大阪城は五センチ《 7 》 【創作大賞2024】
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《7》《8》《9》《10》《11》《最終話》
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正月飾りが片付けられると、商店街の装飾は鬼とハートに移り変わる。
恵方巻きの垂れ幕やチョコレート商品のポスターに「おいしそうやねぇ」と声を掛け、のどかに賑わうアーケードを自宅に向かって歩きながら、午前中に会った不動産屋の女のことが頭から離れず、うっすらと面白くなかった。
いつもの肉屋に寄り、甘辛く焼かれたホルモンを店先で注文する。
(普通のひとが一生に食べるホルモンの、軽く五倍は食べてしまったような気ぃする)
そんなふうに思ったのは、ここに移り住んで五年ほど経ったころだったか。あれからさらに月日を重ねているので、いまやそれが何倍に膨れ上がっているのかは見当もつかない。仮初のつもりで住み始めたこの町に、気づけば十五年、身を置いている。
肉屋の隣、シャッターの落とされている金物店の前で、中学校のジャージを着た二人組の女の子がコロッケとスマホを手に「やるで」「ええで」と声を掛け合っていた。何をするのだろうと眺めていると、ひとりが満面の笑みでコロッケをむさぼり始め、それをもうひとりが笑いを堪えながらスマホで熱心に撮っている。ふたりの健やかな光景に見入りながら、あの子たちはどんな家に住んでるんやろ。と、ほとんど脈絡なく考え、ホルモンのお金を払う。
◇
今日は朝から、会社近くの賃貸物件を内見してきたのだった。
展示会以来、宇治のことを思い出しそうになるたび住宅情報を見るともなく見て、多部ちゃんが買ったようなマンションと自分の預金残高に、交互に思いを巡らせていた。価格や立地や間取りに始まり、階数や和室の有無に至るまで完膚なきまでにスペック化された物件のチェックボックスを、暇を見つけては選択し、何度も絞り込み検索をかけた一週間だった。
買うにせよ買わないにせよ、実物を見ないことには始まらない。と突然勢いづいたのは昨日のことで、けれど中途半端に怯んだ結果、わたしが内見予約をしたのは賃貸の物件だった。
会社の沿線上にある、ウッドデッキのある最上階の物件は駅近で、築年数は浅くディスポーザーがついていた。真新しい部屋の何をどう確認したらいいのか勝手が分からず、クローゼットを開いて新築の匂いを嗅いだりしていると、内見に同行した不動産屋の女が、顎の高さで切りそろえた髪をやたらサラサラと揺らしながらよく喋った。
「世の中持ち家派が多数ですけど、単身の方は特に、賃貸っていう選択も増えてると思います。賃貸のほうが生涯コストかかるとか言われてますけど、買ってから数十年は持ち家も賃貸も大して変わらへんって知ってます? 最新の設備も十年経てば時代遅れの代物になるわけですし、そういう面で住み替えの利く賃貸を好まれる方もいてはりますね。なんかあっても、修繕費は大家さんが持ってくれはるし。だって老朽化だけやなく、台風やら地震やら自然災害もこわいじゃないですか。老後が心配や言うても、高齢者向け住宅は今の時点ですでに多様化してますし、たとえば二十年後には賃貸やなく、そういう施設を選んだっていいわけですよ。個人的には、賃貸にお金かけていくの、かしこい選択やと思います」
首をかしげた赤べこみたいな動きで話し続ける女の、メイクの雰囲気と手の甲の筋張った感じが、自分と同世代なのだろうと推測させた。
女から放たれる体育会系の営業トークと、甘い香水の匂いから逃れるように、わたしは部屋のベランダに出た。つめたい土の匂いが吹き抜けたので欄干に手をかけ見晴らすと、ささやかな農地が園庭に続く保育園が、マンションの裏手にある。最上階と言っても建物自体が三階建てなので、カラフルなすべりだいやジャングルジム、秘密基地にしたら楽しそうな小型のログハウスもよく見えた。
「普段はめっちゃ、賑やかそうですね」
子どもたちの笑い声を想像しながら保育園を見下ろして言うと、「八木さんは土日休みですから、大丈夫やと思いますよ」と励ますような口調で女に言われた。
「あの、だいじょうぶって何が」
「子どもさんの声は聞こえないんじゃないですかね、休日は静かに過ごせると思います」
精度の低い翻訳を読んだときに似た気持ちを抱き、返事に困って俯くと、物件資料を持つ女の左薬指で、石のふんだんに使われた指輪が透き通った水の音が聞こえてきそうな光りかたをしている。
「指輪きれいですね」
何でもいいので話題を変えようと話しかけると「……ありがとうございます。子どもはいないんですけどね」取り繕うような物言いで返され、会話が良くない方向にむかいそうな気配がしたので大人しく黙りこんだけれど遅かった。
「うちは子どもはつくらへんって決めてて。こうやって仕事も続けてますし、夫婦で完全に財布別ですし。だから子どもさんがいらっしゃる既婚の方より、八木さんみたいな方のほうが、わたしは感覚近くて話しやすいです」
口を閉じたあとも、余韻で首が揺れていた。野生動物をしずめているような女の顔つきに、自分が受けていたのは営業トークなどではなく、もしかしたら配慮であったのかもしれないと、突然気付いた。他の人に宛てられた宅配便を気づかず受け取り、封を切ってしまったような後味の悪さが胸の中に広がって、わたしは適当に内見を切り上げ、事務所には戻らずそのまま帰ってきたのだった。
◇
ホルモンの袋を揺らしながら、もたもたと歩く。
へんなタイミングで指輪の話題などを振られて、不動産屋の女だって困惑しただろうと思う。だから半分は自分のせいだと思いながらも、子どもの声が聞こえることを嫌がり、既婚者であることを遠回しに羨むような人間に見られたことがやるせなかった。やるせなかったけれど、それならどんな人間に見られたら満足だったのかと考えても、「わたし」という人間像は頭の中で、ぐにゃぐにゃと液状化してしまう。
(なんか、わたし自身も消えかかってるわ)
さらに滅入ってしまったので、帰宅したらホルモンと共に元気よくビールを飲もう、と気持ちを強く持つことにした。そして昼寝をして、目が覚めたらNetflixを見て、痛くも痒くもない休日を過ごしてやろうとヤケクソのように思っていると、二月だと言うのに蝉の鳴くような声がする。
見回してみると、高圧洗浄機の音だった。
商店街から住宅地につながる細い横路地で、猫背の老人がライフルのようなノズルを構えて、ブロック塀を掃除している。水が相当はね返るのだろう、老人は丈の長いレインコートに長靴をはいて、溶接マスクまでつけている。
横路地の入口で足を止め、先に見物していた女たちに混ざって、掃除のようすを見守った。
墨汁の染みこんだようなブロック塀が、水をふきつけたそばから、生まれたての明るい灰色に改められていく。左端からじっくりと右端へ。下にずらし、右端からじっくりと左端へ。老人の水の吹き付け方が、几帳面であるのがとてもいい。
「家にあれあったら便利やなぁ」
母と同年代くらいの、ひざ下までのダウンコートを寝袋のように着込んだ女が、その隣で三輪の自転車にまたがる女に話しかける。
「買ったらええやん、買い」
「けっこう大きいやん、買ったらじゃまくさいんちゃう」
「見て、あんなに白なって。きれいなあ」
「よう抱えてはるわ、えらい勢いやのに」
「あのひとが持てるんやから、あんたでも持てるよ」
「便利やろうなぁ、家にあったら」
「買い。買ったらええよ」
女たちの会話をかき消す勢いで、高圧洗浄機は爆音を上げ続けている。激しく水の噴き出すノズルを老人が抱え直し、塀の下のほうを狙い撃つと、厚く蒸していた苔が吹き飛ばされた。
いぃや、見て。
感嘆の声を上げた寝袋の女に「やりましたねぇ」とうれしい気持ちで声をかける。ふやけた焦げをヘラでなぞるように、端然と苔がはがされて行くのを見るのは楽しかった。水が止まり、女たちが拍手をしたのでわたしも盛大に拍手を送ると、高圧洗浄機を大儀そうに持ちあげて、老人はこちらには目もくれず、さっさと家に入って行った。
見物した女三人で会釈を交わして、商店街に好き好きに散る。
牛舎から脱走した牛みたいな、すがすがしい気持ちになっていた。よく見たら天気もいい。日もまだ高く、ホルモンもある。どこまでも歩いていけそうな気がして、アーケードの甘味処を洋品店を、跳ねるように通り過ぎる。
販売価格二九八〇万円。1LDK。南向き。
販売価格三九八〇万円。自由設計。駅まで徒歩五分。
性懲りも無く現れた、午前中とは別の不動産会社の幟に表記された新築物件の文字がうるさいので「もうええって」と嗜める。ますます気を良くしながら「こだわったとこで、家なんか物食べて寝るだけやんか」とうそぶき、それだけではまだ物足りず、鞄からスマホを取り出し検索画面を立ち上げた。
〈家 いらない〉
てきぱきと検索をして、自分と同じような心持ちの人がいないかインターネット上で探してみる。持ち家の売却サイトが連なる中、要約文に「アドレスホッパー」という見慣れない言葉があったウェブサイトを開いてみると、「多拠点住居という新しい家の形」と言う文字が飛び込んできた。想定外の情報を得て、思わずその場に立ち止まり、食い入るようにスクロールする。
「ネイバーベース」は、登録されている二百を超える家に自由に住むことが出来る、住居のサブスクリプションらしかった。
月額料金は利用回数によって異なると言う。登録されている家の紹介ページに移動すると、海を見わたす家や、温泉の湧く家や、長屋を改装した家が次々に表示された。突っ立ったまま夢中でホームページに見入っていると、
「お姉ちゃん楽しそうやね、スマホ初めて買うたんか」
たい焼きを売る年配の女が、面白そうに声をかけてくる。顔を上げて「うんそうやねん。電話もカメラもインターネットもこれ一個で楽しめるってジャパネットが言うから便利やなと思って」と答えながら、店の前にベンチが置かれているのを見て、薄皮たい焼きをひとつ買った。腰を下ろし、ほとんど熱に浮かされたまま会員登録のフォームをひらく。名前や住所を順に打ち込み、お試しプランで二泊分のチケットを購入し、たい焼きにかぶりつく。
