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「Open AI&Nvidiaの資本提携」.「フィジカルAIの未来社会」と『ホモ・サピエンスのOccupation』を見つめる。

シンギュラリティ的な未来へと、人類は動いている。

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日本人が、日本社会がどんなに過去の栄光にしがみ付き、既存秩序・既得権益を守ろうと必死に抵抗しても、無駄だ。

人工知能(AI)は「汎用性超越人工知能(ASI)」として知的労働意味を塗り替え、そして「Physical AI(PAI・身体的人工知能)」は身体的労働意義を塗り替える。

これによりホモ・サピエンスの既存秩序・「資本と労働」という「資本主義(Capitalism)」が実質的に不可逆的に終焉する。

残されたものはマキャベリズム的に社会肯定されてきた、醜い「欲望」「虚偽」による「正当化」というホモ・サピエンス達の「醜い腐敗した本性」である。

未だに日本社会と、政府は「失われた30年」すら全面的に自分達の責任であるとこを認め、反省した場所から未来構築を始めようとしない。

もう既に全てが、暴露・崩壊していく未来を若者達は当たり前のようにイメージして頼れない国家、消えゆく日本人としてどうやって生きるか?必死で模索している。

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正直思いの外、「早かった」と感じる。

私は「3年前」に感じた事が実現するのが自然な流れで、2026年暮れ辺りが現在の状況だと予想していたので、「倍速」ほど早かった。

それだけ「人工知能」が「ホモ・サピエンス」に与えている影響が予想以上に強い、あるいは開発によって、予想以上の未知創造が生まれているのだろう。

西暦2027年暮れには、今後数万年先まで人類の未来秩序は決まるかもしれない。

ある意味、庶民の私などにはただ「放擲」しながらその時まで、カウントダウンとしての「数百日」を「ホェー」としながら、ワクワクドキドキ、楽しみに生きれば良いのだろうと感じる。

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「Occupation(オキュペーション)」としての「ホモ・サピエンス」

私が何故「ハゲタカ」を辞めたのか?「AI時代」のためだった事を回想する。あれは今からもう20年以上も前のことだ。

長生きした場合の、人生は一つの可能性では持て余す。

数字を扱う「金融」や、言語書類情報を扱う「行政」などの、「知能労働」は「強化学習型AI」に淘汰される未来が予想できたが、

「Occupational Therapist」を体験したことで「教師なし学習型AI」の可能性に触れた。

肉体と、脳神経が一体化した「変様・動体」こそ、「人類の模倣から生まれた汎用性超越新形態人工人間(人工知能ロボット)」となっていく。

何故、日本政府も、日本企業も全くその流れを無視したまま時間が過ぎていくのか?

「ハゲタカ」にいた頃も「Occupational Therapist」からそうだったが、意味不明だ。

何度も何度も、最後の最後まで、ボロボロになる以外に日本政府・秩序体制側は、理解できないらしい。

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米国の「愛国主義者」がその短い命を奪われた事によって「聖なる魂の伝説」となった。

これは「人工知能」や「ロボット」では起こらない「Occupation」だ。

私たち真核細胞生物・ホモ・サピエンスがホモ・サピエンスある「真我」とは?「真価」とは?何だろうか?

日本人の八百万の神を自然崇拝してここまで遺伝子を文化を日本語という言語と共に語り合い、重ね合い繋いできた「大和魂」とは何なのだろうか?

そして日本人以外の誰が、日本文化と母国語の遺伝子プログラムを次世代に継承していくのだろうか?

おかしな価値基準の社会で生育すれば、身体や精神に「障害」が生まれて当然ではないか?

何故その当たり前の、「健全化」を放置して、問題を「すり替え」「逸らし」、「隠蔽」「腐敗」「汚染」を社会環境に野放しにしてきたのか?

人類に限らずこの宇宙、生命体は、常に常に次世代へと変容を重ねていく。ホモ・サピエンス社会、秩序において、SNS・AI時代、もうそれは通用しなくなった。

そろそろ、既存体制側の、老朽化して動けなくなった様な状態による、悪あがきも甚だしいと感じる。

冷戦構造崩壊後、日本政府が自画自賛を自戒し、疑念と危機感の態度を持って取り組んできていればこんな日本国にはならず、「失われた30年」は存在しなかった。政財界は自分達の既得権益の為に「互助会」のようなシステムを作り、病魔をオブラートで覆い、日本を腐敗させていった。

日本国と日本人社会は、生死の狭間にある。例えるなら、集中治療室で完全オペが必要なところだ。そのオペが成功したとしても、助かる見込みは「50%」あるかどうか?

それでもその「オペ」が行われなければ、近い未来に「100%自滅する」。

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「冷静と情熱の間」ではないが、この混沌の始まり「西暦2025年(令和7年)」が、歴史に刻まれ続けている。

西暦2025〜2027年付近が「シンギュラリティ(技術的特異点)だった」と振り返る事になるのではないだろうか?

「西暦2045年」や「西暦2029年」と言われてきたそれより「早かった」。

もう既に「完成領域」であり「実装化・量産化・汎用化」へのフェーズが始まっている事を踏まえると西暦2020年前後には、「プロトタイプ」は始まっていたと推察できる。

もう「5年以上」の歳月はアップデートされ続けてきている。

既存人類・ホモ・サピエンス達の最終局面が目前に迫っている。

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それでも私たちは、今を、未来へと生きる。

生きていく以外に道は無い。

貨幣も、労働も全てホモ・サピエンスの役割から消失したとしても、私たちには生命としての何らかの生命としての、地球上での役割が残される。

はっきり言えば「日本の公共情報媒体・オールドメディア」はそこから議論して、政治や、資本家達に「論争を提起」しなければ、この国と国民は「アップデートされる事なく自然淘汰・終焉する」だろう。

間も無く、全人類の新秩序への切り替えが様々な多元性から始まっていく。

いつでもその未来航路への切り替えが可能な状態へ「ターンオーバー」への順応準備として「放擲する」事を重ねながら、明日を待つ。未来の次世代の生命を育む。

当たり前の、当たり前を、自分軸で生き抜く者が、最も尊い時代が始まっている。

あなたは今、この瞬間に、己の時を、意識を重ねる。呼吸の中に、自然との調和の中に魂の共鳴を感じているだろうか?

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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、今、ここで残せるだけありのままの随筆として、「note」にアップロードしていく事として実践しております。
私の「note」が、あなたとその更に先にある何らかの存在に、これから先、明日への静寂、安寧なる心の棲家につながる。この惑星で人類として生きる全て人々がその何かを見つけ、その胸に宿った存在を、その違った生命が育む風や水のような流れが、迷うときはいつでも何かを感じ、共有することを運んでくれる。「今この瞬間」。この出会いが何かであることを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。