『シンギュラリティ時代とポスト資本主義』金融信用制度・ペテン・詐欺・カルトの支配を許してきたのは社会協調と、労働生産性最適化の為だったものが、踏み台としてすり替えられた歴史。ホモ・サピエンスの個体達の多様性が育んでいく、自由な時間消費の社会へ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本当に『資本主義』や『民主主義』が『正義』で、
『社会主義』や『共産主義』が『悪』なのだろうか?
では、ハンムラビ法典は、『今も正義』なのだろうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆さん、こんにちは。
宙唄(Sorauta)
です。
いつもお立ち寄りありがとうございます。
また
初めての方、『ようこそ!』
あなたがここを見つけて「触れた事」はとても幸福な事。
その意識から連鎖することを、これから人生の中で実感する事になるでしょう。
私はいつも『徒然なるまま』に、完全オリジナルの独自の視点で「note」しております。
前回まではこちらの『note』しました。
ここまで来て感じる事は、いづれは事実を科学が突き止める。
歴史やばら撒かれた情報、人類が全て行なっている非純粋な、恣意的な行為は、全て最後は暴露る時代に入っている。
詐欺師もペテン師も、全ての欲やエゴによって、人を欺いて得たそのひと時の栄華は子孫への業火となって周囲の罪なき人まで巻き込む大罪となり襲いかかる。
始めに断っておくが、私は無宗教、無主義であって、あくまでも自分のありのまんま思ったこと感じた事を「note」している
。
今回のテーマには反共産、反社会主義が熱狂的に忌み嫌う「カール・マルクス氏」の話をしようと思う。
そして、まず私が感じるのはカール・マルクス氏という人物が提唱したものと、『社会主義国家』や『共産主義国家』は全くの別物と捉えて良いのかもしれないということ。
イエスキリストやゴータマシッタールタとキリスト教や仏教など、
その宗教は中身が全くの別物であったこと同様に、
その人物の哲学と、その後弟子達によって利用されてきた主義や教義は別物へと変貌するものなのだろう。
カール・マルクス氏はそれぐらい資本主義が到達した効率性、労働価値の最大化以降の道を予言していた。
仮にもし、19世紀後半ではなく、150年経った現代のシンギュラリティ時代に、カール・マルクスが生きていたとしたならば、どんな事を述べたのだろうか?
恐らく、『貨幣』と『時間』『労働』について、衣食住について、現代環境に合わせた解釈を命懸けで書き直すに違いにない。
そもそも『資本論』は経済本として捉えられているが、ホモ・サピエンス社会と個々の人生における、当時の世界から見た資本と労働の関係性について述べたもの。
彼が解放したかった事は自由な時間と資本による社会価値の最大化であって、資本が、人間を労働から解放することが可能になれば何もいう事はなかっただろう。
その後の人類史には生物学者E・O・ウィルソンが登場する。
彼は生態系の中に共生社会を見出していく。
経済にせよ、宗教にせよ、
ホモ・サピエンスの傾向として事実よりも思考や妄想に心や時間を奪われやすい。
ありのままの存在や環境を無視して、
人間は盲目になる。
土地、領土、国家。
真に民主主義国家達が、
多様性や共生、グローバリズムを実現するのであれば、
資本論そのまんまを、社会主義国家だ共産主義国家だと敵対視せずに、地球規模で導入すれば良い話だ。
敵対視していること事態が、自らの腹黒を疾しい陰謀的な何かを隠している証明のように見える。
権力・利権・嘘の肯定、神や経典の威光。
資本主義社会や民主主義社会は、労働者からの労働力搾取がより未来に向かって極限に極められて、貧富の差が拡大し人は労働に時間を取られて、本来の人間としての時間を失う本末転倒の人生に陥ることを、カール・マルクス氏の指摘している。
全くの矛盾とペテン・欺瞞の玉虫色のヒューマニズムのカオスを極めて今が存在している。
資本は次から次へとその欲望を駆り立てて、一部のグローバリストを豊かにして、殆どの敗者や労働者から資産と時間の全てを取り上げて不幸にしながら、社会進化、技術革新の未来へ大量のエネルギー・物資消費と共に突き進んでいる。
それはそれで、ホモ・サピエンスという地球生物の生態系における選択としてみればどちらでもいいことかもしれない。
ただし、日本国と日本国民に絞った場合には意味が違ってくる。
欧米から来た資本主義・民主主義に少子化で滅亡・消滅しようとしている。
不思議な事実は、カール・マルクス氏はユダヤ系でプロイセンに生まれ、そして30歳過ぎにイギリスへ移住している。
あの3枚舌外交によって、現在のグローバリズムの元凶を作り出してきた島国。
詳しいところは正直わからないが、結局主義主張、民族問題、宗教問題。
それらが権力や紛争という暴力につながり、結局権力闘争に強かったものが統治した。
民主主義とは多数決であり、数が多いものが勝ち。
ある意味現行の資本主義やグローバリズムの中心地、震源地はイギリスであり、恐らくイギリス人もそれに誇りを持っているのだろうが、
80億人、200を超える国家があればその捉え方、解釈も様々。
仏教がインドよりも他国で広まったのと同様、カール・マルクス氏の評価も本人の帰属していた国ではなく、他国のその信奉者を拡大していったところに、知の巨人としての功績を感じる。
今一度、
資本主義によって、私たちの人生は、時間は、豊かに、幸福になったのだろうか?
日本人大衆が最も豊かだったのが高度経済成長期だったとするならば、それは冷戦構造が作り出した資本主義・民主主義側の不沈空母としての恩恵という地政学的な状況が作り出していたことであって、国民の能力や政策がうまくいったわけではない。
産業労働者としての社会を形成していたという意味では、アメリカ合衆国の庇護の元で社会主義国家を形成していたようなものであって、終身雇用や年功序列、社会保障や年金制度、過酷な労働時間や環境を除けば、むしろマルクスの資本主義の理想に近い状態を形成していたのかもしれない。
日本国は、冷戦構造が崩れ去った時点で、自立独立すべきだった。
恐らく米国も半分それを望んだかもしれないが、依存体質から脱却する術を、日本の国家政治行政は既に失っていた。
バブル経済によって資本主義の甘い汁に、人々は既に中毒依存から脱却できぬ状態になり、あとは西洋人の得意としてきた、民族環境の解体侵食乗っ取りが進んでいく。
1990年には1975年で第二次ベビーブームが終わってから15年の歳月が流れていた。
少子高齢化という絶対地獄の渦中の未来螺旋はもう、その時点で見えていたのだ。
・・・・・・・・・・・・
西暦2025年は100年後の世界史から捉えた時、恐らく歴史の教科書でも重要な意味を持つ年になる。
100年先にも影響を与える重要なホモ・サピエンス社会の分岐点となる出来事が、これから数々起こっていく。
呑気に投資や資産運用、株価やキャリアの情報を垂れ流す、CIAと日本政府の残党ギルドのトカゲの尻尾を、切り刻み続けた先に、
ようやく本体にある実態を、社会全体の意識が捉え始めた。
政府も官僚も、行政も、誰も責任を取らない、ボールのたらい回しのシステムを作って、国民にそれが見えぬシステムを作ってきた。
中身やCIAやカルト組織、外国人資本家に隙間を与えて、日本人の労働や資産、土地を彼らの食い物にする事が可能な状態を作り、
そして自分達も妻や家族、親族、或いは関係性があるところに利益便宜を図り、知らぬふりで見逃してきた。
1990年以降、シロアリの巣のように日本国は全て食い尽くされてきた。
財務省を解体して浮かび上がるものが、何十京円もの隠し資産があったなら、それはそれであとはベーシックインカムと国民還元をすればいいだけなので素晴らしい事だが、
恐らく1990年代から見た時、2025年には何十京円あったはずの資産は、もう全て使い尽くされてしまった可能性が高い。
私は、2000年代、リーマンショックより前にハゲタカに在籍していた。
だからうっすらとその因果を想像している。
とっくにその資産すら食い物にされて逆に日本の資産が、国土がその資金で外国人の権利にすり替えられていると予想する。
・・・・・・・・・・・・・・・・
今年は、一回崩壊して再起する良い機会だと感じる。
このまんま突き進んだところで、99%の主権者たる日本国の労働者、一般国民に明るい未来など存在しない。
もしその事に気づいていないとすれば、その人はカルト洗脳が完成している。
あとは障害者福祉や医療、ゲームや二次元、VRなど、産業として競争力があるのか無いのかわからない、半官半民のようなメディアや政府、カルト地域政党が密着したような、中国や北朝鮮も顔負けの管理社会が完成するだけだろう。
そして、生きがいややり甲斐の搾取による、国民の人生、時間の浪費管理がされていく。
これは、カールマルクス氏の資本論から捉えた時、そもそも本来のホモサピエンスとして生きる自由の目的が逸脱した社会主義国家であり、
今の日本国とスターリン・レーニン時代のソビエト連邦が、何が違うのか?日本政府関係者に逆に聞きたくなる。
そこを目指しているなら、素直にそう言えばいい。
ただ、重税に、派遣労働、労働義務同情圧力、メディアによる情報言論統制、カルトや詐欺、スパイ放置。
そして政府による官製資本主義社会。
官製資本主義社会=社会主義国家
そう見えなくもない。
まして島国の単一言語民族国家であれば、環境的条件として、既に社会主義国家の素養が最初から成立している。
なぜ、誰も彼も、政治家もインフルエンサーも、知識人もこの国の未来に対して、資本主義からの転換自立を、少子化を止めようとしなかったのだろう?
単純に均衡を保てばよかっただけであって、新自由主義の、グローバリズム、左翼の最先端に、気がつけば国際社会から孤立して日本国はいつの間にか立っていた。
アメリカ合衆国がいつまでも日本を庇護の元においてくれていた、甘い愛人の幻想を、いつまでも未練たらしく追いかけているかの如く。
ただの妄想と妄信で、未来へ次世代の民族遺伝子、種族の生命生殖機会を奪った。
それはいつか、神や信仰より恐ろしい実存の絶望として必ずその当事者と当事者が最も大切にするものに降りかかる。
グリフィスにでもならぬ限り、魔王にでもなるくらい人としての感情よりも信念や欲望、正義を優先する、狂人達の集団が、最後までその座に居座り、残るのだろう。
・・・・・・・・・・
私は人類が生み出して人類社会が共に生きるシンギュラリティは、電気やガス、石油、通信、内燃機関などの発見と同じく、飛躍的な社会変容、革新を与えるだろうが、人類が危惧している事にはならぬと感じる。
むしろ結局棍棒で戦った時代も、核兵器の時代も、いつも惨劇は人類の手によってもたらされてきた。
従って、人類は人類それぞれ自身の中にあるその常軌を見失う、狂気こそが本当の敵であると感じる。
残虐非道な行為を起こすのは、いつも凡庸な悪、信仰心や正義感を持った真面目な、どこにでもいる普通の凡庸が引き起こしてきた。
社会主義や共産主義革命による虐殺や暴力も、また
『凡庸な悪』
によるもの。
要は
『熱狂的妄信的集団・人々』
なのだ。
今の日本国はどうなのだろうか?
あなたの現実の日々に、『凡庸な悪』は映っていないだろうか?
それら全ての凡庸な悪を放擲した先に、
真に自由で、創造的なホモ・サピエンスのポストシンギュラリティが待っている。
そして誰もがホモ・サピエンスとしての遺伝子の、生命が実存する意味を日々感じて生きる事ができる至福が平常として日々を重ねて共有する時代になる。
いいなと思ったら応援しよう!
私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。