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理性を選ぶということ──「アタテュルクと家族観」展を観て

コテンラジオを十何周聴いても毎回号泣したり涙ぐんだりしてしまう、梶間和歌的神回は、
プロイセンの啓蒙君主フリードリヒ大王、そしてトルコ共和国建国の父ケマル・アタテュルクの放送回です。


そのケマル・アタテュルクに関する展示を観る機会に恵まれ、11月、トルコ文化センターにお邪魔してきました!

わあああああ




理性を選ぶということ──「アタテュルクと家族観」展を観て

ケマル展開催中……だと!?

昨年のコテンラジオクルー限定ツアーで知り合った、地方在住の仲間が、11月上旬、東京に来るとのことで、
東京の仲間とあわせて3人で落ち合い、キャッキャウフフしてきました!

(ソーシャルキャリアフェスのレビューはこちら


その際再会した、東京在住のほうのツアー仲間が
「いまこの近くでケマル展をやっている」
と教えてくれて。

しかし日祝はお休みだったので、その足で3人で行くことは叶わなかったのです。ぐすん。

ぴえん


帰宅後ケマル展について調べてみると、Instagramのこちらの投稿がヒットしました。


地方在住の仲間のほうはすぐに帰ってしまうけれど、東京在住の仲間とはいっしょに行けないか、
と思い誘ってみたものの、展示終了も近づいており予定が合わず断念。

しかし諦めきれなかったので、諸々の予定を組み直し、最終日にひとりでお邪魔することにしたのでした。


プチ異文化交流

当日は健康診断の結果を受け取り、渋谷で予約した献血の前に代々木上原のトルコ文化センターに行くつもりで。

しかし、お勤め経験ほぼゼロで、社会人になって初めて健康診断を受けた梶間和歌は知らなかった。

健康診断の結果を受け取るのって時間かかるんだな!
受付で「はい、どうぞ」というわけにはいかないんだな!

お医者様の解説を聴き、血糖値に気をつけようと決意を新たにし、病院を出るころには……うん。
しかし展示はその日が最終日。逃せない。
献血のほうを1時間ずらし、代々木上原に向かったのでした。

わくわく


地図アプリを見ながら会場のトルコ文化センターをめざすのですが、
「ここの2階? どう見てもモスク……」
という建物に、外階段から2階に上がると、礼拝中。

そっと降りて、今度は1階のドアから建物に入ると、やはり礼拝中。

受付でベルを鳴らしても誰も来ない。
うーん、困ったな……。


どうやら礼拝の終わるタイミングだったようで、大勢が行き来していますし、無料のお昼ご飯が配られています。
そのお昼ご飯を配っている方は、スタッフか関係者か、とにかく質問しやすそう、ということでそのあたりの方に英語で話しかけました。
(タウックルピラフなるものを頂きました! おいしかった! )

すると、「この人ならわかるかも」と奥の部屋に通され、そちらで
「隣の建物ですよ。一度外に出てぐるっと回ってね」
「でも今日休みじゃない? 」
「今日まで展示期間ならやってるでしょ」
と場所を教えていただくことができました。

お互いカタコトの日本語と英語だったのですが、ちょっとした異文化交流、うれしかったです。


それに、礼拝中のモスクに思いがけず迷い込み、びっくりはしましたが、
「イスラームは宗教というより、生活感覚として受け取ったほうがよい」というコテンラジオの深井龍之介さんの言葉(たしか、ケマル回ではなくメフメト2世回で言われたのだったと思う)も、
少しだけ「あ、こういうことなのかな」と感じられた気がしました。

ドキドキ


いったん外に出て、

人生初モスク


隣の建物に入り、2階へ……。

展示といっても私がふだん行くギャラリーのような場所とは異なるみたい。
いわゆる日本の公民館とか公共施設とかそんなイメージの2階の部屋、そこが目当てのケマル展の会場でした。


アタテュルクと家族観展

中に入ると係の女性が話しかけてくださり、写真もOKとのことだったので、
ケマル・アタテュルクとその家族の写真をしみじみ眺め、コテンラジオで学んだエピソードと重ねながら、いくつか撮影もさせていただきました。


内縁の奥さんを自死で亡くし、正式な奥さんとも2年で離婚したケマルさんのこの言葉……
「人生は短い。その人生を祝福し、輝かせるために、人々が最も理にかなった手段と考えるのが結婚である。
否定できない真実として――人間も人生も、女性なしでは成り立たない」


ラティフェさん……


養女さんの結婚式
こちらも養女さんの結婚式
養女さんとケマルさん
「若くして父を亡くしたガーズィー・ムスタファ・ケマル・アタテュルクは短い結婚生活ののち、
心の中にある子どもへの深い愛情と、困難な状況にある子どもたちを守りたいという思いから、養子を迎えるようになった。
彼が人生で支え、育てたこれらの子どもたちは、やがて若い共和国を担う、教養と能力を備えた立派な人材へと成長していった」


こちらは養女ではなく、トルコ共和国の子どもだそうです
やはりトルコ共和国の子どもと触れ合うケマルさん


キャプションによると、イスメトさんがここに!!!
ケマルが怖すぎるのでウィスキーを飲んでから苦言を呈していたという旧友イスメトさん(コテンラジオ談)
厳しい戦局でケマルを信じ励ましたフェトヒさん……
「配偶者を幸福にできる者は、結婚し、子をもうけるべきである。
私を手本にしないでください。力量ある模範は、まさにイスメット・パシャです。
私の生活は別のように定められている。それでも私は経験してみました。
後になって分かったのは、これは私に務まる仕事ではなかったということです……
子どもへの愛情は人にとっての必須である。とりわけ年を重ねるほどに、その必要はより強く自覚される」
ウィスキー(略)イスメトさん……


理性と孤独と美しさ

ケマル・アタテュルクやフリードリヒ大王についてのコテンラジオ放送を聴いて、私が泣いてしまう理由。
それは、彼らがひときわ理性を重視し、信じ、その理性をもって国家運営し人生を切り拓こうとしたように見えるからです。

その結果への賛否をここでは問いません。彼らを盲信し礼賛するつもりもさらさらない。
ただ、私の共感の理由を私の言葉で語らせてください。


ケマルはイスラームを批判的に見、科学や理性を重視して生きました。
ある種、「科学教」ともいえるくらいに。

ケマルは伝統を断ち切ろうとし、反発の大きな改革をおこない、自分の理性に賭けて、生まれたばかりのトルコ共和国を船出させました。
その選択は、宗教感覚の自覚の薄い現代日本人には「そりゃ、そうだよね。宗教ではなく科学を根拠に判断すべきでしょう」と見えるかもしれないけれど。
そもそも宗教や慣習ではなく理性を信じるということは、強い意志と、孤独を引き受ける覚悟を必要とする選択です。


フリードリヒ大王もまた、コテンラジオで語られるかぎり、理性を信じ国王としての責任を果たすことの裏返しとして、孤独な人生を引き受けました。

私の尊敬する光厳院もまた、宗教的な枠組みのなかにありながら、理性によって高潔な生き方を選び取った人でした。
彼の和歌や生き方は、孤独を引き受け理性で選んだ人の美しさとして私の前に立ち現れます。


私はケマルのような偉人とはかけ離れた、東の果ての島国に生きる一庶民でしかありませんが、例えば。

私が結婚をしたり子どもを産んだりしなかった
(今後絶対にないとは言えないが、子どもは年齢的にそろそろ無理だと思う)
理由のひとつは、

どう考えても私の人生で真剣に取り組むべき和歌という天命が見えているのに、
その和歌以上に大切になってしまうかもしれない(そして、現代日本の価値観では、大切にすべき・・・)新しい命を、責任も果たせないのに産み落とすべきではない、

という私なりの倫理観があったからです。

(ほかにも、いろいろな理由が絡まってのことですが)
(この点、私がコテンラジオを聴いてシンドラーには嫌悪感を持たなかったのにルソー(哲学者のほう)とカンディーのことは好きになれなかった理由と重なります。しかし、話が逸れるのでこれはまた別の機会に)


ケマルやフリードリヒ、光厳院の感じたであろう孤独は、理性の道を選んだ人の宿命的な孤独でしょう。

どうあがいても人は、理性なり宗教、慣習なりなにかしらを信じ、それを拠り所に(時に無意識に)判断し、同時にその代償を引き受けて生きるしかないのだと思う。
そして、理性信仰を選んだ人には、孤独が影のようにその生に付きまといます。

私自身その構造のなかに身を置いている、と生活のなかで実感することがあります。
和歌という天命に巡り逢い、光厳院という方を敬愛し、夢中で和歌を詠むこの生き方を「いいね」と言ってくださる読者様や友人たちに恵まれ、本当にしあわせな人生だと思うなかで、
時折どうしようもない孤独感が胸を吹き抜けることがない、とは、いえない。

しかしそれは、私がケマルやフリードリヒ、光厳院と同じものを信じることにした以上、仕方ないのだろう、自然なことなのだろう、と理解しています。


もともと望んでいなかったので、子どもを産みたかったとは思わないですが、もし産んでいたらどうだっただろうかと考えることはあります。

今後仮に産むことがあったとして、「育てられないなら私が引き取るよ」と言ってくれる友人がいるので、どのみち私がいわゆる“母親”役割を担うことはないでしょう。
和歌より大切なものの出現を私は自分の人生に許可しませんし、できません。

そういえば、ケマルにもフリードリヒにも血のつながった子はいなかった。
フリードリヒは、後継者として愛育した甥に早世されましたね。
そして、ケマルは写真展のとおり、離婚後大勢の養子を迎え、育てている。

どんな気持ちで育てたのだろう。本当はどんな人生を生きたかったのだろう。
しかし、そんな反実仮想に足を引っ張られ天命を手放すことなく、彼らは理性をもって、己の信じる人生を貫いた。そして、歴史に名を残した。


写真展で話しかけてくださった係の方に
「ケマルさんが養女さんたちと触れ合う姿を見て、胸がいっぱいになりました。お子さんたちとの時間で孤独感が癒やされていたことを願います」
というようなことを英語で伝えると、彼女は
「彼は誰々の詩集の一節にアンダーラインを引いています」
と教えてくれました。有名な詩人だったのに、失念してしまった……すみません。

そのアンダーラインの箇所は

「誰も私の孤独を理解できない」

といったニュアンスだったそうです。


写真展を出た私の涙腺よ……。


近代以降の民主主義は“理性的個人”を前提にしていますが、現実には多くの人が感情で動きます。本能的欲求の破壊力も馬鹿にならない。
それが人間の自然だと思う。

そんななか、理性的に生きようとする人は必然的に孤独になります。理解が得られにくいし、そもそも自然に反しているから。
ケマルもフリードリヒも、そして光厳院も、その構造を共有しているのではないか。


光厳院の影響もあり、私は日々の大小の選択を

「それは人として自然である。しかし、人として美しくない」
「それは人として自然ではないが、美しい」

という基準で選ぶことが癖づいています。
あくまで私個人の考える美なので、判断する主体、また時代や地域が異なれば顧みられないものかもしれませんが、少なくとも私が自分自身に、そして光厳院に恥じないため、そのような問いと選択を日常のものとしています。


私の尊敬する光厳院、コテンラジオを聴いて深く共感したフリードリヒやケマルは、
のちの人類が振り返って評価するとき、結果的に誤ったと見えることも、誤らなかったと見えることもあるでしょうが、
そのどちらにおいても理性を手放さずにいた人だと思います。

人としての自然な欲求や、なにかに縋りたくなる弱さもきっとあったと思う。
しかし、それに流されることを自身に許さなかった。流されないことで当然生まれる孤独感を、引き受けた。


自分の信じる理性をよりどころに生きるということは、同時代の多くの他者からの理解や共感から遠いところに生きるということ。

それでも、理性を手放さなかった人たちの生き方を美しいと感じます。
そして、孤独を引き受けることになったとしても彼らと同じ方向を向いて生きることを、光厳院に出逢って以降の私は選んでいました。そうせざるを得ないほどに、光厳院の生き方が美しかったからです。

歴史に名を残すかどうかではない。
私にとって大切なのは、自分自身に対して、そして光厳院に対して、ひとつひとつの選択とその蓄積である自分の人生を恥じずに生き切れるかどうか、その一点です。


そんな人生を選びながら、理解ある多くの読者様に現状恵まれていることを、本当に、本当に奇跡的なことだと思っています。

ありがとう


PS.コテンラジオを聴いてみる


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この記事を書いた人

photo by ミカアンドロイド

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