聖書における【 イスラエル 】を聖書で読み解く
「イスラエル」とは何か
「イスラエル」という語句を聞かれたことがあると思います。
地中海の東端(中東)にある国──ユダヤ人の国として知られるイスラエル国があります。この国の名称は、聖書にある「イスラエル」が由来ですが、そもそも「聖書におけるイスラエル」とは何かご存じでしょうか。
📌この記事では──
聖書におけるイスラエルとは何かを聖書で読み解きます。
1|イスラエルが初めて登場した箇所
聖書において、初めて「イスラエル」という語句が登場する箇所を見てみましょう。
【創世記 32章28節】
その人は言った、
「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。
これは、イスラエル十二部族の父である族長ヤコブに、「イスラエル」という名が与えられた場面です。
「あなたはもはや名をイスラエルと言いなさい」と言った理由が、「あなたが神と人とに、力を争って勝ったから」とあります。
この翻訳では分かりにくいのですが、「神と」の部分は原語的には「with God」のニュアンスがあり、正確には「あなたは神と共に奮闘し、人と戦って勝ったから」となります。

つまり「神と共に奮闘し、人と戦って勝つ者」は、その名を「イスラエル」というと言っているのです。
✅神と共に奮闘し、人と戦って勝つ者=イスラエル
👉イスラエル=信仰による神の民
2|アブラハムもイスラエルです
アブラハム契約
アブラムが99歳の時、神は彼と契約を結びアブラハムの名を与えました。その理由は「わたしはあなたを多くの国民の父とするから」です。
【創世記 17章1-8節】
アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」。
アブラムは、ひれ伏した。
神はまた彼に言われた、
「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。
わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起そう。また、王たちもあなたから出るであろう。
わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。
わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。
そしてわたしは彼らの神となるであろう」。
アブラハム契約の内容は、次のとおりです。
① アブラハムに多くの子孫を得させ、国々の民を起こす
② アブラハムと代々の子孫と永遠の契約をする
③ アブラハムと子孫の神となる(神の民とする)
④ アブラハムと子孫とに、カナンの全地を永久に与える
⑤ 割礼が契約のしるしとなる(創世記17章9-14節)
この契約によって、アブラハムは神の民になったのです。
アブラハム契約から出エジプトまで430年の一致
【出エジプト記 12章40-41節】
40節 イスラエルの人々がエジプトに住んでいた間は、四百三十年であった。
41節 四百三十年の終りとなって、ちょうどその日に、主の全軍はエジプトの国を出た。
出エジプト記に、イスラエルがエジプトに住んでいた期間が430年と記述されています。
この430年の起算点はいつでしょうか。
「イスラエル」とは、前述のとおり、ヤコブの血筋の子孫ではなく、信仰による神の民のことです。
また「エジプト」とは、神の王国に対比されるこの世全体(諸国民の中)の象徴です。
40節のエジプトには当時のカナンも含まれ、諸国民の中に住んでいたという意味合いになります。
41節は「エジプトの国」となっており、こちらは地理的な国を指しており区別されています。
一部の古代写本(サマリア五書、七十人訳)には、次のように記述されています。
サマリア五書

ハイライト部分を訳すと「さて、イスラエルの子らとその先祖たちが、カナンとエジプトに住んでいた期間は四百三十年であった」となります。
七十人訳(LXX セプトゥアギンタ)

ハイライト部分が「カナン」で、訳せば「イスラエルの人々が、エジプトの地とカナンの地に住んだ期間は四百三十年であった」となります。
つまり、
①イスラエル(神の民)の人々が、②エジプトとカナン(諸国民の中)に住んでいた、この二つの要件を満たすのは、カナンに寄留していたアブラハムが契約によって神の民となった時からであり、これが430年の起算点となります。
パウロはこのことを理解しており、次のとおり記述しています。
【ガラテア人への手紙 3章17-18節】
わたしの言う意味は、こうである。
神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、その約束がむなしくなるようなことはない。
(中略)
ところが事実、神は約束によって、相続の恵みをアブラハムに賜わったのである。
「神によってあらかじめ立てられた契約」とは、アブラハム契約のことで、「四百三十年の後にできた律法」とは、モーセ律法のことです。
モーセ律法は、エジプト脱出の年に与えられました。
つまり、出エジプト記とパウロの記述は、「アブラハム契約から出エジプトまでが430年」で一致しています。
このことから、出エジプト記12章40節にある「イスラエル」とは、ヤコブがイスラエルとされた時よりも前のアブラハムが神の民となった時を指していることが分かります。
よって、
💡アブラハムもイスラエルなのです
補足:
アブラハムには、少なくとも8人の子が生まれ、本妻の子がイサクで、イサクから双子のエサウとヤコブが生まれました。
ヤコブは、アブラハムのたくさんいる血筋の子のうちのひとりです。
アブラハムもヤコブもヤコブの12人の息子らも、生まれた時からイスラエルと呼ばれたのではないところがポイントです。
3|ヤコブとイスラエルの違い
イザヤ書やエゼキエル書では、血筋の子である「ヤコブの子」と、これと対比して信仰の子を「イスラエルの子」として区別しています。
📕イザヤ書におけるヤコブとイスラエル
イザヤ書においては「ヤコブ」と「イスラエル」とを、区別して使い分けられています。
【イザヤ書 40章27節】
ヤコブよ、何ゆえあなたは、「わが道は主に隠れている」と言うか。
イスラエルよ、何ゆえあなたは、「わが訴えはわが神に顧みられない」と言うか。
【イザヤ書 43章22節】
ところがヤコブよ、あなたはわたしを呼ばなかった。
イスラエルよ、あなたはわたしをうとんじた。
これらの記述は、同じ対象者に対して繰り返しているのではありません。
ヤコブとイスラエルそれぞれに対して言及しているのです。
【イザヤ書 48章1節】
ヤコブの家よ、これを聞け。
あなたがたはイスラエルの名をもってとなえられ、ユダの腰から出、主の名によって誓い、イスラエルの神をとなえるけれども、真実をもってせず、正義をもってしない。
ここでは「ヤコブの家よ」と呼びかけ、血筋の者に対して「聞け」と忠告します。
ヤコブの血筋の者は、「イスラエルの名で唱えられ、ユダの腰から出」、つまり、「神の民(信仰の民)と言われ」「ユダ族(王家)の血筋であり」ながら、真実と正義を行っていないと言われます。
ヤコブの血筋の者は、イスラエル(神の民)を名乗るが、中身が伴っていない。ヤコブの血筋がそのままイスラエル(神の民)ではないと言うことです。
【イザヤ書 10章20-21節】
その日にはイスラエルの残りの者と、ヤコブの家の生き残った者とは、もはや自分たちを撃った者にたよらず、真心をもってイスラエルの聖者、主にたより、残りの者、すなわちヤコブの残りの者は大能の神に帰る。
「イスラエルの残りの者と、ヤコブの家の生き残った者とは」とあります。これは「信仰の民と血筋の民の残りの者は」です。
「イスラエルの聖者、主にたより」とは「キリストに頼り」です。
「ヤコブの残りの者は大能の神に帰る」は「血筋の民の残りはまことの神に帰る」ですね。
つまり「信仰の民と血筋の民の残りの者は、キリストに頼り、血筋の民の残りはまことの神に帰る」となります。
そして「その日」とは、終わりの日のことです。
📕エゼキエル書におけるイスラエル
エゼキエル書においても、血筋の民と信仰の民との書き分けが明確に行われています。
詳しくは、下の記事をご覧ください。
4|パウロの解釈
「真のイスラエルとは誰か」について、パウロは明確に答えています。
以下の箇所は、信仰によるイスラエルについて書かれています。
① 外見上のユダヤ人がユダヤ人ではない
【ローマ人への手紙 2章28-29節】
というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。
かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。
👉外見や血筋や形式的な律法ではなく心の中で神に従う者こそが、本当のユダヤ人(イスラエル)だとしています。
② アブラハムの信仰に従う者
【ローマ人への手紙 4章16節】
このようなわけで、すべては信仰によるのである。
それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。
👉アブラハムは多くの国民の父です。アブラハムの信仰に従う者こそが、真のイスラエルです。
③ 肉の子がそのまま神の子ではない
【ローマ人への手紙 9章6-8節】
しかし、神の言が無効になったというわけではない。
なぜなら、イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく、また、アブラハムの子孫だからといって、その全部が子であるのではないからである。
かえって「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」。
すなわち、肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである。
👉アブラハムの子は、少なくとも8人いましたが、これらの子孫が全部イスラエルなのではありません。イサクやヤコブの子孫であっても同様で、神の約束を信仰によって受け取る者たちがイスラエルだと明言しています。
④ 信仰による者こそアブラハムの子
【ガラテヤ人への手紙 3章7-9節】
だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。
聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。
このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。
👉アブラハムによって、すべての人は祝福されます。アブラハムの信仰による者が、イスラエルです。
血筋の者のうち信仰のある者がアブラハムの子と言っているのではなく、血筋に関係なく、異邦人であっても信仰によってアブラハムの子とされるのです。
⑤ もはやイスラエルの国籍の者である
【エペソ人への手紙 2章11-19節】
だから、記憶しておきなさい。
あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。
ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。(中略)
そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
👉異邦人もキリストによって「神の民」「神の家族」となります。
5|イエスは何と言っているのか
イエスも「イスラエルとは誰か?」「神の民とは何か?」という問題に対して、血筋ではなく、信仰と従順によって神の民とされるという立場を取っています。
以下に代表的なものを紹介します。
① 血筋よりも神の御旨を行う者が神の家族
【マタイによる福音書 12章48-50節】
イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。
そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
👉血縁ではなく、神の御旨を行う者はだれでも、イエスの家族(神の民)です。
② アブラハムの血筋の子であっても、偽りの父に従う者は、アブラハムの信仰の子ではない
【ヨハネによる福音書 8章39-41節】
彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」。
イエスは彼らに言われた、
「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。
👉たとえアブラハムの血筋の子であっても、その行いがアブラハムの信仰に一致していなければ、アブラハムの子孫ではない。まして人を殺そうなどというのは、偽り者の子である。
③ 異邦人の信仰を賞賛し、血筋の者の不信仰を非難
【マタイによる福音書 8章10-12節】(百人隊長の信仰)
イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。
👉「イスラエル人」(単に「イスラエル」ではなく「イスラエル人」とあることから血筋の者を指す)であっても信仰がなければ、神の王国から退けられる。
むしろ異邦人(血筋でない者)の信仰が受け入れられる。
④ 血筋の者であっても実を結ばない者は神の王国から除かれ、信仰の者に与えられる
【マタイによる福音書 21章43節】(ぶどう園のたとえ)
それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。
👉血筋の民でも神の王国を拒むなら持っていた権利は取り上げられ、神の王国は実を結ぶ見込みのある異邦人(信仰の民)に与えられる。
⑤ 偽りがない者が真のイスラエル
【ヨハネによる福音書 1章47節】
イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。
👉イエスは、ナタナエルが内面の誠実さを持つ人物であることを見抜き、「偽りがない真のイスラエル人」と称賛しました。
ヤコブは、父イサクを騙して兄エサウの祝福を奪いました。「ヤコブ」は「欺く者(詐取者)」として知られます(創世記27章)。
対して「イスラエル」という名は、前述のとおり「神と共に奮闘する」ことによって与えられました(創世記32章28節)。
つまり、この文脈で、イエスがナタナエルを「偽りがない真のイスラエル人」と呼んだのは、血筋のユダヤ人というだけでなく、霊的にも誠実で神を求める人こそが真のイスラエル人であるという意味を含んでいます。
おまけ
置換神学の間違い
置換神学の主な主張は、次のとおりです。
キリスト教会がユダヤ教に取って代わった
キリスト教会が神の契約の民としての役割を担うようになった
キリストの新契約がモーセの旧契約に取って代わった
普遍教会が神の「真のイスラエル」
キリスト教徒は神の民である
置換神学は──イスラエルが血筋によるのではないとしている点は評価できるのですが──間違えています。
これまで見てきたように、血筋の民(端的に言えばユダヤ人)と信仰の民(イスラエル=端的に言えばキリスト者)とは、区別されて併存しており、置き換えられてはいません。
エゼキエル書37章に、ヨセフ(信仰の民)とユダ(血筋の民)とが一つになるとあり、これらの隔てがなくなり、血筋であってもなくても信仰の民が真のイスラエルになるのです。
【エゼキエル書 37章19-22節】
これに言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。
(中略)
主なる神は、こう言われる、見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、その地で彼らを一つの民となしてイスラエルの山々におらせ、ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない。
📍終末期に神の印を押される「イスラエル」と「白い衣の大群衆」については、次の記事をご覧ください。
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