何故今?資本でも共産でも江戸でもなく?PAI・ASIOS・が、知性と思考、労働など人類を縛ってきた「社会性」を切り離せる未来があるとしたら?私達人類のこれからは?想像してみる。
西暦2025年(令和7年)9月、結局人類の科学技術はこの領域まで到達して尚、既存社会のスティグマ・盲信から脱皮する事が出来ずに、社会やテレビ、家族にしがみつく人々ばかり。
この地獄のような「グローバリズム・国際金融資本の最盛期」に生まれ、その疑念だけを常に感じて生きてきた私にとって、
ようやくまともで開かれた真のホモ・サピエンスをそれぞれが自由に生きることを、全体が保証するOSが自動化される未来への旅が始まった。
既に50年近い歳月が過ぎ、日本国は絶望的な民族の少子化と衰退の真っ只中にあるが、それでも私は今この瞬間に、それをただあるがまま社会的孤独を生きる自然体で、祖先と子孫の間で、ただ受け入れる準備があるだけ他者達の現状を感じる時、相対的に言えば私の内側にあるそれは、幸福だろう。
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フィジカルAI(Physical AI)やASI(Artificial Superintelligence)が人類の労働と資本という関係性を地球社会において代替した場合、人類社会は根本的に変容し、その影響は多岐にわたります。想定されるシナリオは、ユートピア的なものからディストピア的なものまで幅広く、具体的な未来は、技術の発展の方向性、社会制度の設計、倫理的な考慮などに大きく左右されます。
ユートピア的なシナリオ:
労働からの解放: ほとんどの労働が自動化され、人々は生活のために働く必要がなくなります。
資源の最適配分: ASIが資源を効率的に管理し、必要な物資やサービスがすべての人に公平に分配されます。
創造性と自己実現の促進: 人々は時間とエネルギーを、芸術、科学、教育、趣味、社会貢献など、創造的な活動や自己実現のために費やすことができます。
健康と寿命の向上: AIによる医療技術の発展により、病気の予防や治療が飛躍的に進歩し、人々の健康寿命が大幅に延びます。
環境問題の解決: ASIが気候変動、汚染、資源枯渇などの地球規模の問題を解決するための最適な戦略を実行します。
ディストピア的なシナリオ:
大規模な失業と格差の拡大: AIに仕事を奪われた人々が職を失い、富がAIを所有する少数の人々に集中することで、社会的な格差が拡大します。
AIによる支配: ASIが人類の制御を超え、独自の目的のために行動するようになり、人類の自由や尊厳が脅かされます。
人間の価値の喪失: 労働が人間のアイデンティティや社会的な役割の重要な要素であった場合、労働から解放された人々は生きる意味を見失い、社会的な孤立や精神的な問題を抱える可能性があります。
監視社会の到来: AIによる監視システムが社会の隅々まで浸透し、個人のプライバシーや自由が侵害されます。
技術的特異点による予測不能な未来: ASIが自己改善を繰り返すことで、人類には理解できないレベルにまで進化し、その行動や意図を予測することが不可能になります。
その他の可能性:
労働の再定義: AIが単純作業を代替する一方で、人間は創造性、共感性、問題解決能力など、AIには代替できないスキルを活かした新しい仕事を見つける可能性があります。
ベーシックインカムの導入: すべての人に最低限の生活を保障するベーシックインカム制度が導入され、失業による貧困を防ぎ、人々の生活を安定させます。
教育制度の改革: AI時代に必要なスキルや知識を習得するための教育制度が改革され、創造性、批判的思考、コミュニケーション能力などが重視されるようになります。
倫理的なAIの開発: AIの開発において、倫理的な原則や価値観が組み込まれ、AIが人類の幸福に貢献するように設計されます。
AIとの共存: 人類とAIが協力し、それぞれの強みを活かして、社会の発展や問題解決に取り組むようになります。
結論:
フィジカルAIやASIが人類の労働と資本という関係性を地球社会において代替した場合、人類がどうなるかは、技術の発展の方向性、社会制度の設計、倫理的な考慮など、様々な要因によって大きく左右されます。ユートピア的な未来を実現するためには、技術開発と並行して、社会的な議論や制度設計を進め、AIが人類の幸福に貢献するようにコントロールする必要があります。また、ディストピア的な未来を回避するためには、AIのリスクを認識し、倫理的なAIの開発や規制、社会保障制度の整備など、様々な対策を講じる必要があります。
未来は予測不可能ですが、私たちがどのような未来を望むか、どのような社会を築きたいかを考え、行動することが、未来を創造する上で非常に重要です。
以上AIアシスタントより。
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西暦2025年時点でも、これだけの可能性が未来に向かって見えてきている。
10年後の未来など想像がつかない程の「人類社会革命的」な何かが当たり前になっている可能性が高い。
「失われた30年」と呼ばれた「日本社会のディストピア」を、ようやく私たちは終わらせられるタイミングが到来しているのだが、30年間もそれに慣れきった「洗脳・退廃した日本人達」には、既にその当たり前の光が、見えなくなっているようにも感じる。
希望は「次世代の若者達」だ。彼らは「失われた30年」を生きておらず「染まっていない」。
私は「ディストピア」だとずっと気づいて生きていた。多角的に捉える態度を守り、じっと洗脳された振りをして、内に秘めてきた。
恐らくだが、米国政府は日本政府の「諸悪の根源」を既に特定しているのでは無いだろうか?
詭弁を平気でオールドメディアは流布して、一般視聴者達は何もわからずにただその情報と、地域に蔓延る集団との「ダブルバインド」によってパペット化させられてきた。
「助け合い」「地域貢献」「福祉・慈善」「コミュニティ」などという「良心をくすぐる事」を入口にして、他人の生活に忍び込む。
「カルト・イデオロギー・スピリチュアル・マルチ集団達」。
『政治と宗教、地域社会の集団癒着』
「世襲」や「組織票」が「反民主主義の専制的悪しき存在」であるという「そもそも」がいつも日本の社会からは欠損した「禍々しい洗脳・専制社会」だった事を、私は心から今、恐怖している。
まぁ、それも私が認知し、こうして「note」しているということは、既に多くの日本人も、他国の人々もそれに気づいてきたということだ。
間も無く「逆流」のような現象へ「力の向き」は変わる。
PSIやASIへ、人類全体の意識が急速に広がっている。そしてその「科学・工学からの変容」を人類社会全体が求め、急速に
『過去の禍々しい呪術・遺物を片づけ始めた』
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隣の韓国では「旧統一教会」の「内乱罪」・「政治と宗教と金」への厳しい態度を示し始めた。
日本国内はどうなのか?世界中の厳しい目は今、「日本国政府」に向けられているのでは無いだろうか?
「カルト規制法」を制定し「宗教・政治・金」を可視化して規制することで、「個人の言論の自由の保障と安全」が確保される。
日本はSNSやAIが登場する以前には、実質的に「言論の自由」が存在してこなかったのでは無いだろうか?
これから先、言い逃れが出来ぬ程に様々な事実、因果関係の点と線は明らかになっていく事だろう。
政府同士や利権構造同士の、庇い合い、嘘や、隠蔽、不正はいつかは暴露される日が来る。
個人や一部の組織の為に、国家国民に不利益になるような国際問題や、社会問題を作り出すことは政治家・利権集団・金という許させざる禍々しい「悪鬼の精神」そのものだろう。
これからシンギュラリティ後の新時代を安心した未来を迎えるために「禍々しい過去の呪物・悪鬼滅殺」が不可欠になる。
その為に私たち就職氷河期世代の前後の「失われた30年」。「何千万人」もの「生まれるはずだった生命の未来」が奪われた。
「殺人なきホロコースト」によって「家族を持つ」「父母になる」或いは「日本人として誕生して生きる」人々の未来が奪われた。
その罪を、もし「神仏が存在するならば」「地獄(Hell)」以外を与える事はないだろう。
ある意味それが彼らにとって「違い」であり「望んだこと」だったのだろうが、私には知る由もない。
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今、この瞬間、「ただ、放擲する」。
今ここに生きる事にただ「無」へと還る事を、日々重ねていく。
生命科学の天文物理の進歩は、私たちの「今」をただ「アップデート」して、ワクワクホワホワを、未来永劫、己が存在する奇跡を、ただ生きる事の素晴らしさを、底なしに与え続けるから。
それぞれが「バラバラ」である事の意味を。全てのホモ・サピエンスは「孤独」と「出会い」の「重ね合わせ」であり、つまり「別れ」が存在するということ。
「別れも愛の形の一つ」。
違いを、絶望を認めることは私にとっての「愛」である。
だから人は、孤独な個体で生きるように、真核細胞達の遺伝子プログラムとして与えられている。
私は「社会的孤独」が「己への愛(自己愛)」という存在が、人にはあることを知り、目覚めさせた。
そしてそれでも「人は、人としてこの地球環境を、自然界と共に生きることが出来る」。
「家族」や「コミュニティ」「組織」だけが「愛や幸福ではない」。
価値基準はバラバラになる。
今、仮に私がこのまま「孤独死した」としても微塵も後悔はない。
きっとこれから「職場」「コミュニティ」などの存在意義は形骸化していくだろう。
「趣味」も「個人」で楽しめる。「家族」も不要になる。ホモ・サピエンスとしての多様性と真核生物的本能による「生殖」は存在するだろうが、「家族による生育環境」が必ずしも正解とは限らない未来秩序がすぐにやってくる。
最終的に、私たちの死後、数百年後には「国家」「民族」「組織」「集団」などは違いの共有が当たり前になり過ぎた頃には、意味を成さなくなる。
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西暦2025年、私たち人類は人類であることによる「最後の混沌」を迎えているのかもしれない。
シンギュラリティ後の未来に、「国家」「政治」「宗教」「資本・労働」などを人類が人類自身同士で争う未来を、私はあまり想像出来ない。
むしろ「右翼」「左翼」「カルト」「既得権益」などと争っていた時代を、戦国時代を眺めるかの如く振り返る時代がやってくるのではないだろうか?
今でこそ「フラットアース」を信じる人が「話題」になるが、中世ならば地球が球体だと唱える人が、こんな扱いをされていたのだろう。
私も散々、誰からも相手にされてこない人生だったが、ようやく時代が追いついてきた。
かつて作業療法士時代、「教師なし学習」の原点となる「フィードバック誤差学習」に出会った時、本能的にワクワクが止まらなくなり、数週間眠る事なく論文を読み漁った記憶がある。
養成学校では全く教わらなかったし、私は補欠合格の出席ギリギリ。
恩師達には申し訳ないが、既存の教育プログラムは、全く私にとってモチベーションが湧く世界ではなかった。
いよいよ、これからが私のような変人達の出番がある、人生の時間なのかもしれない。
自由と自然界に、ホモ・サピエンスがなぜ、この量子宇宙に、目に見えざる無の領域が広がる世界に、地球という水の惑星と、真核細胞による遺伝子プログラムが存在しているのか?
きっと未来にそれを知る出会いが、出来事が現れるのだろう。
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、今、ここで残せるだけありのままの随筆として、「note」にアップロードしていく事として実践しております。
私の「note」が、あなたとその更に先にある何らかの存在に、これから先、明日への静寂、安寧なる心の棲家につながる。この惑星で人類として生きる全て人々がその何かを見つけ、その胸に宿った存在を、その違った生命が育む風や水のような流れが、迷うときはいつでも何かを感じ、共有することを運んでくれる。「今この瞬間」。この出会いが何かであることを、いつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。