研修ボードゲームの「ならでは」の課題とあえてファジーに向き合う危うい戦略(ビジネス × ボードゲーム Advent Calendar 2025|3日目)
おつかれさまです。W2ナニカソンです。
この記事は【ビジネス × ボードゲーム Advent Calendar 2025】の3日目です
熟成下書きの発見
ちょっと、当時の関係者も驚くくらいにうっかり下書きで熟成させてしまっていた記事に気づきました。
ど、どうして当時最後まで書いてないのこれ!
…と気づいたその日、そういえばこの記事は、まさに必要されているということを思い出しました。
ビジネス × ボードゲーム Advent Calendar 2025です
21日に元々エイヤでエントリーしていたのですが、この記事を公開している時点ではまだ勇者が足りていない! うわー盛り上がってほしいです!
さすがに、主催でもない立場で、さらに無理やりひねり出してまで複数日参加というのは荒ぶりすぎかもしれません。しかし、そこにうってつけの熟成下書きがなぜかあったなら。そして運命的に気付いてしまったなら。
これはもう、
縁ができたな!
と叫ぶしかない!
発端となる出来事は2025年4月頃…
記事の性質上、この記事を書く動機となった出来事がいつ起きたかは割と明白でした。2025年4月頃です。いや、熟成させすぎですね。でも一応今年の出来事であるとも言えます。むしろ今気づいてあっぱれです。そう思うことにします。
ふいに起きた興味深いやりとり
Play&Learn#2で出会ってからなにかと刺激を受けているSurFunさんが心理的安全性ゲームの話を投稿していました。
こちらの記事を読んで、おもわずこんな反応をしてみました。
先日ポスト見た時は「わー、気になってたやつだ!」とウキウキ反応でしたが、記事を読んでちょっと昔からある方面で感じていたモヤモヤの1点を突かれた感じで、手がとまって多少シュンとして、また考えてしまいました
— 株式会社RayArc・新規事業ユニット|W2ナニカソン (@w2mjra555) April 22, 2025
演技を笑うには、その人がそんなこと言うわけないって信頼がないと厳しいですね😶 https://t.co/gFLgCwLgOq
それに対して遭遇設計の広瀬さんからリアクションが!
とても真っ当でありがたい意見だと思いました。
— 広瀬眞之介 @ビジネスボードゲームの開発・実施 (@sinpost2) April 22, 2025
業界発展にめちゃ大事。
そこで、さらに先ほどの気づきをもう少し掘り下げて言語化してみます。
「顔は知っているが親しいとは限らない」「上司や部下の立場だけれども、良好とは限らない」みたいな人たちの場の場合…どんなワークもゲームも扱い方を間違えると強力な分劇薬にもなるなとおもうことは常々…あります
— 株式会社RayArc・新規事業ユニット|W2ナニカソン (@w2mjra555) April 22, 2025
参加する人たちにはその場よりも「前」がありその場の「後」も続いてゆくので…
ラリーはさらに続きます。
その辺を事前にふるい分けしたいゲームの場合は販売せずに、ふるい分けできる研修として実施するという手もありますね。
— 広瀬眞之介 @ビジネスボードゲームの開発・実施 (@sinpost2) April 22, 2025
うちの場合は、ウツ会議が該当します。疾病当事者がやっちゃダメなので。
発端の記事を投稿していたSurFunさんからもこんなメッセージが。
コメントいただきありがとうございます🙇
— SurFun@5/17ゲムマ@幕張メッセ (@SurFun_BG) April 22, 2025
私たちもボードゲーム製作やワークショップ開催してますが、初対面グループで試す機会って少ないんです。。
特にファシリテーターの機転力に依存するゲームは販売時に補足いりますね💦
「なるほどなー」の応酬です。
対象の人達にプレイしてもらっても、させたい体験がファシリテーターに依存するなら「ゲーム化が弱い」場合もあるなぁと思います。
— 広瀬眞之介 @ビジネスボードゲームの開発・実施 (@sinpost2) April 22, 2025
その場合、ワークショップツールとして認知させた方が販売側にとってもプレイヤー側にとっても良さそう。
補足は必須かもしれません。
ものすごく触発されるものがあって、思わずさらに投下してしまうと…。
そうですね(って、私が言う立場かどうか…)
— 株式会社RayArc・新規事業ユニット|W2ナニカソン (@w2mjra555) April 22, 2025
ゲーム化による抽象化をどこまでやるか
どこまでゲーム性に振るかは単に楽しさの追求だけでなく「自分の肩書外し」のための足場かけのデザインとしてとらえることもできる部分だと思っており、それだけで決めるわけでもないのですが個人的には意識しています
SurFunさんになにかが刺さったようです。
うっ。。。
— SurFun@5/17ゲムマ@幕張メッセ (@SurFun_BG) April 22, 2025
ゲーム化を阻めている要因が、「このテーマで勝敗つけたくない」という自分のエゴがあるなと気づいてしまいました。。。
ご意見いただけてとても嬉しいです。
ありがとうございます。
私(魔人)にも弾丸が貫通しました。すぐには言語化しきれないけど無視できないものを感じたといいますか。
うっ!(撃ち抜かれました)
— 株式会社RayArc・新規事業ユニット|W2ナニカソン (@w2mjra555) April 22, 2025
語り明かしたい!
あと、なんかもうこのやりとり自体をまとめて記事にしたい!
記事にするならどうぞ―と言っていただいたので…。
ぜひぜひ〜。どうぞー
— 広瀬眞之介 @ビジネスボードゲームの開発・実施 (@sinpost2) April 22, 2025
そもそも、なんで私はこのやり取りを「つい」したのか、ふりかえりというか、整理してみることにしました。
記憶の中の「心理的安全性ゲーム」
私がボードゲーム開発に関わる前からやっとむさんの「心理的安全性ゲーム」というものがあることは(場づくり、アジャイル関連の話題から)存じ上げておりました。
当時も機会があればあそんでみたいなとは思いましたが、コロナ禍ど真ん中だったでしょうか…一旦その時期にはこれというご縁がなく、記憶にだけ残りました。
自分たちがゲーム開発側になり、そして
その後、いろいろな偶発性の波に乗って、あそぶどころか自分が場づくりのボードゲームを開発する立場にハイジャンプしてしまい、ものすごく景色が変わり続けて今日があります。

その中で研修ゲームラボさんのPlay&Learnに参加し、遭遇設計さんにまさに遭遇し、SurFunさんの波にも出会ってどんぶらこ、どんぶらこと…。
まさかこんな形で、記憶の隅にあった「心理的安全性ゲーム」に再会するとは。いや、厳密には私は出会ったとまでは言えないし、そもそも再会というのもなんかおかしいですが。その時には、気になっただけで終わってしまったものでも、ご縁というのは不思議なものです。もう一度出会う時は、やはりあそぶ機会をいただいたときなのかもしれません。
「ならでは」の課題
さて、あらためてやりとりの発端になったSurFunさんの記事を読み返してみます。ううむ。
心理的安全性ゲームで遊ぶには心理的安全性がいるかもしれない?
これは昔、技術の時間にはんだこてをつくる実習の中で、
「では、はんだ付けしてください」
って手順が出てきたときの「!?」をうっすら思い出す話です(そういう授業があった…が、今は違うかもしれない)。
最初の心理的安全性はどこから持ってくるんだぁああ!
……いや、はんだこてにしても、心理的安全性にしても、もちろんそれはそれで、どうとでもなるというまっとうなツッコミはできますけども。しかし、そういうことではなくてですね。
研修とか、特定の目的とボードゲームをフィットさせようとするとき、こういう「ならでは」の課題が浮かび上がることって「あるある」だなぁということなんですよ。
浮かび上がった「ならでは」と向き合う
その後のやりとりでは、ゲーム化の強弱(それを単純によしあしと一面的にジャッジする話をしているわけではない前提で)の話、それによって位置づけ、つまりボードゲームと人の間にどう立って、どう翻訳して仲立ちするのか、橋を架けるのかというところに言及されていたり、そこから相互に刺激を受けていたり、今読み返しても興味深い様子が見られます。
今がゲームマーケット2025秋の記憶もまだ冷めやらない時期の為か、ビジネスボードゲームの文脈でも、販売場面での存在感とか、PR等の視点で話題にあがりがちです。販促面の課題の共有や分析は当然切実なことで、それはもちろん大切なのですけど…。
それとは別に忘れてはならないのは、「ならでは」の癖を一定抱え込む宿命を持つ、ビジネスボードゲームにおいては、ただ単品として販売するというアプローチが最適解ではないものもあり、そういうったものは単純に販売卓には並ばないこともある、ということです。
体験設計で拘りぬかなければならない部分が重かったり、どうしても代えが効かない場合、ゲームとの出会い方、別れ方の設計まで責任を持たないと劇薬に仕上がってしまう場合もありますよね……。
あえてファジーにする選択
ただその一方で、私たちは、あえてその合間の、委ねるギリギリのラインで研修ボードゲーム的な価値を提供できないのか? という思考実験の具現のような取り組みを重ねてきました。
その難しさを感じながら手放しきれないこだわりもあり、模索してきました。まなびに強くフォーカスしようとすると、あえてゲームとしての純粋さを一部犠牲にしてでも、目的に特化して、さらに前後の体験デザインにも条件付けなくてはならないものもあるでしょう。そして、そこまでとがらせたほうが、確実に特定のニーズには刺さって、正道なのかもしれません。
そこをゆるめて、余白として渡すには色々な意味での勇気がいります。どっちつかずの体験になるリスクもあるし、キャッチ―さも薄れます。その一方で、まなびというメッセージを残し続ける限り、あそびに特化しきって追及したもののもつ、エンタメ性やシステムのピュアさには太刀打ちできなくもなります。
どっちつかずで、教科書的なマーケティング的には「あかんやつ」と思われてしまう可能性もあります。
でも、それでもそのあわいにあるゲームにしか生み出せない可能性や価値があるのでは、その思いも捨てきれず、無視できません。直感であるのが、こういう記事にするときにとても弱いです。
「あえてファジーにすることは、弱さなのか、強さなのか」
しっかりどちらかに倒して、確実にわかりやすくとがらせるというある種の「正しさ」と、それはほんとうだろうかという本能の声と向き合い続けています。あわいにしか生まれない価値があると信じていて、どうしてもそれを無視することができないのです。
(W2ナニカソン・ワクワク魔人S)

