聖書における【 バビロン 】を聖書で読み解く
「バビロン」とは何か
「バビロン」いう語句を聞かれたことはあるでしょうか。
もしかしたら「バベルの塔」や「バビロニア」は、聞かれたことがあるかもしれません。
聖書において「バビロン」は、単なる古代都市や国の名を表すだけでなく、最終的に裁きを受けて滅ぶ、神に敵対する「あるもの」を象徴しています。
📌この記事では、
聖書におけるバビロンとは何かを聖書で読み解きます。
1. バビロンの起源
「バビロン」の始まりは、創世記にあります。
それは「バベルの塔」です。
バベルの塔
【創世記】
10章32節
これらはノアの子らの氏族であって、血統にしたがって国々に住んでいたが、洪水の後、これらから地上の諸国民が分れたのである。
11章1-4節
全地は同じ発音、同じ言葉であった。
時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。
彼らは互に言った、
「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。
こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。
彼らはまた言った、
「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。
ノアの洪水の後(第二千年期)、すべての人々は、同じ言葉を使っていました。ノアの子らは70の氏族になり、血筋に従って国々に住んでいました。
ある諸国民は東に移り住み、町を築き、頂上を天に届かせようと塔を建て始めたのです。
彼らは、町と塔の建築資材に「石の代わりにレンガ・漆喰の代わりにアスファルト」とあるように、神の創造物である自然素材の石や漆喰ではなく、人工物のレンガやアスファルトを用いました。
自然の石は、形が不揃いで個性がありますが、レンガは、均一で画一的です。
漆喰は、石灰でできており白く明るく、呼吸性能があり仕上がりが美しい資材ですが、施工には熟練を要します。
対して、アスファルトは、石油由来で熱を加えて加工し、重く黒いものですが大量生産に向いています。
彼らは、同じ言葉で一致しており、人工的に均一化された資材を積み上げ、人工的に加工された黒い資材によって効率的に大量生産し、傲慢にも「神の御座に到達する塔」に象徴される町(人間社会)を建て上げ、名を上げよう、そして散らされないようにしていた、というのです。
これを見た神は、言葉を混乱させ、彼らを全地に散らしたのです。
【創世記 11章8-9節】
こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。
これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。
主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。
💡「バビロン」の語源は「バベル」
一見すると、人の知恵と努力によって得たものによって、効率的に成功に向かって突き進むことは、現代人の感覚では良いことのように思えます。
しかし、たとえ人々が一致していても、努力の方向を間違えるなら、まして神が創造した唯一無二の素材を、効率重視で画一的な規格品に置き換え、天に届かせよう、名を上げようとする発想は、万物を個性豊かに創造した神の意図を軽視し、人の知恵や考えによる自分の利益優先(自己中心)の価値観の建設であり、万物の造り主である神に対する反抗の象徴と言えるものでした。
これは、神の価値観ではなく、人の知恵や考えによる価値観(宗教の端緒)であり、「神のようになりたい・自分を神としたい」という、創世記3章の「蛇の誘惑」の延長線上にあると言えます。
【創世記 3章4-5節】(蛇の誘惑)
へびは女に言った、
「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
💡バベル=バビロン
原語ヘブライ語は同じ単語「בָּבֶל(バーベル)」
👉神の創造物を軽視、反抗、自己神格化、混乱の象徴、宗教の端緒
💡バビロンの本質
👉神の愛を忘れ、自己中心的に、人の知恵や考えによる価値観を追求する態度とそれを増幅させる構造(端的に言うと宗教)。
💡宗教=人の知恵や考えによる価値観の追及
神の価値観ではなく、人による価値観という意味で、真理に対して虚偽の教えを「宗教」と定義します。具現化された特定の宗教に限定されません。
この後、時代が進み、エジプトが隆盛します(第三千年期)。
アブラハム契約により神の民(イスラエル)が誕生し、後に民はエジプトにおいて奴隷となり、レンガ造りを強いられました。
📍「エジプト」については、次の記事をご覧ください。
2. ネブカデネザル王のバビロン
バビロン王ネブカデネザル
バベルの塔に象徴される人の知恵や考えによる価値観の追求は、やがて、人々を統治する国家体制として結実します(第四千年期)。それが、ネブカデネザル王が統治する国家としての「バビロン」です。
バビロンはネブカデネザル王に象徴され、神が彼の夢の中で示した「大いなる像の純金の頭部」にたとえられる世界強国でした。
ネブカデネザル王は諸々の王の中の王と称され、神は、国と力と勢いと栄えをこの王に与え、全地の人々を支配下に置くことを許し、治めさせました(ダニエル2章31-44節)。
政治と宗教
ネブカデネザル王は、自ら金の像を建造させます。
その高さは六十キュビト、幅は六キュビトでした。約三メートルの巨大な金の像でした。
ネブカデネザル王は、王の権威で諸民、諸族、諸国語の者に、この像にひれ伏して拝むよう命じ、拝まない者を火の炉に投げ込むと言って強要しました(ダニエル3章1-7節)。
このようにバビロンは、政治的権力による富と知恵と力とをもって人々を支配し、偶像を崇拝させました。
ここに、宗教(人の知恵や考えによる価値観の追求)によって政治(人を均一化し画一的に管理)を行うという統治モデルが現れます。
宗教によって政治を行う統治モデルは、すでにエジプトにおいても登場しており、神は奴隷状態であったイスラエルの民をエジプトから脱出させました。民はカナンの地で暮らしますが、堕落してしまい、神の裁きを受けることになったのです。
政治は裁きの器として用いられる
神は、堕落し背き続けた民への裁きの器として、ネブカデネザル王を用いました。王は、ユダ王国の王宮と神殿を焼き払い、エルサレムの城壁を破壊しました。神殿の金銀の器を持ち去り、ユダの民を捕囚としてバビロンに連行したのです。
📍バビロン王ネブカデネザルについては、こちらの記事もご覧ください。
宗教によって政治を行う支配構造
古代エジプトやバビロン帝国の支配構造は、その後のローマ帝国でも同様で、ローマ帝国滅亡後、現代においても、その支配構造は続いています。
この支配構造を端的に言い表しているのが、ヨハネの黙示録の13章です。
📕ヨハネの黙示録 13章
【ヨハネの黙示録 13章】
(海の獣)
わたしはまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。
それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。
(中略)
そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
(地の獣)
わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。
それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。
(中略)
それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
黙示録13章には、「海から上ってくる獣」と「地から上ってくる獣」が描かれています。聖書において「海」は政治を、「地」は宗教を表します。
これらの記述は、現代においても見事に成就しています。
黙示録13章を要約すると、
宗教権威(地の獣)は蛇(龍)のように話し、政治権力(海の獣)の持つすべての権威をその前で働かせ、宗教や人の価値観の中に安住する人々(地に住む者)に政治権力(先の獣)を崇拝させました。
そして、政治権力に依存(その獣を崇拝)しない者を生きられなくしました。
これは過去の話ではなく、この世(現代社会)の支配構造をも表しています。
💡海の獣
十本の角と七つの頭=七頭十角獣
政治権力=キリストの支配に反する
👉七頭十角獣=政治権力=反キリスト
💡地の獣
小羊のような二本の角=偽小羊獣
宗教権威=キリストに似せた偽物
👉地の獣=宗教権威=偽キリスト
黙示録13章にある地の獣は、広義では「宗教(人の知恵や考えによる価値観の追求)の獣」ですが、「小羊のような角」とあり「小羊=キリスト」であることから、狭義では「偽キリストの獣」を暗示しています。
つまり、キリストに似せた偽キリストが、宗教の獣となっていると言うことです。キリスト教そのものが偽物に乗っ取られているのか、キリスト教の中に偽者が紛れ込んでいるのか、いずれにしても、キリスト教という神殿において偽物(パン種)の混入が示唆されています。
📍現代社会を支配するふたつの獣(海の獣、地の獣)については、こちらの記事もご覧ください。
3. バビロン捕囚は終末期のひな形
バビロン捕囚は、イスラエルの民にとって重大な転換点であり、民の堕落に対する「神の裁きと民の回復」として描かれています。
バビロン捕囚に至った原因と結果
イスラエルは、(エジプト脱出後の)シナイ契約のもと、神の民として律法を守ることを義務づけられていました(申命28章、レビ26章)。それには祝福と呪いの条項があり、不従順には国を失うという警告が含まれていました(申命28章15-68節)。
エジプトから脱出しカナンの地に入植した民は、次第に偶像崇拝や異教的慣習に染まっていきました。モレクへの子どもの犠牲(エレミヤ7章31節)、高き所での礼拝(列王下17章10-12節)、バアルやアシュタロテへの礼拝(列王上11章5節)などによって、長年にわたり、イスラエル王国とユダ王国の民は、神の価値観に背きました。
神はイザヤ、エレミヤ、ホセア、ミカなど多くの預言者を遣わし、回心を呼びかけましたが、王も民も預言者の言葉を無視し、嘲り、迫害するほどでした(エレミヤ25章4-7節、歴代下36章15-16節)。
民の社会的な不正や道徳的な腐敗が指摘され、富裕層による弱者の搾取、裁判の不正(イザヤ1章23節、アモス2章6-7節、エレミヤ5章28節)、特に土地を休ませるための安息年を守らなかったことが強調されています(歴代下36章21節、レビ26章34-35節)。
神の裁きと民の回復としてのバビロン捕囚
神はご自身の言葉(律法と預言)に忠実であり、神は愛ゆえに罪に対して裁きます。無条件な容赦ではなく、回心を促す懲らしめを与えます(ヘブル12章6節)。
バビロン王ネブカデネザルは、神によって裁きの器として立てられたのです(エレミヤ25章9節)。神はすべてを支配しており、異国の王であるネブカデネザルを「わがしもべ」として神の計画の中で用います。
神殿(契約の箱)があるから大丈夫という「形式的な信仰(神殿信仰)」を砕きました(エレミヤ7章)。物理的な神殿が破壊されることによって、偽りの安心感の崩壊となり、真の回心の必要性が示されたのです。
しかし、すべてが滅ぼされたのではなく、ダニエル、エゼキエルら忠実な者たちがバビロンに連れて行かれました。これは、彼らを通して、残された者(忠実な者)の訓練と再建のため、純粋な信仰が鍛え直され、再建の希望が残されたのです。
終末期に再現される型
バビロン捕囚の出来事は、終末期に起こる霊的戦いの「型」として、黙示録の中で再び登場します。そこに現れるのが「大バビロン」と呼ばれる象徴的存在です。
出エジプトやバビロン捕囚は、終末期における裁きの型であり、神の民は霊的な意味でバビロン捕囚状態(人の価値観の囚われ)から脱出しなければならず、バビロン(宗教)の中に居続ける民は、バビロン王(政治)によって神殿崩壊に至ることになります。
4. ことごとく崩される人による神殿
人による神殿と神の裁き
人の歴史は、神の価値観への背きとその裁きの繰り返しでした。
ノアの洪水以降、人の知恵や考えによる価値観の追求が偶像と化し、各時代において神の裁きによってことごとく崩されてきました。
少し振り返りながら、終末期とその先を考えてみましょう。
第二千年期:バベルの塔
ノアの洪水後、人々は自らを高めようとバベルの塔を築きました。この塔は、人の知恵と傲慢さ自己神格化の象徴でした。神は彼らの言葉を乱し、計画を頓挫させ、塔を無意味なものとしました。神は、人の自己中心的な価値観を否とされました。
第三千年期:エジプトでの奴隷状態とレンガ作り
エジプトにおいて、イスラエルの民は奴隷としてレンガ作り(エジプトを建て上げるための没個性と画一化の支配)を強いられました。ファラオの権力は、人の力を神々とする偶像崇拝の現れでした。真の神はモーセを通じ、十の災いと紅海の奇跡によってエジプトの偽りの神々を裁き、イスラエルの民を奴隷状態から解放しました。
第四千年期:第一神殿の崩壊
ダビデ王の子ソロモンが築いた第一神殿は、神の臨在の場として栄えました。しかし、民が偶像崇拝に走り、神の戒めを離れたとき、神はバビロン王ネブカデネザルを用いて神殿を破壊させました。神聖とされる場所でさえ、神への背きがあれば裁きの対象となりました。
第五千年期:第二神殿の崩壊
再建された第二神殿もまた、人の宗教的誇りや形式主義に汚され、ローマ帝国によって西暦70年に破壊されました。神は、人の手による神殿が真の礼拝の場ではないことを明らかにされました。
第六千年期:大バビロンの崩壊
終末期において、人の欲望と傲慢の極みである「大バビロン」があらわにされます。これは、物質主義や自己中心的な価値観を崇める偽の神殿です。聖書は、この偽の神殿が神の最終的な裁きによって完全に崩されると預言しています。
人の手による神殿(偶像)は、すべて神の前に無力で無価値なのです。
第七千年期:真の神殿
キリスト再臨によって、千年王国時代が到来します。この時代に、キリストの体──壊されることのない真の神殿──が完成します。人の知恵や力に頼らない、神の臨在が永遠にあります(エゼキエル40-48章)。
すべての偶像崇拝は終わり、神の栄光が完全に現れるのです。

5. 黙示録の大淫婦(大バビロン)
第六千年期の終末期において、バビロンへの裁きはクライマックスを迎えます。
ヨハネの黙示録の17章に描かれる「大淫婦」が「大バビロン」だと明かされ、裁きが予告されています。
大淫婦(大バビロン)の正体
【ヨハネの黙示録 17章1-6節,15節,18節】
1-6節
それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。
(中略)
わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。
その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。
(中略)
その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。
15節
御使はまた、わたしに言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。
18節
あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。
👉ひとりの女(大淫婦)が、「赤い獣」に乗って「水」の上に座っているとあります。その女は「大バビロン、淫婦と地の憎むべき者の母」であり、地の王を支配する大いなる都だとあります。
象徴的・寓意的に書かれたこれらの語句の意味を、読み解いていきます。
赤い獣は、七頭十角獣で、水は、あらゆる人々です。
七頭十角獣は、前述(黙示録13章)のとおり海の獣で「政治権力」を表し、端的に言えば、「世界的な政治権力」です。
淫婦は、神に対する姦淫や淫行を意味し、神に背く偶像崇拝者。
地の憎むべき者は、宗教(人の知恵や考えによる価値観)によって、神を冒涜する者。
地の王は、地の獣に従うリーダーで、宗教指導者や偽預言者で、言い換えれば、人の知恵や考えによる価値観の先導者です。
都とは、人によって築かれ多くの人々が安住するところ。
つまり、
✅大淫婦(大バビロン)とは
世界的な政治権力に乗って、あらゆる人々の上に座っている。神に背く偶像崇拝者と神を冒涜する者の産みの親であり、人の知恵や考えによる価値観を先導する者を支配する「都」と言えます。
その都とは、
寓意的なエジプトと同様に地理的な都市や国家のことではなく、バベルの塔以来ずっと支配されてきた、人の知恵と考えによる価値観を追及する宗教に支配された社会と言えます。
💡大バビロン=人の知恵と考えによる価値観を追及する宗教に支配された社会=地の獣の支配
📌海の獣(七頭十角獣)=政治権力
💡黙示録17章の赤い獣=七頭十角獣
👉世界的な政治権力=反キリスト
📌地の獣(偽小羊獣)=宗教権威
💡黙示録17章の大淫婦=大バビロン
👉世界的な宗教権威=偽キリスト
補足:
「反キリスト」「偽キリスト」のキリストとは、イエス・キリストのことであって、人による宗教であるキリスト教のことではありません。
真理であるイエス・キリストと宗教であるキリスト教とは、区別されます。
6. わたしの民は彼女から離れ去れ
大バビロンへの裁き
【ヨハネの黙示録 18章1-2節】
この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。
地は彼の栄光によって明るくされた。
彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。
御使の光によって「地」の闇が明るみに晒されます。そして、大バビロンの滅びが宣告されます。
【ヨハネの黙示録 18章3節】
すべての国の民は、怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、地上の商人たちは、彼女の豪勢なぜいたくによって富を築いたからである。」
すべての国民(諸国民)は、大バビロンの淫らなぶどう酒を飲み、酔わされました(黙示録14章8-10節)。後に諸国民は、「神の怒りのぶどう酒」を飲むことになります。つまり、神の怒りと裁きとを受け入れ、回心によってキリストと契約するのです(ダニエル9章27節)。
宗教指導者と偽預言者(地の王たち)は、大バビロンと淫らな関係にあり自ら不品行を重ねました。
大バビロンの贅沢に群がって売ったり買ったりした者(地上の商人)は、地上の富を得たのです。
【ヨハネの黙示録 18章4節】
わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。
神の民は、大バビロンから離れ去るように命令されます。これは、終末期の最後の警告です。
神の民とされながら、自分が大バビロンの罪の中に居ることを悟れない者、また、気づいているのに離れられない者は、裁きの災害に巻き込まれてしまいます。
問われる霊的センス
裁きの災害とは、天変地異や戦争のことではありません。霊的な裁きのことです。神の価値観に立ち返るのか、人の価値観にしがみ付くのか、大バビロンから離れる霊的なセンスが問われているのです(エゼキエル9章3-7節)。
7. 大バビロンは政治権力によって消される
【ヨハネの黙示録 17章16節】
あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
【ヨハネの黙示録 18章21節】
すると、ひとりの力強い御使が、大きなひきうすのような石を持ちあげ、それを海に投げ込んで言った、「大いなる都バビロンは、このように激しく打ち倒され、そして、全く姿を消してしまう。
政治権力は──宗教権威によってその権威をいいように操られていましたが──大バビロンを憎み、最終的に滅ぼします。
人によって加工された「ひき臼のような石」が、「海に投げ込まれる」とあるとおり、
💡大バビロンは政治によって姿を消します
👉ネブカデネザル王(政治)が、第一神殿(宗教)を破壊し、ローマ帝国(政治)が第二神殿(宗教)を破壊したのと同じ構図です。
【マルコによる福音書 13章1-2節】
イエスが宮から出て行かれるとき、弟子のひとりが言った、「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう」。
イエスは言われた、
「あなたは、これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」。
これが、大バビロンの最後です。
──この後、キリスト再臨となります。
この裁きによって、大バビロンと姦淫を行い贅沢を欲しいままにしていた地の王たちは悲しみ、贅沢によって富を得た地の商人たちも泣き悲しみ、海で働く者たちも泣き悲しみます(黙示録18章9-19節)。
※「地」は宗教です。地の王とは、宗教指導者・偽預言者(人の価値観の先導者)。地の商人とは、宗教に巣くう商人(人の価値観の商売人)。海で働く者とは、政治行政に関わる者です。
この者たちは、人の価値観に安住し、贅沢し富を蓄え、神に背いてきました。この者たちは、終末期にハルマゲドンに集められる七頭十角獣と偽預言者とその軍勢です(黙示録16章12-17節と19章17-21節)。
この続きは、下の記事をご覧ください。


裁きの日、その日は近い。
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