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じゅげむじゅげむ、言えなくたって死にません

私は今、椅子に座っているだけなのに激しく息切れしている。
原因は、目の前にいるこの女だ。

「だからさ、二年生にはもっとしっかりしてもらわないと困るわけよ! うちらがいなくなったらなーんにもできないってさ、そりゃないよーって! ね? だから、凛ちゃんからも言ってやって? 特にサエちゃんはそもそも気が利かない! いくらペーパーレスって言ったって紙資料は必要だと思うの。 それから昨日のマキちゃんのアジェンダはどうしちゃったのー? あんなボヤッボヤの、コンタクトレンズ裏っ返しで見た世界ですか? みたいな? よくないと思うの。 そこに何も言わない凛ちゃんもどうかと思うよ? やっぱりさ、タメから言われたほうが効くと思うの。先輩から言われると怖いっしょ? 特にうち、こんなんだし! 思ったことハッキリ言っちゃうタイプじゃん? だって濁して甘っちょろいこと言うのってー、逆に酷だと思うし! それに今サークルのインスタでバズってるのもうちが・・・作ったリールじゃん? でさあ……」

マジェンダのインナーカラーの入った髪をくるくるといじくり回しながら、先輩は三〇〇字超えの長台詞を即興で創作し、ひと呼吸で言ってのける。
否、まだ息継ぎもせず続けている。

こんなにもクリエイティヴな才能と肺活量があるのなら苔むし気味のシケた評論サークルなんか辞めて演劇サークルとか、映画サークルに入れば良かったのに。
もしここがSF小説の世界線だったら、私は間違いなくこいつを無理矢理にでもタイムマシンに乗せて二年前に送致してやる。

“マジェンダとアジェンダ”とか“世界はコンタクトレンズの裏側で”なんて一人劇でもやってくれるなら、観に行ってあげないこともない。

もちろん、ひやかしで。

──きっと、この人は「じゅげむ」を丸暗記して得意げになるタイプの小学生だったのだろう。
「えー? 言えないのー? うち、幼稚園のときには言えてたけどねッ!」
と聞いてもいないのに報告してくる小学三年生時代を過ごしたに違いない。

ただここで黒雲一つ。
保護者会だ。
あれは親同士の親睦とか学校での様子をお知らせする為のなんて大義名分の元召集された大規模なトランプゲームのダウトである。
腹の底の探り合い。
とりあえず、当たり障りのない話をして乗り切りたい。
子どもから聞いた、人んちの子の“いいところ”を必死こいて思い出して切札的に使うのだ。
そこでくだんの、「えー、言えないのー?」と馬鹿にされた子の親が
「お宅のお子さん、幼稚園の時からじゅげむ、覚えてたんですね! すごーい。うちは全然で……」
なんて悪気なく、自分の子下げからのご子息ご令嬢上げをする。

「え……?」
「え……?」

ここで、真実が暴かれる。
たいてい、こうやって異様なまでに他者批判して悦に浸る人間の親は意外にも正直で見栄を張らない人が多いのだ。
あくまでも、私の体感だけれど。

「いやいや! 最近ですよ? なんか、必死こいてやってて! 幼稚園の時なんてたぶんじゅげむの存在すら知らなかったんじゃないですかねー! ガハハ!」

実は言えるようになったのは最近で、影で努力してきたことが知られると顔を真っ赤にして怒る。

しかも“サバサバ”を免罪符にズケズケものを言って、嫌われるタイプ。

「あなたのためを思って言ってるの!」なんてね。
ただ自分が正しい、いつだって自分こそが正義。
それでいて、悪ぶって吸えない煙草を空吹かしながら世間一般のまともなことを言う人にこう言うんだ。
「真面目ちゃんだねえ」
足を組んで、無理な角度で頬杖ついて、眉頭と右口角上げて、わざとらしく作った酒焼け風のいやみったらしいこびりつくような声で。
目指すものは正義に似せた悪ですか?
それとも悪の皮をかぶった正義?
それともただのハリボテで、中身に意味なんてひとつもない?

で、「ねちっこい女に妬まれるワ・タ・シ」なんて悦に浸っては盤石なイエスマンの砦の中で勇敢な悲劇のヒロインを演じるのだ。
その実、一番ねちっこいのはあんたなんだ。

みんな、あんたの語気の強さに気圧されているだけで本当は誰も賛同なんかしていない。

愚痴と承認欲求だけで構成された一人劇を三百円の冷めたレモンティーと二四〇四円で半ば強制的に見せつけられている。
この、粗削り……削られてすらいない、余計なものだけを集めた独りよがりな茶番劇を二七〇四円で!
それも、突如として時間まで盗まれて!

倍の料金で私の中に渦巻く悪意を押し売りたい。
特別に、半額にしてやってもいい。

私の悪態もなかなかのものだ。
ここまで、先輩に負けず劣らず一呼吸でやり切った。
声に出したわけでもないのに息が上がっている。

一方で先輩はまだやっている。
顔色ひとつ変えないで。

ぬるまった紅茶の中ですっかり黄色くなっている輪切りのレモンをティースプーンで潰しながら、念願だった村田沙耶香さんの『世界99〈上巻〉』の表紙と先輩の毛先の間で視線を走らせている。

そうだ。
私は三百円の爽やかな温もりを何時間もかけて胃に落としながら、二四〇四円なんて破格で手に入れた狂気の世界に堕ちていくはずだった。
今頃、カップの中身は半分に、狂気の穴の底に着地して散策を始めている予定だった。

それがなんだ?
ひとつ、またひとつ。
見つかるのは、アッシュグレーとマジェンダの枝毛。
色の抜けた毛先は二股どころか三股、四股と凄まじい拷問でも受けたかのようだ。
まるで先ほど槍玉にあげられたサエとマキと私を投影しているかのようで下半身がヒュッとする。

家に帰る前に、買ったばかりのこの本をどうしても読みたくて学校と反対側のハンバーガーショップまで歩いてきたのに。
お気に入りの一番奥、クリスマスツリーの隣の席が奇跡的に取れたのに!

最初の四ページ。
四ページ読んだところで先輩が入ってきた。

店のライトを反射しているハードカバーの表紙に視線を落とすたび私は叫びたくなる。

「今、私が数えたいのはあんたの枝毛じゃない! この硬い厚紙に挟まれた狂気の種の数なのに!」

先輩の長台詞には到底及ばない自分の叫びは、なんだか負けを認めたみたいで癪だった。

でも私は、先輩の枝毛を見るためでも表紙に映った店の照明を眺めるためではなくて、クリスマスツリーの青や赤の電飾を横目に感じながら本の世界に浸りたかったのだ。

透視なんて出来ないのに目を細めたり、背中で硬い背もたれにグイと押しつつ左目を閉じて紙の隙間を覗き見ようとしている。

「お待たせしました! アボカドバーガーとオニポテ、それからセットのコーンポタージュ……それからお冷置いておきますね。ごゆっくりどうぞ!」

はあ?
アホが度を超して、私の顔は鬼の形相に。

店員が商品名を述べている間もお構いなしで一人劇“マジェンダとアジェンダ”は続く。
先輩も店員もお互いに無関心で、自分の言いたいことだけ言っている。
なぜ私が受領の会釈をしている?
これはあなた名義のアボカドバーガーとオニポテとコーンポタージュとお冷ですよね?

「あー、おいしそ!」

え?
食べるんですか?

やっと休符が入ったと思ったら食べるんですか?
私の目の前で?

オニポテのオニに左手薬指を通して、くるくる回しながら
「うち、結婚とか興味ないしなあ。」
と組んだ足の上になっている方に肘をつけている。

明らかに今入ってきた親子の声に反応して放たれた、休符明けの何の脈絡もない台詞はナンセンス極まりない。
チケット代を返せ。

ザク……
先輩がそれをかじると、油と玉ねぎの混じり合った匂いがムンムンと漂ってくる。
胸焼けがする。

ポテトを食べては親指、中指、人差し指の順番で音を立てて塩と油を舐めとっていく。
反吐が出そうだった。

「あれ? それって……」
先輩の汚い指が、『世界99〈上巻〉』に向かって伸びてくる。
私はサッとその本を胸に抱いた。
紙と、インクの真新しい匂いがする。

この狂気の世界に、塩と油はいらない。
穢されてたまるものか。

ふと、手元のティーカップの中に視線を落とす。
冷え切った紅茶の中で、やや形を止める程度のレモンが長い時を経て今にも砕け散りそうな閉架図書の如く茶色く染まっている。

先輩の愚痴はアボカドの、承認欲求は肉の香りに変わって私の鼻へ容赦なく侵入してくる。
時折挟まる自己陶酔はポテトの、自意識過剰は玉ねぎの香りを漂わせて取り囲む。
漏れるため息は妙にクリーミーなコーンポタージュから立ち昇る湯気の如く熱を帯びている。

混ざり合った臭気で卒倒しそうだった。

「ふうー、ごちそうさまでした!」
季節外れの蚊でも出たかと思うほどに手を叩き、返って下品な“ごちそうさま”で幕を閉じた一人劇。

ごった返す大学前の銀杏並木並みにうるさい吐息が、ひたすらに不愉快である。

「そ・う・だ! うち、今から学校戻って資料とってこないといけないんよー!」
「そうなんですね!」

少し、明るい声が出た。

「うち、今から学校戻って資料とってこないといけないんよー!」
「そうなんですね!」

もっと明るい声が出た。

「学校戻って資料とってこないといけないんよー!」
「そうなんですね!」

今度はヤケクソ、次の子音で前の母音を押すような話し方をしてしまった。

「ほら、それ片付けて!」
「え?」
「行くよ!」

冷たくなった紅茶で口の中から咽頭、食道、胃と順番にツーッと冷やされていくのがわかる。
バラバラになったレモンの一部が気道の方へ落っこちてしまい、むせる。
ゲホッゲホッ……

テーブルの上に出していた、読書ノートやらペンやらをお気に入りのバンドのトートバッグに慌ててしまう私がいる。

何で?
何で私、片付けてるの?

最後までテーブルに鎮座していた『世界99〈上巻〉』は相変わらずその表記に店の照明を映し出している。

まるで精密機器でも扱うように、そろり、そろりとバッグにしまった。

肩にかけると、ずっしりと重たい。

ああ……愛おしい!
これが、狂気の重み!

「ごちそうさまでーす!」

「ありがとうございましたー! またのご来店お待ちしております!」

「え、ちょっと! サエグサ先輩! 待ってくださいよー!」

ああ……
何で私が懇願──

本当はここに残って、あのクリスマスツリーの前で狂気の世界に浸りたいのに!

足が勝手に先輩を追いかけていく。

足より上の私の身体はただ足に促されるがまま前進しているに過ぎない。

なんなの!
なんなの!
なんなの!

身体への指令系統が脳から足に移り、手なんてないくせに手持ち無沙汰になった私の脳は余計な思考を与える。

努力を馬鹿にする風潮もあれば、苦労を知らない奴に語る資格はないなんて言って退ける輩もいる。
ならば結局私たちはどうすれば認められるのだろう。
認められる必要もないのかもしれない。

何がどうしたって先輩とは分かり合えない。
わかり合いたくないのだ。

先輩より少し遅れて、ワクワクしながら歩いた道を絶望の顔で走った。

冬の太陽は、早帰り。
すっかり外は、暗くなっていた。


──これは四三四七文字の私自身の愚痴である!


この記事を書いていたところ、女子大生が補聴器の調子が悪いお年寄りに話しかけるが如く大音量で愚痴に愚痴を重ねておったわい!

気持ちはわかる。
俺も常にイライラしているからな。

だがしかしだ!
ものを書いている時にやられると、何も浮かばんのだ。

違うな……
なんか、君らの声のトーンとイントネーションが絶妙に私とは相容れないらしく全くをもって集中できないのだ。

すまない。
マジで、ただの言いがかりである。

ただの言いがかりが四千文字超えているあたりに自分自身の気持ち悪さを感じ得ない。
気持ち悪すぎて、顔面にゴキブリホイホイ投げつけてやりたい。

自滅!

しかしまあ、なんとか書き上がってよかったです。

はい。

なんかこう、書きたいんですね。
はい。
書きたいのに書けないのは、うんこが出そうで出ない、みたいな感じです嫌なんです。

一体何を激白しているのやら。

グヘェ。

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