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ユダヤ教が惑わす作為的な聖書の曲解── 一日の始まりと一年の始まり


ユダヤ教の伝統的解釈には、聖書本文と一致しないものがあります。


その理由は、ラビ的伝承(口伝律法)が本文以上の権威をもって扱われ、結果として伝承が本文の素直な読みを覆い隠してしまうためです。

イエスもこの伝承と本文とのズレを指摘しています(マルコ7章7-9,13節)。

📌この記事では──
ユダヤ教の伝承に根差した曲解のうち、作為的とも言えるものをいくつかを取り上げます。


これらは一見小さなズレに見えますが、神の秩序や価値観に直結する重要な要素です。

ユダヤ教によるズレを無意識に受け入れてしまい、本来のものと異なる価値観の中にあるキリスト者も少なくないのです。

本文を正しく読み取るには、人の解釈に惑わされずに自分自身で丁寧に読むことが不可欠です。



1|聖書の一日は、朝から始まる


ユダヤ教は、一日の始まりは日没だと言います。
しかし、聖書本文を丁寧に読めば、一日の始まりは「朝」であることが自然に読み取れます。


天地創造から読み取れる「一日の流れ」

【創世記 1章1-5節】
はじめに
神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

神は「光あれ」と言われた。
すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。
神はその光とやみとを分けられた。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。
夕となり、また朝となった。
第一日である。

これは創世記にある天地創造の記述です。
神の一日について、書かれています。

神は、朝から夕まで、つまり、昼間に働き、その後、夕となり朝となって一日である、と言っています。
そして次の日は、また朝から始まります。

これは創造の六日間に共通しており、この記述から、一日は朝から始まることが分かります。

特に一日目については、神の「光あれ」の言葉によって「昼」があるようになりました。神は、光によって闇を分け、昼と夜との秩序を定めました。その後、夕方になり、夜になり、夜が明けて一日だ、と言っているのです。

この箇所では、「光→闇」「昼→夜」の順で表されており、聖書の他の箇所にある「四十日四十夜」「三日三晩」などの表現も、「昼→夜」の順が踏襲されています。

ユダヤ教では「夕となり、朝となった」の記述だけ●●をもって、一日は夕から始まるとしますが、「昼から夕となり、夜になって朝となった」という一日の流れを読み取れていません。

そして、このユダヤ教的解釈を受け入れ、聖書の一日は日没から始まると信じているキリスト者も少なくないのです。


よく示される反論:レビ記とネヘミヤ記

反論としてよく挙げられるのが、次の箇所です。

【レビ記 23章26-32節】
主はまたモーセに言われた、
「特にその七月の十日は贖罪の日である。
(中略)
あなたがたは身を悩まさなければならない。またその月の九日の夕には、その夕から次の夕まで安息を守らなければならない」。

これは、年に一度の断食を行う大贖罪日の定めです。

確かにここには「夕から夕まで」とあります。しかし文脈を考えれば、この表現の意図するところが読み取れます。

大贖罪日の儀式そのものは、十日の朝から行われます(レビ16章)。そのため、前夜(九日の夕)から心身を整え、約24時間の断食に入るよう定められているのです。

したがって、「夕から夕まで」と書かれているのは、通常の一日の区切りを示したものではなく、この日の厳粛さゆえの特別な指示と読むのが自然です。

レビ記や民数記における祭りの規定をすべて見渡しても、「夕から夕まで」と明記されているのは、この箇所だけです。

もし一日の区切りが本来「夕から」始まるのだとすれば、他の祭りでも同様の表現が繰り返し登場するはずです。
ところが、実際にはそうなっていません。

むしろ「一日は夕から始まらない」からこそ、大贖罪日だけ特別に「前日の夕方から備えよ」と強調されていると読むのが、素直な読解と言えるでしょう。

ネヘミヤ記13章19節においても、同様の読み取りができます。
ネヘミヤでは、町の門を安息日の前日●●夕暮れ●●●に閉めた様子が描かれています。これも安息日に備えて、前もって準備したと読むのが自然で、夕暮れが一日の区切りを示すものではありません。


六日目は二倍のパンを朝まで

次の箇所をご覧ください。
天から与えられるパンの記述です。

【出エジプト記 16章22-23節】
六日目には、彼らは二倍のパン、すなわちひとりに二オメルを集めた。
そこで、会衆の長たちは皆きて、モーセに告げたが、モーセは彼らに言った、
「主の語られたのはこうである、『あすは主の聖安息日で休みである。きょう、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものはみな朝までたくわえて保存しなさい』と」。

六日間そのパンを集めて食べますが、七日目は安息日のため六日目に二倍のパンを集めて保存するよう指示が与えられます。
「(明日に備えて)残ったものは朝まで●●●保存しなさい」とあるとおり、六日目は朝まで続いており、安息日は翌朝●●から始まることが読み取れます。


一日中とは、早朝から夜更けまで

【イザヤ書 5章11節】
わざわいなるかな、彼らは朝早く起きて、濃き酒をおい求め、夜のふけるまで飲みつづけて、酒にその身を焼かれている。

丸一日を表す表現として、「早朝から夜更けまで」とあります。


神は安息日の前夜に過越した

もう一つ、これは決定的と言えるでしょう。

過越しについて、出エジプト記12章に次のとおりあります。
──イスラエルの会衆は、第一月の14日の夕方に小羊を屠り、その血を家の入口の柱と鴨居に塗りました。その晩に肉を焼いて種無パンと苦菜を添えて食べました。その夜中、神は過越しエジプトの初子を撃ちました

レビ記23章にはこの過越しを由来とする祭りが定められています。

【レビ記 23章5-7節】
正月の十四日の夕は主の過越の祭である。
またその月の十五日は主の種入れぬパンの祭である。
あなたがたは七日の間は種入れぬパンを食べなければならない。その初めの日に聖会を開かなければならない。どんな労働もしてはならない。

15日は──種無祭であり七日間の初日で──安息日(聖会日)です
もし、14日の日没から日付が変わり安息日が始まっているのだとしたら、神は安息日にエジプトの初子を撃ったことになりますが、決してそのようなことはありません。
神は安息日の前日──14日の夜中に過越し、15日を聖としたのです。


いずれにしても、創世記の「はじめに」を素直に読めば、「昼から夕となり、夜になって朝となった」という一日の流れが読み取れるはずです。


2|聖書の一年は、春から始まる


次は、一年の始まりについてです。
ユダヤ教は、一年は秋から始まると言います。

この主張に聖書的根拠があるのでしょうか。


聖書暦

イスラエルの暦は、神が定めました。
再び、出エジプト記12章をご覧ください。

【出エジプト記 12章1-2節】
主はエジプトの国で、モーセとアロンに告げて言われた、
この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。

この箇所は、エジプト脱出に向けて過越しが行われる場面の導入部分です。
神のお告げがあったこの日の夕暮れ時、西の空に細く浮かぶ新月をモーセに見せて、この月●●●を第一月としなさいと言われました。

夜が明けて元旦となり、イスラエルの暦が始まりました。この暦は、いわゆる太陰太陽暦です。

これを聖書の記述に基づく暦として、便宜上、聖書暦とします。


聖書暦の第一月の季節

レビ記23章には、第一月の祭りが次のとおり定められています(レビ23章4-11節)。

  • 過越すぎこし(第一月の14日の夕方)

  • 種無たねなし(第一月の15日)👈安息日

  • 初穂はつほ(第一月の16日)

この時期の初穂とは、大麦のことです(出エジプト9章31-32節)。
当時のエジプトやカナンでは、現代暦の11月ごろに種をまき、翌年3月~5月に収穫を行っていました。このことから、第一月は春だと分かります。

そして、ヘブライ語で第一月を表す「アビブ」は、大麦の熟成(つまり春)を意味します(出エジプト23章15節)。

またこれらの祭りは、エジプトから導き出されたことを覚えるため、毎年同じ日に行うように命じられています(出エジプト13章3-10節)。これは現代でもユダヤの風習として残っており、現代暦の3~4月(つまり春)に祭りが行われています。

よって、

💡聖書の一年の始まりは「春」なのです


ところがユダヤ教は、春から始まる暦を「宗教暦」としながらも、秋から始まる「政治暦」を採用しているのです。


政治暦の根拠は、根拠になっていない

次の箇所をご覧ください。
前段が夏の収穫祭(小麦の刈入れ)、後段が秋の収穫祭(果物の取入れ)について書かれています。

【出エジプト記 23章16節】
また、あなたが畑にまいて獲た物の勤労の初穂をささげる刈入れの祭と、あなたの勤労の実を畑から取り入れる年の終り●●●●に、取入れの祭を行わなければならない

またレビ記23章には、次の秋祭りが定められています。

  • 角笛つのぶえ(第七月の1日)

  • 大贖罪だいしょくざい(第七月の10日)👈断食の日

  • 仮庵かりいお(第七月の15日~)👈秋の収穫祭

出エジプト記に「年の終わり●●●●●に収穫祭をせよ」とあることから、ユダヤ教は秋を年の終わりとし、角笛祭を新年とするのです。

しかし、これは矛盾しています。

「年の終わりに収穫祭をせよ」ということは、「収穫祭→新年」の順になるはずです。

「第七月が年末、第八月が新年」と言うのならまだしも、角笛祭が新年であるなら、仮庵祭は「年の初め●●●●の祭り」になってしまい、ちぐはぐ過ぎます。

また聖書には、秋が「年の終わり」とありますが「年の始まり」とは書かれていません。

💡秋から始まる●●●根拠は、聖書にはないのです

「年の終わり」とは、「その年の収穫が終わる時期」ということであり、その年自体の終わりや年が改まるのではないことは、素直に読めば分かることです。


3|三大祭は、聖書に明記されている


祭りの話題に関連して、次はユダヤ教の三大祭です。
聖書(レビ記23章)には、次のとおり七つの祭りが定められています。

  1. 過越すぎこし(第一月の14日の夕方)

  2. 種無たねなし(第一月の15日~)

  3. 初穂はつほ(第一月の16日)

  4. 七週五旬ななしゅうごしゅん(第四月の月末)

  5. 角笛つのぶえ(第七月の1日)

  6. 大贖罪だいしょくざい(第七月の10日)

  7. 仮庵かりいお(第七月の15日~)

これらのうち、ユダヤ教は「過越祭●●●・七週祭・仮庵祭」が三大祭だと言います。

聖書には、次のとおりあります。

【出エジプト記 34章18-23節】
あなたは種入れぬパンの祭を守らなければならない
(中略)
あなたは七週の祭、すなわち小麦刈りの初穂の祭を行わなければならない

また年の終りに取り入れの祭を行わなければならない

年に三度●●●●、男子はみな主なる神、イスラエルの神の前に出なければならない

これが三大祭の由来です。
イスラエルの男子は、年に三回、神の前に出なければなりませんでした。
その祭りが、次の三つです。

  • 春祭り👉種無祭(大麦の収穫祭)

  • 夏祭り👉七週五旬節(小麦の収穫祭)

  • 秋祭り👉仮庵祭(果物の収穫祭)

これらが聖書に基づく三大祭(巡礼祭)です。
ユダヤ教では過越祭を三大祭のひとつとしますが、聖書どおりではありません。

過越祭は、第一月14日の夕暮れ●●●から夜にかけて行われるものであり、光である神の前に出る(昼間に参拝する)ことができないのです。

確かに過越祭は重要な祭りではありますが、聖書どおりの三大祭として挙げるなら過越祭ではなく種無祭であるはずです。


📍「七週五旬節」については、下の記事で詳しく書きました。


4|安息日の正しい理解


最後は、安息日です。
ユダヤ教が最も重要視する安息日が、曲解に満ちているというのは皮肉なことです。

ユダヤ教が依拠している旧約聖書においても、その旨が描かれています(イザヤ1章13-17節)。

また新約聖書においても、イエスとユダヤ教パリサイ派との間で、安息日の解釈について争いがあったことが描かれています(マタイ12章9-14節)。

元パリサイ派のパウロは、開眼してからはユダヤ教的●●●●●な安息日を「戻りたくないもの」としています(ガラテヤ4章9-11節)。

安息日の理解については、現代のキリスト者においてもユダヤ教の影響を受けて誤解の中にいる人が多いように見受けられます。


本来の安息日

現代のユダヤ教では、毎週金曜日の日没から土曜日の日没までを安息日とします。
しかし、そもそも曜日の概念(七曜制)は第二神殿時代以降に定着したものであり、モーセの時代には曜日はありませんでした。

前述のとおり古代イスラエルの暦は太陰太陽暦で、安息日は新月を基準とした七日目です。これは月の周期に依存するため、曜日とは一切関係しません。

したがって、ユダヤ教の安息日は、一日の始まりと曜日の概念のダブルで曲解しているのです。

そして、安息日は本来「七日目を覚えて聖とせよ」という命令で、わたしたちはこの世の奴隷であるために自分のために働く必要がありますが、せめて七日目は世から離れ神と過ごすために聖別せよ、というものです(申命5章15節)。

ユダヤ教はこの「聖とする日」を「一切労働してはいけない日」と曲解したのです。
これに対しイエスは、「人が安息日にために造られたのではなく、人のために安息日が設けられた」「安息日に善を行うことは律法に適っている」と説いたのです。


📍本来の安息日の復興について、下の記事に詳しく書きましたのでぜひご覧ください。


さいごに


日本人にとっては、一日は朝から始まり、一年は春から始まること、また季節ごとに祭があることに納得感があるのではないでしょうか。

今回見たように、聖書の記述もそのようになっていました。

日本人の価値観は、聖書の価値観に近いのです

わたしたちには、神の価値観にあろうとする良心が備えられています。
人の解釈に違和感を覚える場合は、神の価値観を正しく知るために聖書本文に立ち返って、ご自身で丁寧に読むことが必要でしょう。


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