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「その日、その時は、父だけが知っている」の本当の意味を悟る


「その日、その時は、父だけが知っている」

このフレーズを聞いたことがある人は、おおよそ聖書知識のある方でしょう。このフレーズにどのようなイメージをお持ちでしょうか。

その時は一切分からないし、知ろうとしてもいけない、と思われますか?

📌この記事では、
このフレーズの本当の意味を悟ることについて書きました。


1|その日、その時は、父だけが知っている


このフレーズは、新約聖書のマルコ書とマタイ書に登場するイエスの言葉で、終末期にあるキリスト再臨の時期について語ったものです。


キリスト再臨の時期

【マルコによる福音書 13章32-33節】
その日、その時は、だれも知らない。
天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。

【マタイによる福音書 24章36節】
その日、その時は、だれも知らない
天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる

実は、
「父だけが知っている」というこの表現は、当時のユダヤ文化の婚礼習慣に基づく慣用句であると理解されているのです。


キリストと信者とは婚約関係

キリストと信者との関係は、結婚にたとえられます。それは、両者の関係が親密で健全であることを象徴しています。

婚約関係は、聖書において重要なテーマであり、旧約聖書においては神とイスラエル(神の民)との関係を、新約聖書においては神の子キリストとイスラエルの子孫とされるキリスト者(神の民)との関係を表しています。

【イザヤ書 54章5節】
あなたを造られた者はあなたの夫であって、その名は万軍の主。
あなたをあがなわれる者は、イスラエルの聖者であって、全地の神ととなえられる。

【ヨハネの黙示録 19章7-8節】
わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。
小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。


2|ユダヤ文化の婚礼習慣と慣用句


ユダヤ文化の婚礼習慣

当時のユダヤの伝統的な婚礼では、婚約後、花婿は花嫁を迎えるための家(多くの場合、父親の家に新しい部屋)を準備します。この準備期間は数か月から一年以上に及ぶこともあり、その期間中、花婿の父親が監督し家の完成度や準備の完了を最終的に判断し、花嫁を迎えに行く正確な日時は父親が決定していました。
そのため、花婿自身でさえ、具体的な日時を知らないことがありました。

この習慣から、花嫁を迎えに行く頃合いや婚宴の催しが父親の権限に委ねられていることを象徴する慣用句として、「その日、その時は、父だけが知っている」という表現が使われたと考えられます。

父親が機が熟したと判断すると、花婿は花嫁を迎えに行くための儀式的行進を行います。
これは通常、夜に行われました。

ある日の夜、突然に花婿が闇の中で松明たいまつをもってラッパの音とともに迎えに来る──
これはサプライズとロマンチックな演出によるもので、ユダヤ文化の婚礼習慣として当時の人々に広く定着していました(マタイ24章31節)。

花婿は花嫁を迎え、自分の父親の家に連れて帰ります。結婚式と婚宴がその夜から始まるため、夜に迎えるのが自然な流れだったようです。

そのようなわけで、花嫁側は花婿がいつ来るかを正確に知ることができないため、常に準備を整えて待つ必要があったのです。


聖書本文における文脈

「その日、その時は、父だけが知っている」は、終末期の前兆やキリスト再臨の時期について、イエスが弟子たちに語る場面で使われました。

イエスは自分と御使たちでさえその正確な時を知らず、ただ父なる神だけが知っていると語りました。

しかし、この発言の趣旨は、実際にイエス自身も知らないと言いたいわけではなく、弟子たちにとって馴染み深い婚礼習慣の慣用句を用いて、その時は、父なる神の主権に委ねられていることを強調したものと言えます。


イエスはたとえで語る

【ヨハネによる福音書 14章2-3節】
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。

そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう

場所の用意ができたら、また来て迎えよう」と言ったこの場面も、実際に、天の領域に弟子たちが住む場所を建設するために行くと言っているのではなく、「いったん父のもとに行くが、また来る」ことを婚礼習慣になぞらえて、たとえで語っていることが分かります。

その日、その時は、父だけが知っている」も慣用表現であり、イエスはこれを終末期のたとえとして用いて、再臨のタイミングは父なる神の主権の下にあること、そしてその時を待つ間、常に準備しておくべきことを教えたのです。

【マルコによる福音書 13章33節】
気をつけて、目をさましていなさい。
その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。


3|花嫁は「そろそろかな」と想像できたのか?


「その日、その時は、父だけが知っている」というフレーズが、婚礼習慣の慣用表現だということが分かりました。
では、実際の花嫁は花婿が到来するタイミングについて、まったく分からなかったのでしょうか。

どの程度「想像できたか・予測できたか」について、以下の要素を考慮することができます。


予測可能性の要素

  • 婚約期間中、花嫁やその家族は、花婿の家の準備状況について間接的な情報(たとえば、地域の噂、親族間の交流、花婿側の進捗の様子など)を得る可能性がありました。特に、ユダヤの共同体の多くは緊密な人間関係で結ばれており、完全に情報が遮断されることはまれだったと考えられます。

  • 婚礼は通常、ある程度の期間(数か月から一年程度)で準備が進められるため、それなりに期間が経過すれば、花嫁側は「そろそろ準備が整う頃だろう」という推測は可能であったでしょう。たとえば、花婿が家を建てている様子や最終段階の兆候(家具の搬入や装飾の準備)が見える場合、漠然としたタイミングを知れたかもしれません。

  • また、婚礼の季節や地域の慣習(特定の祭りの時期を避けるなど)によって、大まかな時期を想像することは可能だったかもしれません。


不確定性の要素

  • それでも、花婿の父親が最終的な「GOサイン」を出す正確な日時は、花嫁側にとって予測が難しいものでした。父親の判断は、家の完成度だけでなく、経済的・社会的な要因や父親の個人的な意向に左右されることがあったためです。

  • 花婿が花嫁を迎えに行くのは、伝統的に夜間に行われることが多く、突然の訪問が慣習的でした。このサプライズの要素は、花嫁に「いつでも準備ができている」状態を強いるものでした(マタイ25章1-13節)。

  • 花嫁側は、花婿が来る「その日、その時」を正確に知ることはできず、準備が整っていることを前提に、突然の到来に備える必要がありました。


💡ある程度予測できるが、正確な日時は分からない

このフレーズの意味するところは、花嫁にとって、花婿の到来が「まったく分からない」というよりは、「ある程度予測できるが、正確な日時は分からない」というのがより適切な捉え方でしょう。

これは、イエスが語った終末期における「予測可能性と不確定性」とのバランスと一致しています。

イエスは弟子たちに「兆候を見る」ことを奨励しつつ、正確な日時は分からないので「準備に集中する」よう促しています。

【マタイによる福音書 24章32-33節】
いちじくの木からこの譬を学びなさい。
その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる●●●
そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい●●●●●

【マタイによる福音書 24章42-44節】
だから、目をさましていなさい。
いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。

このことをわきまえているがよい。
家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。
だから、あなたがたも用意をしていなさい

思いがけない時に人の子が来るからである。


4|現代の信者への適用


おおよその時期を知ることができる

イエスが言った「その日、その時は、父だけが知っている」は、婚礼習慣を背景にした慣用句であり、聖書本文の文脈では、キリスト再臨の時期が信者にとって「まったく分からない」というよりも、「ある程度予測できるが、正確な日時は分からない」ということでした。

マルコ13章(マタイ24章とルカ21章も同様)では、終末期の兆候(戦争、地震、飢饉、迫害、偽預言者など)が語られており、信者が「その時が近づいている」と感じることは可能だと示唆されています。これは、ユダヤの花嫁が「そろそろかな」と漠然と想像できた状況と符合します。

またイエスは、いちじくの木のたとえで季節(おおよその時期)を知ることについて言及されました。正確な日時は分からなくても、わたしたちには、おおよその時期を知ることができるのです。


賢い妻となる花嫁はきっと悟るだろう

花婿がテキパキと働き確実に仕事をこなす大工の息子であり、花婿から父親の性格と計画を事前に語られていたとしたらどうでしょう(マルコ13章23節)。

花嫁は、父親が六日で完成させ七日目に安息することを悟るなら、遅くても六日目までに迎えが来ることを容易に想像できるのではないでしょうか。

事前に語られたことからその本意を悟ることは、花嫁が花婿とその父親を愛しており、二人のことをよく知ろうとして聖書を深く読み、二人の計画をはじめ、その思いや考えや価値観をよく存じ上げていることの証しとなるのではないでしょうか。

【箴言】
31章10節 だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い

31章26節 彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。

9章10節 主を恐れることは知恵のもとである、聖なる者を知ることは、悟りである

【イザヤ書 46章10節】
わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる』と。


花嫁に事前に語られたこと

聖書の記述から、アダム創造からキリスト到来までジャスト4000年で、その年がローマ皇帝ティベリウスの治世15年(西暦28年)だと知り得ます。

父なる神の計画が創世記にあるとおり、六日(6000年)で完成し七日目に安息するのであれば、その完成がいつまでなのか自ずと分かります。

上の記事のとおり、アダム創造から6000年目は西暦2028年だと分かるのですが、その年までのどのタイミングでキリスト再臨となるのかは、ユダヤの花嫁と同様、正確な日時は分かりません。

👉ある程度予測できるが、正確な日時は分からない

しかし正確な日時など、もはや知る必要はありません。

💡花婿の到来が本当に近づいています

6000年目の「西暦2028年までに」キリスト再臨がなく、その年を過ぎてしまったならば、この悟りは大いなる勘違い(聖書預言解釈の誤り)だということになりますが、それまでは花婿の到来を大いに期待していいのではないでしょうか。

⚠️6000年目が西暦2028年である考察は、キリスト再臨が「西暦2028年まで来ない」のではなく、「西暦2028年までのいつかは分からない」と捉えてください。

【マタイによる福音書 24章21-22節】
その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。


花婿が迎えに来る日、その日は近い。


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