愛人契約、どこに締結?
愛人になって欲しいと頼まれたことがある。
それも、あろうことか右中切歯と側切歯の間にとうもろこしが挟まっているタイミングでだ。
盛りのついた会社の犬は猛然と差し迫っているというのに、とうもろこしの方はパズルのピースがぴったりはまったかの如く微動だにしない。
──これは、まだ私の体重が二〇〇キログラムもなかった頃の話である。
当時の私は、怨念で御社各位を潰すことに勤しんでいた。
否、違う。
極々真面目に、Cチャンカッターとかいう誰かの持ち物みたいな名前のクソデカハサミを取り寄せたり、話題のアスクルで誤発注して営業所をクリアファイル御殿にしたりしていた。
それに付随して御社各位が勝手に潰れていっただけだ。
御社の営業マンが少しでも横暴だと、血気盛んな二十代前半の中でも極めて前半の私は
「滅!」「潰!」「消!」の
通称“滅潰消”という呪文を唱えていた。
【滅潰消】
〈手順〉
①「滅!」
利き手人差し指と中指を合わせピースのような形を作り、
真横に腕を伸ばす。
②「潰!」
その利き手で弧を描き頭の上へ振り上げる(挙手状態)。
※指は先ほどのまま
③「消!」
振り上げた腕及び指で空気を切り裂くように振り下ろす。
「ほんとよォ! どうなってんだよテメェの会社は!」
「(クリアファイルに囲まれながら)大変申し訳ございません!」
ガチャン。
「滅!」「潰!」「消!」
「納期早めろ! 死ぬ気でやれ!」
「(クリアファイルに囲まれながら)納期は早まりません! 大変申し訳ございません!」
ガチャン。
「滅!」「潰!」「消!」
するとだな、呪いをかけられた御社どもはおおむね三週間以内に「廃業のお知らせ」とか「合併に伴う消滅のお知らせ」なんかを送りつけてくる。
この能力は、入社一週間で身につけたぞ!
しかも、誰にも教わっていない。
なお、私が入社してからあまりにも御社達がその生涯を閉じすぎたせいで大阪から副社長が送り込まれた。
副社長は
「まいどー! 大阪の空気持ってきたで〜!」
などと言いながら徐に空気がパンッパンに入ったビニール袋を取り出した。
いや、これ絶対東京駅あたりで適当に集めてきた空気だろう。
騙されないぞ!
それで、人の顔の前で開けて相手が
「うわー、ほんとだ、大阪の空気ー!」
と言った瞬間、
「知らんけど」って言うつもりだろう、そうだろう?
とかなんとか思っていると、思いっきりロックオンされる私。
そりゃあそう。
副社長がわざわざやってきたのは別に大阪の空気を東京に撒き散らすことではなく、奈良県民が適当に採用した変な奴が取引先を抹殺している件についての調査のためなのだから。
「せやせやー! 君、君に用があってん! な、そしたらこれな、僕からの入社祝いや! もろてや!」
副社長から入社祝いの大阪の空気(らしきもの)をもらった。
半信半疑で開けてみたらうっすらとソースの匂いがした。
「それな、馴染みのたこ焼き屋の前の空気! ええやろ? 東京の人らが思う大阪の匂いやろ!」
東京の人らの気持ちを理解しすぎているコッテコテの大阪人が持ってきた大阪の匂いは、思いの外あっさりしていた。
とはいえそれはハッタリで、そこの銀だこの前の空気だったかもしれないよな!
それはさておき、
今なら物理的に御社もろとも弊社をも潰せそうだ!
勝手に食い倒れ太郎の後を継いでやった!
食い倒れても食い倒れても食べ続け、今や身長185cm、体重200kgだからな!
もう天下の台所の冷蔵庫も空っぽなんじゃないのか?
反省したので有能な漬物石として京都あたりの千枚漬け工房で働きたくてエントリーするのだが採用お見送りメールしか受け取っていない。
スカウトメールが来たっておかしくないスペックだぞ?
呪術が使えて、ライバル会社も(物理的に)潰せて、漬物作りもお手のものなのに!
……いかんいかん!
またお通しが多過ぎる!
「一人一玉分の旨塩キャベツ!」みたいなノリになっている。
全部食べてくれはったん?
おおきに!
※関東の人間が話すウザいエセ関西弁
──私の歓迎会だというのに私そっちのけで弊社も御社も関係なくディスり続ける上司たち。
私の方も、上司たちそっちのけでとうもろこしのかき揚げをサクサクサクサク爆食していた。
いかんせん、迂闊に悪口を言うと取引先もろとも弊社まで滅ぼしかねないからな。
飲み会の序盤で右中切歯と側切歯の間にとうもろこしが挟まった。
名前のない猫が初めて人間を見たあたりで、とうもろこしが挟まった。
なお、とうもろこしがこのポジションに収まるのは初めてのことではない。
二十二年間の人生の中で少なく見積もっても十三回は挟まった。
特に、群馬のとうもろこしはよく挟まった。
※科学的根拠無し
私はいかにバレずにこのとうもろこしを取り除くかばかりを考えていた。
舌でグイグイ押してみたり、とうもろこしの追撃で押し切ろうとしたり、とにかくありとあらゆる方法を試した。
もはや、意地だ。
食べ放題なのをいいことに私はタッチパネルで自分用のとうもろこしのかき揚げをオーダーしまくる。
上司たちと私の親睦を深めることが目的の飲み会で、不覚にも居酒屋スタッフとの親睦を深めた。
九皿目のかき揚げを食べ始めたところで、もともとの挟まりの上にまた挟まった。
突如として二階建てと化す詰まりモロコシ。
一向にいなくなる気配のないとうもろこし。
こりゃあいかん。
もう手段を選んでいる場合ではない。
あさま山荘事件の鉄球の如く右手人差し指の爪で強行突破すべく私はトイレへと向かう。
ついでに、忘れていた便意も思い出した。
そして私は警視庁第二機動隊の如く、トイレのドアノブに手をかける。
と同時に何者かの手が私の肩に乗る。
なんだ?
これはどっちが先にトイレ入るか戦争勃発か?
私はドアに向かって鬼係長の形相を整え、満を持して振り向いた。
「えっ? あっ! なんかすんません!」
関東平野の言語が副社長によりもたらされた大阪弁フィルターを通過してしまった!
「……かわいいな。」
肩に置かれていた手が頭に乗せられる。
こいつは営業所内のヴィジュアル担当、営業のスギモトである。
短髪のツーブロック、日サロ仕込みの黒い肌にセラミックもびっくりの白い歯、白のボタンダウンにジャストサイズよりやや小さめのネイビースーツ、茶色のつま先とんがりローファー。
女性が多い会社に出向くときは百発百中結婚指輪を外す、いけすかねぇ野郎だ。
しかも、仕事中に歯の浮くような台詞を平然と電話回線に乗せ、取引先の女性社員を誘惑する。
本当にいけすかねぇ野郎だ。
クリアファイルを爆裂注文しながら、こいつの泣かせてきた女の数予想などをする。
何が困るって、こいつがたぶらかした他者の女性社員が私を勝手にライバル視して意地の悪い電話をかけてくる時だ。
そういう時私は決まってわざと保留にせず、
「スギモトさぁん! これェ、なんですかァ?」
とガラにもなく、大変無理のあるぶりっこ演技をしてふざけていた。
そして、スギモトがやってきて何か言い始めた瞬間に保留オン!
そして俺は奴の話を聞かず、こう言うのだ。
「TA110X! 冷媒回収装置ツインサンダー220! 電光石火のスピード!! 衝撃の回収能力!! 衝撃の冷却能力!!」
※これは取引先から仕入れて鬼のように売っぱらう用の商品のカタログに載っていたキャッチコピー(お気に入り)。なお、現在廃盤。
「うん、よく覚えたね!」
ただ仕事の教え方は的確で、新人のミスにも寛大なよくできた上司だ。
何より、人を褒めるのが上手い!
さすが女ったらし!
それどこらか人ったらし!
だからこいつが指導担当についてくれた日は実にノンストレスで仕事ができたのも確かだ。
でも、今このタイミングで
「……かわいいな。」は大間違いだ。
かわいくない特大便意が直腸ギリギリまで差し迫っている。
しかし、盛りのついた会社の犬は止まらない。
歯のみならず、目もギラついている。
奴は私の身体をグイと自分の方へ引き寄せ、耳元で囁く。
「愛人になってよ。」
言ったな?
お前、言ったな?
──彼は、便意ごと私を抱きしめた。
これはエモ構文使いが言いそうなことだ。
そんなもんじゃない。
奴が抱きしめたのは便意及び、推定トイレを詰まる程のうんこととうもろこしのカスと私だ。
倫理的な問題を指摘するよりもまず、私は右中切歯と側切歯の違和感と便意を解消したい。
あんたは便意及び、推定トイレを詰まる程のうんこととうもろこしのカスと私を抱きしめている。
でもな、あんたの歯は白く輝くのみで何も抱きしめていないからいいかもしれないが、私の歯はとうもろこしのカスをガッチリと、それも二つも抱きしめちまってんだよ!
もはや、イケナイ関係ですらない!
インドの如く、一夫多妻オーケーな勢いなわけ。
色々待ったなしの我が身である。
奴の手は迷いなく下の方へ降りてくる。
その手は案の定胸のところで止まる。
──来る!
「……あれ?」
困惑した表情を見せつつも諦めきれないらしい。
しかし奴は再び空を掴む。
……かかったな!
我が胸元は更地なり!
言い換えれば、登らせる気のないボルダリング。
掴みどころがないのだ。
まさにミステリアス!
獲物は逃さんとばかりに、首元に食らいつく猛獣と化したスギモトはもはや更地ごときでは萎えない。
我が顔面に顔面が接近してくる。
やめろ、化粧が盛大に崩れているのだ。
4Kテレビでなくてもわかるくらい盛大に崩れているのだ。
我が直腸の最後の砦も崩落寸前である。
「出ちゃう……(屁及び便が)」
「出ちゃうのはこっちだよ……」
まずい、便意のせいでなけなしのボキャブラリーから選び取る言葉を間違えた!
「漏れちゃう……(便が)」
「見ててあげるよ……」
またやっちまった!
盛り上がっちまった!
あと、見るな!
気色悪い!
最早これまでか……
私は口腔内の違和感と共に、社会的死(倫理&うんこ漏らし)を覚悟した。
しかし、私は私を褒めたい!
ここでなんと、私はロバに擬態した!
火事場の馬鹿力ならぬ、濡場の底力!
ロバのように歯をひん剥いている!
歯をひん剥く私と目をひん剥いて歯及び歯に挟まるとうもろこしを見つめるスギモト。
これ以降私と目が合うことはなかった。
百年の性欲も冷めたと言わんばかりの、感情の抜け切ったもぬけの殻と言った顔でヘナヘナとトイレに入って行った。
何だよ!
あんたもトイレ我慢してたのか!
この後私もトイレに入り、無事目的を果たすことができた。
とうもろこしのカスも、もうない。
結構な時間が経っており、席に戻った時には
主役不在のまま、宴も酣といった様子であった。
やはり、私のことなど眼中にないのだ!
主役不在だというのにすでに二次会の場所の予約とかしてやがる!
しかし、もしとうもろこしが挟まっていなかったらどうなっていたのだろう。
断るに断りきれず愛人として囲われいたのだろうか。
もしくは
「滅!」「潰!」「消!」……ゲフンゲフン!
なお、とうもろこしの黄色には“軽率”という意味が込められているらしい。
この黄色が、軽率な彼に残されたわずかな誠実さを呼び起こしたのかもしれない。
知らんけど。
しかしその後もスギモトは相変わらず短髪のツーブロック、日サロ仕込みの黒い肌にセラミックもびっくりの白い歯、白のボタンダウンにジャストサイズよりやや小さめのネイビースーツ、茶色のつま先とんがりローファーでギラついている。
そして今日も元気に取引先の女性社員に歯の浮くような台詞の大安売りをし続けている。
だから、その軽率さがいけすかねぇんだよ!
ある日営業先からかかってきたスギモトからの電話を切った後、
「滅!」「潰!」「消!」
をなんの気なしにやった。
というか単にいけすかないし、口内炎が痛くて腹が立っていたから半ば八つ当たりでやった。
三ヶ月後、奴の戸籍にバツがついた。
私は怖くなり、この日から
「滅!」「潰!」「消!」をやめた。
やめたのに、次々と滅びゆく御社と御社と御社……
私は私の力が怖い……
と思ったがどうにも実際のところ私の呪いなどと言うものはなく、単に時代の流れだった。
唯一時代の流れでは済まされなかったのは、とうもろこしに怖気付いたあの男のみ。
後日風の噂ではなく直接的にスギモトがちょっかいを出していた女のいる会社が潰れたと聞いた。
その時局がさらっと、
「ま、私も関係持ったこと……あるしね。」
といい女っぽく髪をかき上げた。
そうなんですね、と言うつもりが
「ああ、マジで誰でもいいんですねぇ」
とつい心内語が飛び出してしまった。
言うまでもなく、怒られた。
その原理でいくと、いつか弊社も潰れるなと思っていたが弊社が弊社である限り潰れることはなかった。
時は流れ、弊社が弊社でも御社でもなく無関心企業に変わった。
それでもなお、普通に続いている。
つい最近、スギモトが営業車の助手席に若い女を乗せているのを目撃した。
私とは似ても似つかない、お局とも、潰れた取引先の女とも全く別ジャンルの人だ。
あの子の右中切歯と側切歯の間にもとうもろこしが挟まっていますように!
「滅!」「潰!」「消!」
今日もこれと言ってオチはない。
オチはないが、買い出しに行ったらレモン買い占め事件に遭遇した。
黄色だ。
黄色に付きまとわれている。
朝起きたら娘のピカチュウのぬいぐるみが私の頭の下でぺっしゃんこになっていた。
黄色……黄色……
ああ。
芋食いたい。
↑
黄色と言ったら?
バナナ!
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ポテトチップスよりも
お・ぬ・し