イスラエルの終末預言──「イスラエルの山々」とは信仰の神の民/エゼキエル36章と37章
エゼキエル書には、イスラエルの終末預言が描かれています。
36章と37章には、イスラエルの復興が預言されており、一部の解釈では、現代のイスラエル国の建国(1948年)で成就したとされています。
確かに「枯れた骨に肉が付き生き返る」「先祖に与えた地に入らせる」という記述があり、ユダヤ人の国の建国を表すかのようです。
しかし、聖書を丁寧に読めば、これは誤読解であると分かります。
この預言が成就済みなのか、未成就なのかを知ることは、神の計画のこれからを理解するうえで非常に有用です。
📌この記事では──
聖書を丁寧に読むとはどのようなものか、寓意的読解のテクニックをご覧いただきます。
引用聖書は、聖書口語訳(日本聖書協会)を使用し、ハイライトを付すため画像で表示しています。見にくい場合は、ご自身の聖書かウェブやアプリの聖書を併せてご覧ください。📍エゼキエル書第36章
それでは、36章から見ていきましょう。
エゼキエル書 第36章
✅イスラエルの山々
【キーワード】
・イスラエルの山々
・我が地=イスラエルの地
・諸国民

1節に「イスラエルの山々に言え。イスラエルの山々よ聞け」とあります。そして、2節以降はイスラエルの山々は「あなたがた」(人称代名詞)に置き換えられ預言が語られます。
また、4節で山々は「山、丘、くぼ地、谷、滅びた荒れ跡、人の捨てた町々、諸国民にあざけられるようになったもの」であるとされています。
山々に言え、山々よ聞け、「あなたがた」(人称代名詞)とあることから、このイスラエルの山々とは、土地のことではなく、ある人々を表していることが読み取れます。
5-6節に「我が地」「イスラエルの地」とあります。
6節に「イスラエルの地のことを、イスラエルの山々に言え」とあることから、地と山々とは別であることが分かります。
この「地」とは約束の地のことでしょう。
約束の地とは、千年王国時代の神の王国のことです。地理的な西アジアのパレスチナ地方の土地(現イスラエル国)のことではありません。
よって、
💡イスラエルの山々=約束の地を相続する人々
💡イスラエルの地=約束の地=千年王国時代の神の王国
です。
以降、人称代名詞が何を表しているのかを色分けして(置き換えつつ)読み進めていきます。
✅イスラエルの山々は家となる
【キーワード】
・イスラエルの山々
・イスラエルの人々
・イスラエルの家の者
・諸国民

8-10節に「イスラエルの山々は、枝を出し、実を結ぶ、神は臨み、顧みる。耕され、種をまかれる。人を増やし、ことごとくイスラエルの家の者となり、荒れ跡は建て直される」とあります。
①枝を出し、②実を結び、③耕され、④種をまかれ、⑤人が増える、これらの語句から連想されるのはもちろん「キリスト者」です(ヨハネ 15章5節、ルカ 8章11-15節、コリント第一 3章6–9節、使徒 2章47節、ペテロ第一 2章5節)。
【ヨハネによる福音書 15章5節】
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。
【ルカによる福音書 8章5節】
良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。
【コリント人への第一の手紙 3章6節】
わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。
【使徒行伝 2章47節】
神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。
【ペテロの第一の手紙 2章5節】
この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。
イスラエルの山々は、イスラエルの家の者となり、荒れ跡は建て直されるとあるとおり、キリスト者は、イスラエルの家の者となり神の民が建て直されるということです。
よって、
💡イスラエルの山々=キリスト者=イスラエルの家の者
です。
12節に「我が民イスラエルの人々」とあります。
これは、以降で「彼ら」(人称代名詞)とされており、イスラエルの山々(あなたがた)と対比されていることが分かります。
イスラエルの山々がキリスト者で、言い換えれば「信仰によるイスラエル」です。これと対比するなら、「我が民」と言われるイスラエルの人々は「血筋によるイスラエル」と言えるでしょう。
よって、
💡イスラエルの山々=信仰によるイスラエル
💡イスラエルの人々=血筋によるイスラエル
です。
✅イスラエルの家
【キーワード】
・イスラエルの家
・先祖に与えた地
・諸国民


イスラエルの家は、前項で解読しました。
💡イスラエルの山々=キリスト者
=イスラエルの家の者=信仰によるイスラエル
です。
先祖に与えた地も、前項で見たのと同じです。
💡先祖に与えた地=イスラエルの地
=約束の地=千年王国時代の神の王国
です。
エゼキエル書 第37章
✅復活する大群衆
【キーワード】
・はなはだ大いなる大群衆
・イスラエルの全家
・あなたの民の人々

1-8節には、枯れた骨に、筋や肉がついて皮で覆われるが、息はその中にないとあります。
9節に「息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」とあり、10節で、息が入り、彼ら(イスラエルの全家)は生き、その足で立ち、はなはだ大群衆となったとあります。
イスラエルの家は、
💡イスラエルの山々=キリスト者
=イスラエルの家の者=信仰によるイスラエル
でした。
「イスラエルの全家」は、すべての家と言うことですが、はなはだ大いなる群衆(大群衆)となるこの「全家」が何を表すのか、これだけでは断定できませんので、以降の節を見てみます。
✅ユダとヨセフの木が一つになる
【キーワード】
・ユダとその友であるイスラエルの子孫
・ヨセフとその友であるイスラエルの全家
・あなたの民の人々

16節に「ユダおよびその友であるイスラエルの子孫」とあります。ユダ(ユダ族)とは、ダビデ王家の血筋です。その友であるイスラエルの子孫とは、ユダ族の血統、ユダヤ人、ヤコブの血筋、つまり、血筋によるイスラエルです。
「ユダおよびその友であるイスラエルの子孫」とは、血筋によるイスラエルで、前述の「イスラエルの人々」と同一です。
よって、
💡ユダおよびその友であるイスラエルの子孫
=血筋によるイスラエル
=イスラエルの人々
です。
「ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家」は、19節に「エフライムの手にあるヨセフ」とあり、ヨセフとヨセフの子であるエフライムは意味合いとしては同一で、ユダ族と分離した北イスラエル王国の「離散した十部族」を表しています。
このヨセフ族(エフライム族)は、ユダ族と対比され、血筋(王家)から離れたが、回心し信仰によって神の民となる者を象徴しています。
よって、
💡ヨセフ(エフライム)=回心し信仰によって神の民となる者
です。
また、19節には「その友であるイスラエルの部族」とあり、全家が部族に言い換えられています。
イスラエルの全家=イスラエルの部族です。
つまり、「全家」とは、先ほどの「離散した十部族の全体」を表していることが分かります。
よって、
💡イスラエルの全家=イスラエルの部族
=信仰によるイスラエルのすべて
です。
次に18節の「あなたの民の人々」の「あなた」とは、筆者であるエゼキエル自身(①)であり、16節の人の子(②)でもあります。
この「あなたの民の人々」を、
①「エゼキエルの民の人々」と言い換えれば、この人々とは「血筋によるイスラエル」であり、
②「人の子の民の人々」と言い換えれば、人の子=キリストですので、「信仰によるイスラエル」と捉えられます。
血筋によるイスラエルか信仰によるイスラエルか、いずれにしても「これはなんのことか?」と聞くと、「ユダとヨセフをわたしの手で一つとなる」と神が答えるとあります。
つまり、「あなたの民の人々」とは、血筋と信仰のイスラエルのいずれであったとしても、これらは一つにされ、その全体を表すと言うことです。
よって、
💡あなたの民の人々
=血筋によるイスラエル+信仰によるイスラエル
=血筋の民+信仰の民
です。
「イスラエルの全家」と表現された、はなはだ大いなる群衆(大群衆)とは、ヨハネの黙示録に登場する「白い衣の大群衆」を構成します。
おさらい
✅イスラエルの山々=信仰によるイスラエル
ヨセフ、エフライム、離散した十部族、回心し信仰によって神の民となる者、イスラエルの家の者、キリスト者
※イスラエルの全家=信仰によるイスラエルのすべて=すべてのキリスト者
✅イスラエルの人々=血筋によるイスラエル
ユダ、いわゆるユダヤ人(ヤコブの血筋)、ダビデ王家の血筋
✅ユダとヨセフは一つの民となる
=血筋によるイスラエル+信仰によるイスラエル
=血筋の民+信仰の民
パウロは、血筋によるイスラエルを「ある枝」、信仰によるイスラエルを「野生のオリーブ」として、接ぎ木にたとえて、これらが一つになることを説明しています。
【ローマ人への手紙 11章17-24節】
しかし、もしある枝(血筋)が切り去られて、野生のオリブ(信仰)であるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、あなたはその枝(血筋)に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。
すると、あなたは、「枝(血筋)が切り去られたのは、わたしがつがれるためであった」と言うであろう。まさに、そのとおりである。彼ら(血筋)は不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。
もし神が元木の枝(血筋)を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう。神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。
しかし彼ら(血筋)も、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼ら(血筋)を再びつぐ力がある。
なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して(信仰によって)良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝(血筋)は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。
✅先祖に与えた地=イスラエルの地=約束の地=千年王国時代の神の王国
以上を踏まえて、36章、37章をお読みいただくと、誰がどのように約束の地(千年王国時代の神の王国)に入るのか、よく分かるのではないでしょうか。
千年王国時代の預言
📕エゼキエル書 37章20-23節

21-22節において、「あなたの民の人々」に言え、四方から「イスラエルの人々」を集めて、「その地」に導き、その地で「イスラエルの人々」と「イスラエルの山々」とを一つの民となし、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分かれない、とあります。
つまり、「血筋の民と信仰の民」に言え、四方から「血筋の民」を集めて、「千年王国」に導き、「血筋の民」と「信仰の民」とを重ねて一つにする、と言うことです。
23節には、彼ら(血筋の民と信仰の民)はすべての背信から救い出され、清められ、そして、彼らは神の民となる、とあります。
💡あなたの民の人々
=血筋によるイスラエル+信仰によるイスラエル
=血筋の民+信仰の民
=神の民の全体
※彼らは一つになって、二度と二つにならない。
【マタイによる福音書 24章29-31節】(キリスト再臨)
しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
📕エゼキエル書 37章24-28節

24節に「ダビデは彼らの王となる」「彼らすべての者のために、ひとりの牧者が立つ」「彼らは掟に歩み、守って行う」とあります。
「彼ら」とは、「血筋の民+信仰の民=神の民の全体」です。
ひとりの牧者とは、イエス・キリストのことですから、王となるダビデとは、イエス・キリストのことでしょう。
「彼ら=神の民の全体」は、神の掟に歩み、これを守り行います。
25節に、彼らは「わたしが与えた地」に住むとあります。これは「約束の地」のことで、地理的な土地ではなく、千年王国時代の神の王国のことです。
26-28節は、千年王国時代のことです。
千年王国時代では、神は彼ら(神の民の全体)と永遠の平和契約を結び、彼らを祝福し、増やします。神は、彼らと共にあり、彼らは神の民となります。
神の聖所が永遠に彼らのうちにあるようになるとき、諸国民は、神は彼らを特別とする者であることを悟るとあります。
💡諸国民
諸国民とは、神の民以外の民を指しています。
千年王国時代の諸国民については、次の記事をご覧ください。
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