聖書における【 エジプト 】を聖書で読み解く
聖書における「エジプト」は、単なる地理的な国名にとどまらず、「とある象徴」としてたびたび登場します。
📌この記事では──
聖書におけるエジプトとは何かを聖書で読み解きます。
1|創造の六日間の預言(三日目)
【創世記 1章9-13節】
神はまた言われた、
「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。
そのようになった。
神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。(中略)夕となり、また朝となった。
第三日である。
神の創造の三日目に乾いた地が現れました。
三日目とは第三千年期のことで、乾いた地とは、言い換えれば草木の育ちにくい不毛な地と言えます。
聖書年表においてノアの洪水があったのは、アダム創造から1656年目(第二千年期)で、その後、もろもろの国々が起こりますが、実際に古代エジプトが勃興したのが2000年目の前後で、隆盛を迎えたのが第三千年期です。
創造の三日目の乾いた地とは「この世全体」のことですが、歴史的に第三千年期に隆盛した古代エジプトは、乾いた地の象徴となりました。この世全体は不毛な地であり、象徴的に「エジプト」にたとえられるのです。
注:聖書におけるエジプトは、現代のエジプト・アラブ共和国のことではありません。

2|エジプトの地は「奴隷の家」
神は十戒を言葉でもってイスラエルの民に語った時、エジプトの地について、次のように言いました。
【出エジプト記 20章1-2節】
神はこのすべての言葉を語って言われた。
「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
神はエジプトの地を単なる地理的な国ではなく、「奴隷の家」と言いました。これは物理的な奴隷状態であると同時に、この世の欲望による支配(欲望の奴隷)の象徴として理解されます。
💡エジプト=奴隷の家=この世の欲望による支配
また、申命記の十戒(安息日)の箇所では、次のように書かれています。
【申命記 5章12-15節】
安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ。
六日のあいだ働いて、あなたのすべてのわざをしなければならない。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。
(中略)
あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。
それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられるのである。
「七日目は神の安息」とあります。
これは前掲の図にあるとおり「七日目=千年王国時代」です。
千年王国時代に入った者は、この箇所の記述を見て「かつてエジプトの地で奴隷であったが、導き出された」ことを覚えると言うことです。
💡古代エジプトからの脱出は、この世の欲望の奴隷から救い出される型(モデル)になっています。
3|出エジプト後、荒野でのイスラエルの人々
ヤコブ一族がエジプトの地に移住してから出エジプトまで240年です。
エジプトの地に寄留し、時が経ち、ヨセフを知らない王が統治するようになって、イスラエルの人々は、肉的にも霊的にもエジプトの奴隷状態でした。
エジプトを脱出したイスラエルの人々は、40年間荒野で過ごしました。
聖書は、出エジプト後、荒野でのイスラエルの人々の様子を描いており、これは、現代のこの世に寄留するわたしたちへの訓戒と捉えられます。
①「肉断ち」からくる禁断症状
【出エジプト記 16章2-3節】
その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとアロンにつぶやいた。
イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。
これはイスラエルの人々がモーセに導かれてエジプトの地を脱出した後、一か月が経ち荒野を大勢で移動するため肉鍋が食べられない状況にあるときの話です。
この後、神はうずらとマナ(神のパン)を与えますが、その前に肉に飢えた民がモーセに不満をぶつけ、エジプトで味わっていた「肉の欲」を求める様子です。
真の自由を得るために「肉断ち」に苦しむくらいなら、エジプトで死んだ方がましだったと言っています。
たばこや酒やドラッグ依存など、ある種の中毒から脱却する際の禁断症状と言ったところでしょうか。
② 十戒を神から直接聞いた四十日後
【出エジプト記 32章1-6節】
民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。
(中略)
アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。
アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そしてアロンは布告して言った、「あすは主の祭である」。
そこで人々はあくる朝早く起きて燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。民は座して食い飲みし、立って戯れた。
これはイスラエルの人々が、神から言葉でもって十戒を聞いた後、モーセがシナイ山に入り四十日、ふもとにいた民が待ちきれずに、あろうことか「子牛の像」を鋳造してしまった場面です。
鋳物の像を造ってはならないことは、神から直接告げられた十戒のひとつでした。
子牛の像を「エジプトの国から導きのぼった神」とし、「主の祭り」と称して(偶像を神として祀り)、民は飲み食いし、戯れました(肉の欲を満たした)。
この行為はエジプトの異教の風習から来るものでした。
③ 神のパンに飽き奴隷状態を美化する
【民数記 11章4-6節】
また彼らのうちにいた多くの寄り集まりびとは欲心を起し、イスラエルの人々もまた再び泣いて言った、「ああ、肉が食べたい。われわれは思い起すが、エジプトでは、ただで、魚を食べた。きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、そして、にんにくも。しかし、いま、われわれの精根は尽きた。われわれの目の前には、このマナのほか何もない」。
イスラエルの人々は、神から無償でマナ(神のパン)を貰っていましたが、そのマナに飽き、エジプトの食物(肉の欲)を恋しがります。
彼らは「ただで食べていた」と言っていますが、実際は奴隷労働の対価であったことを忘れています。
神からの無償の賜物が必要なだけ十分に与えられていることを悟れず、奴隷であった記憶が都合よく美化されています。
④ 別のリーダーを立ててエジプトに帰ると言い出す
【民数記 14章2-4節】
またイスラエルの人々はみなモーセとアロンにむかってつぶやき、全会衆は彼らに言った、「ああ、わたしたちはエジプトの国で死んでいたらよかったのに。この荒野で死んでいたらよかったのに。なにゆえ、主はわたしたちをこの地に連れてきて、つるぎに倒れさせ、またわたしたちの妻子をえじきとされるのであろうか。エジプトに帰る方が、むしろ良いではないか」。
彼らは互に言った、「わたしたちはひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」。
相続地であるカナンの偵察後、敵が強いと聞いて恐れた民が、指導者を変えて奴隷の家エジプトに戻ろうとまで言い始めます。神を信じ切ることができず、エジプト中毒に戻ろうとする者、そもそも中毒から脱却できていなかった者が露呈されます。
エジプトへの「回帰」は神から遠ざかること
出エジプトの旅の中で、民は何度も「エジプトに戻りたい」とつぶやきます。彼らは「神の相続地」ではなく、目に見える「食物と安全」「肉の欲」を満たすエジプトに戻ろうとしました。
この姿勢は、試練を伴う神の祝福よりも、安定した奴隷支配に甘んじる心を象徴していると言えます。
4|「この世の欲望」とは、どんなものか
① モーセが捨てた「エジプトの宝」
【ヘブル人への手紙 11章24-26節】
信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。
それは、彼が報いを望み見ていたからである。
モーセは、王子としてエジプトの富と快楽を享受できる立場でした。しかし彼は、それを「罪のはかない歓楽」と断じ、「キリスト者ゆえの苦しみ」を選んだのです。
ここで「エジプトの宝」は、この世の欲望(地位・富・快楽)の象徴として扱われています。
② 父から出たものではなく、世から出たもの
【ヨハネの第一の手紙 2章15-17節】
世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。
世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
ヨハネは、「世と世にあるものとを愛してはいけない」と忠告しています。世にあるもの(世に属するもの)とは、「肉の欲」「目の欲」「持ち物の誇り」、これらは世から出たものだと言います。
肉の欲・・・エジプトでの暮らしを懐かしむ肉体が求める欲望
目の欲・・・子牛の像やバアル崇拝など、目に見える偶像への欲望
持ち物の誇り・・・エジプトにおける地位、高度な文明、努力と成果などの承認欲求
つまり、ヨハネが語る「この世の欲」とは、エジプトの宝(地位・富・快楽)と一致し、エジプトでの欲望の奴隷支配と重なるのです。
③ 荒野での出来事は、わたしたちへの訓戒
【コリント人への第一の手紙 10章5-11節】
しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。
だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。
また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。
また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。
また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。
5|エジプトへの裁きを預言する
エジプトは預言者たちによって、何度も裁きの対象として取り上げられます。預言者が言及する「エジプト」は、地理的なエジプト国でないことは明白です。
象徴的に「エジプト」という語句を使って「この世の欲望」について語っています。
📕イザヤ書
【イザヤ書 31章1-3節】
助けを得るためにエジプトに下り、馬にたよる者はわざわいだ。
彼らは戦車が多いので、これに信頼し、騎兵がはなはだ強いので、これに信頼する。しかしイスラエルの聖者を仰がず、また主にはかることをしない。
それにもかかわらず、主もまた賢くいらせられ、必ず災をくだし、その言葉を取り消すことなく、立って悪をなす者の家を攻め、また不義を行う者を助ける者を攻められる。
かのエジプトびとは人であって、神ではない。その馬は肉であって、霊ではない。
主がみ手を伸ばされるとき、助ける者はつまずき、助けられる者も倒れて、皆ともに滅びる。
自分を救うためにエジプト(地位・富・快楽)に頼る者は、災いだと言われています。
神は、悪をなす者の家を攻め、不義を行う者を助ける者(エジプトに味方する者)をも攻められます。
エジプトは所詮、肉であって神ではありません。エジプトに頼る者は、皆倒れます。
📕エゼキエル書
【エゼキエル書 29章6-9節】
そしてエジプトのすべての住民はわたしが主であることを知る。
あなたはイスラエルの家に対して葦のつえであった。彼らがあなたを手にとる時、あなたは折れ、彼らの肩はことごとく裂ける。彼らがまたあなたに寄りかかる時、あなたは破れ、彼らの腰をことごとく震えさせる。
それゆえ、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはつるぎをあなたに持ってきて、人と獣とをあなたのうちから断つ。エジプトの地は荒れて、むなしくなる。そして彼らはわたしが主であることを知る。
エジプトは、人の目には一見頼りになりそうでも、弱く、簡単に折れてしまう葦の杖です。イスラエルが神を信じずエジプトに頼った結果、傷つけられ災いを被りました。
この当時のエジプトは、バビロン王によって侵攻されましたが、終末期には同様に、エジプト(この世)から人の価値観とその支配は断たれます。
裁きによってエジプト(不毛な地)は廃れ、この世は千年王国時代に回復し、肥沃な地になると言うことです。
6|現代は相続地が目前に迫る荒野の時代
【ユダの手紙 1章5節】
あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい。
出エジプトの物語は、古代のイスラエル民族が地理的なエジプトの地から脱出しただけの話ではなく、霊的エジプトである「この世の欲望」から真のイスラエルである「キリスト者」が脱出するという型なのです。
神の王国への入国の時は、定められています。
今は、エジプトにたとえられる「この世の欲望」を離れ、神の基準に従う時です。
おまけ

💡エジプト(מִצְרַיִם)のゲマトリアは、380
💡380は意味ある数字
👉宗教改革の終焉から380年後が、AD2028
宗教改革の終焉は、AD1648です。この年は重要な年で、黙示録12章14節にある女が養われる期間(三年半=1260年間)と関係しています。
【ヨハネの黙示録 12章14節】
しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。
女とは、花嫁となる神の民のことです。
女が養われる1260年間の起算点は、キリスト教が実質的にローマ国教となった年(AD388)であり、その1260年後が宗教改革終焉の年(AD1648)です。この期間に神の民が養われたのです。
その年から380年後が、AD2028です。
👉女が養われる三年半=1260年
ヨハネの黙示録12章14節の年表

💡世界覇権国アメリカはエジプトの象徴
アメリカ合衆国の一ドル紙幣の裏面には、左側にエジプトを象徴するピラミッドとその上部には万物を見通す目が描かれています。

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