなと一緒に卒業できないぞってしぼられたって言ってた。それで宿題手伝ったこともある。
英語の聞き取りも話すのも自信なかった未知がふわっと安心できる相手。
6月、卒業式。壇上で証書もらってふり返ったチャックの天下晴れた顔は忘れられない。
がんばったよね、チャック。
チャック18歳になったばかり。未知17歳半。
これから何するの? 夏はバンバン仕事やってお金ためるんだ。このへんいくらでも農仕事あるから。そのあとどっかよそ行って仕事さがすっ、サックスなんか吹いて。
日本においでよ。うん行きたい。ぜったい行く未知のとこ。そしたら好きなとこどこでも案内するよ。二人してそう言ってた。
未知は東部まわって帰国。帰って一ヶ月半、チャックから初めての手紙。
「夏じゅう農作業。秋になって父さんはこの辺にのこって手に職つけたらいいと言うんだけど、僕いろんなとこ見てまわりたい、世界中。未知のとこも。未知がワシントンもニューヨークも行くんだと言ってたのがほんとはとってもうらやましかったんだ」
さいごに「今朝徴兵の手紙がうちにとどいてあさって隣町まで行かなくちゃ。また手紙するね」
ああ、それだったんだと気がついた。チャックがその日未知に手紙書いたのは。未知なぜか返事書くのがこわかった。そのまま日が経った。
年の明ける前、ようやくチャックにどうしてる?って書いた。日本のきれいな絵はがきも入れた。いつか日本に行きたい。うんくれば、来てよ。案内するよ、好きなとこ。そんな話したのもきのうのように思い出した。
急に胸が痛いほどチャックが懐かしくなって返事が待ちどおしかった。
でも返事は来なかった、ずっと。
日がたつにつれて待ち遠しさがつのった。だけじゃない。おさえてた黒雲のような不安も。
そしてある日ホームステイの妹から一枚のハガキ。チャックのニュース。
徴兵で兵役に取られたこと。ベトナムに向かうのが決まったこと。
ちがうよ!そんなこと。想像できない。あんな優しいチャックがヘルメットかぶって重い鉄砲持ってるなんてぜんぜん似合わない。
その日から郵便を待つ毎日。
そのあいだ、チャック来たらどこ行こうってそんなことばっかり考えようとした。お好み焼きやに連れて行こう。銀座だって新宿だって、地方だって連れて行ける。富士山にだって。親戚のいる九州も四国も。未知の行ったことのない北海道だって。一緒に。
七ヶ月半。ある午後、高校からの通知。封筒開ける手がふるえた。
中にはチャックの白黒の写真。
戦闘中行方不明。日付と地名。ベトナム上陸後38日目。
戦闘中行方不明。
よかった。そうか。そしたら、まだどっかで生きてるんだ。
どっかで。
見つからないっていうのはまだ生きてるんだ。そうに決まってる。
そうだ、そうだ。どっかで軍とはぐれちゃったんだ。
よかった。よかった。
未知はチャックらしくない真面目な顔した写真をじっと見続けた。チャックと行こうと思ってたどこも全部行こうと心に決めた。チャックの出てくるまでずっと。
ー ー ー
1973年3月戦争は終わった。チャックの知らせのあった日のかっきり6年後。徴兵制も前後してなくなった、同じ年。
591名の捕虜が解放された。その中に、チャックは、いなかった。
チャックの卒業した年、1965年、
若者たちをベトナムに送り込むって決めなかったら、
この戦争どっちも勝ちめないって早く終わってたら、
徴兵制なんて人権蹂躙だってやめてたら、
そうしたら、そうしたなら,,,,,,
ー ー ー
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