大阪城は五センチ《 4 》 【創作大賞2024】
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《7》《8》《9》《10》《11》《最終話》
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地下鉄に乗り換えると、さっきまで乗っていた電車の混雑ぶりが嘘みたいに空いている。
鼻の付け根にほんのりと酔いを宿らせながら、誰も座っていないロングシートの端に掛けてスマホを出す。多部ちゃんからLINEが来ていたので開くと「また忘れてますよ。笑 明日持って行きますね」と言うメッセージと一緒に、トイレの床に丸まって放置された衣類の写真が添えられていた。飲んでいるうちに暑くなり、ワイドパンツの下に履いていたヒートテックのレギンスを脱ぎたくなったことを急に思い出し、慌ててズボンの裾を捲って見ると靴下しか履いていない。申し訳ない気持ちで、ハムスターが土下座しているスタンプを送る。
仕事始めを明日に控えながら、多部ちゃんの新居にすっかり長居してしまったのだった。
焼きそばとたこ焼きをつまみつつ、今月末に予定されている展示会準備のスケジュールを派手に狂わせた他部署のミスを暴露すると、その他部署でカップルがひと組生まれてるらしいと多部ちゃんがにやにやしながら言うので、仰天して盛り上がった。
ふたりとも多部ちゃんの同期だと言う。
「入社時から仲良かったから、このまま今年結婚するんちゃいますかね。この歳になると、どんどん周りが結婚し出しますね」
他人事みたいに感想を述べる多部ちゃんの口ぶりを思い出しながら、スマホのホーム画面に戻り、時間を確認すると二十時を回っている。
正月休み最後の贅沢として、夕食を兼ねて、もう一杯だけどこかで飲んでから帰りたい。検索画面に切り替えて、沿線で営業している店を探してみる。日本酒は元日に散々飲んだのでもういらない。大人しくハイボールにしようかと思いつつ、さっき飲んだばかりだけど、クラフトビールも捨てがたい。
とりとめなく目星をつけては店舗の詳細ページに移ってみたけれど、年始休業ばかりだった。営業している店を探してスクロールしていると、画面を占拠するように現れたバナー広告が新築物件を紹介している。指を止め、煌びやかなマンションの外観写真をしばらく見つめて、遠慮がちにタップする。
ベランダからの眺望を売りにした、高台の物件らしかった。
街を見晴らす開放的なベランダは広く、ウッドデッキにはソファーやテーブルが体良く配置されている。マンション内には入居者専用のラウンジやフィットネスプールがあるらしい。共用の庭部分には人工の川が流れているらしい。ゴミドラム完備と謳われているけれど、これはディスポーザーのことだろうか。三百戸を超える家の間取りは2DKから4DKまであり、どの写真にも外国の美しい人々ばかりが写されている。
あまりにファンタジーなページを閉じて、今度は不動産情報サイトを開き、会社の沿線を検索条件にして新築マンションを調べてみた。
価格と間取りと広さ以外に物件の違いは感じられず、画面を上へ上へと送るうちに、段々とそれらも大差ないものに見えてくる。ふと多部ちゃんの「紙」の話を思い出して、
(生まれたときから持ってたもんを、途中で無くすパターンもあるみたいやで)
誰に言うでもなく心の中で呟いた。スマホケースに手のひらを当て、預金残高と同じ、七桁の口座番号を暗唱する。
◇
口座は入社したての頃、同期の言葉に影響されて開設したものだった。黒目がちの瞳がいつも力強く見開かれた、肌の綺麗な女の子だった。新入社員研修の休憩時間に、初任給の薄さをしつこく嘆いていた別の同僚に対して、
「手取りのうち、六割で暮らして、二割で遊んで、残りの二割は別口座に貯金。ボーナスは三割だけ貯金に回して、残りは買ったり食べたり出かけたりして、ちゃんと使い尽すねん。それで不幸やと思うんやったら、何かが分不相応ってこと」
責めるでも嘲るでもなく、淡々と金捌きについて説く彼女の姿に陶酔して、巫女から神託を得たような高揚感で初めての給与を振り分けた。
彼女は翌年に転職したけれど、いちど定められたお金の流れを変える理由は特にない。配分通りの生活をその後も送り続けた結果、手元に残されたお金を毎月使い切りながら過ごしていても、預金残高はひとりでに膨らんで行ったのだった。
仕事では梲が上がらず恋人もできず、出産した友人たちとは一人また一人と疎遠になっていく中で、脈々と入金履歴が連ねられた銀行口座はわたしのアイデンティティになっていた。五百万を越えた頃には、「わたし」という人間ごと口座の中に保管しているような気持ちで、
自分のポテンシャルは、銀行口座の中で育ち続けてるんや。
そんな風に思うと安堵したし、清潔な勇気が湧いた。
同年代の女性と自分を比べ、あまりに自信を無くした時には生活費の一部を預入れることもある。
だから貯金というより課金と言った方が相応しいのかも知れない。お金を積み立てることはわたしにとって、「わたし」の育成ゲームみたいなものなのだ。
◇
地下鉄が駅に着く。
向かいの席で眠っていたカップルが、突然そろって目を覚まし、何食わぬ顔で手をつなぎ合いながら降りて行った。反射神経に感心して、カップルの後ろ姿を見送る。電車が走り出してからもぼんやり正面の窓を眺めていると、トンネルに入ったところでいきなり自分の顔がガラスに映った。頬のうっすらと下がり始めた女の顔に覇気はなく、まるで本物の地縛霊のように見える。
笑いを堪えて、目を逸らした。隣の車両からゆらゆらと移ってきた中年の男が、さっきまでカップルがいた席に座り「空いとるなあ」はきはきと独り言ちて、気持ちよさそうに目をつむる。ひらいた膝に行儀よく置かれた右手のほうには、書店のビニール袋がにぎられている。
男の横、ドアの近くで路線図と車内案内板を見比べる男の子たちは、中国語で表記された路線図を開いていた。背の高いほうの子の後ろ姿がほんの少し宇治に似ているのを見て、来月の予約を入れようと思い立つ。
自分のスマホに目を落とし、指でつついたけれども反応はない。いつの間にか充電が切れていたらしかった。地縛霊、ここにもおるやん。思ったけれど、今度はちっともおかしみが湧いて来ない。暗くなった画面に映る、途方に暮れたような自分の顔と見つめ合う。
◇
一昨年のあの日も、こんな顔をしていたのだと思う。
早い時間から兄と入った師走の居酒屋で「実家、二世帯にするで。おれ赤ちゃんできてん」ほろ酔いで楽しげに報告されて、齧っていた厚揚げの汁をだくだくと皿に垂らした。
昔からお金が貯まれば海外を放浪したがるたちで、コマちゃんと籍を入れたあとも兄は定期的に日本から姿を消していた。その年の正月も、親戚の集まりにひとりで現れたコマちゃんが「クリスマス過ぎたあたりから家に帰ってこーへんなと思ってたら、いまリペ島にいます、ってLINE来ました」とうんざりした顔で母に言いつけ、ものすごい早さで燗を空けているのを見たところだったのだ。
愛想を尽かされるのも時間の問題だと思い、離婚した兄と未婚のわたしと歳をとった両親と、昔と同じようにまた四人で住まう風景を思い浮かべてみたりした正月だった。とつぜん降って湧いた「二世帯」と「赤ちゃん」と言う言葉に横っ面を殴られたような気持ちのまま、わたしはおしぼりで口を拭って、
すごいやん。
のろける兄に思いつく限りの賛辞を贈り、いつもよりも深く酒を飲んだ。兄が酔い潰れたのでタクシーに押し込み、
「ほなね。ほんまおめでと」
「あけましておめでと」
「それは来月言うやつや」
「飲むでぇユヅ、正月も」
陽気に肩を叩き合って別れるとまだ十八時になったばかりで、街の喧騒が健全であることが、その健全の中でひとり、芯から酔った状態で大通り沿いに突っ立っていることが、身の内に強烈な淋しさを呼び起こした。
くちびるを固く結び、千鳥足でいさましく街を歩いた。
タクシーと反対方向に大通りをずんずんと進み、駅を越えて川を渡ってからも、真っ直ぐにわたしは歩き続けた。淋しいのでお金を使いたいと思った。せめてお金を使って、まるでハレの日のような豪華な思いでもしなければ、生きているのが虚しくなってしまうと思った。
それであの日は、普段なら気後れして入ることのない、五つ星ホテルの展望ラウンジを訪れたのだ。
窓際の席に案内されると、淡い夜景の中でひときわ、大阪城がひかっている。季節限定だと勧められた甘いお酒を飲みながら、くっきりと夜に白む大阪城を見つめるうちに淋しさがぐらぐらと温度を上げて、気づいたときには取り返しがつかないほど欲情してしまっていた。
スマホを取り出し、「風俗」と検索をかけた。
男に向けたものばかりが検索に上がってくるので「女」という言葉を足し、ようやく見つけた女性向け風俗のウェブサイトにアクセスして、料金も利用方法も確認しないまま、わたしはすぐに電話をかけた。
はじめてなので、しんせつなひとがいいです。
電話に出たスタッフに正直に伝えると、サービスの流れや利用ホテルについて丁寧に案内された。担当するセラピストをまずはラウンジに向かわせますと言われ、緊張しながら夜景を凝視して待っていると、
「こんばんは」
眠るこどもを揺り起こすような、やわらかな声がした。心臓を打ち狂わせながら恐る恐る振り返った先で、姿勢よく立って微笑んでいた、初めてのセラピストが宇治だった。
◇
「おねえちゃん、なにどし?」
向かいから訊かれて、顔をあげる。
書店のビニール袋を持った男が目尻を下げて、わたしに笑いかけていた。ふくやかな頬や大きな耳が、大黒天を彷彿させるありがたい顔をしている。
「丑ですけど」と答えると、ごつごつと膨らんだ書店の袋を膝の上に引き上げた男が、中からだるまを取り出した。ゆでたまごほどの大きさの、陶器のだるまには黒ぶちの模様がほどこされて、つぶらな目の下には鼻輪が黄色く描かれている。ゆうゆうと立ち上がった男が差し出してきたので丑だるまを受け取ると「アァーハッピーニューイヤァー」吟じるように新年を祝われた。
地下鉄が駅に着く。
路線図を見ていた男の子たちが降り、書店の袋を持った男もゆらゆらと降りていく。ドアが閉まったところで、ホームに見慣れない駅名が表記されているのが目に入り、電車を乗り間違えていることにようやく気づいた。
馴染みのない駅から、さらに馴染みのない駅へ、淡々と地下を走っていく電車の中でスマホもだるまも鞄にしまって立ち上がり、次に着いた駅で降り立った。
初めて降りるので駅周りの様子は分からないけれど、コンビニくらいあるだろう。階段をのぼり地上に出てみる。片側二車線の平凡な通りに車はほとんど走っておらず、銀行も不動産屋も仏壇屋も見わたすかぎり閉まっていた。通りの遠くにコンビニらしき明かりを見つけて、すがるように歩いてゆく。
モバイルバッテリーを買い、イートインコーナーでスマホに差した。
電源が復活するのを待って女性向け風俗のアプリを立ち上げ、一刻を争うような気持ちでセラピストへの連絡ページに移動する。
〈こんばんは。〉
〈今日は初詣に行ってきました。おみくじは小吉〉
〈明日は仕事始めです。〉
そこまで打ったところで「Twitterに書け。って言われそうな文やな」と自嘲して、いまはXか。付け足すように思いながら打ち込んだ文字を全て消す。
予約自体はアプリのシステムを使って簡単に取ることが出来るのだけれど、機械的に指名するのは失礼な気がして、予約をとる際にはいつもDMから宇治に一声かけるようにしていた。
酔っているせいなのか、送る必要性が無いからなのか、DMの文面が今日は全く浮かばない。かみさま。暗闇に呼びかけるように思う。スマホを両手でにぎりしめながら店の外に目を向けると、どこにでもありそうな町並みが広がっていた。
どこに行っても結局、同じような住宅が同じような調子で、雑多に立ち並んでいる。この中からどうやって自分だけの「家」を見つけられるんだろう。巡り合ったときには分かるものなんだろうか。大阪城みたいに、夜の中でそこだけ分かりやすく、光っていたりするんだろうか。
コンビニの前の通りを、ときどき思い出したように車が通り抜けていく。ここどこやっけ。降りた駅の名前もすっかり忘れて頬杖をつく。
宇治に会いたい、と思った。
いまの自分には、それくらいしか願うことがない、とも思った。
丑だるまの利益だったのか、小吉のおみくじが当たったのかは分からない。その願い事は思いがけない形で、ほどなく叶うことになる。
