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「反出生主義」と「生きづらさ」の親和性

 私自身、「反出生主義」という言葉は大人になってから知りましたが、思えば幼い頃から
「生まれてきたくて生まれてきたわけじゃない」という思いが、ずっとあった気がします。

 この考え方が、私の元来の特性から来たものなのか、育った環境から来たものなのかは、正直わかりません。

 ただ、「生まれてから何不自由なく育ちました」とは、私の目線からすると、言えません。

 「私の目線からすると」というのは、もっと過酷な環境で育った人からしたら、「恵まれてるほうよ」と言われるかもしれないからです。

 そういう意味では、自分が常に感じてきた「生きづらさ」って、環境うんぬんよりも、やっぱり本人の特性によるところが大きいのかなって思います。

 アラフィフになっても思春期の拗らせのような思考に苛まれるのは、私が私であるからこそなのかもしれませんし、実はそんな自分も今はそんなに嫌いじゃなかったりします。
(若い頃は、なんて自分は面倒くさいことばかり考える人間かと思いましたが)


 幼い時、
「私が産まれた時、どんな気持ちだった?」と母に聞いたことがありました。

 「嬉しかったよ」とかの言葉を期待して、ほんの軽い気持ちで聞いたつもりだったんですけど、
返ってきた答えは予想外に重たくて、
「この子も自分と同じ思いをする(苦悩を抱える)ことになるのか···と思った」と。

 母自身、生きづらい人間だったんだと思います。私を妊娠して産んだ時も、父の会社の経営状況が悪化して、離婚を切り出されていたようです。
 ですが、一人で私を育てる自信がなかった母は、離婚をせずに私を産む選択をしたのだ、とも聞かされました。

 幼心に、「私の存在が母に我慢を強いている」と感じたのを覚えています。

 
 そんな私も今は2児の母です。
 
 夫と出会えて結婚できたおかげで、
 こんな私も母になりたいと思えましたし、2人の子供達にも恵まれました。

 それと同時に、子供を生み育てる覚悟、責任、そういうものも忘れないようにしなければいけないと、常に自分に言い聞かせてきました。

 新たな人間を、自分がこの世に創り出す、創り出したことの責任というものを人一倍感じながら。

 だからこそ、今ちょうど思春期で、「生きづらさ」を感じながらも懸命に生きている子供達に、
「生まれてきて良かった」と思えるようになってほしいし、そういう思考になれるようにサポートしていきたい、そう肝に銘じながら日々接しています。


 話は「反出生主義」に戻りますが、近年生まれた「親ガチャ」などの思考は、この「反出生主義」の考え方に通じるのかもしれません。

 特定の宗教や信仰がなく、生きづらさを感じやすい現代の若者は、「生まれなければ最初から苦悩も無かった、なぜ産んだんだ」という思考に至りやすいのではないでしょうか。

 昔は、信仰の浅い家庭でも、割とスピリチュアル的に気軽に、「お前がお母さんを選んで生まれてきたんだよ」とか、「前世から決まっていたことなんだよ」とか言う親が多かったかもしれませんが。

 私は、特定の宗教や信仰を否定するわけではないですし、かといって「反出生主義」を全面的に支持しているわけでもありません。

 ただ、私の母の回答のように子供を絶望させたくないですし、スピリチュアル的な答えで誤魔化したくもないのです。

 もし子供達から、
「なぜ産んだのか、なぜ生まれてきたのか。」
 そう問われたら、
 今の私なら、
「私やお父さんが、あなた達を必要としたから。」

 そう、正直に答えるしかないと思っています。
 ただ、それが本当にベストの答えなのか、まだ正直わかりません。

 もっとベストな答えがあるのか···、その答えを求めて、私の哲学の旅は続きます。 

#反出生主義
#哲学
#毒親