十戒の石板授与を記念する祭──七週五旬節が三大祭である理由
七週五旬節は、何の日でしょうか
七週五旬節は、聖書の三大祭のひとつです。
この祭りの具体的な日付は、実のところ聖書に明記されていません。
しかしその日は、十戒の石板を授与された日──十戒石板授与記念日と考えられます。
三大祭のひとつが、十戒の石板授与に関係するとしたら、それは神の計画と御旨を知る手掛かりになります。
📌この記事では──
出エジプトからの日数を正確に数え、七週五旬節が十戒石板授与記念日であることを示します。
1|七週五旬節は、三大祭のひとつ
七週五旬節は、聖書における三大祭のひとつです。
この祭りは、ヘブライ語で「シャブオット(数週間)」と呼ばれます。
また、ギリシア語では50を意味する「ペンテコステ」と言い、日本語では「五旬節」と呼ばれています。
現代のユダヤ教では「ペサハ(過越祭)・シャブオット(七週祭)・スコット(仮庵祭)」が三大祭とされます。
キリスト教では「クリスマス(生誕祭)・イースター(復活祭)・ペンテコステ(聖霊降臨祭)」が三大祭です。
これらのうち「シャブオット」と「ペンテコステ」は、聖書における七週五旬節に由来する祭りとして祝われています。
補足:聖書の三大祭は、種無祭、七週五旬節、仮庵祭です。後述します。
七週五旬節の由来
世界最大規模のユダヤ教団体のひとつである「チャバド・ルバヴィッチ」の公式サイトには、次のようにあります。

“シャブオットは、シナイ山でモーセに律法を与えた記念日のユダヤ教の祝日です。七週間のオメルカウントの後に来て、週の祭りとしても知られています。”
このように現代のユダヤ教では、七週を数え、シナイ山で律法が与えられた日を記念する祭りとして認識されています。
七週五旬節はいつか
聖書(レビ記23章)には、次のとおり七つの祭りが定められています。
過越祭(第一月の14日の夕方)
種無祭(第一月の15日~)
初穂祭(第一月の16日)
七週五旬節 👈(?)
角笛祭(第七月の1日)
大贖罪日(第七月の10日)
仮庵祭(第七月の15日~)
1~3は春祭り、5~7は秋祭りで、それぞれ聖書中に日付が明記されています。
4の七週五旬節(シャブオット/ペンテコステ)は、具体的な日付の明記はなく、週数や日数を数える必要があります。
現代のユダヤ教やキリスト教は、現代暦の5~6月にこの祭りを行っており、四つ目の春祭りと考えられています。
補足:
聖書暦の第一月は現代暦の3~4月の春で、第七月は9~10月の秋にあたります。
それでは、
七週五旬節の根拠とされる「出エジプトからシナイ山での神の臨在まで」または「律法の授与まで」、七週や50日であるのか、聖書から確かめてみます。
2|出エジプトからシナイ山での神の臨在まで
【民数記 33章3節】
彼らは正月の十五日にラメセスを出立した。
すなわち過越の翌日イスラエルの人々は、すべてのエジプトびとの目の前を意気揚々と出立した。
【出エジプト記 19章1節】
イスラエルの人々は、エジプトの地を出て後三月目のその日に、シナイの荒野にはいった。
イスラエルの人々は、第一月の15日にエジプト(のラメセス)を脱出した後、「三月目のその日(二か月後の同じ日)」、つまり、第三月の15日にシナイの荒野に到着しました。
💡第三月の15日にシナイの荒野に到着
イスラエルの民はシナイ山のふもとで宿営しました。
モーセが神のもとに登ると、神は山から「もしあなたがたが、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となり、あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となる」と民に告げるようモーセに指示しました。
モーセは行って民の長老たちを呼び、神が命じられた言葉を、すべて伝えたので、民はみな「われわれは主が言われたことを、みな行います」と誓いました。
モーセはこれを、神に告げました。
すると神は「わたしは濃い雲のうちにあって、あなたに臨む。わたしがあなたと語るのを民に聞かせて、彼らに長くあなたを信じさせる」とモーセに言われました(出エジプト19章2-9節)。
【出エジプト記 19章10-11節】
主はモーセに言われた、
「あなたは民のところに行って、きょうとあす、彼らをきよめ、彼らにその衣服を洗わせ、三日目までに備えさせなさい。
三日目に主が、すべての民の目の前で、シナイ山に下るからである。
神は「今日と明日と清めよ、三日目に、すべての民の目の前で、シナイ山に下る」と言いました。
シナイの荒野に到着した日を含めて三日目ですので、これは二日後の約束です。
【出エジプト記 19章16-18節】
三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。
(中略)
シナイ山は全山煙った。
主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。
【出エジプト記 20章1-3節】
神はこのすべての言葉を語って言われた。
「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
(この後、十戒を語る──)
三日目(二日後)になって、神は、火のような厚い雲の中に臨在し、シナイ山に下りてこられ、すべての民に十戒を語りました。
ここまでの記述を整理します。
エジプトを脱出したのが、第一月の15日。
シナイの荒野に到着したのは三月目(二か月後)の同日で、第三月の15日です。
神がシナイ山に臨在し、民全員に十戒を語ったのは、その日を含む三日目、つまり、二日後です。
よって、
💡シナイ山での神の臨在は、第三月の15日+二日
👉神が民全員に十戒を語ったのは、第三月の17日
これが、七週目や50日目になるのか、正確に算出するために聖書暦(太陰太陽暦)カレンダーを用います。

聖書暦カレンダーによると、第三月の15日は、第一月の15日の翌日からちょうど八週後です。この二日後までの日数を数えると、60~62日あります。
二か月後の同じ日の二日後ですので、現代暦であっても、約62日(約30日×2+2日)あります。
つまり、
📌シナイ山で神が臨在した日(十戒を語った日)は、七週や50日という期間とは10日以上も離れており、一致しません。
神は十戒を語った後、その他の律法をモーセに告げますが、それらの日々は当然第三月の17日以降ですので、七週目や50日目が「モーセに律法を与えた日」とするには無理があります。
📍聖書の暦である太陰太陽暦について詳しくは、下の記事をご覧ください。
七週五旬節は、十戒石板授与記念日
ここで、別の観点からヒントを得ます。
使徒行伝に五旬節の記述があります。
イエスの昇天後、使徒たちの活動が始まり、五旬節の日に、聖霊が降り、その日のうちに約三千人が仲間に加わりました。
一方、十戒の石板を授与された日、イスラエルはあろうことか金の子牛を拝んでいました。このためその日のうちに約三千人が倒れました。
これらは、古くから対応していると言われます。
【出エジプト記 32章7節、28節】
7節 主はモーセに言われた、
「急いで下りなさい。あなたがエジプトの国から導きのぼったあなたの民は悪いことをした。
28節 レビの子たちはモーセの言葉どおりにしたので、その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。
【使徒行伝 2章1-2節、41節】
1-2節 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
41節 そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。
つまり、五旬節の日とは、聖霊降臨記念日であり、十戒石板授与記念日でもあると考えられるのです。
3|十戒石板授与日を聖書から探る
十戒石板授与日がいつだったのかを探ります。
先ほどの続きです。
神がシナイ山に臨在した日の出来事です。
神が、民全員に十戒を語った後、民が神の声を恐れたため、モーセが仲介者となり神からさらに詳細な律法を受けます(出エジプト20章~23章)。
【出エジプト記 24章4-5節】
そしてモーセは主の言葉を、ことごとく書きしるし、朝はやく起きて山のふもとに祭壇を築き、イスラエルの十二部族に従って十二の柱を建て、イスラエルの人々のうちの若者たちをつかわして、主に燔祭をささげさせ、また酬恩祭として雄牛をささげさせた。
翌朝早く、モーセはそれを契約の書にし、民に読み聞かせました。民は「従順に行います」と誓い、血の契約としました(出エジプト24章3-8節)。
【出エジプト記 24章12-18節】
ときに主はモーセに言われた、
「山に登り、わたしの所にきて、そこにいなさい。彼らを教えるために、わたしが律法と戒めとを書きしるした石の板をあなたに授けるであろう」。
こうしてモーセは山に登ったが、雲は山をおおっていた。
主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日のあいだ、山をおおっていたが、七日目に主は雲の中からモーセを呼ばれた。
主の栄光は山の頂で、燃える火のようにイスラエルの人々の目に見えたが、モーセは雲の中にはいって、山に登った。
そしてモーセは四十日四十夜、山にいた。
【申命記 9章11-12節】
すなわち四十日四十夜が終った時、主はわたしにその契約の板である石の板二枚を授け、そして主はわたしに言われた、
『おまえは立って、すみやかにこの所から降りなさい。おまえがエジプトから導き出した民は悪を行ったからである。彼らはわたしが命じた道を早くも離れて、鋳た像を自分たちのために造った』。
神がシナイ山に臨在した日の翌朝、神からお告げがあり、モーセは山に登り──七日目に雲の中に入っていき──四十日、四十夜、山にいました。
四十夜が終わり、モーセは、四十一日目の朝に石板を授かり、山から下りて来ました。
──すると、民は金の子牛を拝んでいたのです。
💡山に登って四十一日目に十戒の石板を授かった
一旦まとめます。
💡シナイ山での神の臨在は、第三月の15日+二日
💡山に登って四十一日目に十戒の石板を授かった
つまり、十戒石板授与日は、
📌第三月の15日+2日+41日目
👉十戒石板授与日は、第四月の28日か29日

注:調整日の関係で第三月に30日がある場合は、第四月の28日が41日目になります。
4|七週五旬節の日を聖書から探る
レビ記にある七週五旬節の記述は、次のとおりです。
【レビ記 23章15-16節】
また安息日の翌日、すなわち、揺祭の束をささげた日から満七週を数えなければならない。
すなわち、第七の安息日の翌日までに、五十日を数えて、新穀の素祭を主にささげなければならない。
「安息日の翌日、すなわち、揺祭の束をささげた日」とは、前述の春祭りの三つ目、初穂祭のことです。
初穂祭は、第一月の16日で、安息日の翌日です。
「第七の安息日の翌日までに、五十日を数え」とあるのは、翻訳ミスで、正しくは、
「第七の安息日の翌日から、五十日を数え」です。
つまり、七週五旬節は、
初穂祭(第一月の15日の翌日)から
📌七つ目の安息日+50日目
👉七週五旬節の日は、第四月の28日か29日

注:調整日の関係で第三月に30日がある場合は、第四月の28日が50日目になります。
ふたつを並べると──
👉十戒石板授与日は、第四月の28日か29日 ✔️
👉七週五旬節の日は、第四月の28日か29日 ✔️
なんと、日付がぴったり合いました。
以上のことから、
📌七週五旬節=十戒石板授与記念日で、その日は、第四月の28日か29日であったと言えるでしょう。
✅七週五旬節が三大祭である理由
七週五旬節が三大祭のひとつであるのは、十戒の石板が授与された日を記念するためであったのです。
補足:
第四月の月末は、現代暦の6~7月にあたります。
つまり、現代の「シャブオット」や「ペンテコステ」とされる日より50日ほど後の日が、正しい祭りの日になります。
5|翻訳ミス?誤解釈?正しく読み取る
先ほど、「第七の安息日の翌日までに、五十日を数え」は、「第七の安息日の翌日から、五十日を数え」の翻訳ミスと述べました。
実はこれは、ユダヤ教の解釈が影響しています。
ユダヤ教は、ラビ的伝承から 「七週間の翌日を五十日目」とする解釈を採っています。
確かに、七つ目の安息日は「7日×7回=49日で、その翌日は50日目」になるように思えます。しかし、太陰太陽暦では、新月祭や調整日があるため、現代暦のように、七週=49日とは限りません。七週の翌日が、必ずしも50日目にはならないのです。
また、原語文法においても「翌日から五十日を数え」という読みが自然であり、この数え方は、次の事例のとおり他の聖書箇所とも整合しています。
旧約聖書から正しく読み取る
【出エジプト記 34章18-23節】
あなたは種入れぬパンの祭を守らなければならない。
(中略)
あなたは七週の祭、すなわち小麦刈りの初穂の祭を行わなければならない。
また年の終りに取り入れの祭を行わなければならない。
年に三度、男子はみな主なる神、イスラエルの神の前に出なければならない。
これらが聖書の三大祭です。
イスラエルの男子は、年に三回、神の前に出なければなりませんでした。
小麦の初穂祭(七週五旬節)が第四月の夏にあり、冬季を除く季節ごと(三か月ごと)に巡礼を命じられていたと考えるのは、至極妥当ではないでしょうか。
種無祭(大麦の収穫)👉第一月:春祭り
七週五旬節(小麦の収穫)👉第四月:夏祭り
仮庵祭(果物の収穫)👉第七月:秋祭り
また、エジプト脱出後、40年間の荒野の旅を終え、カナンの地に入る時の記述をご覧ください。
【ヨシュア記 5章10-12節】
イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕暮、エリコの平野で過越の祭を行った。
そして過越の祭の翌日、その地の穀物、すなわち種入れぬパンおよびいり麦を、その日に食べたが、その地の穀物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエルの人々は、もはやマナを獲なかった。
その年はカナンの地の産物を食べた。
戒めどおり春祭り(過越祭・種無祭)を行い、第一月の16日からマナが降らなくなり、その年からカナンの地で収穫した産物を食べたとあります。
小麦の生育には、90~120日必要です。
第一月の16日から50日では小麦の収穫は不可能で、第四月下旬であれば約100日あり、ばっちり合うのです。
新約聖書から正しく読み取る
【ヨハネによる福音書 4章35節】
あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。
しかし、わたしはあなたがたに言う。
目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。
これは、春祭りの後、イエスと弟子たちがエルサレムからサマリアを通って、ガリラヤに戻る道中でのことです。
サマリアにおいて、民の信仰が熟している様子を見て、イエスが小麦の刈り入れ時にたとえて弟子たちに述べたものです。
春祭りは第一月の中旬です。
「小麦の刈り入れまで、まだ四か月ある」というのは、刈り入れを終えるのが、第五月の中旬ということでしょう。
七週五旬節は、小麦の初穂の祭りですから、それが第五月中旬の少し前の第四月下旬であるのは、理にかなっています。
結び
七週五旬節が十戒石板授与記念日であるのは、この記事で検証したとおりです。
十戒石板授与記念日が、聖書の三大祭のひとつとして位置づけられ、ユダヤ教もキリスト教も──その日を正確に祝えていないにせよ──三大祭のひとつとして今に伝わっていることは、非常に意義深いと言えます。
神の価値観である十戒が、人々の目に見える形で示された日を記念する祭りが、何千年も前から、そして今もなお残っているのです。
キリスト再臨が迫る今、この記事が十戒の重要性を思い起こすきっかけになれば幸いです。
【ヨハネの黙示録 11章19節】
そして、天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた。
また、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴と、地震とが起り、大粒の雹が降った。
おまけ
七週五旬節から角笛祭と大贖罪までの日数を数えてみてください。

七週五旬節から、60日目に角笛祭、70日目に大贖罪があります(60日は、調整日によって61日の年があります)。
👉6+1=7の構図です。
これは、人の創造の初めから十戒があったことを示唆しています。
アダムが神のかたちに造られたのを起点として、その60日目に角笛が吹かれる。
──つまり6000年目に、キリストが再臨する。
そして、70日目に大贖罪。
──つまり7000年目に、キリストの血によってすべての罪が贖われることが示唆されています。
これは、七週五旬節の日を正しく把握することによって知ることができる、神の啓示と言えるでしょう。

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